第436話 前髪野郎と闇の兄妹(1)

「・・・・・・影人。お前に頼みがある」

 8月上旬のとある日。季節は夏真っ盛り。影人は自分の部屋でゆっくりと夏休みを満喫していた。すると、突然部屋にレイゼロールが現れた。

「なっ・・・・・・」

 ベッドに寝転びながらマンガを読んでいた影人は、急に現れたレイゼロールを見て、驚きのあまり固まった。その結果、持っていたマンガが影人の顔に落ちた。

「わぷっ!? お、おい! 急に何だ・・・・・・!? さすがの俺も心臓が止まるかと思ったぞ・・・・・・! というか、お前土足じゃねえか・・・・・・! 汚ねえだろ靴脱げ・・・・・・!」

 顔に落ちたマンガを退けた影人は、立ち上がり声を押し殺すと、レイゼロールにそう言った。まさか、レイゼロールが部屋に現れるなどと考えてもいなかったので、影人の心臓は未だにバクバクと早鐘を打っていた。大声を出さなかった事が奇跡だ。自分を心の底から褒めたいと、影人は現実逃避気味に思った。

「ああ・・・・・・そういえば、日本は家の中では靴を脱ぐのだったな。だが、そんな事はどうでもいい」

「良くねえよバカ・・・・・・! ここは俺の部屋だぞ。いいから脱げ・・・・・・! 話はそれからだ・・・・・・!」

「誰がバカだ。殺すぞ」

「殺してもいから早く靴を脱げ・・・・・・!」

「・・・・・・ちっ」

 影人の強い抗議にレイゼロールは舌打ちをした。そしてパチンと指を鳴らす。次の瞬間、レイゼロールの靴は虚空に解けるように消えた。神力を使って消したのだ。

「・・・・・・取り敢えず、よしとしてやる」

「お前の許可など求めていない。しかし・・・・・・ふむ。これがお前の部屋か。何とも普通だな」

 レイゼロールが影人の部屋を見渡す。当然というべきか、レイゼロールは影人の部屋に来たのは初めてだった。

「普通で悪かったな。玄関を経由しないで俺の部屋に来た奴はお前が初めてだよ。どうせ、俺の気配を辿って転移してきたんだろうが・・・・・・お前、俺がリビングにいたり、風呂に入ってたらどうするつもりだったんだよ」

「知らん。それに貴様の裸など興味はない。そもそも、例えお前が我に裸を見られたところで、お前は何も言えんのだぞ。何せ、お前は過去に我の裸を見ているのだからな」

「はっ、2000年以上も前の話を持ち出すな。というか、あの時お前ガキだったじゃねえか。ガキの裸なんか見た事を免罪符にされても――って痛え!?」

 影人が鼻で笑うと、レイゼロールが影人の脛を蹴った。まあまあの力で蹴って来たので、影人は思わず悲鳴を上げた。

「ふん・・・・・・死ね」

「痛てて・・・・・・どストレートな言葉だなおい・・・・・・で、何の用だよ。確か、俺に頼みがあるとかなんとかって言ってた気がするが」

 脛をさすりながら影人はイスに腰掛けた。レイゼロールは影人のベッドに腰を下ろした。

「・・・・・・ああ。お前に頼むのも癪だが、これは元はと言えば、お前が引き込んだ問題だ。つまり、お前には我の頼みを聞く義務がある」

「俺が引き込んだ問題? なんだよそれ」

 レイゼロールの示唆する問題に心当たりがなかった影人は軽く首を傾げた。

「・・・・・・何か痛いって声が聞こえたけど、大丈夫なの?」

 そんな時、コンコンコンと影人の部屋のドアがノックされた。ノックをしたのは穂乃影だ。影人の部屋から独り言が聞こえてくるのはよくある事なので、いつもは無視するのだが、今日は悲鳴に近い声が上がったので、穂乃影はそう聞いたのだった。

「やべっ! レイゼロールお前どうにかして隠れろ・・・・・・! 早く・・・・・・!」

「なぜだ」

「なぜだもクソもねえよ・・・・・・! 俺の部屋に女がいたら、不審極まりねえだろ・・・・・・! しかも、穂乃影は、俺の妹は光導姫なんだよ・・・・・・! だから、お前を見たら余計にややこしくなる・・・・・・!」

 ヒソヒソ声で影人は必死にレイゼロールにそう言った。レイゼロールは「ちっ、面倒だな」と呟くと、次の瞬間スッと姿を消した。透明化の力を使ったのだろう。

「? 入るよ」

 返事がない事を不審に思ったのか、穂乃影がドアを開ける。レイゼロールが消えたのと穂乃影がドアを開いたのは間一髪の差だった。

「ど、どうしたんだ穂乃影?」

 穂乃影の姿を見た影人がぎこちない笑みを顔に張り付かせる。穂乃影は1度部屋を見回すと、影人に顔を向けた。

「どうしたって、痛いって大きな声が聞こえてきたから・・・・・・あなたの事だから、転けたり足の指でもぶつけたのかなと思っただけ」

「あ、ああ。実はさっき小指をイスにぶつけちまってよ。でも、痛みも引いてきたからもう大丈夫だ。心配かけて悪かったな」

「・・・・・・別に心配はしてない。勘違いしないで。大丈夫そうならいい」

 穂乃影はそう言うと、フイと影人から顔を背けドアを閉め、影人の部屋から出て行った。穂乃影が出て行って数秒して、影人は大きく息を吐いた。

「はあー・・・・・・あ、危なかったぜ・・・・・・」

 影人がそう声を漏らした数秒後、透明化していたレイゼロールが力を解除し姿を現した。レイゼロールはチラリとそのアイスブルーの瞳を影人に向けた。

「・・・・・・あれが貴様の妹か。お前とはあまり似ていないな」

「ああ、まあそこにはちょっとした理由があってな。でも、似てる似てないとかは正直どうでもいいだろ。あいつは俺の妹だ。兄妹だ。大事なのはそこだろ。お前にも兄妹がいるんだから分かるはずだぜ」

「・・・・・・そうだな」

 レイゼロールが素直に影人の言葉に頷く。そして、レイゼロールは続けてこう言った。

「だが、兄妹といえども問題がないわけではない。お前が引き込んだ問題というのは、まさにそれだ」

「っ、兄妹の問題・・・・・・? レゼルニウスの奴がどうかしたのか」

 レイゼロールの兄妹といえば、今は冥界の神となっているレゼルニウスしかいない。

「どうもこうも――」

 レイゼロールが言葉を紡ごうとした時だった。突然、空間に小さな歪みが生じ、次の瞬間には1人の男が影人たちの前に現れた。

「レール! 今日も来たよ! うん。今日も君は可愛いくて綺麗だね! まさに完璧で究極の妹だ!」

 突然現れたその男は白髪にアイスブルーの瞳というレイゼロールとの共通点を持つ超がつくほどの美形だった。黒と金の美しいローブを纏ったその男は、レイゼロールに満面の笑みを向けた。

「なっ、レゼルニウス!?」

「っ、兄さん・・・・・・」

 影人が驚きの声を以てその男の名を呼び、レイゼロールもそう声を漏らす。レイゼロールの兄にして冥界の最高位の神レゼルニウスは、影人に気がつくと笑顔でこう言ってきた。

「やあ影人くん! 君もいるとは思わなかったよ。そうか。ここは君の部屋か。いやー、いつもは転移する前にレールがいる場所を冥界から覗くんだけど、今日は見る前にレールの気配を辿って現世に来たから・・・・・・」

「そんな事はどうでもいい! 声がデカいんだよ! 声のトーンを落とせ!」

 影人はたまらずそう叫んだ。すると、再びドアの外から穂乃影の声が聞こえてきた。

「・・・・・・どうしたの? 部屋の中に誰かいるの?」

 先ほどのレゼルニウスの声と今の影人の大声で、不審に思ったのだろう。穂乃影がそう聞いて来た。影人は「いや、何でもない!」と慌てて答えを返す。

「ちょっと携帯でゲームしてたらムカつく敵が出て来てキレちまっただけだ! ああ、クソッ! 本当にこいつ腹が立つぜ! イッツピ◯チュー! ファ◯ク!」

 影人は即座にそんな嘘を述べると、出来るだけ1人でゲームのキャラに怒っている様子を演じた。急に訳の分からない事を言い始めた影人に、レイゼロールとレゼルニウスはドン引きしたような顔を浮かべた。

「・・・・・・そう。あなたがいつも通りで逆に安心した。心の底から軽蔑するけど。まあ、いつも軽蔑してるけど」

 穂乃影は冷たい口調でそう言うとドアの前から離れた。穂乃影がリビングに去っていった事を足音から確認した影人は、怒りと悲しみをその顔に滲ませレイゼロールとレゼルニウスを睨んだ。

「・・・・・・どうしてくれるんだ。お前らのせいで妹に軽蔑されちまったじゃねえか」

「・・・・・・どう考えても我は関係ないだろう。あと、お前が妹に軽蔑されたのは当然だ。我だってお前の妹と同じ立場なら軽蔑する」

「ま、まあ急にあんな訳の分からない事を叫ばれたらね・・・・・・僕もちょっとキツいかな。でも、妹に軽蔑されるのは嫌だよね。うん。ごめん」

 レイゼロールはその瞳と同じ冷たい目で影人を見つめ、レゼルニウスは苦笑いを浮かべながらも、影人に同情し謝罪した。

「ちっ、とにかく話をするにしても俺の部屋じゃ色々マズい。移動するぞ。お前らは取り敢えず転移で家の外に出とけ。玄関からだったら、万が一穂乃影に見られるかもしれないからな」

「・・・・・・仕方ないな」

「分かったよ」

 レイゼロールとレゼルニウスは頷くと、次の瞬間にはフッと姿を消した。影人の言葉通り、転移で部屋、もとい家の外に出たのだろう。影人は「はあ、面倒の予感だぜ・・・・・・」と嘆くと、外出の準備を始めた。











「で、どういう状況だよこれは」

 約5分後。影人たちは帰城家のマンションの近くにある公園の日陰にあるベンチに座っていた。夏なので日陰でもそれなり暑いはずなのだが、レイゼロールが周囲に、目には見えない冷却の結界を展開してくれたので暑さは全く気にならなかった。神力とは本当に便利なものである。ちなみに、座り順はレイゼロール、影人、レゼルニウスの順だ。炎天下という事もあってか、周囲に人の姿は見えなかった。

「いやー、僕、君の助言に突き落とされてフェルフィズと契約したでしょ。その時に、『フェルフィズの大鎌』で、冥界の神は現世に干渉できないっていう因果を殺してもらったから、自由に地上に来れるようになったんだよ」

「それは知ってる。イズの処遇を決める話し合いの時に聞いたからな。『フェルフィズの大鎌』に殺されたモノはシトュウさんの力でも戻らないから、永遠にそのままなんだろ。それで、狂喜乱舞したお前はちょくちょくレイゼロールに会いに来てる感じなんだろうが・・・・・・」

「・・・・・・ちょくちょくではない。ほとんど毎日だ」

 レイゼロールがそう口を挟む。レイゼロールの顔はどこか少し不満そうだった。

「え、そんな頻度でお前こっちに来てるのか? お前、一応冥界の1番のお偉いさんだろ。そんな頻度でこっちに来ていいのかよ?」

「大丈夫大丈夫。仕事は全部片付けて来てるし。それに、今までずっと見守る事しか出来なかったレールと会えるんだ。今の僕の最優先事項はレールに会うこと。本当だったら、ずっと現世にいたいくらいだよ」

 レゼルニウスはがふるふると首を横に振る。レゼルニウスの言葉を聞いた影人は、何とも微妙な顔になる。

「そ、そうか・・・・・・お前、シスコン・・・・・・いや、妹大好きお兄ちゃんだったんだな。お前の境遇と気持ちを考えれば分からなくないが・・・・・・でも、うーん。ほぼ毎日か・・・・・・」

「・・・・・・分かったか。これがお前が引き込んだ問題だ」

 影人が前髪の下の目をチラリとレイゼロールに向けると、それに気づいたレイゼロールが影人にそう言葉を返して来た。全てを察した影人は「あー・・・・・・」と納得した。

(いくら兄妹でも、毎日絡まれるのは嫌だよな。例え、それが蘇らせようとしていた兄でも。レイゼロールももうガキじゃないんだし・・・・・・)

 ただ、レゼルニウスの気持ちも分かる。ずっと見守る事しか出来なかった妹に、制限なく会えるとなればそれはもう気持ちが舞い上がってしまい、毎日でも会いたくなるだろう。影人も兄という立場上、レゼルニウスの気持ちはよく理解できた。

「ああ、そうだ。影人くん、レールの事を改めてよろしく頼むよ。僕がこの子を任せられると思っているのは君だけだ。なんなら、結ばれてお義兄さんと呼んでくれても――」

「っ・・・・・・!」

 レゼルニウスの言葉の途中で、レイゼロールは闇の腕を創造し、その腕でレゼルニウスを殴り飛ばした。突然殴られたレゼルニウスは「ぐはっ!?」と声を上げ地面を転がった。

「い、痛っ!? きゅ、急に何をするんだいレール!?」

「黙れ! 黙れ黙れ! いくら兄さんでも言っていい事と悪い事があるぞ! わ、我が影人と、その、む、結ばれるなど・・・・・・! 余計なお世話だ!」

 殴り飛ばされたレゼルニウスは訳がわからないといった顔を浮かべ、レイゼロールは顔を真っ赤にしてそう怒鳴った。レイゼロールが普段は敬愛する兄を殴り、かつこれほど感情を露わにし、また大きな声を出すなど、かなり珍しい事だった。きっと、それ程までに、レゼルニウスの言わんとした事が我慢ならなかったのだろう。

「で、でもレール。影人くんは、見た目からは考えられないくらいに人気なんだよ・・・・・・? うかうかしてると、誰かに取られて・・・・・・」

「〜っ! そういうのが余計なお世話だと言っている! これ以上余計な事を言うなら、我は兄さんを嫌いになるぞ!」

「なっ・・・・・・」

 レイゼロールにそう言われたレゼルニウスは絶句した。レゼルニウスにとって、今のレイゼロールの言葉はそれだけの衝撃を持っていた。

「ど、どうしよう影人くん・・・・・・い、妹が僕の事を嫌いになるぞって・・・・・・は、反抗期かな・・・・・・?」

 レゼルニウスは今にも泣きそうな顔で影人を見つめて来た。その顔に神としての威厳はない。影人は呆れたようにこう言葉を返した。

「いや、反抗期じゃねえだろ・・・・・・というか、レイゼロールの奴が反抗期なんていう歳なわけ・・・・・・痛い痛い! やめろレイゼロール! 頭をグリグリするな!」

 突然レイゼロールに頭をグリグリとされた影人が悲鳴を上げる。普段の前髪野郎は基本モヤシなので、神であるレイゼロールに敵うはずもなかった。

「ふん・・・・・・」

 レイゼロールは不機嫌そうに影人とレゼルニウスから顔を背けた。

「痛てて・・・・・・くそっ、レゼルニウス。お前のせいでバイオレンスを受けちまったじゃねえか」

「僕のせいなのそれ? 女神に歳のことを言った影人くんが悪いと思うんだけど・・・・・・」

 影人は未だに痛む頭に手を当て、レゼルニウスはヨロヨロと立ち上がる。そして、レゼルニウスは不機嫌そうなレイゼロールに向かって顔を向けた。

「ごめんよ、レール。気に障った事を言ってしまったみたいだね。本当、ごめん。君を不機嫌にさせるつもりはなかったんだ」

「・・・・・・分かったのならいい」

 レイゼロールは謝罪してきたレゼルニウスを許した。レイゼロールに許された冥界の最高位の神は、ニコリと笑った。

「ありがとう。じゃあ、気分転換も兼ねて今日は3人で現世を回ろうか。きっと楽しいよ」

「・・・・・・は?」

 急にそんな提案をしたレゼルニウスに、影人が思わずそんな声を漏らす。そして、レゼルニウスの提案を受けたレイゼロールは、

「・・・・・・分かった」

 そう返事をした。

「・・・・・・・・・・・・は?」

 影人は再びそう声を漏らした。

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