第391話 語らい(3)
「・・・・・・」
「・・・・・・」
夕暮れに染まる自動販売機の前。影人は無言で商品を見つめていた。そして、そんな影人をイズはジッと見つめていた。
(何がどうなってこんな状況になったんだ・・・・・・)
イズの視線を感じながら、影人は内心で重たそうにそう呟いた。忌神・狂神と呼ばれる者から急に千円を渡され好きな飲み物を買って来いと言われ、そのお目付け役に魔機神の器に宿った武器の意思が着いてくる。思い返してみても意味不明だった。
「・・・・・・はあー、緊張すりゃいいのか呆れりゃいいのか」
「・・・・・・帰城影人。早く自動販売機で飲み物を買ってください」
影人が思わず頭を掻くと、イズがそんな言葉を発した。
「へいへい分かったよ。分かったから急かすな」
影人は自動販売機に千円札を入れた。全ての飲み物のボタンに緑の光が灯る。さてどれにするか。影人は少しの間前髪の下の目で商品を見回すと、やがてアップルジュースのボタンを押した。ガシャンと音がしてペットボトルが、ジャラジャラと音がしてお釣りの硬貨が出て来た。影人はしゃがんでそれらを回収した。
「購入しましたか。製作者の元に戻ります。先に歩いてください。その後に私が続きます」
「製作者ね・・・・・・確かに、お前にしてみればあのクソ野郎は親みたいなものか。ふん。お前も大変だな。あんな奴が親ってのは」
『どの口が言ってるんだよ』
挑発するように馬鹿にするように影人は鼻を鳴らした。瞬間、なぜかイヴにそう突っ込まれたが、影人はイヴがそう言った理由も分からなかったので、それを無視した。
「親・・・・・・その表現が適切だとは思えません。私は武器に宿った意思。被創造物です。従って製作者、創造主などといった言葉が適切だと考えます」
「面倒くさい考え方してんな。親ってのは生物にだけ使う概念じゃねえだろ。それともあれか。照れてんのか?」
「・・・・・・私に照れるなどという感情はありません」
イズは少しだけ間を置いてそう言った。その間にどうにも逡巡のようなものを感じ取りながらも、影人は「そうかよ」と呟いた。
「なあ、1つ聞かせろよ。お前、何で俺の居場所が分かったんだ? フェルフィズの奴はさっきお前が関係してるって言ってたが」
「その質問に答える理由も意味もありません」
「まあそう素直には教えてくれねえか。なら、質問を変えるぜ」
「・・・・・・そもそも、なぜ私があなたの質問に答えなければならない状況になっているのですか」
「知るか。ノリだろ。会話ってのは最終的によく分からんところに発展するものなんだよ」
納得がいかないといった感じでイズは首を傾げる。影人はイズに自分なりの答えを返すと、こんな質問をイズに投げかけた。
「お前は何で戦う? 何でフェルフィズの味方をする? お前が向こう側の世界まで巻き込んで、この世界を滅ぼそうとする理由は何だ。そこに確固たる意志はあるのか?」
「・・・・・・質問の意図が理解できません。どういう意味ですか?」
「どういう意味も何もそのままの意味だ。お前の行動原理を聞いてんだよ」
「・・・・・・私が言っているのは、なぜそんな質問を私にするのかという意味です」
中心が赤、その周辺が水色というイズの変わった瞳に不可解の色が混じる。影人は一瞬アップルジュースに向けていた目線をイズに戻すと、静かに前髪の下の両目でイズの瞳を見つめ返した。
「・・・・・・変わった奴らがいてな。そいつは、いやそいつらって言った方がしっくり来るな。そいつらは、お前を救いたいんだとよ」
「私を救う・・・・・・?」
イズは一瞬固まった。アオンゼウの器の明晰な思考回路を以てしても、その言葉はあまりにも、あまりにも意味が分からなかった。
「ああ。ちょっとした言葉の綾みたいなもんではあるんだがな。それでも、そいつらの根底にあるのはそういう思いだろうぜ。本当、変わった奴らだよ。それでいて甘い。しかもうるせえし」
自分がずっと影から見守って来た2人の少女のことを思い浮かべた影人は、自然と笑みを浮かべていた。困ったように仕方がないといった風に。
「だが、きっとそれがあいつらの強さなんだ。敵だろうが何だろうが救うって言える。・・・・・・そういう強さを持った奴は少ない。少なくとも俺にはない」
「・・・・・・」
「お前が救うに足る存在なのか。俺はそれが気になるんだよ。そのためには、お前を知る必要がある。俺の意図はそんなところだ」
影人は偽りなくイズに自身の本心を述べた。影人はまだイズを救うべきか、倒すべきか決めかねている。その答えを出すためにも、影人はイズに質問をしたのだ。
「・・・・・・傲慢極まりない考えですね。私は救ってほしいなどと誰にも言っていないし頼んでもいない」
「そこは同意だ。だが、それでもなんだろ。人っていうのはそういう生き物だ」
無表情にそんな言葉を吐いたイズに影人は頷きながらもそんな言葉を送る。イズは少しの間思案するように沈黙していたが、こう言葉を切り出した。
「・・・・・・制作物である私が製作者に従うのは自明の理です。私が戦うのも、製作者の味方をするのも、この世界を滅ぼそうとするのも、全てはその言葉だけで説明できます」
「なるほどな。つまり、意思はあっても意志はないってわけか。まあ、大体予想通りの答えだな。面白くねえとも言うが」
やはり大した理由はないか。少しだけどこか落胆したような気分を抱きながら、影人はそう言葉を放った。この様子では操られているという事もないだろう。操る云々というよりも、イズの中でフェルフィズに従うのは当然の事なのだ。多分、人が空気を吸うように。
「ありがとよ答えてくれて。じゃあ、死ぬほど気は進まねえが戻るか」
イズに軽く感謝の言葉を告げながら、影人はフェルフィズのいる神社に向かって歩き出そうとした。
「・・・・・・あなたも私に感情が、心があると思っているのですか?」
「ん?」
だが、背を向けた影人の後ろからそんな声が飛んで来た。影人が振り返る。
「も? 何だ。誰かにそんな事を言われたのか?」
「はい。製作者が。私には感情があると。感情とは即ち心だと理解しています。製作者は私にこうも言いました。もっと色々な事を体験して感情豊かになってほしい、感想を抱いてもらいたいと」
「へえ・・・・・・あいつがそんなことをね」
影人は意外そうな顔を浮かべた。あの最低最悪の男がそんなことを言ったという事が、影人からしてみれば本当に意外だった。
「・・・・・・お前の製作者がそう言ったんだったらそうなんじゃねえのか。俺もお前には感情があると思うぜ。そして、感情が心だっていうんなら・・・・・・お前には心があるんだろうぜ」
「私に心が・・・・・・」
影人は正直に自分の考えを提示した。昨日、喫茶店で話したように影人はイズに感情があると思っている。影人の答えを聞いたイズは、どこか確かめるようにそう呟く。
「・・・・・・分かりません。製作者もあなたも私には心があると言う。しかし、私は自分の心というものを自覚できない」
「そんなもん俺にも分からねえよ。俺の心が正確にどういうものかなんざ説明できない。ただ、俺は俺だ。心なんざその認識さえあれば十分なんじゃねえのか。知らねえけど」
「私は私・・・・・・よく分かりません」
「そうかよ。・・・・・・なら、別に今はそれでもいいだろ」
影人はイズにそう言うと再び背を向けた。神社に向かって歩き始めた影人の後を、イズは油断なく着いていく。だが、その意識とは別に、
(心・・・・・・私の心とはいったい・・・・・・)
イズはそんなことを考えていた。
「随分と長かったですね。何かありましたか?」
神社に戻るとグラスを弄んでいたフェルフィズがそんなことを聞いて来た。
「別に。ただ、お前のところのチート兵器とちょっと話してただけだ」
「ほう、イズとですか。いったいどんな話をしていたんですか?」
フェルフィズが興味深いといった様子になる。影人はベンチに腰を下ろし、アップルジュースの蓋を開けると一口それを飲んだ。
「・・・・・・大した話じゃねえよ。感情だとか心だとかの抽象的な話をしてただけだ」
「感情に心・・・・・・それはいい話題ですね。君はどんなことをイズに言ったのですか?」
「どうでもいいだろそんな事は」
フェルフィズは興味を抱いたようにその薄い灰色の目を影人に向けた。一々説明するのが面倒になり、また説明する義理もないと思った影人はそう吐き捨てた。
「いえいえ、非常に興味深い話だ。ちょうど昨日イズと同じ話題を話していましてね。イズ、影人くんはあなたに何と言ったのですか?」
「・・・・・・私には感情や心があるだろうと。そう言いました」
イズは素直に影人が言った事をフェルフィズに教えた。その言葉を聞いたフェルフィズはどこか嬉しそうな顔を浮かべた。
「ほう! なるほどなるほど。いや実に、実にいいことを言いますね影人くん。やはり君は本来は中々に鋭いようだ。その通り。イズは無機質な物に宿った意思ですが、その意思は決して無機質なものではないのですよ。ちゃんと分かってくれているようで何よりです」
「けっ、何で嬉しそうなんだよ。気色悪い。死ねよ」
「自分の作品が正しく理解されるのは嬉しい事ですからね。いやあ、気分がいいですね」
フェルフィズはニコニコと笑みを浮かべ、ワインのボトルを開けた。そして、それをグラスに注ぐ。少しの間グラスに注がれたワインを揺らし、フェルフィズはワインを口に含んだ。
「うん、美味しいですね。気分がいいから余計に美味しく感じる。ははっ、影人くん。今なら1つだけどんな質問にも答えてあげますよ」
「っ・・・・・・」
上機嫌そのものといった感じでフェルフィズは再びワインを口に運ぶ。思いがけない言葉に影人は少しだけ目を見開く。
「・・・・・・その言葉、今更冗談とか言うなよ」
「言いませんよ。私は欺くのは得意ですが、こういう場面で嘘はつかない。嘘つきには嘘つきの美学がありますから」
「ふん、この世の中で1番信じられねえ美学だな」
影人はフェルフィズにどのような質問をぶつけるべきかを考える。これは1つのチャンスだ。上手くいけば影人は情報を手に入れる事が出来る。もちろん、フェルフィズの今の言葉自体が嘘で、答えも嘘の場合もあり得る。その時は嘘の答えに踊らされるというデメリットもあるが、それでもだ。影人は頭の中に無数にあるフェルフィズに聞きたい事を何とか絞っていた。
「・・・・・・なら、お前たちが今から具体的に何をしようとしているのか教えろ」
考えた末に影人はそんな質問をした。フェルフィズが何をするのかが分かれば対策も取れる。それは影人たちが今最も知りたい情報だった。
「何をしようとしているのか、ですか。そうですねえ・・・・・・別にやること自体は変わりませんよ。向こう側の世界との境界を壊し、この世界に大混乱をもたらす。そして、最終的にはこの世界を滅亡させる。それが私の目的です」
フェルフィズはグラスに入っているワインを何となく見つめた。そして、軽くため息を吐く。
「ですが、具体的な方法は正直なところ、まだ思いついていないんですよ。境界の崩壊は今は完全に止まっている。そこらに奔っている亀裂を見たところ、未知の力が2種類ほど検出できた。それらが作用し合って崩壊を止めているんです。全く、厄介な事をしてくれますよあなた達は」
「褒め言葉だな。で、具体的な方法は思いついてないってのは嘘だろ」
「嘘ではありませんよ。本当です。だからこそ、気分転換の意味も兼ねて、私は君と一杯やろうと思ったのですよ。まあ、君からすればご満足できない答えなのは分かりますから、特別にもう1つだけ質問に答えましょう」
グラスのワインを飲み干したフェルフィズがパチリと片目を瞑る。顔自体はイケメンというか整っているため、その仕草は妙に様になっていた。その事に軽い苛立ちを覚えながらも、影人は次に気になっていた質問を行った。
「・・・・・・何で俺の居場所が分かった。お前はイズが関係してるって言ってたな」
「ああ、その事ですか。いいでしょう。イズ、教えてあげなさい」
フェルフィズがイズにそう促す。製作者たるフェルフィズの命令を受けたイズは「はい」と首を縦に振る。
「帰城影人は4つの災厄を斃しています。その情報は帰城影人という存在に刻まれています。アオンゼウは災厄たちの主。ゆえに、あなたの居場所を感知しようと思えば容易にできるというわけです」
「っ・・・・・・つまり、俺には残滓みたいなものがあるって事かよ」
「端的に言えばそうです」
イズが影人の言葉を肯定する。影人は思わず「ちっ、マジかよ・・・・・・」と舌打ちをした。
(って事は俺の家も知られてるってわけかよ。くそっ、マズいマズいぜ。それはつまり、母さんや穂乃影にも危害が加えられる可能性があるって事だ・・・・・・!)
それは、それだけは何としても阻止しなければならない。フェルフィズの悪知恵が最悪なのは影人もよく知っている。日奈美と穂乃影の事を知れば、フェルフィズは2人を人質として利用するかもしれない。いや、もしかすれば最悪・・・・・・影人は嫌な予想に冷や汗をかいた。
「ああ、安心してください。別に奇襲を仕掛けはしません。そんな結末はつまらないでしょう。私と君の因縁がそんな形で終わるなんて、私は嫌ですからね」
「・・・・・・意外だな。お前がロマンチストだったなんて」
「ロマンチストというわけではないんですがね。ただ、私はあまりにも長く生き過ぎた。だから、面白さと目的を両立したいだけですよ」
フェルフィズは少し遠い目になると、2杯目のワインをグラスに注いだ。そして、それを味わった。
「不死ゆえの退屈感か・・・・・・俺には一生理解出来ない感覚だろうな。まあどうでもいい。信じたくはないが、奇襲はしないって言葉・・・・・・信じるぜ。ちゃんと守れよ。これで今日の夜に奇襲してきたら、お前死んでも殺すからな」
「ははっ、それは怖い。君なら確かにやりそうだ」
フェルフィズは苦笑しワインを飲んだ。影人もアップルジュースで喉を潤す。爽やかな甘さが心地いい。それからしばらくの間、影人もフェルフィズも何も言わずに互いの飲み物を飲んだ。イズは、そんな2人をジッと見つめていた。
「ふむ。そろそろ日も暮れますね。名残惜しいですが、ささやかな宴会はこの辺りにしましょう。付き合っていただきありがとうございます。今日は楽しかったですよ」
2杯目のワインを飲み干したフェルフィズは、ワインのボトルとグラスを鞄に入れると笑みを浮かべた。
「・・・・・・俺は死ぬほどつまらなかったがな」
「まあそう言わずに。お互いに貴重な経験にはなったでしょう。酌み交わす・・・・・・は影人くんがお酒を飲んでいないので適切な表現ではありませんが、敵同士戦わずに話をするというのは中々出来ない事ですからね」
フェルフィズがベンチから立ち上がる。そして、薄く笑った。
「ですが、次に会う時はこうはいきません。私は全力であなたを殺そうとしますし、あなたも全力で私を殺そうとするでしょう。私とあなた、どちらが勝つか・・・・・・次回で決めましょう。では、さようなら影人くん。数奇なる運命を持つ人間よ」
「・・・・・・」
フェルフィズが軽く手を振る。イズは最後に影人を一瞥すると、転移の力を使用した。次の瞬間、フェルフィズとイズの姿が消える。残された影人は、変わらずにベンチに座りながら2人が消えた虚空を見つめた。
「・・・・・・どっちが勝つか、か。ああ、そうだな。フェルフィズ、俺はお前に勝つ。今度の今度こそ決着をつける。だが・・・・・・」
影人はイズの事を思い浮かべた。今日交わした話を。イズの目を。イズの顔を。イズには間違いなく感情が、心がある。自覚出来ぬほど幼く小さくはあるが。影人はそれをイズとの会話の中で感じ取った。
「・・・・・・答えは出た。俺は・・・・・・」
影人は立ち上がると自然とグッと右の拳を握った。
「お前を・・・・・・救う。救ってやるぜ、イズ」
そして、影人は1人そう宣言した。前髪の下の両目に確かな意志を宿して。
――今ここに光と影の答えは一致した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます