第443話 文化祭と提督(1)

「暑い・・・・・・」

 9月上旬のとある日。ジリジリと肌を焼く太陽を恨めしそうに見上げた影人はそう呟いた。9月は既に秋のはずだ。しかし、天に輝く太陽は到底秋の太陽ではなかった。もはや9月も夏と変わらない。ここ数年は毎年そう思っている気がする。

「大丈夫ですか帰城さん? 顔色が悪いですが・・・・・・」

 影人を心配するように海公がそう声を掛けてくる。現在は5限目の体育の時間。影人と海公はペアでソフトボールの球でキャッチボールをしていた。

「ああ・・・・・・って言いたいところだが、正直今すぐ日陰に行きたい気分だ。夏休み明けの体育でこの暑さは流石にキツいな・・・・・・」

「そうですね。正直僕もけっこうキツいです。熱中症には気をつけなきゃですね。帰城さんも本当に体調が悪くなったら言ってくださいね。保健室まで付き添いますから」

「ありがとよ。お前は本当優しくていい奴だよ春野。でも、今はまだ大丈夫だ」

 海公の投げたボールをグローブで受け取った影人はフッと笑うと、ボールを海公に投げ返した。海公は影人にとって数少ない癒しを与えてくれる存在だ。

「あー、体育ダリぃ。学校ダリぃ。一生夏休みがいいぜ」

「だよなー。でも、秋はイベント盛りだくさんじゃん。体育祭に文化祭、そして・・・・・・修学旅行!」

「あー、確かに。俺、修学旅行だけは楽しみだわ。今年の修学旅行って確か沖縄だったよな。俺、飛行機も乗った事ないし、沖縄も行った事ないからクソ楽しみだわ」

 影人たちがキャッチボールをしていると、隣の男子ペアからそんな会話が聞こえてきた。

「ああ、そうか。もうそんな季節か」

 隣のペアの会話に影響された影人は去年の事を思い出した。体育祭は適当に力を抜き、文化祭はまあ色々と思い出深い。ただ、修学旅行に関しては――

「・・・・・・春野は修学旅行楽しみか?」

「え? は、はい。人並み程度には楽しみです。僕も沖縄には行った事がないので。それに・・・・・・修学旅行のあの独特の空気感はそうは味わえませんから」 

「そうか。まあ、そうだよな」

 海公の答えを聞いた影人は首を縦に振った。海公の答えは、恐らく一般的な回答だろう。世間の多くの学生は、どこか非日常感のある修学旅行を楽しみにしているものだ。

「あ、そう言えば・・・・・・帰城さんは2回目ですよね。参考までにお聞きしたいんですけど、去年はどこに行かれたんですか?」

 海公は影人との距離を少し詰めると、小声でそんな質問をした。風洛高校の生徒は基本的に2年生の時に修学旅行を経験する。そして、影人は大きな声では言えないが留年生だ。つまり、1度修学旅行に行っているはずだ。

「去年は確か京都だったと思うぜ。基本的にはウチの高校は京都、沖縄の交代制って会長・・・・・・今年卒業した先輩が言ってた気がするな。まあ、俺は

「え!?」

 影人のまさかの答えに、海公は思わず驚いた声を上げた。海公の声の大きさに隣にいた男子ペアたちは「なんだ?」と不思議な表情になる。海公は「あ、すいません」と隣のペアに向かって苦笑いを浮かべた。

「もしかして、ご病気でお休みになられたんですか? だとしたらすいません。配慮が足りませんでした・・・・・・」

「気にするなって。確かに病気で休んだが、俺の病名は仮病だからな」

「・・・・・・え?」

 再びの影人のまさかの答え。それを聞いた海公は今度はポカンとした顔でそう声を漏らした。海公は影人の言っている事がよく分からなかった。

「な、何で仮病で休まれたんですか・・・・・・?」

 恐る恐るといった様子で海公が口を開く。影人のことだ。きっと何か止むに止まれぬ事情や、深い理由があったに違いない。前髪野郎に憧れの感情を持っているという酔狂な面を持つ海公はそう思った。

「俺は孤独で孤高の一匹狼だからな。多少の集団行動なら合わせるが、2日3日の集団行動は俺の孤独で孤高なマイハートが耐えられねえんだ。だから、自主的に休んだ」

 しかし、バカの中のバカ、キングオブバカの前髪野郎の答えはそのようなものだった。ある意味予想通りである。行動原理が常人には到底理解できない。

「でもまあ、楽しかったぜ。俺が休んだのは1日だけで次の日から登校したんだが、みんなは修学旅行に行ってるだろ。だから、適当に自習したら昼には帰っていいって言われてよ。午後から遊び三昧だ。正直、天国だったぜ。ははっ」

 頭のネジが完全にどうかしている前髪モンスターが笑い声を上げる。なぜ笑うんだいと真顔で言いたいところだが、相手は前髪野郎。話の通じぬモンスターである。何を言っても無駄である。

「そ、そうですか。さ、さすが帰城さんですね・・・・・・」

 普段は前髪野郎を尊敬している聖人の海公でさえも、少し引いた顔を浮かべていた。

「じゃ、じゃあ帰城さんはその・・・・・・今年も修学旅行には参加されないんですか? だとしたら、帰城さんには申し訳ないですけど、少し、いやかなり寂しいですね・・・・・・」

「あー・・・・・・そうだな。今年の修学旅行も行く気は正直ない。悪いな春野。こればっかりは俺の信条みたいなもんなんだ」

 酷く残念そうな顔になる海公に、さすがの前髪モンスターも申し訳なさそうにそう言った。どうやら、この世の中には修学旅行に参加しない信条というものがあるらしい。全く、世界は広い(遠い目)。

「そ、そうですか・・・・・・残念ですけど、それが帰城さんの信条なら仕方ないですね」

「重ねて悪いな。だがまあ、俺の事は気にするな。お前は友達と修学旅行をしっかり楽しんでこい。まだ先だが、その時は土産話を聞かせてくれよ」 

「・・・・・・はい。分かりました」

 海公はまだどこか寂しそうな様子だったが、小さく笑うと影人にボールを投げた。











「あー、お前ら。秋はお前らにとっては楽しいイベントが、私にとってはクソ面倒くさいイベントがてんこ盛りだ。本当、死なねえかなこの季節・・・・・・」

 6限目はホームルームの時間だった。2年7組の担任教師、榊原紫織は気怠げに教卓に立ち、心の底から面倒くさそうな顔を浮かべていた。

「あはは。先生ー、ぶっちゃけ過ぎー」

「先生ってよく先生になれたよなー」

 紫織の言葉に生徒たちが笑い声を上げる。半年の付き合いで、生徒たちも紫織がどんな教師なのかは理解していた。そして、2年7組の生徒たちは、先生らしからぬ態度の紫織の事が嫌いではなかった。

「うるさい。ぶっちゃけなきゃやってられないんだよこっちは。あー、早く仕事終わって酒飲みたい・・・・・・」

 紫織は遠い目をしながらそう呟いた。本当によくこんな人が教師になれたなと、去年から付き合いのある影人は思った。言えば殺されるので口には出さないが。

「って事で、さっさとホームルーム終わらせるぞ。まず秋のイベント1発目は文化祭だ。お前らは去年は劇をやっただろうが、2年からはクラスで出し物をしなきゃならない。参考までに教えとくが、去年私が担当したクラスはコスプレ喫茶をやった。言葉通り、生徒たちがコスプレをして喫茶店をやる出し物だ」

「あっ、知ってる。私去年行った」

「私も私も。ね、魅恋」

「うんうん。あれよかったよね。色んなキャラのコスプレがあって楽しかった。祭りって感じだった!」

 紫織の説明を聞いた女子生徒たちがキャッキャと盛り上がる。クラスの人気者である魅恋も去年のことを思い出し、明るく笑った。

「あー、そういえばそんな出し物あったな」

「悟◯とかル◯ィとか、メイドとかアイドルとかもいたな。でも、1番印象に残ってるのはアレだわ。シ◯ア」

「分かるわ。あれは凄いインパクトだったよな・・・・・・」

「あんな目立つコスプレ、俺無理だわ」 

 一方、男子生徒たちはそんな会話を行なっていた。去年の文化祭に現れた赤い◯星は、風洛高校の一種の伝説になっていた。

「・・・・・・」

 去年にシ◯アのコスプレをした当人である前髪は、無言で男子生徒たちの会話を聞いていた。

「というわけで、クラスの出し物を決めるぞ。基本出し物は私に迷惑がかからなきゃ何でもいい。ただ、文化祭は毎年9月のケツにやる。だから、そこまでに間に合う出し物にしとけよ。じゃあ、あとは適当に決めろ。私は寝る」

 紫織は生徒たちに仕事を投げると、教室の左端に移動しパイプ椅子に座った。そして、ジャージのポケットからアイマスクを取り出すとそれを装着した。そして腕を組むと、すぐにいびきをかき始めた。有言実行の速度が尋常ではなく早い。

「よーし、そういう事みたいだからみんなで決めちゃおうぜー! じゃ、私がみんなの意見をどんどん黒板に書いてくから、よろよろー☆」

 紫織の代わりに魅恋が教壇に立った。魅恋は人気者としてのリーダーシップを発揮すると、クラスメイトたちに意見を求めた。

「はいはい! 執事喫茶!」

「文化祭といえばメイド喫茶だ!」

「メイド喫茶なんてテンプレ中のテンプレだ! 時代はVtuber喫茶だ!」

「喫茶店だけが文化祭の出し物じゃないでしょ!? 私はお化け屋敷がいいと思う!」

「ロマンが足りないから教室全体を迷宮にしようぜ!」

 途端、クラスメイトたちから意見が溢れ出す。魅恋は「ちょ、一気に言うなし!?」と慌てながらも、チョークを黒板へと奔らせた。

「はっ・・・・・・去年と変わらねえな」

 その光景を見た影人は自然とそう呟いていた。この光景も、出てくる意見も去年の影人のクラスメイトたち――現在の3年生たちと何ら変わりがない。まあ、Vtuber喫茶だけはさすがに出てこなかったが。

「・・・・・・高校生が考えることはいつの時代も一緒か。ある意味健全だな」

 前髪野郎は少しのノスタルジーを感じつつ、フッと笑った。もはや恒例の前髪スマイルである。気持ちが悪い。あと、去年の事なのに格好をつけて「いつの時代も」と言うとこも気持ちが悪い。というか、存在がキモい。

「どうどう! とりまみんな1回落ち着いて! 取り敢えず挙手! 挙手してウチが当てるから、それで言っていって!」

 ワイワイガヤガヤという喧騒が教室を満たす中、魅恋が大声でそう言い、一同を宥めようとする。だが、1度ついた火は中々治らない。クラスメイトたちは変わらずドンドンと意見を出していった。

「あーもう! ウチだけじゃ無理! 海公っち! 影人! ちょっと書くの手伝って!」

「え!?」

「っ、何で俺が・・・・・・」

 急に魅恋に呼ばれた海公と影人が驚く。魅恋は「いいから! 早く!」と捲し立てた。

「わ、分かりました! 取り敢えず、行きましょう帰城さん!」

「あー、クソ。何で俺が・・・・・・!」

 海公が立ち上がり影人にそう声を掛ける。この雰囲気で断れば、逆に悪目立ちする。そう思った影人は、仕方なく海公と共に魅恋の元へ向かった。












「・・・・・・時間が経つのは早いもんだな。もう文化祭当日かよ」

 9月も残すところあと数日という日。午前8時過ぎ。学校に辿り着いた影人は、昇降口で上履きに履き替えながらそう言葉を漏らした。

「誰かガムテープ持ってきて!」

「セリフ違うよ! もう、本番まであと少ししかないのに!」

「え! 衣装家に忘れた!? 何やってんの! ダッシュで取りに帰りなさい!」

 校舎の中は朝から騒がしかった。誰も彼もが忙しそうにそこらを歩き、或いは走っている。影人は喧騒の中を進み、自分の教室へと向かった。

「・・・・・・急いで作ったわりには中々いい雰囲気してやがるぜ」

 教室に辿り着いた影人は、出し物用に装飾された教室の外装を見つめる。

 ドアの上部には「魔王の城」と書かれたプレートが見える。ドアの付近には「来たれ勇者よ!」と書かれた小さな立て看板が設置されていた。装飾も、魔王の城風に黒や赤という暗色系の色で統一されている。影人はドアを引き教室の中に入った。

「魔物役! 空き教室の内装問題ないかもう1回見てきて!」

「ルートマップは問題なし! あ、でも足りないかもだからもうちょっとだけ刷ってきて!」

「ヤベっ! ここ倒れそうだ! 誰か補強するの手伝ってくれ!」

 影人が教室に入ると、クラスメイトたちが忙しそうに動き回っていた。恐らく、朝早くから作業していたのだろう。ギリギリまで出し物に注力する。これもまた青春である。

「あ、帰城さん。おはようございます」

「よう春野。おはようだ」

 教室の端でダンボールを切っていた海公が影人に気付く。影人は軽く右手を上げ海公に挨拶を返した。

「魅恋〜超似合ってるよ! 可愛い!」

「うんうん。カッコ可愛い! さすが魅恋って感じ!」

 影人が海公と挨拶を交わしていると、そんな声が聞こえてきた。影人と海公が反射的にそちらに顔を向ける。すると、そこには黒を基調とした衣装に身を包んだ魅恋の姿があった。

「え、そう? 嬉しー! どうも! カッコ可愛い系の魔王でーす☆」

 魅恋は笑顔でピースをしていた。頭にはツノの付いたカチューシャを、腰部には悪魔のような尻尾を装着していた魅恋は、衣装も相まって、劇の悪役――具体的には魅恋が言ったように魔王――に見えた。

「・・・・・・ウチの魔王様はご機嫌だな。開会式は体育館集合だから、また着替えなきゃならないだろ」

「衣装合わせも兼ねてるんだと思いますよ。みんなギリギリで、まあ今もですが作業してますから。衣装も今日出来たんじゃないですかね」

「そうか。本当にギリギリだな。まあ、文化祭らしいっちゃ文化祭らしいが。それで間に合う、いや間に合わせるのもザ・文化祭だな」

「あはは、そうですね。霧園さんも、みんなも、僕もですけど、自分たちで自由に出し物をするって初めてなんです。だから、余計に楽しみっていうか、ワクワクが抑えきれないっていうか・・・・・・とにかく、力が入ってしまうんです。ちょっと子供っぽいですよね」 

 海公は少し恥ずかしそうに笑った。だが、影人は首を横に振った。

「いや、いいと思うぜ。お前らは何にも間違っちゃいないし、恥ずかしがる必要もない。高校生なんざバカやってなんぼだ。それが健全だ。お前らの健全さが、この大掛かりな出し物に結実したんだろ」

 影人は格好をつけてフッと笑った。言っている事は分からなくもないが、バカやってなんぼの度合いがオーバーし過ぎの奴が言っても都合のいい自己弁護にしか聞こえないから不思議である。

「帰城さん・・・・・・はい。ありがとうございます。でも、僕たちの中にはちゃんと帰城さんもいますからね。帰城さんもクラスメイトですから」

「・・・・・・はっ、そうだな。じゃあ、俺も少しバカになるとするか」

 お前はいつでもバカやろがい。何を言うとんねん。溢れ出る突っ込みへの思いが、思わず地の文を関西弁に変えた。

「眠・・・・・・あー、お前ら。そろそろ体育館に移動だ。準備しろー」

 ガラガラとドアを開け紫織が入室してくる。そして、十数分後。影人たち2年7組の生徒たちは体育館へと移動した。


 ――季節は巡り、再び文化祭の幕が開ける。

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