第423話 転校生 イズ(1)

「・・・・・・暑い」

 午前8時10分。玄関のドアを開けて外に出た影人はマンションの廊下に降り注ぐ朝日に、前髪の下の目を細めそう呟いた。7月に入り梅雨もまだ明けてはいない。今日は梅雨の時期には珍しい快晴だが、ムッとした空気が不快げに肌にまとわりつく。

 影人がそんな事を思っていると、ガチャリと隣の部屋のドアが開いた。

「・・・・・・」

 出て来たのは隣の部屋の主であるシェルディアでもなく、同居人であるキベリアでもなかった。廊下に現れたのは、光沢感のあるプラチナホワイトの髪に、周囲が水色で中心が赤色という目が特徴的な少女――正確には少女の見た目をしているモノだが――だった。その少女は、風洛高校の夏服を纏っていた。

「げっ・・・・・・」

 その少女の姿を見た影人は反射的に嫌そうな声を漏らした。少女はチラリと影人の方に目を向けた。

「朝から失礼極まりないですね、帰城影人。そう言いたいのは、朝からあなたの陰気極まりない顔を見せられた私の方です」

「誰の顔が陰気極まりないだ。ったく、親に似て口が悪い奴だぜ・・・・・・」

 影人は少し呆れたように息を吐いた。その少女――イズは合鍵でドアを施錠し鍵を手持ちの鞄に入れ、再び影人に目を向けた。

「製作者との共通点は私にとっては喜ぶべきものです。褒め言葉として受け取っておきます」

 イズはそう言うと、スタスタとマンションの廊下を歩き始めた。影人はイズの5歩ほど後ろから歩き始めた。

「・・・・・・なぜ私の後ろに着くのですか」

「何でお前の隣に並んで歩かなきゃならねえんだよ。考えてもみろ。いま話題の転校生と俺が隣に並んで歩けば絶対に目立つ。俺はこの世で1番目立つのが嫌いなんだよ。だから、外に出たら話しかけるなよ。俺は他人のフリをするからな」

 イズが首を動かして背後にいる影人にそう問いかける。影人は何を当たり前の事をといった様子で返答した。

「・・・・・・あなたの事は未だによく分からない。目立つのが嫌と言いながら、その前髪なのですから」

「これは言うほど目立ってねえだろ。それに、この前髪は今や俺のアイデンティティだ。もうこれがないと落ち着かないんだよ」

「そうですか」

 そんな会話を交わしている内に、イズと影人はマンションの外に出た。夏の太陽が容赦なくイズと影人に降り注ぐ。イズは暑さを感じる事はないが、影人は早速じんわりとした汗が肌から滲み出るのを感じた。

「マジで暑い・・・・・・本当、夏は好きだけど嫌いだぜ」

「どっちですか」

「あ? 話しかけるなって言っただろ。独り言に口突っ込んでくるなよ」

「・・・・・・どう考えても独り言の声の大きさではなかったと思いますが」

「知るか。それはお前の感覚だろうがよ」

 理不尽そうな様子のイズを影人はバッサリと切り捨てた。流石は前髪野郎。えげつないゴミカスぶりである。サッカーやろうぜ! ボールは前髪野郎な! 的なノリで蹴られて死なないかしら。

 それからしばらくの間、イズと影人は学校に向かって歩いた。相変わらず、影人は他人のフリをするべくイズの少し後ろを歩きながら。

「あ、イズちゃん。おはよう」

 2人が歩いていると、どこからかそんな声が聞こえてきた。イズと影人が声の聞こえた方に顔を向けると、そこには手を振っている暁理がいた。ちょうど、違う道から影人たちが歩いている道に合流してきた感じだった。

「早川暁理。おはようございます」

 イズは暁理に挨拶の言葉を返した。暁理はイズの横に並ぶと笑顔を浮かべた。

「今日もイズちゃんの制服姿は似合ってるね。早くブレザー姿も見てみたいよ」

「そうですか?」

 暁理に褒められたイズは小さく首を傾げながら自身の服装を見下ろす。何ともない白のワイシャツにスカート。誰でも似合いそうな服装である。

「あなたにこの服装を褒められるのは2度目ですが、一応ありがとうと言っておきます。あなたの服装も似合っていますよ」

「え、本当? ありがとう〜! 嬉しいよ!」

 イズに服装を褒め返された暁理は言葉通り嬉しそうな顔になった。暁理の服装はイズと同じスカートではなく、影人と同じズボンだ。女子では珍しい部類に入る。そのため、正面から制服姿が似合っていると言われるのは、本当に嬉しかった。

(・・・・・・数日前なら考えられなかった光景だな)

 暁理とイズを後方から見つめていた影人が内心でそう呟く。イズの処遇が決まったのはおよそ2週間前。それから実力的にも経済的にも余裕があるシェルディアが後見人となり、今ではイズは影人たちと同じ風洛高校に通っている。どうしてそうなったのか。影人はここ数日の事をぼんやりと思い出した。











「――学校に行ってみたい?」

 始まりはそんな言葉からだった。影人は驚いた様子で自分の正面に座っているイズにそう聞き返した。

「はい。陽華と明夜の通っている場所に私も行ってみたい。そう考えています」

 コクリとイズが頷く。つい先日、アオンゼウの兵装を凍結封印され地上世界で影人や陽華や明夜から監視を受けるという処遇が決定されたイズは、あのスクール水着のような服装ではなく、可愛らしくも上品なフリルの付いたシャツに水色のスカートという服装だった。

「話があるから来てほしいって言われて来てみれば・・・・・・まさか、そんな話だとな」

 影人は困惑したように軽く頭を掻いた。影人が今いるのはシェルディア宅。なぜ影人とイズがシェルディア宅にいるかというと、地上世界でのイズの後見がシェルディアだからだ。実力と財力を兼ね備えたシェルディアが地上世界でのイズのサポートに手を挙げてくれたため、現在イズはシェルディア宅に住んでいるのだ。

 なお、現在シェルディア宅は家主であるシェルディア、同居人としてキベリア、キトナ、イズ、そしてぬいぐるみがいるので、少し手狭になってきている。このマンションの部屋はファミリータイプで比較的広い方ではあるのだが、それでもだ。家主であるシェルディアは近々このマンションにもう1つ部屋を借りようとしているらしい。流石は超大金持ち系吸血鬼である。どこぞの根性までも卑しい前髪野郎とは格が違う。

「・・・・・・この話、嬢ちゃんはどう思ってるんだ?」

 影人はイズの隣に座り優雅に紅茶を飲んでいたシェルディアにそう振った。シェルディアは紅茶をソーサラーに置くと、影人の方に顔を向けた。

「もちろん賛成よ。だって、面白そうでしょう?」

「まあ、嬢ちゃんならそう言うよな・・・・・・」 

 ニコニコと笑うシェルディアを見た影人が苦笑する。不死のシェルディアの判断基準は常に面白いか面白くないかだ。それ以外の要素が絡む方が珍しい。

「その話、朝宮と月下にはしたのか?」

「いいえ。まだです」

「そうか。まあ、あの2人は聞くまでもなくもちろん賛成だろうがな・・・・・・ん? 待てよ。あいつらの通ってる学校に行きたいって事は、お前俺も通ってる高校に来たいって事だよな?」

「はい」

「マジかよ・・・・・・」

 思わずといった様子で影人はそんな言葉を漏らした。かつての敵が同じ学校に通うというシチュエーションは漫画や小説などではよくある事だが、実際にそれが起こる事になるとは。別に嫌というほどでもないが、何となく日常が更に非日常に侵食される感じが、影人を微妙な心持ちにさせた。

「あなたは反対ですか? 一応、監視という観点からもそちらの方が合理的ではないかと考えますが」

「いや、別に反対ってわけじゃない。それに、お前の言う通り、俺や朝宮や月下っていう監視者の役割からしてみても、お前が学校に通う方がいい。俺たちの役割は名目上のものじゃないからな」

 影人はかぶりを振った。だが、影人は難しそうな顔でこう言葉を続けた。

「ただ、いざ実際にお前が学校に通うってなると、色々問題があるなっていま思った。その中でも1番問題なのは・・・・・・お前の来歴、もっと言えば戸籍だ」

「戸籍・・・・・・ですか」

「ああ。いまお前は嬢ちゃんの家にいるから目下それは必要ない。だが、学校に通うってなれば絶対にそれが必要になってくる。いつどこで生まれて、どんな学校に通ってきたか・・・・・・お前が何者であるのかの証明がいるんだよ。だが、当然ながら・・・・・・」

「私にそんなものはない、ですか」

 影人の言葉の続きをイズが引き継ぐ。影人は今度は首を縦に振った。

「ああ。お前は魔機神の器に宿ったフェルフィズの大鎌の意思。そもそも人間じゃない。差別だとかそんなんじゃなくて、これは単純な事実だ」

「そうね。今の人間社会は戸籍がないと色々不便よ。どこかに属したりするなら必須だわ」

 影人の言葉にシェルディアが同意する。影人は「あ、そういえば」とシェルディアにこう聞いた。

「嬢ちゃんは戸籍どうしてるんだ? 嬢ちゃんも長いことこっちの世界にはいるけど、元々はあっち側で戸籍はないよな」

「偽装の戸籍はあるわよ。定期的に催眠の力で役人に作らせるから。その他の大体の面倒事も、私の場合は催眠で何とかなるわ」

「おおう・・・・・・さすが嬢ちゃんだな」

 もはや引いた様子で影人が感想を漏らす。影人はシェルディアの何でもありっぷりを改めて叩きつけられた。

「なら、私も偽装の戸籍を用意すればいいのですね。ですが、アオンゼウの器に催眠の力はない・・・・・・真祖シェルディア。すみませんが、そこらの役人を催眠して私の戸籍を作らせてくれませんか?」

「いいわよ。じゃあ、適当にそこらの役人を捕まえましょうか。役所の1番上の人間を使えば1発でしょう」

 イズの頼みをシェルディアは快く了承した。だが、影人が待ったの声を掛ける。

「別にそんな方法を取らなくても、より確実にイズの戸籍を用意できる方法があるぜ。まあ、監視のためなら多分通るだろ」

「より確実な方法ですか・・・・・・もったいぶらないで早く教えてください」

 イズが影人にそう促す。そして、影人はその方法を口にした。

「1番簡単で1番裏技な方法だ。要は、。世界を改変しちまえばいい。そして、それが出来る神を俺はよく知ってるぜ」











「・・・・・・なるほど。それで私の元に来たというわけですか」

 真界「空の間」。突如として、念話で影人に話があるから会いたいと言われたシトュウは、ゲートを使い影人を真界へと招いた。そして、影人の話を聞き終えたシトュウはそう呟いた。

「ああ。ほいほいとシトュウさんを頼りまくって悪いが、今回は監視をより積極的にするものだからな。ぶっちゃけると、通ると思って来た」

「・・・・・・都合の良さと正直さを合わせた言葉ですね」

 頷く影人にシトュウは呆れたような顔を浮かべた。

「ですが、その目的は確かに正しいものです。監視をあなたやあの2人の光導姫に命じた者の1人として、私はその積極的な姿勢を無視する事は出来ない」

「だろ」

 影人がニヤリと笑う。その笑みを見たシトュウはムッとした顔になった。

「・・・・・・あなたに上手く使われているようで少し腹立たしいですね。言っておきますが、私は本来そんなに気安い存在ではありませんよ」

「それは重々承知だ。シトュウさんは上品で気位の高い女神様だからな。だからこそ、どこぞのポンコツ女神と違って頼りになるんだ」

 影人は真面目な顔でそう言葉を返した。真面目な顔をしているものの、普通に聞けば都合のいい言い訳にしか聞こえない。そして、影人に暗に頼りにならないと言われたポンコツ女神がこの言葉を聞けば、「このバカ前髪! 殺すわよ!?」と素モードでブチギレる事は間違いなしである。

「っ・・・・・・分かっているのならばよしとします。確かにそういった事は『空』である私にしか出来ませんからね」

 だが、シトュウはどこか照れたような嬉しそうな顔で影人から顔を背けた。その様子は、どこかの箱入り娘がよくない人物の毒牙にかかっているようにも見えた。

「さすがシトュウさんだ。やっぱり頼りなるな。ああ、そういえば零無の奴はどこにいるんだ?」

 影人がそんな質問をシトュウに飛ばす。境界の安定のためにはもうしばらく零無の無の力がいるらしく、零無はまだ真界にいるはずだ。だが、この場には零無の姿は見えなかった。

 ちなみに、まだしばらく地上に帰れないとシトュウに聞かされた時の零無は半狂乱になったという。まあ、影人が嫌ではあるが念話で零無に励ましの言葉を送ったところ、一瞬でやる気に満ち溢れたのだが。

「零無ならさっさと最低限の修復を終えてあなたの元に戻ると、張り切って直接境界に飛んで作業中です。本来ならば、そちらの方が早く済むため私も境界に行きたいところですが・・・・・・私は本来の『空』としてあまりこの場を離れられないのです」

「そ、そうか。嫌だな。あいつ絶対戻ってきたら一段と面倒くさくなる・・・・・・あいつそのまま一生境界から帰ってこないでほしいな」

 影人は今からげんなりとした心持ちになった。閑話休題。シトュウが話を戻す。

「それで、どのような設定でイズという存在を世界に認識させればいいのですか。このような形の世界改変にはある程度詳細な情報がいりますよ」

「それならイズや嬢ちゃんと話をして纏めて来てある。出来るだけ違和感のないそれっぽい設定だ」

 影人はポケットから紙を取り出した。真界は基本的に特別な者しか入る事は出来ない。そして、イズもその例には漏れない。そのため、例外である影人がイズやシェルディアと練り上げた設定をシトュウに伝える役目を負ったのだった。

「ふむ・・・・・・分かりました。では、この設定で世界改変を行います。零無と念話して息を合わせますので少し待ってください」

「ああ、分かった。お願いするぜシトュウさん」

 影人から紙を受け取ったシトュウが了承の言葉を述べる。影人は改めてシトュウに依頼の言葉を放った。

 ――こうして、イズは初めから存在したと世界に認識された。











(それから書類を集めて転入準備。学力試験はアオンゼウの膨大なメモリーで一瞬で暗記。あれよあれよという間に転入だもんな。本当、凄え力だぜ。世界改変っていうのは)

 記憶の海から現実に戻って来た影人は、シトュウの神としての超常性(それをいうならば、今回一緒に世界改変を行った零無もだが、零無はまあいいだろう)に改めて畏怖の念を覚えた。

(イズが風洛高校に転校してきて、今日でちょうど3日目か。季節外れの転校生に人形みたいに精緻なイズの見た目と相まって、イズの奴はすっかり人気者。ちょっと前までなら考えられなかったことだな)

 だが、悪くはない結果だろう。少なくとも、イズを滅していればこのような結果にはなっていなかった。今、影人の前で暁理と共に制服を来て歩いている光景は、陽華と明夜が掴み取ったものだ。

 ただ、1つだけ釈然としない点は――

「でも、よかったねイズちゃん。朝宮さんと月下さんと同じクラスになれて」

「はい。一応、面接の時に陽華と明夜が知り合いという事と、慣れない異国の地で心細いという事を強調したのが効きました」

 暁理の言葉にイズがコクリと頷いた。そう。イズが転入したのは、当然というべきか陽華や明夜、暁理や光司といった者たちのいる第3学年。つまり、最高学年だ。

「しかし、帰城影人が留年していたのは意外でした。私が思っていた以上に、帰城影人は愚鈍・・・・・・いえ、アレな人物だったようですね」

「誰が愚鈍だイズてめえ!? 俺は愚鈍でもアレでもない! 俺が留年したのはちゃんと事情があったからだ!」

 振り返り蔑みと憐憫の込もったような目を向けて来たイズに影人は怒りの声を上げ抗議した。そう。釈然としない点というのは、イズが影人よりも上の学年という事だ。

「うるさいですよ後輩。私はあなたよりも上の学年。つまりは先輩です。人間は上下関係を大切にすると聞きます。ならば、それに相応しい言葉遣いをしてください」

「そうだぞ後輩。もっと先輩を敬えよ」

「このッ・・・・・・! てめえら、黙って聞いてりゃいい気になりやがって・・・・・・!」

 イズと暁理にそんな言葉を浴びせられ、影人は自身の体に怒りが満ちるのを感じた。

「別にいい気にはなっていませんが。それよりも、いいのですか。そろそろ人も増えて来ました。これ以上私と会話すれば目立ちますよ」

 しかし、イズは影人の怒りなどどこ吹く風といった様子だった。そして、イズの指摘通り風洛高校の生徒たちの姿が増え始めた。これ以上話題の転校生と口論を続ければ間違いなく目立つ。影人は「ちっ! 覚えてやがれよ」と三下のような捨て台詞を吐いた。

(ああ、朝から騒がしい。ったく、俺の静かで平和な日常はどこへ行ったのかね・・・・・・)

 内心でそう愚痴りながら、影人は晴れ渡る青空を見上げた。

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