第393話 明夜と影人

「・・・・・・で、どうしてこんな事になってんだ」

 陽華と鯛焼きを食べ歩いた翌日の夜。学校近くの公園で影人はそうぼやいた。その呟き対し、影人の前にいた少女――月下明夜はこう言葉を返した。

「あら、陽華とデートをして私とはしないなんて不公平でしょ? それとも、私と月夜の下のデートじゃ不満かしら」

「不公平も不満も知らねえよ。あと、朝宮とのあれはデートなんてものじゃない。昼も言っただろ。ただ、無理やり買い食いに付き合わされただけだ」

「世間ではそれをデートと呼ぶのよ」

 明夜は分かってないわねといった様子で首を横に振った。影人は心の中で「呼ばねえよ」と言葉を返しつつも、なぜこのような状況になっているかを思い出した。











「――親友から話は聞かせてもらったわ。へい、そこの前髪ボーイ。ちょっと私と話をしましょう」

 昼休み。影人が鞄から弁当を取り出して、さあ今から食べようとした時、どこからかそんな声が聞こえてきた。

「・・・・・・は?」

 前髪ボーイという言葉に反応した影人が声の聞こえてきた方に顔を向ける。すると、教室後方の引き戸の所に見知った少女の姿が見えた。一見するとロングヘアーのクールビューティー。だが影人は、いやこの風洛高校にいる者は、彼女がポンコツで激しいギャップを有した少女だと知っている。風洛高校名物コンビの片割れ、月下明夜がそこにはいた。

「つ、月下先輩?」

「何で2年のクラスに・・・・・・」

「というか、前髪ボーイって・・・・・・」

 前髪という言葉から、クラスメイトの視線が自然と影人に集まって来る。隣の海公や少し離れた所にいる魅恋も影人を見つめて来る。マズい。注目を集めるだけでも嫌なのに、このままでは留年生だという事が海公以外の者にバレてしまうかもしれない。影人はバッと席から立ち上がると、明夜の方に向かい作り笑顔を浮かべた。

「な、何か用ですかね? 月下先輩」

「え? ど、どうしたの帰城くん。何か変な物でも食べた? 悪いけど、凄く気持ち悪いんだけど・・・・・・」

「とにかく話があるなら外で聞きますので・・・・!」

 軽く引いた様子の明夜を影人は無理やり廊下に連れ出した。教室の近くだと意味がないので、明夜の手を引いて廊下端の空き教室に向かう。空き教室に入った影人はピシャリと戸を閉めた。

「手を引いて空き教室に・・・・・・帰城くんって意外と大胆なのね」

 明夜はキャッと両手で自分の頬に触れた。影人はギロリと前髪の下の両目で明夜を睨みつけた。

「そのわざとらしい芝居を今すぐやめろ月下。てめえ、いきなり何の用だ? 俺の平穏な学校生活を妨害しやがって・・・・・・」

「さっきとキャラが違い過ぎて風邪引くわよ帰城くん。というか、私はただ教室に友達を呼びに行っただけで妨害は何もしてないわよ」

「誰が友達だ。・・・・・・で、用はなんだよ」

 影人が改めて明夜に用件を聞く。すると、明夜はなぜか腕を組んでドヤ顔を浮かべた。

「ふふん、ならば聞かせてしんぜましょう。この私の用件を」

「何でそこでドヤ顔なんだよ。お前相変わらずバカだな」

「バカ!? 誰がバカですって! 急に酷いわよ帰城くん!」

「うるせえよ。事実を言っただけだ。さっさと用を言え。俺も腹減ってるんだよ」

 面倒くさそうにそう言った影人に、明夜は「確かに私もお昼ご飯まだだからお腹が減ってるわね」と同意を示し、影人にこう言った。

「陽華から聞いたわよ。昨日デートしたみたいじゃない。陽華がそれはそれは気分が良さそうに話してたわ。私ずっと陽華と一緒にいるけど、あんな陽華は、この間のパーティーで高級バイキングをたらふく食べていた時以来見た事ないわ」

「ついこの間じゃねえか。あと、あれはデートなんてものじゃない。ただあいつに捕まっただけだ」

「女子というものを分かってないわね帰城くん。陽華からすれば、それは完全にデートなのよ。それで、私の用事だけれど・・・・・・帰城くん、今日の夜に私に付き合いなさい」

「は・・・・・・?」

 ピシリと右の人差し指を明夜は影人に向けて来た。影人は意味が分からないといった顔でそう声を漏らした。

「私とだけ語らい・・・・・・もといデートしないなんて不公平よ。というわけで、いいでしょ?」

「何もよくねえよ・・・・・・というか、何で夜なんだよ」

「私の名前は月下明夜よ。帰城くんと語らうなら夜の方が相応しいでしょう」

 サッと髪を揺らしながら明夜がその理由を口にする。なるほど、それは確かに。と、厨二病な影人は思った。

「・・・・・・普通に嫌だ。断る」

 だが、影人はすぐさま明夜の誘いを却下した。

「はあー、予想はしてたけど・・・・・・やっぱり帰城くんは帰城くんね。普通、ここで女からの誘いを断るかしら」

「普通だとかそんなものは知らん。ただ、俺ははっきり嫌な事は嫌だと言える人間なだけだ」

 呆れてため息を吐く明夜に影人はそう言うと、明夜に背を向けた。

「話はこれで終わりだ。じゃあな、2度と俺の教室には来るなよ」

 影人が空き教室の戸を開けて出て行こうとする。しかし、明夜は「あら、いいのかしら」とフッと笑い影人にこんな事を言った。

「帰城くんが留年してるってことをクラスメイト達は知っているの? もし知らないなら、私うっかり口を滑らせてしまうかもしれないわね」

「っ、てめえ・・・・・・俺を脅す気か」

 影人が忌々しげに振り返る。明夜は呆れたように残念そうに軽く息を吐いた。

「帰城くんが素直に分かったって言ってくれたら、こんな事を言わずに済んだのよ。帰城くんって本当、全然距離を縮ませてくれないもの。普通、もう少し素直になってくれてもいいはずなのにね」

「言っただろ。馴れ合うつもりはないって。それが俺のスタンスだ」

 それだけは譲るつもりはないと影人は暗にそう言った。確かに、普通の漫画やアニメならば影人の「敵対したりしたけど実は味方だった」的なキャラは陽華や明夜といったヒロインたちと仲良くなりがちだ。しかし、そこは前髪野郎である。前髪はそういう事が嫌いであった。

「だからこういう方法しか取れないのよ。それで、どうするの。バラしてもいいのかしら?」

「・・・・・・ちっ、分かったよ。脅されて、仕方なくお前に付き合ってやる。ただし、覚えとけよ月下。俺を脅した罪は重いぜ」

「三下みたいな捨て台詞をありがとう。不思議と帰城くんに似合ってるわよ」

 明夜はクスリと笑ってみせた。その余裕に影人は妙にイラッと来た。

「じゃあ、夜の8時に正門前に集合ね。そこからデートと行きましょう。逃げないでよ。逃げたら帰城くんが留年してる事をクラスメイトにバラして、香乃宮くんに帰城くんが今度遊ぼうぜって言ってたって言うから。香乃宮くん、きっとウキウキで帰城くんに突撃するわよ」

「ふざけんな月下てめえ! 最悪な罰を足すんじゃねえ!」

「最悪って・・・・・・言ったのは私だけど、流石に香乃宮くんが気の毒に思えてくるわね。まあいいわ。それじゃあね帰城くん。また夜に会いましょう」

 明夜はフッと笑い影人に手を振ると空き教室から出て行った。明夜に手玉に取られたと感じた影人は「ちっ」と再び舌打ちをした。

 ――こうして、明夜と影人の月夜での約束は結ばれた。












「・・・・・・お前、災害みたいな女だな」

 昼間の記憶から現実世界に戻った影人が、呆れと疲れと少しの怒りが混じったような声音でそう呟く。急にそんな事を言われた明夜はムッ眉を寄せた。

「ちょっと帰城くん。それどういう意味? 確かに私は時には起こせよムー◯メントみたいな女だけど、災害ではないわよ」

「お前はいったいどんな女なんだよ。相変わらず意味が分からねえな・・・・・・」

 予想の斜め更に斜め上の言葉を述べた明夜に、影人は呆れ100パーセントの突っ込みを入れた。さすが風洛が誇るポンコツ少女である。

「で、わざわざ公園に来たけど何をするんだよ。言っとくがお前と2人で遊具で遊ぶとかは無理だからな。普通に嫌だし面倒くさいし」

「子供心は大事よ帰城くん。でも、安心して。今日はそういうのじゃないから。今日はあなたに渡したい物があってここに来たのよ」

「渡したい物? 何だよ」

 影人が訝しげな表情になる。すると、明夜は持っていた鞄を影人の方に突き出してドヤ顔を浮かべた。

「すぐに分かるわ。私の得意技を見せてあげる」









 明夜と影人は公園のベンチへと移動した。ベンチと言っても正方形のかなり広いものだ。明夜はそこに鞄を置くとゴムで長い髪を1つに纏めた。そして、鞄を開けてそこから色々と物を取り出した。

「っ・・・・・・? 習字セットか?」

 明夜が取り出した物は筆に墨汁に硯などといった物だった。明夜は手慣れた様子でそれらの用意をしながら、影人にこう言葉を返した。

「まあそうね。でも、私は書道部だから習字セットと呼ばれると違うと言いたいわね」

「? 習字と書道って何か違いがあるのか?」

「全然違うわよ。習字は文字通り字を習う事。つまり習い事ね。対して、書道は字で自分を表現する事。要は芸術よ」

「へえ、それは知らなかったな」

 影人は軽く驚いた。習字と書道の違いはもちろんだが、明夜がそんな事を知っているとは。明夜は影人が二重の意味で驚いている事など露知らず、毛氈もうせんと呼ばれる黒い敷物を下敷きにし、その上に和紙を置いた。

「案外に知らない人多いのよね。私も書道部に入るまでは知らなかったわ」

「・・・・・・そう言えば、お前何で書道部に入ったんだ?」

 素朴な疑問を影人は明夜にぶつけた。今まで特に気にしてこなかったが、あの月下明夜が書道部というのは中々のギャップだ。いや、見た目だけなら明夜のクールさと凄く合っているのだが、中身が少々というか大分とアレな明夜を知っている者からすれば、それはギャップ以外の何者でもなかった。

「ふふっ、初めてかもしれないわね。帰城くんが私に興味を持ってくれたのは。ちょっとくすぐったいようでいい気分だわ」

 明夜が彼女にしては珍しい大きな笑みを浮かべる。月に映える明夜のその笑みはとても、とても美しかった。そう思ってしまった影人は、ふてくされたように明夜から顔を背けた。

「・・・・・・別にそんなんじゃねえよ。ただ、ポンコツと書道が結び付かなかっただけだ」

「何よそれ!? 全く、帰城くんにはデリカシーってものがないわね。失礼しちゃうわ」

 明夜が怒ったようにツンとした態度になる。だが、明夜はパチリと片目を瞑りもう片方の目で影人を見つめ、こう言葉を切り出した。

「・・・・・・私が書道部に入ったのに深い理由はないわ。ただ1年生の時に適当に色んな部活の体験をして、書道部で字を書いた時に感動したからよ。ああ、私でもこんな字が書けるんだって。先生や先輩のアドバイスをもらいながらではあったけど・・・・・・私は私の字に確かに心動かされたのよ」

「・・・・・・そうか。それはいい経験をしたな」

 影人は素直にそんな感想を漏らす。自分で自分の何かに感動出来る。それは貴重な経験だ。少なくとも影人にはない。だが、影人の感想を聞いた明夜は眉を寄せた。

「え、何で急にそんなこと言うの。温度差で恐竜が絶滅するわよ」

「誰が隕石だ。で、お前今から字を書くつもりか。何で急にそんな事するんだ?」 

 話が見えないといった様子で影人はそう質問した。全ての準備を終えた明夜はパチリと片目を瞑る。先ほどとは違い、それは間違いなくウインクだった。

「言ったでしょ。渡したい物があるって。まあ、ちょっと見てて」

 明夜は右手で筆を持つと、それをスッと硯に出した墨汁に浸した。

「ふぅー・・・・・・」

 明夜は吸った息を弓を引き絞るように細く長く吐き出した。風が木を揺らす音だけが公園内に響く。一呼吸置いた明夜は、次の瞬間に顔を真剣なものに変えると紙に筆を置き、それを奔らせた。

「っ・・・・・・」

 普段は見ない明夜の姿。それは戦っている時と同じくらい真剣で、そして凛々しかった。月の下、その名を持つ少女が筆を振るっている姿は、素直に格好がよかった。

「よし・・・・・・出来たわ」

 顔を上げた明夜は満足そうな顔だった。額を軽く左腕で擦った明夜は、右手で握っていた筆を硯に置いた。

「これは・・・・・・影と・・・・光か?」

 明夜が書いた字を見た影人がそう予想する。紙の上部には影、下部には光と思われる漢字がある。一筆書きをするように、影の字と光が一部繋がっていた。明夜は書道部だけあって字が達筆だった。だが、達筆過ぎて逆に読む事が難しい。ゆえに、影人は確信は持てなかった。

「そうよ。我ながら会心の出来だわ。帰城くん、これをあなたにあげるわ」

「俺に?」

「ええ。この字には私の、いや私と陽華の想いを込めたわ。だから、あなたに受け取ってほしいのよ」

 明夜はそっと紙を取りそれを影人の方に向けた。影人は反射的に紙を受け取ると、改めて明夜の書いた字を見つめた。

「・・・・・・何で影が上で光が下なんだ。普通、位置的には逆だろう。それに、なんで影と光の一部が繋がってるんだ?」

「流石スプリガンの観察眼ね。気づいて欲しいところに気づいてくれるわ」

「世辞はいい」

「世辞じゃないんだけどね・・・・・・確かに、帰城くんが言うように光が上で影が下の方が自然よ。影は光がないと存在できないから。逆に光があれば影も必ずある・・・・・・でも、そこに上下の関係なんてない。私はそれを伝えたかったの。影が上で光が下で、光が上で影が下でもどっちでもいい。光と影は対等よ。そして、そこには確かな絆があって共に戦う事が出来る。影と光が繋がっているのはそういう意味よ」

「・・・・・・そうか」

 明夜の説明を聞いた影人はただ一言そう言葉を漏らした。先ほど明夜は言った。この字には自分と陽華の想いを込めたと。つまり――

(この影が俺で、光が月下と朝宮って事か・・・・・・)

 そういう事だろう。陽華とアプローチは違うが、よくもまあこれだけ真っ直ぐな思いを人にぶつけられるものだ。逆にこちらが恥ずかしくなってくる。だが、そんな彼女たちだからこそ自分は――

「・・・・・・仕方ねえな。受け取ってやるよ」

「ありがとう。嬉しいわ」

 フッと口元を緩めた影人を見て明夜も小さく笑う。

「そうだ。あと、もう1つお礼があるわ。帰城くん、イズを救う事に賛成してくれたんですってね。それもありがとう。帰城くんが賛成してくれたなら、もう何も怖くはないわ」

「・・・・・・礼を言われるような事じゃない。俺はそうした方がいいと思ったからその意見にしただけだ」

 陽華から聞いたのだろう。明夜がそんな事を言ってくる。影人は軽くかぶりを振った。

「だから信じられるのよ。何よりも、みんなを助けてきてくれた帰城くんが決めた意見だから」

「はっ・・・・・・買い被り過ぎだ」

 明夜が全幅の信頼を寄せる笑みを浮かべ、影人は軽く顔を背ける。それは気恥ずかしさからか。

 小さな風が吹きザアッと木の葉が音を奏でる。優しい月明かりに照らされて、影人と明夜はしばらくの間、自然を感じていた。

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