第425話 父の帰還

「じゃあな兄弟! 達者でな! また酒を呑もうぜ!」

 日本、某港。美しい朝日が上がった港でアメリカ人の船長がバンバンと東洋人の男の背を叩いた。背を叩かれた男は「痛い痛い! 船長力強すぎだって!」と軽く悲鳴を上げた。

「いやー、でも船に乗せてくれて本当にありがとう。俺パスポートも金もないから、普通には入国出来なかったし。つーか、普通にこれ密入国だけど・・・・・・ごめんな、船長。犯罪の片棒担がせちまって。ええと、ベリーベリーサンキュー。アンド、ベリーベリーソーリー」

 男は感謝と謝罪の気持ちだけでも伝えたくて、簡単な英語でそう言った。男の言わんとしている事を何となく理解した船長は豪快に笑った。

「わははははっ! 気にするな気にするな! お前は甥のパルサーの恩人だ! お前がパルサーをギャング達から助けてくれなかったら今頃あの子はおっ死んでた! これくらい安いもんだ! あと、謝る必要なんて何もないぜ! 自分が生まれた国に帰って来て何が悪い! 堂々と家に帰んな!」

「うーん、相変わらず何言ってるかよく分かんねえけど、なんかアメリカライクな大雑把なこと言ってる気がするな・・・・・・」

 男は苦笑いを浮かべた。そして、明るい人好きのするニッとした笑みを浮かべた。

「おう! 本当ありがとうな! パルサーによろしく! また呑もうぜ! ジャック船長!」

「おう! またな! !」

 最後にガシリと手を握り合いながら、2人は互いの名を呼び合った。

「さて、じゃあ帰るとするか。愛しい愛しい・・・・・・何度も夢に見た家族の元に」

 そして、ジャックと別れを告げた東洋人の男――帰城影仁は自分が帰るべき場所を目指し、歩き始めた。












「あ、帰城くん!」

 7月某日。もう少しで7月も中旬に差し掛かろうとする頃。いつも通り学校に通い、昼休みを告げる鐘を聞いた影人は弁当を持って廊下を歩いていた。今日も梅雨にしては天気がいいため、1人で外で昼食を摂ろうと思ったのだ。だが、1階の廊下で影人は誰かに名前を呼ばれた。

「・・・・・・」

 影人は首を動かし自分を呼んだ者の方に前髪の下の目を向けた。すると、そこには3人の少女たちがいた。陽華、明夜、そしてイズだ。影人の名を呼んだのは陽華だった。影人は3人の姿を確認すると、ペコリと軽く会釈をしてそのまま歩き始めようとした。

「ちょ、ちょっと!? 帰城くん無視はなくない!?」

「うるせえ。学校で俺に声を掛けてくるな。お前らと絡んでたら絶対に面倒な事にしかならん」

 鮮やかに無視された陽華は戸惑った様子になり、影人はそう言葉を吐き捨てた。そんな影人に明夜とイズが呆れた顔になる。

「何というか・・・・・・さすが帰城くんね」

「人としてのコミニュケーション能力が絶望的に終わっていますね。存在が酷いですね」

「誰の存在が酷いだイズてめえ。ったく、お前は本当に口が悪いな」

「あなたにだけですよ。そして、その言葉そっくりそのままあなたにお返しします」

 昼休みの喧騒もあったので、影人は素の自分を出しながらイズにそう言葉を返す。イズも影人に取り繕う様子なく更にそう言葉を返した。

「ちっ、それで俺に何の用だ朝宮。手短に話せよ」

「あ、うん。その、私たちも今からお昼ご飯なんだけど、一緒にどうかなって。実は、この後香乃宮くんと早川さんとも合流する予定なの。きっと、みんなでお昼ご飯食べたらもっと美味しくなるよ!」

 影人が仕方ないといった様子で促すと、陽華がそんな提案をしてきた。その提案を聞いた影人は一瞬にして顔を顰めた。

「は? 却下だ却下。何で俺がそんな目立つ昼食に出席しなきゃいけねえんだよ。お前らでよろしくやってろ。じゃあな」

 影人は一方的にそう言い残すと、フラリとどこかに向かって歩いて行った。陽華は「あ・・・・・・」と残念そうな声を漏らし、影人の背を見送った。

「陽華。人格破綻者の事など放っておいて、食堂に行きましょう。香乃宮光司と早川暁理が席を確保してくれているかは分かりませんが、もう混み始める頃です」

「そうね。でも、帰城くんが歩いて行った方、食堂とは違う方向ね。いったいどこでお弁当を食べるのかしら?」

 イズと明夜がそれぞれそんな言葉を漏らす。明夜の言葉を聞いた陽華は「あ、確かに」とその事に気づいた。

「もしかしたら・・・・・・ねえ、明夜。イズちゃん」

「何?」

「何ですか?」

 陽華が明夜とイズの方に振り返る。明夜とイズは小さく首を傾げた。

「今日天気いいから外で食べない? 購買で何か買ってさ。もちろん、早川さんや香乃宮くんも誘って。きっと楽しくなるよ!」

 そして、陽華は2人に向かって明るい笑顔を向けた。











「ったく、朝宮の奴。俺があんな誘いに乗るわけねえだろ・・・・・・」

 校舎裏の日陰で弁当を広げた影人は愚痴るようにそう呟いた。前に陽華や明夜、光司や暁理と食事をしたのは仕方がなかったからだ。光司に暗に脅され、その場にいた暁理も交えて半ば強制的に昼食を共にした。そして、後から陽華と明夜に見つかり勝手に乱入してきた。あれは事故のようなものだ。

「しかも、今回はイズのおまけつき・・・・・・考えただけでゾッとするぜ」

 鮭の切り身を箸で割りながら影人は軽く身震いした。イズの人気は転校(名目上は)から少し経った今でも尋常ではなく高いままだ。あの見た目に、外国人(という設定)であるにもかかわらず堪能な日本語、クールで誰にも分け隔てない態度(ただし影人を除く)、更にはアオンゼウの体の性能から来る高い学習機能や凄まじい運動能力(イズが制限してもなお)などが相まって、イズの人気はむしろ転校して来た時よりも更に高まっている。イズは風洛高校の生徒たちにとって、注目の的だった。

「俺は目立たずちゃんと進級するんだ・・・・・・それが今の俺のささやかな目的だぜ」

 世界を壊そうとしていた神の野望を阻止しても現実は続く。影人にとっての現実は、まずは進級し、そして高校を卒業する事だった。その後の事は、まあ未来の自分が考えているだろう。

「あ、いたいた! おーい帰城くん!」

 影人がごま塩のかかったご飯を箸で掬おうとすると、そんな声が聞こえてきた。その声は先ほど聞いたばかりの声だ。影人が嫌な予感を覚えながらも顔を上げると、陽華の姿が目に入って来た。いや、陽華だけではない。明夜やイズ、それに光司と暁理の姿も見えた。

「わあ、素晴らしいほどのボッチ飯ね。でも、こんな静かな場所でなら1人ご飯もいいかもしれないわね」

「そうですね。たまには外で食事をするのもいいかもしれません。まあ、帰城影人と共にというのが少し気に食わないですが」

「やあ、帰城くん。こんにちは」

「君は本当に1人が好きだね影人。感心するというか呆れるというか」

 明夜、イズ、光司、暁理がそれぞれそんな言葉を発する。陽華を含めた5人の姿を見た影人は、驚きと絶望が入り混じったような顔になった。

「お、お前ら・・・・・・何でここに・・・・・・」

「帰城くん、お弁当を持って食堂以外の場所に行ったから、もしかしたら外で1人でご飯食べる気だったのかなって。私たちも今日は天気がいいから外でご飯食べたいなって思ったんだ」

「だったら他の場所に行け。ここは俺が使ってるんだ。見りゃ分かるだろ」

 影人は事情を説明した陽華に対しそう言葉を返した。すると、暁理がこう口を挟んできた。

「別にこの場所は君の場所じゃないだろ。僕たちもここでご飯を食べる権利はあるはずだよ。いいかい、影人。僕たちはたまたま君の隣でお昼ご飯を食べるだけだ。君には何もつけれる文句はないはずだよ」

「はっ、だったら俺は違う場所に行かせてもらうぜ。それも俺の自由だろ」

 影人は弁当箱の蓋を閉めて立ち上がり、この場を去ろうとした。だが、そんな影人に光司がこんな言葉をかける。

「まあまあ帰城くん。ここなら僕たち以外には誰もいないし目立つ事はないよ。君も今から1人で昼食を食べる場所を探すのは大変だろうし、ここにいればいいんじゃないかな?」

「俺を舐めるなよ香乃宮。俺は孤独で孤高の男だ。昼休みだろうが、1人で飯を食える場所なんざいくらでも知ってるんだよ」

「自慢するところですか。もう放っておきましょう。陽華やあなた達の気遣いも理解できない男です。そんな者に気遣いをしても意味はない」

 影人の言葉を聞いたイズは呆れ切った顔でそう言った。だが、その言葉に明夜と陽華がかぶりを振る。

「ううん。それは違うわよイズちゃん。私たちのこれは気遣いじゃなくて我儘よ。迷惑をかけてるのは私や陽華だから」

「そうだよ。それに、例え気遣いだったとしてもねイズちゃん、気遣いに意味を求めちゃダメだと思う。気遣いとか善意に意味を求めちゃったらね、それって悲しいと思うから」

「っ・・・・・・」

 明夜と陽華の言葉を聞いたイズはハッとした顔になった。イズは気づいたのだ。それは、2人が自分が救ってくれた事にも意味を求める事になるのだと。陽華と明夜は何か意味を求めてイズを救ってくれたのではない。ただ無償の善意をもってイズを救ってくれたのだ。例え、最初は押し付けられたとしても、イズはここにいる。今ではあの時救われて良かったと思って存在している。それは、陽華と明夜が意味を求めなかったからだ。

「・・・・・・そうですね。きっと、それが正しい。すみません陽華、明夜」

 イズは素直に2人に謝罪した。謝罪を受けた陽華と明夜は「いや、謝るほどの事じゃないから!」「そうよ。あくまで私たちがそう思うってだけだから」と首を横に振った。

「・・・・・・ちっ」

 イズと陽華と明夜のやりとりを聞いていた影人は舌打ちをすると、その場に座り直した。

「あ、座った」

「なるほど。どうやら、今の会話が帰城くんの心を打ったみたいだね」

 暁理が少し驚いた様子になり、光司は意味深に笑う。再び弁当箱を開けた影人はギロリと前髪の下の目で光司を睨んだ。

「勘違いするな香乃宮。移動に貴重な昼休みの時間を使うのが面倒になっただけだ。飯食い終わったら俺は速攻ここから離れる」

「それって実質一緒にお昼ご飯食べてくれるって事だよね!? わあ、ありがとう帰城くん!」

「なんだかんだ、帰城くんの最後に折れてくれる所好きよ。ありがとう」

 陽華と明夜が明るい笑顔になる。影人は「だから、勘違いするなって言っただろ!」とフンと顔を背けた。そして、陽華、明夜、イズ、光司、暁理はそれぞれ購買で買った食べ物やお弁当を広げた。

「流石に7月。日陰といえどもちょっと暑いね。そうだ。話は変わるんだけど、みんなは進路どうするの? そろそろ本格的に決めなきゃならない頃でしょ。ちなみに、僕は近所の◯◯大学に進学予定」

 暁理がお弁当の唐揚げを摘みながらそんな話題を振った。影人以外の者たちは3年生だ。否が応でも、卒業後の事を考えなければならない。

「私も早川さんと一緒かな! 今のところ、特にやりたい事とかも見つかってないし、大学で何かやりたいこと見つけたいなって」

「私も陽華と同じね。というか、この辺りで進学する子は大体◯◯大学よね。近いし、受験も難しすぎないし。会長・・・・・・真夏先輩もあそこに進学したし、私たちのクラスの子も、ほとんど◯◯大学に進学予定よ」

「私も陽華と明夜と同じ大学に進学予定です。まだまだ学びたい事はありますし、真祖シェルディアも好きにしろと言ってくれました」

「僕もみんなと同じかな。一応、父や担任教師はいわゆる難関大学の方が選択肢は広がるぞと言ってくれたけど、僕はこの地域やみんなの事が好きだからね」

 陽華、明夜、イズ、光司がそれぞれそう答える。各自の答えを聞いた暁理は少し驚きながらも、嬉しそうな顔を浮かべた。

「へえ、みんな一緒なんだ。流石にみんな一緒だとは思わなかったなー。でも、凄く嬉しいな。よし、受かったらみんなでパーティーしようよ。盛大にさ。それで、みんなでキャンパスライフ楽しんじゃおうぜ」

「うん! しよしよ!」

「打ち上げは学生の華だもの。絶対やりましょう」

「了解しました」

「今から楽しみだね」

 暁理の提案に陽華、明夜、イズ、光司が頷く。暁理は影人の方に顔を向けた。

「影人は進路どうするつもりなの? 君はまだ2年というかまた2年だけど、ぼんやりとは考えてるんだろ?」

「・・・・・・別に先の事はあんま考えてねえよ。というか、考える暇がなかったからな。だがまあ、俺の今の目標はまた留年せずに進級する事だ。それ以上でも以下でもない」

 影人は自身の正直な思いを暁理に教えた。影人の答えを聞いた暁理は「あー、まあ君の場合は本当に色々あったからね・・・・・・確かに、考えられないよな」と珍しく同情した。

「・・・・・・一応、デカいヤマは片付いたが、俺もお前らもまだ面倒事は――」

 影人が再び口を開こうとした時だった。突然、陽華と明夜、暁理と光司の顔色が変わった。

「ごめんイズちゃん! 帰城くん! ちょっと行ってくるね!」

「イズちゃん、悪いけど私たちの食べ物教室に持って行っておいて!」

「じゃあ影人! 僕のは君に頼んだ!」

「僕もお願いするよ帰城くん!」

 陽華、明夜、暁理、光司はそれだけ言い残すと、どこかに向かって走って行った。

「あー・・・・・・言おうとしたタイミングで早速かよ」

「・・・・・・あなたは行かなくてもいいのですか、帰城影人」

 4人の行動で全てを察した影人がそう呟き、同じく4人の行動を理解していたイズが影人にそんな言葉を投げかけた。

「いつもより人数が多いのは多少気になるが・・・・・・今回俺に合図はなかったからな。大丈夫って事だろう。それに・・・・・・」

 影人はフッと笑うと、

「あいつらはとっくに一人前だ。もう、俺が守る必要もそうそうはねえよ」

 そう言った。












「・・・・・・」

 午後5時過ぎ。学校を終えた影人は適当に近くをふらつくと、進路を家に向けた。

『あー、つまんねえな。最近全然戦ってねえぜ。おい影人、暇だからシェルディアの奴に喧嘩吹っかけて殺し合いしようぜ』

 影人が何も考えずのんびりと歩いていると、影人の中に女の声が響いた。スプリガンの力の化身、イヴだ。イヴは退屈そうな声で突然そんな提案をしてきた。

「アホな事を言うなよイヴ。俺はもう2度と嬢ちゃんと殺し合いなんてしたくねえんだよ。普通に怖過ぎるからな」

『なにシケた事言ってんだよ。つまんねえ奴だな。じゃあ、レイゼロールとか他の奴でもいいぜ。とにかく、このままじゃ退屈でどうにかなりそうだ』

「そんなこと言っても仕方ねえだろ。俺が・・・・・・スプリガンが出張るような相手は中々出てこないんだからよ」

 影人は言い聞かせるようにイヴにそう言った。そう。フェルフィズとの戦いが終わっても、影人は神力をソレイユに返していない。ズボンの右のポケットに黒い宝石がついたペンデュラムが入っている事からも分かるように、影人はまだスプリガンのままだ。

 そして、それは他の者たちに対しても言える事で、今日昼休みに会った陽華や明夜、暁理や光司も未だに光導姫と守護者のままだった。昼休みに陽華、明夜、暁理、光司が急にどこかに走って行ったのは、光導姫と守護者の仕事があったからだ。

『ちっ、せっかくまだ境界が不安定で向こう側の世界からの奴らがこの世界に迷い込むならよ、もっと活きが良くて強い奴が来て欲しいぜ。光導姫と守護者じゃどうにもならない奴がな』

「俺はそんな奴は勘弁願いたいね。だがまあ、シトュウさんの話だと、あと数年はこういう状況・・・・・・向こう側の奴らがこっちの世界に迷い込む状況が続くらしいからな。裏世界の凶暴で強い奴がこっちに迷い込まないっていう保証はないんだよな・・・・・・」

 平和にはなったがまだまだ面倒事はある。影人は軽くため息を吐いた。

「・・・・・・ん?」

 いつの間にか自分の家のあるマンションの前にまで帰って来ていた影人は、マンションの前に見慣れぬ男がいるのに気がついた。

「ええと、住所はここであってるよな? いやー、ここまで来るの大変だったな・・・・・・でも、親切な人たちのおかげで助かった。本当、俺は人に恵まれてるぜ」

 男は7月だというのに、ボロい砂漠色のマントを纏っていた。黒髪はボサボサで無精髭も酷い。こういってはなんだが、男はいかにも不審者に見えた。

「っ・・・・・・」

 だが、影人はその男の事をよく知っていた。その男は影人がずっと待ち侘びていた男だ。影人は無意識に震えた声を漏らした

「父さん・・・・・・」

「ん?」

 影人の声が聞こえたのか、その男――帰城影仁が振り返る。影仁は影人の姿を見ると、パッと明るい顔になった。

「あ、影人か! ごめんな戻って来るのが遅くなって。今帰って来たぜ」

 そして、影仁は満面の笑みを浮かべ、自身の帰還を息子に告げたのだった。

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