第426話 とある家族の再会(1)

「・・・・・・おかえり、父さん」

 影仁の姿を見て、影仁から帰還の言葉を聞いた影人は万感の思いが込もった声を漏らした。そして、影人にしては本当に珍しい、どこまでも柔らかな笑みを浮かべた。それは子が親に向ける笑みであった。

「おう、ただいま。いやー、しかし先にお前と出会えてよかったよ。いきなり家に突撃かけるのもちょっとアレだったし・・・・・・一応、覚悟は決めたつもりだったんだが、見てくれよ。足が震えてやがる。どんな顔して穂乃影や日奈美さんに会えばいいのかって考えたら、どうしても怖くなってきてよ」

 影仁は笑いながら右の人差し指を自身の足に向けた。影人が視線を下に落とすと、確かに影仁の足は震えていた。

「・・・・・・無理もないよ。父さんの立場だったら、俺でもそうなってると思う」

 影人は影仁の気持ちに理解を示した。影仁は何も悪い事はしていない。影仁が生死不明の状態で世界を放浪し続けていたのは、影人を守り零無の呪いをその身に受けたからだ。だが、それでも影仁からすれば、何も告げず突然目の前から消えた家族に会うという行為は一定以上のハードルがあるものだった。

「でも・・・・・・それでも、勇気を持って穂乃影や母さんに会ってほしい。これは俺の我儘で厳しい事を言っているかもしれないけど・・・・・・お願いだ、父さん。もちろん、俺も付き添うから」

「影人・・・・・・」

 影人は真摯な態度で影仁にそう言葉を送った。影人の言葉を聞いた影仁は一瞬目を見開くと、すぐに破顔した。

「ああ、当たり前だ。ここまで来て逃げるなんてダサい真似はしない。そんな姿、お前にだけは見せられないからな」

「・・・・・・ありがとう」

 影人は心からの感謝の言葉を影仁に述べた。

「でも、言い訳本当どうしようかな。本当の事話すわけにはいかねえし・・・・・・うーん、困ったぜ」

「あー、確かにそれは考えとかないとね・・・・・・というか、普通は考えて帰ってくるものだと思うけど、何というか父さんらしいね」

「いやー、挨拶巡りとどうやって日本に帰るのかに夢中でさ。その辺りの事はよく考えられなかったんだよ」

 少し呆れた様子になった影人に影仁は苦笑いを浮かべた。

「じゃあ、どこかで一緒に言い訳だけ考えようよ。流石にいきなり会って、失踪してた理由も話せないようじゃ穂乃影や母さん尋常じゃなく怒ると思うから」

「そうだな。悪いな影人」

「気にしないで。元はと言えば俺のせいなんだし。金は・・・・・・確かまだあるな。じゃあ、父さん。近くの喫茶店に――」

 財布の中身を確認した影人は影仁を伴って喫茶店「しえら」に行こうと考えた。あの場所はここからそれほど遠くなし、話すのには打ってつけだ。それに、父親に何かを奢るという行為もやってみたかった。その気持ちも、影人の子としての立場から抱いたものであった。

「あら、影人。こんばんは」

 だが、そのタイミングで影人と影仁は帰城家の隣人であるシェルディアとバッタリと出会った。シェルディアは1人で、雰囲気的に今帰って来たという感じであった。

「っ、嬢ちゃん・・・・・・」

 このタイミングでシェルディアと出会うとは思っていなかった影人が少しだけ驚いたような顔にな

る。

「っ・・・・・・」

 だが、影仁は明確に息を呑むほどに驚いていた。それは、シェルディアのあまりの美しさゆえにか。初対面の者に対してそれほど驚く原因は、考えられるならばそれくらいしかない。実際、シェルディアは人形のように美しいのだから。

「・・・・・・?」

 しかし、影仁が息を呑んだ原因はそのような理由からではないと、隣にいた影人には思えた。影仁から緊張とほんの少しの恐怖のようなものを感じたからだ。影人は小さく首を傾げた。

「そして、あなたは・・・・・・初めて見るわね。こんにちは。私はシェルディア。影人の隣人よ」

「隣人・・・・・・そ、そうか。俺は影仁。帰城影仁です。よろしくお願いします」

 シェルディアが影人の隣にいた影仁に目を向け挨拶の言葉を述べる。影仁は戸惑った様子を隠し切れずにシェルディアに頭を下げた。

 しかし、その仕草は少し不自然だった。明らかに自分よりも歳下の少女に対して言葉遣いも態度も丁寧過ぎた。中には子供に対しても言葉や態度が丁寧な大人もいるが、影仁は子供には気さくに明るく話すタイプだった。その事を知っている影人はそこにも疑問を抱いた。

「帰城影仁・・・・・・あなた、まさか影人のお父さん?」

「は、はい。そうです」

 影仁の名前を聞いたシェルディアは驚いた様子で影仁にそう聞き返した。影仁は謙虚な様子でコクコクと頷いた。

「そう・・・・・・言われてみれば、雰囲気というか気配が似ているわね。そして、あなたの態度がどうしてそこまで丁寧なのかも分かったわ。あなたが私に抱いている感情は畏怖・・・・・・あなた、私の正体に気がついているわね」

「なっ・・・・・・」

 シェルディアがズバリとその事を指摘した。影人はまさかといった顔で影仁に顔を向ける。シェルディアと影仁が出会ってまだ5分も経っていない。しかも、その間シェルディアは自身が人ならざるモノであるという素振りを全く出していない。シェルディアが人ならざるモノであると気づけるはずがないのだ。少なくとも、影人や他の者は初対面では気づけなかった。

「・・・・・・って事はやっぱりそうか。あんた、人間じゃないんだな」

「ええ。私は吸血鬼と呼ばれる存在よ。でも、驚いたわ。初対面で私が人間ではないと見破った者はほとんどいなかったから。しかも、あなたは神職や聖職の血を受け継ぐ者でもない。ただの人間が、数瞬間の内に私の正体に気づくなんて・・・・・・ふふっ、さすがは影人の父親ね」

 影仁が観念したように息を吐く。シェルディアは称讃の笑みをたたえた。

「教えてくれないかしら。どうして、私の正体に気がついたの? 一応、上手く隠しているつもりなのだけれど」

「・・・・・・俺は数年間、世界を旅して来てね。その間に色々な事や色々な人に出会った。・・・・・・その中には、普通じゃ考えられない現象や人間じゃない超常の存在もいた。あんたは3年前くらいに中国で出会った仙人と同じような気配がしたんだ。俺、勘だけはいいんだ」

 いつの間にかすっかり言葉を崩した影仁がシェルディアにそう答える。影仁が丁寧な態度でシェルディアに接していたのは、シェルディアが未知の人外であったからだ。影人の反応などから、影人もシェルディアが人外であると知っていると悟った影仁は、シェルディアが自分たちに危害を加えない者であると直感で理解し、自然と言葉を崩したのだった。

「そう。まあ、この世界には私以外にも多くの【あちら側の者】が紛れているものね。1人2人、あなたがそういった者たちと出会っていたとしても驚きはないわ。でも、気配だけで私の正体に辿り着いたのは驚きね。あなた、本当に勘がいいらしいわ」

「そいつはどうも。でも、驚いたのは俺も同じだよ。こんな街中にあんたみたいな方がふらっといるんだからな。しかも、ウチの隣人だっていうし。影人はいつからこの子・・・・・・シェルディアさんと知り合いなんだ?」

「1年ちょっと前くらいからかな。たまたま出会って、色々とあって・・・・・・今じゃすっかり仲のいいご近所さんだよ」

 顔を向けてそう聞いて来た影仁に、影人はそう返答する。シェルディアとは立ち話だけでは言い尽くせないほどに色々な事があった。そのため、影人は簡潔に今の自分とシェルディアとの関係を述べた。

「あら、ご近所さんだなんて悲しいわね。私とあなたはもっともっと深い関係だと思っていたけど」

「深い関係・・・・・・? え、影人どういう事だ?」

 言葉通り悲しげな顔を浮かべるシェルディア。影仁は戸惑った様子で息子にそう聞いた。

「ど、どうもこうもない! 確かに嬢ちゃんとは近所って言葉だけじゃ片付けられないような事も色々あったけど! 嬢ちゃん! 父さんの前でからかうのはやめてくれ!」

 影人はカアッと顔を赤くさせ抗議した。普段ならば、これほど慌てふためくような事はないのだが、影仁がいるという事実が、影人に年相応の――と言っていいかは分からない――激しい羞恥の感情を喚起させた。

「ふふっ、ごめんなさい。でも、あなたがそこまで恥ずかしがるのも珍しいわね。いいものが見れたわ」

「本当、勘弁してくれよ・・・・・・」

 シェルディアが面白そうに笑い、影人がまだ残る恥ずかしさに頰を掻く。影人とシェルディアのやり取りを見ていた影仁は表情をふっと緩めた。

「なるほどな。確かに、シェルディアさんは仲のいいご近所さんみたいだ。これからもどうかウチの息子をよろしくお願いします」

「こちらこそ。安心してちょうだい。影人の事は私が一生面倒を見るつもりだから」

「だってよ影人。良かったな。いい子と巡り会えて。俺、孫の顔は早く見たい派だ」

「お前はいったい何を勘違いしてやがるんだバカ親父!? ふざけるのも大概にしろ! 今の時代それセクハラだぞ! もう知るか! 穂乃影と母さんにボコボコにされちまえ!」

 恥ずかしさやら怒りやらでもう色々とブチギレた影人は、そう吐き捨てるとそのままマンションの中へと消えて行った。

「あちゃー、ちょっとやり過ぎたかな・・・・・・? ダメだな。まだ距離感が掴めてないや」

 影人の背中を見送った影仁は困ったように頭を掻いた。冗談のつもりだったのだが、影人にとっては度が過ぎたものであったらしい。確かに、あの年頃の時に親に女の子関係の冗談を言われるのはキツいかと、影仁は反省した。

「きっとこれから掴めて来るわ。でも、本当あれほど子供っぽい影人は初めて見たわ。私たちの前では決して見せない顔・・・・・・大丈夫よ。あなたは間違いなく影人の親。影人が無償で信頼する者。時の年月があったとしても、すぐに影人との距離は縮まるわ」

 シェルディアはそう言うと自身もマンションに向かって歩き始めた。そして、くるりと振り返り影仁に微笑んだ。

「さあ、あなたも行きましょう。久しぶりの家族との対面なのでしょう。それと、私の事はもう少し砕けた呼び方で構わないわ。そちらの方が自然だから。ああ、でも『嬢ちゃん』だけはダメよ。私の事をそう呼べるのはただ1人だけだから」

「ああ、分かったよ。シェルディア・・・・・・ちゃん」

 影仁がそう呼ぶとシェルディアは小さく頷いた。それは了承の合図だ。そして、シェルディアはマンションの中へと入って行った。

「・・・・・・うん。どうやら、俺の息子は隣人に愛されてるらしいな」

 影仁は暖かな気持ちを抱くと、自身もマンションの中へと姿を消した。














「いやー・・・・・・やっぱり尋常じゃなく緊張するな」

 マンションの階段を上がり帰城家の扉の前に辿り着いた影仁は、ジッと扉を見つめながらポツリとそう呟いた。

「・・・・・・穂乃影は部活もしてないからもう帰ってる。母さんは・・・・・・正直、まだ帰ってるか分からない。早い時なら帰ってる事もあるし、まだの時はもう少し遅いから」

 マンション構内の壁に寄りかかっていた影人が影仁にそう伝える。影仁は「・・・・・・そうか」と頷いた。

「じゃあ、私はこれで失礼するわ。家族の感動の再会に私は不純物だから。じゃあね」

 シェルディアは影人と影仁にそう告げると、自分の家の扉を開け室内に姿を消した。

「・・・・・・父さん。覚悟が出来たら言ってくれ。俺が鍵を開けるから」

「・・・・・・ああ」

 影仁が再び頷く。影仁は大きく深呼吸をした。

(ああ、どんな顔をして会おう。どんな言い訳をしよう。頭の中がぐちゃぐちゃだ。心臓の音が聞こえるくらい早い。汗もかいて来た)

 数年振りに会う家族。ずっと自分が会いたいと思っていた人たちがこの中にいる。その事実が、影仁をより緊張させる。

(ああ、でも・・・・・・でも・・・・・・)

 それ以上に家族に会いたい。日奈美と穂乃影の顔が見たい。どうしようもないその衝動が影仁の中を駆け巡る。緊張や恐れを凌駕して影仁の心が、家族に会いたいという思いに支配される。ダメだった。言い訳なんてものはもう考えられない。もう我慢が出来なかった。

「影人・・・・・・頼む」

「・・・・・・分かった」

 気づけば影仁は言葉を吐いていた。影人は頷くと、鞄から自宅の鍵を取り出した。そして、その鍵で玄関のドアを開ける。ガチャリと開錠を知らせる音が小さくマンションの中に響いた。

「・・・・・・開けるよ」

「・・・・・・おう」

 影人はそう言うとドアノブに手をかけドアを開けた。影人が中に入り、影仁がその後に続く。バタンとドアが閉まった。

「すぅ・・・・・・」

 影人は1度大きく深呼吸をした。緊張しているのは影仁だけではない。影人もだ。影人は自身の気持ちを落ち着かせると、声を上げた。

「母さん、穂乃影。いるか? いたら悪いけど玄関に来てくれ。会わせたい人がいるんだ」

 影人がドア越しにリビングの方に向かってそう言うと、少ししてドアの向こうに人の気配がした。

「ちょっと何よ影人。会わせたい人って。私帰ってきたばかりなのよ。あんた、まさか彼女でも――」

「いや、お母さん。それはないよ。あの人に限って彼女なんて――」

 廊下のドアを開けて日奈美と穂乃影が姿を現す。日奈美は仕事着であるスーツ姿、穂乃影はラフな部屋着姿だった。2人は最初影人を見て、その次に影人の横にいる影仁に目を向け、固まった。

「「・・・・・・」」

 日奈美と穂乃影は驚愕を通り越して、呆けたような顔で、まるで夢を見ているかのような顔で、影仁を見つめた。

「あー、その・・・・・・久しぶり。本当に・・・・・・本当に久しぶり。日奈美さん。穂乃影。帰城影仁・・・・・・ただいま帰って来ました」

 影仁はほとんど変わらぬ最愛のパートナーと成長した娘を見て、感無量といった様子でぎこちない笑みを浮かべた。


 ――こうして、とある家族の再会は果たされた。

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