第378話 災厄と最悪
「っ、鎖が・・・・・・」
フェルフィズがアオンゼウに向けて振るった自身と同じ名前の大鎌。その結果、アオンゼウの器を縛っていた魔法的・物質的な鎖は全て解除された。その光景を見た影人はまさかといった様子で、目を見開いた。アオンゼウの封印は霊地とリンクしている。封印が解けたという事はつまり、霊地が崩されたという事だ。
「あなた方にこう言うのは全く本意ではありませんが、ご安心を。確かに器の封印は解けましたが、霊地は崩れていませんよ。そして・・・・・・一旦さようならです」
障壁が解除されるまで残り2秒。フェルフィズは影人たちに対してそう言うと、左手でアオンゼウの器に触れた。そして、見えざる腕を用いて腰部のポーチから金属片のようなものを取り出した。フェルフィズは見えざる腕に意思を伝え、金属片のようなものを床に向かって投げさせると、それを踏みつけた。金属片はそれ程硬い材質ではなかったらしく、パキンと音を立て割れた。その瞬間、障壁の持続時間は0秒となり、障壁は解除された。
「っ、逃すかよッ! お前はここで終わりだ!」
障壁が解けた事によって、影人たちの攻撃がフェルフィズに届く。だがほんの刹那、ほんの刹那の差でフェルフィズとアオンゼウの器は淡い光に包まれ、その場から姿を消した。
「なっ・・・・・・」
「転移・・・・・・どうやら、逃げられたみたいね」
フェルフィズがその場から消失したのを見た影人が思わずそんな声を漏らす。シェルディアは面白くなさそうな顔でそう呟いた。
「クソッ! 何で、何でだ・・・・・・!? 何で『世界』が解除された・・・・・・!? 『影闇の城』はどこにも行けない特性のはずなのに・・・・・・!」
フェルフィズに逃げられたという事を理解した影人が拳を握る。今度こそ絶対に逃げられないように『世界』を使ったのに、その結果がこれだ。影人は不可解さと怒り、不甲斐なさなど様々な感情を抱いた。
「恐らくだけど、それはあの大鎌が関係しているわね。詳しくどうやったのかは分からないけど。それよりも、問題はフェルフィズが魔機神の器を持ってどこかに逃げたという事よ。この様子だと、どうやら霊地は崩れてはいないようだけど・・・・・・」
シェルディアが少し難しげな顔でそう指摘した。シェルディアの指摘にゼノは首を傾げる。
「封印は霊地とリンクしてるんでしょ? 今までの霊地だってそうだったし。だけど、あのフェルフィズっていう奴が言うには、封印は解けたけど霊地は崩れてない。よく分からないな」
「・・・・・・どちらにせよ、私たちはチャンスを逃したという事です。霊地こそ崩されはしませんでしたが、その代わりにフェルフィズは魔機神の器という強力な兵器を手に入れた。彼がそれをどう使うつもりなのかは知りませんが、シェルディア様の言う通り、問題はそこでしょう」
フェリートは厳しい表情でそう言った。それは影人たちが受け入れなければならない事実だった。
「取り敢えず、ここにいても仕方がないわ。1度地上に戻りましょう。フェルフィズがここを諦めたとは思えないけど、きっとすぐには戻って来ないでしょうし。地上も落ち着いて来ているでしょうし」
「・・・・・・ああ、そうだな」
シェルディアの提案に影人は頷いた。いや、頷くしかなかった。今はアオンゼウの器が奪われた事をシスに報告する事くらいしか出来ないからだ。
(・・・・・・だが、まだだ。まだ終わりじゃない。確かに、状況は最悪だ。だけど、最悪中の最悪じゃない。まだ世界は崩壊してない。だったら、俺のやる事は変わらない)
フェルフィズの世界を崩壊させるという目的を防ぎ、フェルフィズとの決着をつける。それが、今の影人が戦う理由だ。
「・・・・・・悪いが、俺は諦めが悪いんでな。今回も最後の最後まで足掻くぜ」
影人はその目に真っ直ぐな、それでいて確かな意志を宿し、力強くそう言葉を放った。
「ふぅ・・・・・・何とか逃げ切れましたね。危ない危ない、本当にギリギリでした」
裏世界。ヘキゼメリから離れた小さな森の中。そこに転移したフェルフィズは大きく息を吐いた。後コンマ1秒でも転移が間に合わなかったら、自分はここにはいないだろう。珍しい事に、フェルフィズの心の臓は早鐘を打っていた。
(一応、転移の仕掛けをしておいて正解でしたね)
フェルフィズはチラリと自分の1番近い木の近くに刺さっている小さな鉄の棒を見た。この小さな鉄の棒が転移の目印のようなものだ。フェルフィズが先ほど踏み潰した金属片とリンクした神器で、金属片を踏み潰せば、踏み潰した対象はこの鉄の棒の元へと飛ばされる。わざわざ仕込みをしなければならないし、飛べる範囲もそれ程ではないという欠点もあり、「行方の指輪」ほど便利ではないが使える事は使える。フェルフィズは、小さな鉄の棒を回収しポーチの中に入れた。
「さてさて、では戦利品の確認といきましょうかね」
「・・・・・・」
フェルフィズはニヤけたような、興奮を抑え切ないような顔で自身の左手で触れているモノに視線を移した。そこにあるのは、膝から崩れ落ちたような姿勢の魔機神アオンゼウの器。強力無比な力を秘めた災厄級の兵器だ。
「ああ、やはり素晴らしい。少女のような姿をしていても、その内にはたまらぬ暴力を秘めている。美しく強い。兵器としてはこの上ない設計だ」
フェルフィズが感嘆の言葉を述べる。尋常ならざるギャップ。フェルフィズはそこが特に気に入っていた。
「ですが悲しい事に、意識を滅ぼされたこの兵器はこのままだとただの鑑賞品。再び生命を吹き込まなければ、その真の力を引き出す事は出来ない・・・・・・ふふっ、ならば意識という名の生命をこの私が与えましょう」
フェルフィズはその薄い灰色の目を器から右手に握っていた大鎌に移す。アオンゼウの器の事を知った時から、フェルフィズはある考えを抱いていた。
「本来ならじっくり工房で調整したいのですが、こちらの世界に工房はありませんからね。そこは仕方がない」
フェルフィズは左手をアオンゼウの器から外し、腰部のポーチに入れた。そして、脳内で取り出したい物を想像する。すると、フェルフィズの左手にある物が触れた。フェルフィズはそれを掴むと、ポーチから手を抜いた。
フェルフィズの左手に握られていたのは、赤黒い少し装飾された宝石だった。
「あの時は不要と思い、切り捨てましたが・・・・・・今は必要な時です。さあ、私の最高傑作よ。戻りなさい。あなたの本来の姿に」
フェルフィズはその宝石を、大鎌の刃の根本の辺りの部分にあった窪みに嵌めた。宝石はカチリと軽快な音を立てて、ピッタリ窪みに嵌った。
「・・・・・・!」
すると、大鎌に嵌められた宝石が自身の色と同じ赤黒い光を発した。そして、小さく1人でにカタカタと震えた。まるで意思を持っているかのように。
「・・・・・・目覚めましたか。久しぶりですね、『フェルフィズの大鎌』。意思を持つ武器よ」
フェルフィズは大鎌に向かってそう語りかけた。フェルフィズの言葉を受けた大鎌は、宝石の光を明滅させた。その光景は、大鎌がフェルフィズの言葉に応えているようだった。
(そう。私以外には誰も知らぬ事ですが、この大鎌には意思がある。まあ、意思といってもかなり無機質なものですがね。それでも、この大鎌には確かな意思がある)
武器としては特異の意思を持つ武器。それが本来の「フェルフィズの大鎌」だ。全ての存在を殺す事が出来る力に、意思を持つという特異さ。これをたまたま作った時、フェルフィズは正直戦慄した。
(ですが、当時の私は武器に意思はいらないと考えた。いや、恐れたといった方が正確ですか。全てを殺す武器に宿った意思が、どのような結果を引き起こすのか。もしかすれば、製作者たる私すらも殺めるかもしれないと・・・・・・だから、私は意思の本体である宝石を大鎌から切り離した)
だが、今は違う。今のフェルフィズに恐れはない。あるのは好奇心だけだ。この大鎌と魔機神の器を組み合わせればどうなるのか。どれだけの力を発揮するのか。
「大鎌よ、あなたに器を与えてあげましょう。自在に移動する事ができ、強力な力を振るう事の出来る器を」
フェルフィズは狂気の宿った笑みを浮かべると、ポーチの中から赤色の紐を取り出した。その紐は「繋ぎ合わせの
「さあ、全ての準備は整いました。大鎌よ、魔機神の器の中に入りなさい。あなたがその器の主となるのです!」
「・・・・・・!」
フェルフィズが興奮したような顔で言葉を放つ。大鎌の宝石がその言葉に反応するように一際強く輝きを放つ。それに呼応するように、「繋ぎ合わせの道紐」も薄く発光した。そして数秒後、大鎌の宝石はその輝きを失い、道紐も元に戻ると――
「・・・・・・」
魔機神アオンゼウの器はゆっくりとその面を上げ、その両の目を見開いた。その目の色は、周囲が水色で中心は赤色という変わったものだった。
「・・・・・・こんにちは。こうして言葉を交わすのは初めてですね。初めましてというべきでしょうか。私の製作者」
顔を上げジッとフェルフィズを見上げたアオンゼウ――いや、アオンゼウの器の宿主となった「フェルフィズの大鎌」の意思は、無表情にフェルフィズに挨拶の言葉を述べた。
「ええ、そうですね。初めまして、私の最高傑作。どうですか、その体の調子は?」
自分の作品と言葉を交わし合うという状況に、フェルフィズは思わず、一種の感動、万感にも似た思いを抱いた。フェルフィズは彼にしては非常に珍しい優しい笑みを浮かべた。
「・・・・・・自由に動かせる体を得たのは初めてなので、調子というものは今はよく分かりません。ですが、この体ならば大抵の事は出来ると思います」
フェルフィズの大鎌の意思は手を握ったり開いたりしながら立ち上がった。
「そうですか。それはよかった。ゆっくりとその体に慣れてくださいと言いたいところですが・・・・・・残念ながら、それは難しい状況です。取り敢えず、身を隠せる場所に移動しましょう」
「了解しました。製作者」
フェルフィズの言葉に大鎌の意思が頷く。そこで、フェルフィズはふとこんな事を思った。
「ああ、そういえば君の事をこれから何と呼びましょうか。そのままのフェルフィズの大鎌の意思では、あまりに呼びにくいですからね。名前を決めないと」
「名前、ですか? 別に製造ナンバーでも『意思』でも何でも構いませんが」
「そういうわけにもいきませんよ。名は体を表す。名前とは大事なものなのですから」
首を傾げる「意思」にフェルフィズがかぶりを振る。そしてフェルフィズは少しの間思考した。
「そうですねえ・・・・・・あなたの名前は・・・・・・イズ。そう名付けましょう」
「イズ・・・・・・ですか」
「ええ。イズはサイズ、つまり鎌ですね。そこから取りました。単純極まりないといえばそうですが、シンプルな名前が1番美しい。どうでしょうか、気に入っていただけましたか?」
「・・・・・・気にいるというものがどういう事かは分かりませんが、了解しました。私はイズ。今日からそのように自身を認識します」
イズはジッと無表情でフェルフィズを見つめながら頷いた。イズの言葉を聞いたフェルフィズは苦笑した。
「そうですか。その辺りはまだまだ難しいようですね。イズ、これから移動しますが、あなたの本体を忘れないでくださいね。それは、これからあなたが持ちなさい」
フェルフィズはイズの手首と繋がり地面に刺さっている大鎌を指差した。イズは自身の本体である大鎌に視線を移した。
「よろしいのですか? 私が私の本体を扱っても。全てを殺す機能は私本体に備わっていますが。それに、命がない私に私本体の力は十分に引き出せませんし」
「いいのですよ。その大鎌はあなたが扱う事に意味がある。全てを殺す大鎌に神の名を持つ災厄。組み合わせれば、いわゆる鬼に金棒だ。そして、その事は心配しなくても大丈夫ですよ。あなたが大鎌の真の力を振るえる方法はありますからね」
「? 分かりました。そういう事でしたら、私の本体は私が預かります」
イズはフェルフィズの言った真の力を振るう方法が分からなかったのか、少し首を傾げた。そして、右手で大鎌を地面から引き抜いた。
「さて、では行きましょうか。霊地を崩すためのナイフの予備はもうありませんから、まずはまたあれを作らなければなりませんね。最低でも5日は掛かりますが、仕方がない。イズ、その間にその体の機能を熟知しなさい。そして彼を討つのです。影人くんを・・・・・・いや、スプリガンを」
「スプリガン・・・・・・」
その名前を聞いたイズが言葉を反芻する。スプリガン。その存在の事をイズは知っている。いや、正確にはイズの本体である「フェルフィズの大鎌」に刻まれた記憶が。黒衣に身を包んだ金眼の男。イズの本体は何度かスプリガンと戦った。だから、イズはスプリガンを知らなくとも、知っているのだ。
「・・・・・・了解しました。私はスプリガンを斃します」
「結構。期待していますよ」
イズの答えを聞いたフェルフィズが満足げな顔になる。そして、フェルフィズはイズを伴って移動を始めた。
――こうして魔機神アオンゼウの器は目覚めた。「フェルフィズの大鎌」の意思が宿主となって。
災厄に最悪が宿った。
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