第395話 忌神の勧誘
「――さて、そろそろ動きますか」
後ほんの少しで夏本番といった6月中旬。太陽の光が遮られた地下室でフェルフィズはポツリとそう呟いた。
「行動開始、ですか?」
フェルフィズの呟きに近くに居たイズが反応した。フェルフィズは「ええ」と頷く。
「境界間の崩壊が止まっている現状を打破する方法も見つけました。そろそろ準備の段階に入りましょう。何せ、敵の数は多い。それに強大だ。油断も出来ない。ならば、完璧と言える準備をしなければなりません。幸い、私たちの居場所が捕捉される事はない。時間は充分にあります」
「了解しました。しかし・・・・・・私は敵が強大だとは思えません。確かに数の差はありますが、所詮は有象無象ばかりです。魔機神の器と私の本体に殆どの者は意味を為しません。すぐに仕掛けても問題はないと思いますが」
傲慢さからではなく事実としてイズはフェルフィズに自身の意見を述べた。絶対死を不可避のタイミングで与える事が出来るイズに数や強さという概念は意味を持たない。抵抗できる可能性があるとすれば、『終焉』を持つ影人とレイゼロールくらいだ。
「確かにあなたの言う事は正しいですよイズ。ですが、それが正しい見方だとしてもこの世は不思議なものでしてね。何が起こるかは分からないんですよ。神である私でも図れない。特に彼、帰城影人は」
フェルフィズは前髪に顔の上半分を支配されている少年を思い出しながらそう言った。帰城影人。見た目こそ暗いが、その内面は見た目とはかけ離れた強靭な心を持つ少年。人の身でありながら凄まじい力を持つスプリガンに変身し、そして『終焉』を受け継ぎ、必ず物事の中心、またはその近くにいる、特異極まる者。フェルフィズが最も警戒しているのは影人だ。その影人と共に戦う者たちもフェルフィズは警戒していた。
「行動を起こせば、死にものぐるいで彼らは私たちを止めに来る。私たちも失敗は出来ない。彼を、彼らを侮ってはいけません。だから準備は入念には入念をです」
「・・・・・・分かりました。元より単なる意見です。製作者の言葉に従います」
「すみませんね。ですが、ありがとうございます。君の意見が聞けて嬉しいですよ」
「いえ・・・・・・それで、どのような準備を?」
イズが小さく首を傾げる。その問いかけにフェルフィズは笑みを浮かべた。
「私たちも味方を得に行きたいと思いましてね。まあ、彼が仲間になるかならないかは半々といった割合ですが・・・・・・仲間になってくれれば強力です。というわけで、今から彼がいる場所に行きましょうか」
「どこに行くのですか?」
再びイズが質問する。フェルフィズは何でもないようにこんな答えを述べた。
「ちょっと違う世界です。死した者たちが行く場所――冥界ですよ」
「・・・・・・はあ、現世は本当に大変だな」
冥界。その世界を統治する者たちが集まる区域にある展望台。そこで憂う顔を浮かべる男がいた。肩口くらいまでの白髪にアイスブルーの瞳。顔は中性的で凄まじく整っている。黒と金の美しいローブに身を包んだその男――冥界の最上位の神、レゼルニウスはそう呟いた。
(忌神フェルフィズ・・・・・・まさかあの神が生きていたとはね)
いま現世を騒がしている神。レゼルニウスもフェルフィズの事は知っている。まだ現世に生きていた頃、レゼルニウスは何回か神界に行っていた。その時に長老であるガザルネメラズからフェルフィズの事を聞いたのだ。忌むべき神として。とっくに死んでいたと思われたその神が、今は現世を破滅させようとしている。それを止めようと、影人や妹であるレイゼロールが頑張っている。だが、レゼルニウスはそれを見る事しか出来ない。冥府の神は現世に干渉する事は出来ないのだ。
「・・・・・・何も出来ない事には慣れたつもりだけど・・・・・・やっぱり歯痒いな」
悔しげにレゼルニウスは右手を握った。自分が死んだ後、レゼルニウスはずっと冥界から現世を見てきた。何度も何度も思った。自分も何か力になりたいと。だが、何も出来ない。幾度となく感じてきた絶望感と虚無感がレゼルニウスを襲った。
「・・・・・・そろそろ戻ろうか。仕事もいくつか残っているし・・・・・・」
冥界の神も中々に忙しい。ましてや、レゼルニウスは冥界最高位の神だ。暇は基本的には存在しない。レゼルニウスが振り返り展望台を去ろうとすると、
「――こんにちは。冥界も中々にいい天気ですね」
「っ?」
突然そんな声が聞こえてきた。声の方向は正面からだ。レゼルニウスがそちらに顔を向けると、そこには1人の男と1人の少女がいた。男は少し長めの髪に薄い灰色の瞳が特徴的で、少女はプラチナホワイトの髪に周囲が水色で中心が赤い瞳が特徴的だった。
「なっ、君たちは・・・・・・」
2人の姿を見たレゼルニウスがそのアイスブルーの瞳を大きく見開く。少女は初めて見たが、男には見覚えがある。現世を見つめていた時に影人やレイゼロールが戦っていた男だ。そして、今の今までレゼルニウスが思考を割いていた男。
「フェルフィズ・・・・! なぜあなたが冥界に!?」
「おや、私が分かりますか。それは話が早い。初めまして。冥界の最上位神にしてレイゼロールの兄、レゼルニウス。あなたは既に私を知っているようですが、一応自己紹介を。私はしがない物作りの神。名をフェルフィズと申します」
信じられないといった顔を浮かべたレゼルニウスに、フェルフィズは芝居掛かった仕草で軽くお辞儀をした。
「ほらイズ。あなたもご挨拶を」
「はい。私はフェルフィズの大鎌の意思。名をイズと申します」
フェルフィズに促されたイズが無表情で挨拶をする。イズ。その名も知っている。影人たちが話していた。異世界の機神の器を得た、全てを殺す大鎌の意思。凄まじい力を有した少女の姿をしたモノだ。
「本当にどうして・・・・・・冥界は生ある者を拒む世界。門も一部の者にしか開ける事の出来ない場所なのに・・・・・・」
レゼルニウスは未だに信じられないといった様子でそう呟いた。その呟きにフェルフィズがこう答える。
「簡単な事ですよ。まず、私とイズが冥界にいられる理由については、私が不死だから、イズはそもそも生命を持たぬ存在だからです」
冥界が生ある者を拒むというのは、冥界に入った者が冥界の空気に取り込まれて死ぬからだ。だが、フェルフィズは読んで字の如く
「冥界に来る事が出来た理由については、まあ私が昔作った道具の中にたまたま冥界への道を開くものがありましてね。それを使いました」
「・・・・・・わざわざご丁寧にありがとうと言うべきかな。なら、その調子で答えてもらいたいんだけど、なぜ僕の前に現れた? そもそも、なぜ僕の居場所が分かった? あなた達の目的は何だ」
驚愕の感情を半ば無理やり抑えつつ、レゼルニウスは最大限に警戒しながらフェルフィズたちを睨みつけた。
「お気持ちは分かりますが、質問が多いですね。ですがいいでしょう。お答えしますよ」
苦笑したフェルフィズはこう答えを述べた。
「あなたの前に現れたのは、私たちの目的と同義です。なので、後で説明しましょう。先になぜあなたの居場所が分かったのかという事からお答えすると・・・・・・私があなたの気配をよく知っていたから、というのが答えですよ」
「っ、僕の気配を・・・・・・?」
その答えを聞いたレゼルニウスが一瞬その顔を疑問に染める。だが、レゼルニウスはすぐに納得がいった顔になった。
「・・・・・・そうか。あなたは僕がまだ生きていた頃から地上にいたのか。あの頃の僕は気配を隠蔽していなかった」
「ええ。あの時のあなたはわざわざ気配を隠蔽する必要を感じなかったのでしょうね。なにせ、あなたは人間たちから随分と慕われていた。まさか人間たちに殺されるなどとは夢にも思っていなかったでしょう」
「・・・・・・待て。なぜそんな事を知っている? まるで見ていたような・・・・・・っ、まさか・・・・・・」
レゼルニウスは1つの可能性に気がついた。ずっと謎だった。なぜ、自分やレイゼロールを慕ってくれていた人間が急に自分たちに負の感情を向けてきたのか。なぜ、人間たちが神殺しの剣を持っていたのか。特に、神殺しの剣は神器クラスの武器だ。人間たちが簡単に手に入れられる物ではない。
もし、人間たちを唆した者がいたとすれば。人間たちに神殺しの剣を渡した者がいたとすれば。全てに説明がつく。そして、そんな事が出来る者は――
「あなたか・・・・・・あなただったのか。人間たちを唆し僕を殺させたのは・・・・・・!」
レゼルニウスが様々な感情を声に乗せ、フェルフィズを一段と強く睨みつける。間違いない。自分が死んだ原因は目の前の邪悪なる神によるものだ。レゼルニウスは強くそう確信した。
「おや、気づきましたか。よく気付いたというべきか、今更というべきか・・・・・・ええ、そうです。あなたを亡き者にしようと画策したのは私ですよ」
そして、フェルフィズはレゼルニウスの言葉を肯定した。何でもないように笑いながら。
「っ、やっぱり・・・・・・よくもまあ、僕の前にのうのうと姿を現せたものだな」
「面の皮の厚さには自信がありましてね。まあ、長く生きていると自然とそうなるとも言えますが」
レゼルニウスが暗い感情を滲ませた言葉を放つ。フェルフィズはそれを受け流すかのように、ヒョイと肩をすくめた。
「さて、本題に入りましょうか。実は折り入ってあなたに話があるんですよ」
「・・・・・・自分を殺した原因を作った奴の話を聞くと思うのかい」
「おや、質問をしてきたのはあなたですよ。随分と身勝手な方ですね」
フェルフィズは芝居掛かった仕草でやれやれのポーズを取った。
「別に話を聞きたくないというのであれば、それで結構。私たちはすぐにここから去りましょう。ああ、先程から応援を呼ぼうとしているようですが無駄ですよ。この辺り一帯に連絡を遮断する結界を既に張ってありますからね」
「・・・・・・バレてたか」
レゼルニウスは冥界の神の力で発信していた、目には見えぬ力の波動のようなものを停止させた。道理で誰もこの場に駆け付けないわけだ。
「・・・・・・なら、話を聞こう。死ぬほど嫌だけどね」
「ははっ、死んでいる神が言える言葉ですかねそれ。面白いジョークだ」
レゼルニウスはせめて何か情報を得ようとそう言った。フェルフィズはレゼルニウスの神経を逆撫でするような言葉を放ち、笑った。
「で、今度こそ本題、私たちの目的ですが、まあ私たちも仲間が欲しいと思いましてね。それで、あなたに私たちの仲間になってもらえないか。ええ、そう思ったわけですよ」
「・・・・・・・・・・・・は?」
唐突にフェルフィズが明かした目的。それを聞いたレゼルニウスは、思わずポカンとした顔を浮かべた。
「何を・・・・・・何を言っているんだ?」
「? 別に言葉通りの意味ですよ」
訳がわからないといった様子でレゼルニウスが問い返す。フェルフィズは軽く首を傾げながらも、そう答えた。
「違う。言葉の意味は分かっている! どういうつもりだと僕は聞いているんだ! 僕があなたの仲間になる? あるわけがないだろうそんな事は! あなたは僕を殺すように仕向け、僕の妹に深い悲しみと絶望を与えた者だ! そして、それだけでは飽き足らず現世を破壊しようとしている! 僕はあなたを許さない! あなたは邪悪だ。邪悪そのものだ!」
レゼルニウスは声を荒げ自身の本音をぶちまけた。今までなんとか感情を抑えてはいたが、レゼルニウスはレイゼロールを絶望に突き落としたフェルフィズを激しく憎んでいた。その憎しみが、今のフェルフィズの言葉で表層に露われた。
「邪悪そのものですか。中々な評価ですね。まあ、あなたが素直に頷かないのは分かっていました。なので、私から1つ提案をしましょう。レゼルニウス、あなたが私たちの仲間になってくれるのなら・・・・・・あなたの妹に会わせてあげましょう」
「っ・・・・・・!?」
その提案にレゼルニウスの顔色が明確に変わる。その言葉は激しくレゼルニウスの内に響いた。
「どういう・・・・・・ことだ。会えるわけがない。僕は今や冥界の神。現世にはどうやっても干渉できない。それが
レゼルニウスがそう声を絞り出す。フェルフィズは肯定するように首を縦に振った。
「そうですね。あなたの言う通り、冥界に属するモノは現世には干渉できない。・・・・・・ですが、その程度の理ならば、いくらでも殺す解釈はあります。イズ」
「はい」
フェルフィズに促されたイズが異空間からある物を取り出す。それは刃までも黒い大鎌だった。刃の根本辺りの部分には装飾された赤黒い宝石が埋め込まれている。フェルフィズの大鎌。イズの本体だ。
「私の最高傑作には目には見えないモノも殺す力がありましてね。その力を使えば・・・・・・」
「っ・・・・・・僕が現世に干渉できるというわけか」
「ええ、その通りです」
レゼルニウスの指摘にフェルフィズが頷く。フェルフィズは続けてこう言った。
「どうですか? 私に協力していただければ、あなたが愛する妹に会う事ができます。言葉を交わす事ができます。感動の再会を果たせます」
フェルフィズはニタニタと蛇のような笑みを浮かべると、そこで1度言葉を切った。
「ああ、私の仲間になるといってもドライで契約的なものですよ。あなたにやってもらいたい事は足止めだけです。もちろん、その足止めをしている者たちは殺さなくてもいい。あなたに求めるのは、そこに加えて私たちの邪魔をしないという事だけです。悪い話ではないと思いますがどうでしょう?」
「・・・・・・」
加えられたその言葉も聞いて、レゼルニウスは少しの間押し黙った。フェルフィズの提案は正直、レゼルニウスからすれば魅力的なものだった。
「もちろん、それを保障するためにしっかりとした契約も結びましょう。神と神による契約です。破ればどうなるかはあなたもご存知でしょう」
「・・・・・・契約を破った神は虚無の闇辺に引き摺り込まれる」
レゼルニウスがポツリとそう呟く。神と神との契約は絶対に破れぬ誓い。違えた者は存在すら許されぬ闇に呑まれるのだ。
「ええ。さて、ではあなたの答えを聞かせていただきましょうか。冥界の神レゼルニウス」
「・・・・・・」
全ての説明を終えたフェルフィズがレゼルニウスに答えを促す。イズもジッとレゼルニウスを見つめてきた。
「・・・・・・流石は噂に聞く最悪の神だね。正直、あなたの提案は全てを差し置いてでも、飛びつきたくなるほどに魅力的だ。僕はあの子に、僕の妹に会えるなら何だってできる」
レゼルニウスは嘘をつく事なく自分の心の内を吐露した。レイゼロール。ただ1人の自分の家族。孤独な道を歩むしかなった闇の女神。自分が死してから、何度レイゼロールに声を掛けたいと思ったことか。レゼルニウスは心の底からレイゼロールを愛していた。
「素晴らしい兄妹愛だ。では、私はあなたの愛を助けましょう。話は決まり――」
「だが、僕があの子の邪魔になる事を僕は許せない。僕の欲望だけであの子や彼に迷惑をかける事は出来ないんだよ。そんな事をすれば、僕はあの子の兄を名乗れない。兄失格だ。だから、丁重にお断りさせてもらうよ」
フェルフィズの言葉を遮り、レゼルニウスは真っ直ぐにそのアイスブルーの瞳でフェルフィズを見つめた。フェルフィズは断られるとは思っていなかったのか、少し驚いたように薄い灰色の瞳を見開いた。
「おや、断りますか・・・・・・意外ですね。あなたはこれでギリギリ釣れると思ったのですが。いやはや、さすが冥界を統べる神。ご立派だ」
「世辞はいいよ忌神。さて、断られた僕はその大鎌で殺されるのかな?」
「既に死んでいる者は殺せませんよ。あなただって分かっているでしょう。見た目のわりに案外に嫌味な神ですね」
「あなたにだけは言われたくないよ」
レゼルニウスは美しい顔を不機嫌に歪めた。見た目だけなら、フェルフィズとて柔和な見た目をしている。内に秘めたドス黒い邪悪さと見た目のギャップは一種の詐欺だ。
「言われてしまいましたね。しかし、残念です。素敵な仲間が増えると思ったのですがね。振られてしまったものは仕方がない。では、私たちはこれで失礼します」
フェルフィズは興味を失ったかのように、レゼルニウスにくるりと背を向けた。イズもそれに倣う。
「そう簡単に逃がすと思うかい?」
「あなたでは私たちを止められませんよ。殺せないというだけで、あなたをどうにかする方法なんていくらでもあります」
背を向けたままフェルフィズがそう言った。その言葉は嘘でもハッタリでもなく、純然たる事実であった。レゼルニウスもその事は理解していた。特にイズ。なにせ、あの影人が止めきれなかった相手だ。レゼルニウスは影人たちの作戦会議を冥界から見聞きしていた。ゆえに、どれだけイズが恐ろしい存在なのかは分かっているつもりだ。そのため、レゼルニウスはそれ以上は何も言わなかった。
「ああ、この事はもちろん誰かに報告してもらって大丈夫ですよ。別に不利になるような事ではありませんし。・・・・・・そうだ。あなた、影人くんに会えますか?」
「影人くん・・・・・・? なぜ、そこで彼の名前が出てくるんだ?」
「なに、せっかくだから彼にこの事を伝えてもらいたいと思いましてね。もし彼に会えるなら、詳細に伝えてください。私にどのような条件で勧誘されたのかを。そうすれば・・・・・・もしかすると、あなたの答えが変わっているかもしれませんからね。後日にもう1度だけ答えを聞きに来ます。それでは」
意味深に笑ったフェルフィズとイズの姿がスッと陽炎のように消える。後に残されたレゼルニウスは、その顔を深い疑問の色に染めながら、
「いったい・・・・・・どういう意味だ?」
そう呟いた。
――それから数日後。フェルフィズとイズは行動を起こした。その際、冥界にレゼルニウスの姿は――なかった。
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