第390話 語らい(2)
「眠い・・・・・・つか怠い。加えて授業が全然分からねえ・・・・・・」
放課後。全ての授業を終えた影人は机に突っ伏していた。影人は世界改変の効果でずっとこちらの世界にいる事になっていたが、実際には影人は異世界に行っていた。そのため、出席は問題ないがノートなどを取っていないため、授業が全く分からないという問題を抱えていた。
「だ、大丈夫ですか帰城さん。何だか凄く疲れているみたいですけど・・・・・・」
「ああ、大丈夫だ。ちょっと学生っていう職業の面倒くささを思い出しただけだ。悪いが、今日は疲れたから1人で帰るぜ。すまねえな」
「いえ、僕は全然。分かりました。お気をつけて」
海公は相変わらず男とは思えぬ可愛らしい明るい笑顔で影人にそう言った。影人は立ち上がり海公に軽く手を振ると教室を出た。
ちなみに、海公は守護者ではあるが世界改変の影響を受けていた者の1人だ。世界改変の影響を受けない条件は「スプリガンの正体が帰城影人」だと知っている者と限定されていた。
「おい帰城。少し待て」
「? 何ですか先生」
影人が廊下を歩こうとすると、教室の中から出て来た影人のクラスの担任――榊原紫織に呼び止められた。紫織は気怠げな様子で影人にこう言ってきた。
「お前、ここしばらくずっと小テストは0点で提出物も出していないのはどういうつもりだ? 各教科の担任がカンカンだぞ。授業は出席だけしていればいいってものじゃないんだ。ただでさえお前は・・・・・・分かるな?」
「あー・・・・・・はい。すんません。ちょっとここ最近忙しかったもので。次からはちゃんとやりますんで。はい」
「ならいい。私も面倒な説教なんてしたくはないからな。ちゃんとやれよ。流石にまたお前の面倒を見るのは嫌だからな」
紫織はそう言うと教室の中に戻って行った。影人は軽く右手で頭を抱えた。
「はぁ・・・・・・あー、マジかよ。テスト全部0点で提出物は全部未提出って・・・・・・その辺りの事は考えてなかったぜ。ちくしょう、最悪だ・・・・・・」
新たな絶望を突き付けられた前髪はトボトボと歩き始めた。マズい。非常にマズい。このままではまた留年しかねない。紫織も先ほど言葉を濁していたが、懸念していたのはそういう事だ。次に留年すれば今度こそ終わりである。
「・・・・・・ダメだ。このままだとフェルフィズとの決戦の前に俺の精神が終わりやがる。よし、ここは気分転換に久しぶりにゲーセンにでも行くか」
遊ばないとやってられない。そう思った影人は学校を出て1人ゲームセンターを目指した。
「ふぅ、久しぶりのゲーセンは楽しかったな」
午後6時過ぎ。ゲームセンターを出た影人は帰路についていた。やはり、現代人の影人にとって電子的遊戯は娯楽そのものだ。安心感すら覚える。影人は数時間前の絶望的な気分はどこへやら、すっかり上機嫌になっていた。
『けっ、清々しいまでの現実逃避だな』
「うるせえよイヴ。いいだろ別に。それに娯楽は現実逃避してる時が1番楽しいんだよ」
水を差すイヴに影人はそう言葉を返した。どんな状況だろうと人間は楽しむ事が出来る生き物だ。例え、それが絶望的な状況であったとしても。
影人は近道をしようと人気のない道に入った。この辺りは倉庫や住宅、それに小さな神社がある静かな道だ。影人がそんな道を歩いていると、
「――あの、すみません」
そんな声が後方から聞こえて来た。
「ん?」
影人が反射的に振り返る。すると、そこにはスーツに身を包んだ男性がいた。見たところ、どこにでもいそうな中年のサラリーマンだ。右手には茶色の鞄を提げている。当然ながらというべきか、その男の事を影人は知らなかった。
「あの、俺に何かご用でしょうか?」
「急に呼び止めてしまい申し訳ない。少し道を尋ねたいのですが・・・・・・よろしいでしょうか?」
影人が軽く首を傾げると、男はペコリと頭を下げそう聞いてきた。
「ああ、俺に分かる場所でしたら。と言っても、俺もこの辺りに凄く詳しいってわけじゃないですが」
男の言葉に影人は頷いた。影人は子供ではない。道を尋ねられたからといって、特別警戒する意味も断る意味もないと思った。
「ありがとうございます。いや、助かります。この辺りはあまり人が通らないので、どうしようかと。スマホも機械音痴なものですから全然使えなくて」
「分かります。俺も機械はそれほど得意じゃないですし。それで、どこに行かれたいんですか?」
表情が明るくなった男に影人はそう聞いた。男は「あ、はい。実は・・・・・・」と言って、鞄から1枚の紙を取り出した。その紙には1枚の写真がプリントアウトされていた。
「この神社に行きたいんです。私、出張でこの辺りに来ているんですが、趣味が神社巡りなもので。時間が出来たので、ちょっと行ってみようと思って。この写真は出張前に妻が出力してくれたものなんです」
男が少し恥ずかしそうに笑う。影人が前髪の下の目を男の左手に向けると、そこには確かに薬指に銀色の指輪がキラリと光っていた。
「なるほど。それは素敵なご趣味ですね。この神社なら知ってますよ。すぐ近くです。せっかくなんで案内しますよ」
「え、そんないいんですか? 道さえ教えてもらえれば・・・・・・」
「この神社、ちょっと分かりにくい場所にあるんですよ。教えるより案内した方が早いですから。大丈夫ですよ」
「すみません。ありがとうございます。なら、お願いします」
影人は男性を伴って歩き始めた。いくつか路地を抜け5分ほどした時だった。影人たちは住宅街にある小さな神社に辿り着いた。
「着きましたよ」
「ありがとうございます。本当に助かりました」
「いえ。じゃあ、俺はこれで」
丁寧に一礼してきた男性に影人はそう言うと、この場を去ろうとした。だが、男性は影人を呼び止めた。
「あの、もしよかったら少しお話させていただけませんか? この歳になると、寂しがりになったというか、人肌が恋しくて。10分ほどで構いませんから」
「話・・・・・・ですか? でも、俺なんか若造と話しても何にも楽しくはないと思いますけど・・・・・・」
「そんな事はありませんよ。人と話すのに年齢は関係ありません。私はそう思います」
男は柔和な笑顔で影人を優しく見つめて来た。落ち着きがあって優しい大人だ。影人は素直にそう思った。
「・・・・・・そうですね。分かりました。なら、少しだけお付き合いさせていただきます」
「本当ですか? ああ、重ね重ねありがとうございます。では、あそこにベンチがあるみたいなので、そこで話しましょうか」
男が神社の中を指差す。すると、そこには燻んだ水色のベンチがあった。男と影人は神社に入ると、ベンチに腰掛けた。
「それで、どんな事を・・・・・・」
影人が長い前髪に支配された顔を男に向ける。すると、男は突然笑い出した。
「くくっ、あははははは!」
「っ? ど、どうされたんですか急に・・・・・・?」
哄笑を上げた男に影人がギョッとしたような顔になる。その笑い声は、落ち着きのある大人の男には相応しいものではないように思えた。
「いやなに、普段の君はやっぱりお人好しだなと思いましてね。初めて会った時もそうだった。スプリガンの時はあんなに苛烈で冷酷なのに・・・・・・いやはや、あの時からあなたは変わっていませんね」
「っ・・・・・・お前、まさか・・・・・・」
男の言葉を聞いた影人が信じられないといった顔になる。男が影人を見つめて来る。その目には先ほどまでの穏やかさはなかった。その顔には先ほどまでの落ち着きや思慮深さのようなものはなかった。その目には狂気の色が混じり、その顔には嘲笑が張り付いていた。
「ええ、あなたが今考えているであろう・・・・・・私ですよ」
男はスッと右手を顔に掛けた。すると、男の顔が取れる。取れた顔は次の瞬間にはただの白い仮面に変わる。そして、現れたのは影人がよく知っている顔だった。
「こんにちは、影人くん」
「フェルフィズ・・・・・・!」
そして、影人はその男の名を、倒すべき男の名を憎々しげに呼んだ。
「てめえ、よくものうのうと・・・・・・! 殺される決心でもついたか? なら、すぐに俺が殺してやるよ・・・・・・!」
『ははっ、マジかよ!』
影人は反射的にベンチから立ち上がりフェルフィズを睨みつけた。イヴも思わずといった様子でそんな声を上げる。影人は『終焉』の闇を解放しようとした。だが、その前に影人の首元にピタリと冷たい刃が触れた。
「製作者への攻撃は看過できません。何か行動すればあなたの首を刎ねます」
「っ!?」
影人が突然後ろから聞こえた声に驚く。影人がゆっくりと首を動かすと、至近距離にイズの顔が見えた。いつの間にか、イズは現れ影人の命を握っていた。
「まあ気持ちは分かりますが、落ち着いてくださいよ影人くん。せっかくこんな面倒な茶番まで仕込んだんです。ほら、どうぞ掛けてください」
「・・・・・・それは命令か?」
「お願いですよ。まあ、受け取り方は影人くんに任せますが」
影人が低い声でそう問う。フェルフィズはスーツの首元を緩めながら薄い笑みを浮かべた。
「・・・・・・ちっ」
影人は舌打ちをするとドカリと再びベンチに腰を下ろした。イズは少し離れた所から、監視するようにジッと影人を見つめていた。まるで、いつでも影人を殺せるかのように。
「ああ、よかった。思いの外冷静で助かります」
「御託はいい。さっさと話せ。俺に何の用だ?」
わざとらしく息を吐くフェルフィズに、影人は不機嫌丸出しの声でそう返す。
(状況は最悪だ。だが、取り敢えずシトュウさんやソレイユに伝えねえと)
影人はまずは内心でソレイユに呼びかけた。だが、どういうわけかソレイユは反応しなかった。
(っ? ならシトュウさんに・・・・・・)
影人がシトュウに念話を行う。しかし、シトュウもなぜか反応を返してこなかった。影人は思わず不可解といった表情を浮かべた。
「何かしようとしているようですが無駄ですよ。あなたが私と出会った瞬間から、この周辺には人払いの結界と、通信を無効化する結界を展開していますから」
「・・・・・・厄介なもの張りやがって」
影人がそう吐き捨てる。念話が出来ないのは、念話が通信手段と結界に認識されているためだろう。助けを求める事はできない。フェルフィズの周到な罠に、影人はまんまと嵌ってしまったのだ。
「こうでもしないと、あなたと2人きりでゆっくり話せませんからね。まあ許してくださいよ」
「何が話だ。俺はお前と話す事なんざ何もねえよ。早く死ね」
影人は不愉快極まりないといった様子でフェルフィズから顔を背けた。
「つれませんねえ。そして、随分と嫌われたものだ。まあ気持ちは分からなくもないですが」
「分からなくもないじゃねえんだよ。ちゃんと分かれ。そして死ね」
「死ね死ねと酷いですね。泣きそうです。まあ、これでも飲んで機嫌を直してくださいよ」
フェルフィズは芝居がかった様子でそう言うと、持っていた鞄の中から赤紫の液体の入ったボトルを取り出した。
「・・・・・・何だそれは?」
「ワインですよ。大体100年くらい寝かせてあります。美味しいですよ。ああ、グラスもちゃんと持って来ていますのでご安心を」
訝しむ影人にフェルフィズはニコリと笑った。そして、鞄から薄い紙に包まれていたガラスのグラスを2つ取り出した。
「は・・・・・・? どう見ても毒入りだろそれ。誰が飲むかよ」
「毒なんて入ってませんよ。証明のために毒味でもしましょうか?」
「お前が毒味をして信用できると思うか?」
「全く疑り深い。なら、こう言いましょうか。私はいつでもあなたを殺す事が出来た。だが、あなたを殺さず現在の状況をわざわざ作った。ここまで言えば、このワインに毒が入っていなくとも信用できるでしょう」
「っ・・・・・・」
少し冷めた口調でフェルフィズはそう言った。その言葉を聞いた影人が思わず苦い顔を浮かべた。
(そうだ。こいつはいつでも俺を殺す事が出来た。俺は油断しきっていた。多分だが、イズの奴も俺に気づかれないようにずっと近くにいたはずだ。どうやってこいつが俺の居場所を知ったのかは知らないが・・・・・・こいつの言葉は間違いなく事実だ)
影人の理性がそう告げる。影人は改めてフェルフィズに生殺与奪の権利を握られているという事実に苛立ちと焦りを覚えた。
「ちっ・・・・・・確かにそのワインに毒は入ってねえみたいだな。だが、どっちにしろ俺は飲まねえぞ。酒を飲める年齢じゃないしな」
「はあ? たかだか2、3歳の差でしょう。そんなもの誤差ですよ誤差。それに、昔の人間はもっと若い時から酒を飲んでいましたよ」
「知るか。昔は昔。今は今だ。とにかく酒は飲まねえよ」
呆れたような顔になったフェルフィズに影人は改めてそう言った。影人の頑なな態度にフェルフィズは諦めたようにため息を吐いた。
「はあー、現代の若者は変に真面目というか嘆かわしいというか。残念ですね。私は君と一杯飲む事を楽しみにしていたんですが」
「ふん、俺は遵法意識が高いんだよ。あと、笑えない冗談は止めろ」
「冗談ではないですよ。それと、君の遵法意識が高いというのは嘘でしょう。私の家を壊したのは普通に犯罪ですよ」
「はっ、根に持ってるのか? 俺を殺そうとした奴の家壊して何が悪いんだよ」
「それは悪人なら何をしてもいいと言ってるようなものですよ。法とは誰にも平等なものだ。聖者だろうが悪人だろうがね。遵法意識が高いなら、それくらいは理解しなければ恥ずかしいですよ」
「うるせえよ。お前人間じゃないだろ。人間じゃない奴が語っても説得力ねえぞ」
「おや、これは1本取られましたね。確かに、神たる私は法の範囲外だ」
フェルフィズは楽しそうに笑った。その笑顔を見た影人は更に不愉快な気持ちになった。フェルフィズの楽しげな笑顔など気持ち悪さしかない。
「・・・・・・何が目的でこんな状況を作った? 何で俺の居場所が分かった? 何で俺を殺さなかった?」
影人が核心を突いた質問をぶつける。フェルフィズは片手で空のグラスを弄ぶ。
「言ったでしょう。君と一杯飲みたかったからですよ。覚えていますか? 過去に私が君を刺した時に言った言葉を。私は君にこう言いました。もし君が生きて私と会うような事があれば、乾杯でもして語らおうと。昨日急にその事を思い出しましてね。せっかくだから実行しようと。この状況を作った理由と君を殺さなかった理由はそういう事です。なぜ居場所が分かったのかという理由については・・・・・・まあ、イズが関わっているとだけ言っておきましょうか」
「っ・・・・・・」
影人は無意識にフェルフィズに刺された箇所に手をやりながら、あの時の事を思い出す。あの時の事は今でも鮮明に影人の記憶に刻み込まれている。痛みも。怒りも。言葉も。確かに、フェルフィズは冗談気味にそんな事を言っていた。
「・・・・・・気色悪い律儀さだな。死ね」
「自分の言葉には責任を持たなければなりませんからね。さて、語らいはそれなりに出来ていますが、肝心の乾杯が出来ていませんね。君は酒は飲まないと言うし・・・・・・仕方ない」
フェルフィズはゴソゴソと鞄の中から黒い財布を取り出した。「一応日本円を持って来ておいて正解でしたね・・・・・・それと、確か日本の自動販売機は高額紙幣が・・・・・・」と小さく呟いたフェルフィズは、そこから千円札を1枚取り出すと、それを影人の方に向けて来た。
「これで何か好きな飲み物を買ってきなさい。確か、近くに自動販売機があったでしょう。イズ、影人くんが逃げないように付き添いを頼みます」
そんな事を言ってきた。
「了解しました」
そして、イズも何の問題もないように頷いた。
「・・・・・・・・・・・・は?」
あまりにも意味不明な状況に、影人はポカンとその口を大きく開けた。
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