第422話 囚われの忌神、イズの処遇

「・・・・・・」

 神界。その中心部にある雲上の宮殿。神界の長であるガザルネメラズは、地下へと続く階段をゆっくりと歩いていた。この宮殿の地下は普段は全くと言っていいほど利用されない。

 なぜならば、地下にあるのは冷たく暗い檻だからだ。禁忌を犯した神や、罰を受けた神がこの地下には幽閉される。だが、基本的にその牢獄が利用される事はない。神界にいる神は基本的に倫理を備えた善なる神だからである。しかし、現在地下にはとある一柱の神が幽閉されている。ガザルネメラズはその神に会いに地下へと向かっていた。

 ガザルネメラズは地下へと到達した。地下はぼんやりとした青白い光がところどころに灯るだけの薄暗い空間だ。ガザルネメラズの両隣には空の牢屋がいくつかあった。ガザルネメラズは空の牢屋を突っ切り、真っ直ぐに石の廊下を進んでいった。

 廊下はそれなりに長さだったが、薄暗いことも手伝ってかなり長いように感じられた。ガザルネメラズはその長さを感じながら、廊下の突き当たりに到達した。だが、完全な突き当たりというわけではなく、廊下はそこからまた少ない段ではあるが階段になっていた。ガザルネメラズはその階段を下り、更に深い地下空間に降りた。

 そこからガザルネメラズは少しの間歩いた。すると、正面に牢屋が見えた。先ほど突っ切ってきた牢屋よりも大きい。まるで、特別な囚神しゅうじんを囚えるための牢屋のようだ。そして事実、そこには特別な、いや最悪の神が囚われていた。

「・・・・・・」

 牢屋の中には1台の簡素なベッドと1脚の木のイスがあっただけだった。そして、そのイスの上である男が項垂れていた。

「・・・・・・気分はどうじゃ。忌神・・・・・・フェルフィズよ」

 ガザルネメラズは檻の外から、牢屋の中で項垂れている男に声をかけた。声を掛けられたその男、フェルフィズはゆっくりと顔を上げると、生気のない顔でガザルネメラズを見つめた。

「・・・・・・気分が良さそうに見えますか?」

「・・・・・・いいや、全く見えんの」

 フェルフィズが逆にガザルネメラズにそう問い返す。ガザルネメラズは正直な答えを述べた。

「・・・・・・この檻は神力を封印する。つまり、囚われの神は地上にいるのと同じ死なないだけの無力な存在と化す。そして、この檻は不壊。お主は2度とここから出る事は出来ん」

「・・・・・・そんな事は言われずとも分かっていますよ。だからこそ、こうやって絶望しているんじゃないですか」

 フェルフィズが薄い灰色の目をガザルネメラズに向ける。言葉通り、その目には深い深い諦観の念があった。

「・・・・・・改めてお主に現実を突きつけるためじゃよ。お主はワシらに心が折れていると見せかけているだけかもしれんからの」

「そうですか。しばらく会わない内に、あなたも随分といい性格になりましたね」

 フェルフィズは顔の筋肉は動かさず、口だけで笑みを浮かべた。そして、フェルフィズは続けてこう聞いた。

「・・・・・・それで何か用ですか。私がこの牢獄に入れられてから・・・・・・ええと、何日経ちましたか?」

「5日じゃよ」

「5日・・・・・・もうというべきか、まだというべきか。はあー、ここにいると時間の感覚が曖昧になる」

 ガザルネメラズに告げられた答えを反芻しながら、フェルフィズはため息を吐いた。

「・・・・・・それで、改めて何の用です? あなたがここに姿を現すのは、私をここに入れた日以来。世間話か、懐かしい話でもしに来ましたか。それとも、もっとまともに尋問ですか」

「そうじゃな。いずれは尋問も必要じゃ。世間話や懐古話も・・・・・・今は無理じゃが、いつか出来ればいいの。じゃが、今日ワシが来たのはそのどれでもない。ワシが今日来たのは・・・・・・お主にある事を伝えるためじゃ」

「ある事・・・・・・ですか」

 フェルフィズの絶望に染まった瞳の中に、ほんの少し疑問の色が混ざる。ガザルネメラズは小さく頷いた。

「うむ。この事だけはお主に伝えておいてもよいと『空』様が仰った。その内容とは、お主が作った忌むべき神器『フェルフィズの大鎌』の意思・・・・・・イズの今後の処遇についてじゃ」

「っ・・・・・・」

 その言葉を聞いたフェルフィズの顔色が変わる。今まで生気のなかった顔に気力の一端が宿る。フェルフィズはイスから立ち上がり、両手で鉄格子を掴んだ。

「・・・・・・それで、あの子はこれからどうなるのですか」

 フェルフィズは静かにそう問うた。言葉こそ平坦に聞こえるが、フェルフィズの目には様々な感情の炎が確かに揺らいでいた。ここ最近で1番感情的だ。ガザルネメラズはそんなフェルフィズを至近距離から見つめる。

「・・・・・・安心せい。悪い結果にはならなかった。イズの処遇を巡る話し合いには様々な立場の者が参加した。お主が引き起こした戦いはそれだけの者たちを巻き込んだからの」

 ガザルネメラズは数日前に行われた話し合いの事を思い出した。話し合いが行われた場所は地上世界のとある喫茶店。真祖が営む世にも珍しい喫茶店だ。その喫茶店の裏庭で行われた話し合いには、真界の最高位である『空』であるシトュウ、神界の長であるガザルネメラズ、冥界の最上位に位置するレゼルニウス、向こう側の世界の実力者である古き者たち――シス、シェルディア、ハバラナス、レクナル、ヘシュナ、白麗――、地上の神であるレイゼロール、イズを救った者である陽華と明夜、そしてフェルフィズを裁いた者である影人、当事者であるイズが参加した。

 話し合いに参加した者は10人を超えたため、話し合いの会場であった裏庭では少し狭く感じられた。そのため、地上でも神としての力を振るう事が出来るシトュウが空間を拡張させる力を使用し、全員が腰掛ける事の出来る円卓を創造した。

 ちなみに、冥界の神であるレゼルニウスは本来は地上に現れる事も干渉する事も出来ないが、その理は既にフェルフィズの大鎌で殺されたため、地上にやって来る事が出来た。殺された因果は不可逆で戻らない。そのため、レゼルニウスはこれからいつでも地上に移動する事が出来る。愛する妹にいつでも気軽に会いに行けるという事実に、レゼルニウスは狂喜していた。あれほど喜んでいるレゼルニウスを見るのはガザルネメラズも初めてで、レイゼロールに至っては少し引いたような、何とも言えないような顔だった。

「順を追って話そう。まず、前提としてお主がイズの器に選んだ異世界の機械神、魔機神アオンゼウの体はそれだけで凄まじい兵器じゃ。加えて、イズはあの『フェルフィズの大鎌』の意思。フェルフィズの大鎌の力を最大限に引き出し、自由に扱えるという、これまた破格の力を持っておる。それらが合わさったイズという存在は、存在するだけで危険極まりないものじゃ」

「・・・・・・まあそうですね。客観的に見るのならば、イズはそういう存在だ」

 フェルフィズはごく冷静にガザルネメラズの指摘を認めた。フェルフィズがイズの行く末を心配していたのはその事実があったからだ。強力過ぎる力は往々にして制限を受ける。

「アオンゼウの力をよく知っている異世界の古き者たちは、アオンゼウの器の力を危惧しイズからアオンゼウの器を切り離し、アオンゼウの器を封印する事を要求した。対して、『空』様やレゼルニウス、レイゼロールやワシといった『フェルフィズの大鎌』に危惧の重点を置く者たちは、『フェルフィズの大鎌』の本体の封印とイズという意思を監視下に置く事を提案した」

「・・・・・・今のところ、いい結果になるような話には聞こえませんね。そして、いかにも凡夫どもが言いそうな事だ」

「凡夫・・・・・・か。イズの危険性を認めながらそう言うか。むしろ、イズの危険性を認める者ならば、そういった話し合いになるのは当然の帰結じゃと思うがの」

「イズの表面しか見ていないから凡夫だと言ったんだ。今のあの子の、陽華くんと明夜くんに救われたイズの内面を見れば、そんな必要はないと理解できる。常識的でいかにも大人な判断など・・・・・・バカバカしい」

 フェルフィズはつまらなさそうにそう吐き捨てた。しかし、フェルフィズの言葉を聞いたガザルネメラズは目を見開いた。

「・・・・・・意外じゃの。お主からそんな言葉が出てくるとは。なるほど・・・・・・お主にもまだそんな心があったか。誰かを愛する心が」

「・・・・・・知ったような口を利かないでください。いくら私とあなたが同時期の神だといっても、馴れ馴れしいですよ。分かっているでしょうが、私は昔の私とは違う。あなたに対して何の感情もない」

 フェルフィズは不機嫌そうに顔を逸らした。ガザルネメラズとフェルフィズは古神こしんと呼ばれる古き神。フェルフィズが狂う前、2柱の神の間にはそれなりの親交があった。ただそれだけの関係性だ。

「それよりも、早く続きを話してください。まあ、話し合いに陽華くんと明夜くん、それに影人くんがいる時点で流れは読めますがね」

「・・・・・・そうじゃの。では、続きを話そう。お主の言葉通り、ここからはその3者が大きく話し合いに関わってくる」

 ガザルネメラズは頷くと話を続けた。

「イズという存在や在り方に重点的に制限を唱えたワシら、イズの器に重点的に制限を唱えた古き者たち。じゃが、そのどちらにも異を唱えた者たちがいた。ソレイユの眷属・・・・・・光導姫である朝宮陽華くんと月下明夜くん。そして、様々な立場に関わる帰城影人くんじゃ。3人は器の封印についてはまだ議論の余地があるとした上で、特にイズという存在の制限には絶対に反対という立場じゃった」

「議論の余地ですか・・・・・・それで、結果は?」

 フェルフィズは少し考え込むように顎に手を当て答えを求めた。

「結果は、イズの本体である『フェルフィズの大鎌』については厳重に封印。イズの現在の器であるアオンゼウの体の兵装機能の凍結封印。そしてイズという意思、または存在については監視者がつくというもので落ち着いた。本体である大鎌の封印には、影人くんたちも異論はなかったよ。監視者は陽華くんと明夜くん、影人くんの3人じゃ。必然、イズが監視される世界は地上世界という事になった」

「なるほど・・・・・・本体である大鎌の処理、監視者にその3人がつく事は予想していましたが、器については意外な結果ですね」

 フェルフィズがそう感想を漏らす。アオンゼウの体については元通り封印で、イズの意識を別の器に移す事で落ち着く、というのがフェルフィズの予想だった。「繋ぎ合わせの道紐」を使えば、イズの意識を別の物に移し替える事は容易だからだ。「繋ぎ合わせの道紐」やその他の神器は既に没収されているし、イズも「繋ぎ合わせの道紐」の使い方は知っている。使うのに苦労はないはずだ。

「そこは影人くんが上手く古き者たちを丸め込んだという感じでの。さっき器については議論の余地があると影人くんたちが主張したと言ったじゃろ。影人くんは、古き者たちにこのような事を言ったんじゃ。元の場所にアオンゼウの体を封印したところで、また誰かがアオンゼウの体を利用する危険性がある。ならば、使とな」

「ほう・・・・・・発想の転換ですか。なるほど、確かにその言い分ならば・・・・・・くくっ、やはり地頭は決して悪くはないですね。彼は」

 牢獄に収容されてから初めてフェルフィズが笑った。フェルフィズの呟きにガザルネメラズは同意した。

「うむ。流石に1人でずっと暗躍していた少年じゃ。目の付け所が鋭い。イズは表向きには敵対する意思は見せてはおらんし、罰も受け入れるという姿勢じゃった。まず、影人くんはそこを強調した。次いで、陽華くんと明夜くんもな。影人くんは、こちらに敵対する意思のないイズをアオンゼウの器に入れておく事こそが、現状最も安全で安定した状態じゃとし、更には影人くんたちがいる地上世界でイズを監視する事によって、イズの存在を知る古き者たちが簡単には手を出せないという利点を述べた。その利点は確かな説得力を持ち、最終的にはアオンゼウの体の兵装を凍結するという結果になったのじゃよ」

「それだけではないでしょう。確かに、影人くんが言った事は間違いではなく説得力もある。ですが、最終的に話を納得させる力というのは、その人物に対する信頼力だ。影人くんがある程度古き者たちから信頼されていなければ、そのような結果にはならなかったと思いますがね」

 フェルフィズは淡々とした口調でそう言うと、イスに腰を下ろした。

「・・・・・・確かにの。あの場にいた多くの者たちは影人くんを信用し信頼しておった。やはり、お主は慧眼じゃの」

「つまらない世辞なんていりませんよ」

 フェルフィズはつまらなさそうにガザルネメラズを見上げた。世辞ではなかったのだが、それを言っても意味はあるまい。ガザルネメラズは最後の説明を行なった。

「イズが万が一にも敵対、暴走した場合は監視者がすぐさま他の誰かに連絡し、イズを討伐。それに全員が了承、同意した。地上世界のイズの後見には、地上世界に住む真祖シェルディアが手を挙げた。それで話し合いは終わったよ」

「・・・・・・そうですか。確かに、悪い結果ではありませんね。いや、むしろ思っていた以上にいい。影人くんたちには感謝しなければなりませんね」

 イズの処遇に関する話を全て聞き終えたフェルフィズは、小さな笑みを浮かべた。この話に関してはフェルフィズは十分に満足していた。この牢獄に入って初めて気分がいい。陽華と明夜、影人はちゃんとフェルフィズとの約束を守ってくれた。イズの未来は決して暗いものではない。その事実が、フェルフィズの口を綻ばせたのだ。

「一応、伝えてくれた事には感謝しておきましょう。堅物のあなたの話にしては興味深かった」

「堅物か。お主からすれば、ワシはつまらん存在なのじゃろうな」

「そうですね。あなたはつまらないし、私は昔からあなたが嫌いだ。堅物で冗談は通じないし、無駄に陽気。酒好きで飲むとうるさいのなんの。正直、不快でしたよ。作り笑いを浮かべながら、心の中で何度死ねと思ったことか」

「・・・・・・え? ちょ、ちょっと酷くないかの。ワシ、そこまで言われる筋合いはなくないか?」

 急に何千年越しフェルフィズにそう告白されたガザルネメラズは、思わずショックを受けた顔になった。シリアス極まりない場面で、急にそんな本気の悪口を言われるとはガザルネメラズは思っていなかった。

「私を殺しかけた神がどの口で言いますか。ほら、話が終わったのならさっさと帰ってください。あなたの顔なんて1秒も見たくない。ほら、しっしっですよ」

「いや、ワシ犬じゃないんじゃが・・・・・・まあ、分かった。今日はこれで引き下がろう。これ以上空気が緩んだら、色々とおかしくなりそうじゃ」

 ガザルネメラズは気分を切り替えるように軽く首を横に振った。そして、フェルフィズから背を向けた。

「・・・・・・また来るぞ。今度は尋問をしにな。その時はしっかりと答えてもらうぞ」

「・・・・・・気分次第ですかね。まあ、考えておきますよ」

 フェルフィズはどうでもよさそうに返答した。ガザルネメラズは、しばらくフェルフィズに背を向け続けその場に止まった。

「・・・・・・のうフェルフィズ。お主は決して許されない最悪の神。お主にはもう救いはない。それだけの事をお主はしたのじゃからな。じゃが・・・・・・ワシは・・・・・・いや、俺は最初に言ったように、お前といつか世間話や懐古話がしたい。例え、お前が俺のことが嫌いでもな。覚えておけ。俺はそのいつかを待っている。・・・・・・じゃあな」

 ガザルネメラズは半身振り返り、最後にフェルフィズにそう言った。振り返ったガザルネメラズの姿は20代くらいの黒髪の精悍な青年に変わっていた。その姿と口調は、まだフェルフィズが神界に在籍している時のガザルネメラズのものであった。ガザルネメラズはすぐに見た目を元の老人姿に戻すと、牢獄を去って行った。

「・・・・・・変わっていませんね。そういうところも嫌いなんですよ」

 ガザルネメラズが去った後、フェルフィズは呆れ切った顔でそう呟いた。

 そして、

「・・・・・・本当にバカな男だ。例え奇跡が起きて、そのいつかが来たとしても・・・・・・そのいつかは、きっと私が影人くんに殺される時ですよ」

 フェルフィズはそう言って、つまらなさそうに天井を見上げた。

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