第439話 前髪野郎と光の女神(1)

「――最近、私は思うわけです。シトュウ様や零無さんにレール・・・・・・女神が多すぎて、自分がその陰に埋もれてしまっているのではないかと。特に、シトュウ様と役割がモロ被りしている現状に危機感すら覚えています。これは私のアイデンティティにも関わる由々しき事態です」

 8月下旬のとある日。神界、ソレイユのプライベートスペース。周囲に暖かな光が満ちる空間で、この空間の主であるソレイユは真剣な顔でそう言った。

「・・・・・・そうか」

 ソレイユの言葉を聞いた影人はどうでも良さそうな様子だった。

「何でそんなに興味ないみたいな反応なんですか!? 私の! 存在意義が! ピンチなんですよ!? もっと危機感を持ってください!」

「興味もねえし知らねえよ! つーかお前の存在意義って何だよ!?」

「女神で愚鈍なあなたを導く事です!」

「お前の存在意義はそれでいいのか!? つーか誰が愚鈍だクソ女神!」

「誰がクソ女神ですか!? 本当に本っっ当にあなたは不敬ですね! そんなんだから留年するんですよバカ前髪!」

「俺が留年したのはバカだからじゃねえ! ババアが偉そうに言うな!」

「バっ!? だ、誰がババアよ! どこからどう見ても年若い美女でしょうが! ぶち殺すわよ!」

「若作りの間違いだろうが! 何千年も生きてる奴を年若いとは言わねーんだよバカ!」

「影人ーーーーーーーーっ!」

「やんのかコラッ!?」

 怒りのあまり素に戻ったソレイユが影人の胸ぐらを掴む。影人も負けじとソレイユの胸ぐらを掴んだ。そして、影人とソレイユは取っ組み合いのケンカを始めた。

「はあ、はあ、はあ・・・・・・こ、この卑怯者め。途中から神力を使って身体能力を上げやがったな・・・・・・」

「はあ、はあ、はあ・・・・・・す、少しだけです。私は優しいですからね・・・・・・もっと身体能力を上げていれば、あなたなんか簡単に捻り潰せていました・・・・・・」

「それを言うなら、俺もスプリガンになったら1発だったぜ・・・・・・」

「それは元々私の力でしょう・・・・・・」

 数分後。大の字に寝転びながら、影人とソレイユは疲れた様子でそう言い合っていた。この2人のケンカはもはや日常の一部と化していた。

「・・・・・・まあ、正直お前の悩みなんざどうでもいい。俺を呼んだ用件は何だよ」

 上半身を起こしながら、影人はソレイユにそう聞いた。影人がソレイユのプライベートスペースに来たのは、ソレイユに話があると呼ばれたからだ。

「・・・・・・今のが用件です」

「はあ!? そんなくだらない話でわざわざ俺を神界に呼びつけたのかよ!?」

「くだらなくありません! 別にいいじゃないですか! 大事な用件がある時以外にあなたを呼んではダメなんですか!?」

 驚いた声を上げる影人にソレイユはそう反論した。ソレイユの反論を受けた影人は「っ・・・・・・」と一瞬言葉に詰まった。確かに、真面目な話題以外でここに来なければならないという訳ではない。むしろ、気軽に大した用事もなく、影人を神界に呼べるくらいに平和になったのだからいい事ではないか、影人はそう思ってしまった。

「・・・・・・ちっ、ガキみてえな奴。そういうところは昔から変わってねえな」

「素直と言ってください。別にいいところは変わらなくてもいいんです」

「・・・・・・まあ、そうだな」

 影人は珍しくソレイユの言葉に同意した。そして、こう言葉を続けた。

「じゃあ、適当に遊びにでも行くか。ほら、地上に行くぞソレイユ。転移の準備しろよ」

「え?」

「え、じゃねえよ。もう用件が終わったなら暇だろ。幸い、まだ俺は夏休みだ。時間はある。まあ、外はクソ暑いが・・・・・・暑さに負けないくらい楽しめばいい」

「あ、あなたと地上に遊びに・・・・・・う、嬉しいですし楽しそうですけど、私はここを離れるわけにはいきません。まだ世界間の境界が不安定で、流入者が地上世界に迷い込む可能性があります。私には光導姫を派遣したり、流入者を元の世界に返還する使命が――」

「その時はその時で神界に戻りゃいいだろ。お前もたまには息抜きしろ。お前は確かに神かもしれねえが、それでも疲れたりストレスは溜まるんだろ。自分のメンタルをコントロールするのも大事な事だぜ」

 ソレイユの言葉を遮り、影人がそんな意見を述べる。影人の意見を受けたソレイユは少しの間迷ったような顔を浮かべると、やがて軽く両の目を閉じた。

「・・・・・・まあ、そうですね。確かに、あなたの言うことも一理あります。珍しくいい事を言いますね」

 先ほどは影人が珍しくソレイユに同意したが、今回はソレイユが影人に同意した。影人は「俺は常にいい事しか言わねえよ」とソレイユに対し軽口を叩いた。

「よし、そうと決まれば地上を堪能するとしましょうか。影人、今日は楽しみますよ!」

「当たり前だ。全力で遊ぶのが俺のモットーだからな」

 明るく笑ったソレイユに影人もニヤリと笑みを返す。それから少しして、影人とソレイユは地上へと降りたのだった。












「あ、暑い・・・・・・地上の夏ってこんなに暑かったですか・・・・・・?」

 地上に降りたソレイユの最初の言葉はそんなものだった。ソレイユは地上を照らす灼熱の太陽から逃げるように木陰に入った。ソレイユの格好はいつかの時と同じ桜色のワンピースだった。

「今日はまだマシな方だけどな。でも、年々暑くなってるのは間違いない。俺が小さかった頃は、ここまで暑くはなかったからな。つーか、お前そんなに肌出して、日焼けとかは大丈夫なのか」

「神力でどうにでもなるので大丈夫です。私たち神は一定の年数を生きると、姿をある程度自在に変えられますから。日焼けなど肌関係の事も変化の対象に含む事が出来ます」

「あー、ガザルネメラズさんも確かそんなこと言ってたな。ってことは、お前子供の姿にもなれるって事だよな。ちょっくら試しに子供の姿になってみてくれよ。久しぶりにチビのお前見たいし」

「絶対に嫌です。というか、そもそも私は地上では神力は使えませんし」

 ソレイユが本当に嫌そうな顔を浮かべる。影人は「ちっ、つまんねえな」と面白くなさそうな様子でそう呟いた。

「それより、どこに遊びに行くんですか? 私、地上はあまり詳しくないですよ」

「そうだな・・・・・・ソレイユ、お前外で遊ぶのとどっかの中で遊ぶのとどっちが好きだ? まあ、要はアウトドア派かインドア派かって事なんだが」

「うーん、そうですね。私はどちらかと言うと、外で体を動かす方が好きですね。でも、室内で遊ぶのも好きですよ」

「やっぱりアウトドア寄りか。まあ、お前無駄に活発だもんな。性格やら雰囲気やらが」

「・・・・・・それ、バカにしてます?」

「別にー」

 ソレイユがジトっとした目を影人に向ける。影人はシラを切った。

「なら適当に公園で遊ぶか。クソ暑いけど」

「えー・・・・・・別に、悪い事ではないですけど、いい歳したあなたと私が公園で汗だくになってはしゃぐのってどうですか。今の時代は色々と厳しいのでしょう。特にあなたなんて通報されませんか?」

「何で普通に公園で遊ぶだけで通報されなきゃならねえんだよ!」

「いや、だってあなたですし・・・・・・」

 ソレイユが何を当然のことをといった顔になる。影人は「俺だからなんだよ!?」と軽くキレた。この前髪野郎は、哀れ中の哀れな存在なので、自分の不審者レベルが宇宙である事を理解していなかった。

「ちっ! じゃあ、適当に散歩してアイデア考えるぞ。最初はそれでいいな?」

「ええ。ふふっ、じゃあ行きましょうか。あなたに女神である私をエスコートする事を許します」

「けっ、冗談じゃないぜ。何で俺がお前をエスコートしなきゃならねえんだ。・・・・・・だが、分かったよ。今日だけだぜ、女神さま」

 どこかイタズラっぽく笑うソレイユに、影人は仕方ないといったように自身も笑みを返した。

 影人とソレイユは夏の抜けるような青空の下、並んで歩き始めた。











「ふぅ・・・・・・生き返るぜ。ほらよ、ソレイユ」

 自販機で買ったスポーツ飲料で喉を潤した影人は、同じく自販機で買ったミネラルウォーターをソレイユに向かって投げた。

「ありがとうございます。でも、別に神は脱水症状にはなりませんからよかったのに」

「それでも地上にいれば喉は渇くんだろ。いいから飲んどけよ。俺も1人で飲むのはアレだからな」

「分かりました。ではいただきます。ふふっ、なんだかんだあなたは優しいですよね」

 ソレイユはペットボトルのキャップを開けると、口に水を流し込んだ。ゴクゴクと水を飲んだソレイユは「ぷはっ」とペットボトルから口を外した。

「美味しいですね。陳腐な表現ですが、生き返る気分です」

「空腹が最高のスパイスになるみたいに、飲み物も環境によって美味さが変わるからな。暑い時には冷たい飲み物を、寒い時には温かい飲み物を飲むと、普段よりも美味く感じる」

「当たり前ですが、確かにそうですね。それにしても・・・・・・ここはいい場所ですね」

 ソレイユが周囲に視線を向ける。ここは自然豊かな公園で、背の高い木が群生しており、木の葉が太陽を遮ってくれているためかなり涼しく、散歩に適した場所だった。

「だろ。俺も嬢ちゃんから教えてもらったんだ。お気に入りの散歩コースなんだとよ。向こうに小さいが川もあるぜ」

「へえ、それはぜひ行ってみたいですね。でも、女性と2人きりでいる時に、別の女性の話題を出すのはあまり褒められた事ではありませんよ」

「女性の話題って・・・・・・別に誰から教えてもらったって事だけじゃねえか」

「それでもですよ。全く、相変わらずあなたにはデリカシーというものがありませんね」

「・・・・・・分からん」

 影人は理解する事を諦めた。影人とソレイユは少しの間休憩すると、散歩を再開した。

「ほら、あれがさっき言ってた小川だ。まあ、川って言えるか怪しいがな」

「確かにかなり細いですね。でも、綺麗です。水の流れる音も涼やかで・・・・・・ふふっ、思い出しますね。あなたと出会った時の事を。あなたと出会ったのも、森の中の川の近くでした」

「・・・・・・そうだったな」

 影人も過去の世界でソレイユと出会った事を思い出す。あの時はレイゼロールに頼まれ食料を調達していた。そして、影人はレイゼロールに会うべく地上に降りてきていたソレイユとラルバに出会ったのだ。

「よく覚えてるぜ。なんせ、いきなり殴りかかって来たんだからな。忘れるわけねえ」

「うっ・・・・・・あ、あの時は仕方なかったんですよ。レールの事で頭がいっぱいでしたから。あなたがレールを迫害する人間だと思って・・・・・・というか、明らかに不審者でしたし」

「不審者だったら殴りかかってもいいって事にはならねえぞ。まあ、俺は断じて不審者じゃねえがな」

「あなたの自分に対する認識の精度の悪さは置いておきますが、あの時代は不審者だったら殺されていましたよ。あなたの考えは、あくまで現代の倫理観によっているものです」

「確かにそういう時代背景もあったかもだが、てめえの間違いを正当化しようとしてんじゃねえよ。あと、発言がババアそのものだぞ。言葉から加齢臭がするぜ」

「なっ・・・・・・だ、誰が加齢臭くさいよこのバカ前髪! 歴史と知を感じさせる言葉こそすれ、加齢臭なんて言葉には絶対結びつかないわ! 今のは完全にライン超えよ! バカだバカだとは思ってたけど、ここまでバカなんて! 不敬よ! 死ね前髪!」

 怒髪、天を衝く。ソレイユは今までにないほどの怒りを露わにした。当然である。前髪野郎の言葉はそれほどまでに酷かった。

「ちょ、ガチの肩パンをするなよ! 大人げねえぞ!?」

「うるさいうるさいうるさいうるさい! 本当バカッ! せっかく今まで楽しかったのに!」

「悪かった悪かったって! だから肩パンをやめろ! マジで痛いんだよ!」

 影人がソレイユに謝罪する。それから数分後、そこには左肩を押さえて「ぐぉぉぉぉ・・・・・・」と呻く影人の姿と、そっぽを向くソレイユの姿があった。

「ふん!」

 ソレイユがツカツカと先を歩く。影人は左肩を押さえながら、ゾンビのようにソレイユの後に続いた。

「あら、凄い別嬪さん。外国の人かしら」

「ひょー、女神さまみたいに綺麗じゃの」

 すると、すれ違った老夫婦がソレイユを見てそんな感想を述べた。その感想を聞いたソレイユの耳がピクリと動く。

「うわ超美人さんね・・・・・・」

「後ろの人は彼氏かしら? なんか凄く前髪長いけど・・・・・・」

「さあ・・・・・・でも、彼氏だとしたらあの前髪の子、もの凄くラッキーね。言っちゃ悪いかもだけど、釣り合わないもの」

 次にすれ違った主婦3人組と思われる中年女性たちもそんな感想を漏らした。再びソレイユの耳がピクピクと動く。

「・・・・・・ふふふふふっ、聞きましたか? 聞きましたか影人? そう。そうなのです。本来、私に対する印象というのは、いま人間たちが漏らしたような感想が正しいのです。なにせ、私は女神ですからね」

「あー、はいはい。そうですか。そうですね。ソレイユ様はオキレイダー」

 一転、上機嫌になったソレイユがドヤ顔気味の顔を浮かべる。ここは認めておかないと、本当に面倒になると悟った影人は、ソレイユの言葉に同意するフリをした。

「そうでしょう。そうでしょう。あなたはもっと私とデートをしている幸せを噛み締めるべきです。それはそれは、泣いて喜ぶほどに」

(め、面倒くせー・・・・・・)

 上機嫌になり過ぎてすっかり天狗になったソレイユに対し、影人は心の中でそう呟いた。というか、いつからデートになったのだ。影人には皆目分からなかった。

「それで影人。何かいいアイデアは浮かんだのですか?」

「あー、それなんだがよ。お前室内遊戯も好きって言ってただろ。ちょうど、外と中どっちも遊べる施設があるんだよ。ラウ◯ドワンって言ってだな。まあ、入場料はそれなりにするが、俺の今までのお年玉貯金を使えば・・・・・・」

 ソレイユからそう尋ねられた影人が、学生に馴染みの施設の名前を出す。すると、そんな時――

「――あら? 影人にソレイユじゃない」

 前方から聞き覚えのある声がした。影人とソレイユが声のした方に顔を向ける。

 そこにいたのは、豪奢なゴシック服を着た人形のように精緻で美しい少女だった。少女は美しいブロンドの髪をツインテールに緩く結っていた。

「こんにちは。こんな所で会うなんて奇遇ね」

 そして、その少女、シェルディアは笑みを浮かべると、軽くそのツインテールを揺らしながら、影人とソレイユにそう挨拶をしてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る