第369話 水天を飛ばせ

「・・・・・・」

 とある日の夕方。テアメエル、シレナ火山。その麓にあるカレル湖。薄い曇り空の下、そこに1人の魔妖族の男がいた。頭部に小さな1本のツノを生やした、一つ目の小鬼のような者だ。その魔妖族は辺りを軽く見回し誰もいない事を確認すると、懐からナイフを取り出した。そのナイフの刀身には複雑な紋様が刻まれていた。

「・・・・・・」

 男は湖に近づいた。そして、その淵にナイフを突き立てた。

 その瞬間、世界が変化した。真紅の満月が輝き、星が空を埋め尽くさんばかりの夜空。無限に感じる荒野に。

「っ!?」

 急に世界が変化した事に魔妖族の男は驚愕した。そして、男を取り囲むようにある者達が現れた。

「・・・・・・よう、やっと捕まえたぜ。なあ・・・・・・フェルフィズ」

 その内の1人、スプリガンに変身した影人が魔妖族の男を睨み付ける。男を取り囲んでいるのは、影人、シェルディア、ゼノ、フェリートの4人で、シェルディアの『世界』には白麗もいたが、白麗は見物に来たという感じで「おお、懐かしいの」と辺りを見回していた。

「フェ、フェルフィズ・・・・・・? だ、誰だそいつは・・・・・・?」

「あら、とぼけるのね。往生際が悪い」

 魔妖族の男は訳がわからないといった顔を浮かべた。男の言葉を聞いたシェルディアがくすりと笑う。だが、表情とは違いその目は笑ってはいなかった。

「あなたが地面に刺したナイフは、あなたが各地に残していたものと同じ物です。言い訳は出来ないでしょう」

 フェリートも冷徹な瞳を魔妖族の男に向ける。魔妖族の男は激しく首を横に振った。

「さ、さっきから何言ってるんだあんたら!? 俺はこのナイフをカレル湖の近くに刺して来てくれって頼まれただけだ!」

「っ、頼まれただと・・・・・・?」

 男の言葉を聞いた影人がどういう事だといった風に眉を動かす。すると、男はこう言い始めた。

「ああ! 昨日の夜に俺が居酒屋で金がねえって嘆いてたら、幽霊の旦那に頼まれたんだよ! 金が欲しいならいい仕事があるって! だから俺はあのナイフをカレル湖の近くに刺したんだよ!」

「・・・・・・その話を証明する事は出来るのか?」

「居酒屋の店主に聞けば分かるぜ! カゲオニの町のシラザキって店だ! 俺は常連で昨日は客も少なかったから店主も覚えてるはずだ! 俺は鬼之助きのすけって名前だ!」

 影人の質問に魔妖族の男――鬼之助はそう答えた。鬼之助の顔は真に迫っており、とても嘘をついているようには見えなかった。

「・・・・・・どう思う?」

「嘘を言っている様子ではないわね。もちろん、演技である可能性もゼロではないけど」

「妾もシェルディアと同意見じゃな。その者の話は恐らく真実じゃろうて」

 影人の問いかけにそうシェルディアが意見を述べる。シェルディアの後方辺りにいた白麗も、そう言ってきた。幾千年以上もの時を生きる不死者の言葉だ。そこには一種の重みがあった。

「っ、だとしたら・・・・・・」

「ええ、やられたわね」

 シェルディアが『世界』を解除する。周囲の風景が元に戻った。

「っ! じゃ、じゃあ俺はこれで失礼するぜ!」

 元の世界に戻った事を確認した鬼之助はその場から逃げるように去ろうとした。だが、その前にフェリートが鬼之助の背後に移動し手刀で以て鬼之助を気絶させた。

「一応、まだ疑惑がありますからね。取り敢えず、その辺りに寝かせておきます」

 フェリートが鬼之助を担ぎ、近くにあった岩にもたれ掛からせる。すると次の瞬間、


 カレル湖の中心部から少し青みがかった光の柱が立ち昇った。


「っ、来やがったか・・・・・・!」

 光の柱を見た影人がその顔を警戒の色に染める。そう。影人たちはほんの少しのタイミング差でナイフが刺されるのを止める事が出来なかった。その結果、何が起きるか影人はよく知っていた。

 そして、

「・・・・・・」

 その光の柱の中から水の災厄が姿を現した。











「・・・・・・ふむ。一応、境界を不安定に出来る箇所が1つしかなかったので、念を入れて適当な者を使ってみましたが・・・・・・どうやら正解だったようですね」

 同時刻。カレル湖から少し離れたカゲオニの町。宿屋の一室にいた幽霊の男は、座布団に座りながらポツリとそう呟いた。男の正体は忌神フェルフィズ。フェルフィズは昨日、鬼之助には気づかれずに、鬼之助の体にカメラと盗聴器の役割を持つ超小型の神器を忍ばせ、そこから現在のカレル湖の状況を把握していた。

「ふふっ、残念ですねえ影人くん。今回もあなた達は私には届かなかった。ああ、君との鬼ごっこは本当に楽しい」

 余裕たっぷりにフェルフィズは笑った。鬼之助の位置が変わったからか影人の顔は見えないが、影人の悔しがる顔が目に浮かぶ。フェルフィズは快感を抱いていた。

「さて、ここの霊地も崩せましたし長居は無用。そろそろ去るべきですが・・・・・・はあー、問題は最後の霊地の場所が分からない事なんですよね」

 フェルフィズはため息を吐いた。5つ目の霊地の場所はフェルフィズの神器を使っても未だに分からずじまいだ。一応、他にも霊地はあるにはあるのだが、他の4箇所のような次元の軛となる霊地ではない。だが、必ずもう1つ他の4箇所と同等の霊地はあるはずなのだ。 

「最後の霊地の謎・・・・・・何としてでも解かねばなりませんね。もう少しの間、このテアメエルで情報を収集してみますか」

 少しリスキーな選択にはなってしまうが仕方ない。どうせ、自分を影人たちが見つける事は出来ない。フェルフィズはそう考えると、立ち上がり外へと出て行った。













「・・・・・・」

 光の柱の中に浮き上がってきたのは、水の体をしたモノだった。他の災厄と同じようにその造形は子供のようで、閉じられた目がある顔は中性的。髪の長さは背に掛かるくらい。中性的な顔立ちではあるが、髪の長さが与える印象はシイナと同じくどこか女性的でもあった。そして、その背には水の翼があった。

「ふむ、霊地が不安定になった事で封印が解けたの。水の災厄、『水天すいてん』のレナカ・・・・・・見るのは久しぶりじゃな」

 水の災厄の姿を見た白麗が少し真剣な顔になる。どうやら、白麗は水の災厄の事を知っているようだ。

「やはり、知っているのね白麗。あの災厄の事」

「当然じゃ。ここは妾の国で、あ奴らが暴れていたとき妾もおったからの。『水天』のレナカを封じたのは当時の勇気ある剣士と術師じゃった。まあ、奴らだけでは力不足じゃったから、妾も多少力を貸してやったがの。だから顔見知りというわけじゃ」

 シェルディアの言葉に白麗が頷く。すると、白麗の言葉に呼応するかのようにレナカがその目を見開いた。その目は例の如く、他の災厄たちと同じように複雑で美しい紋様が刻まれていた。

「・・・・・・封印が解けたようね。現在の世界の情報・・・・・・把握」

 レナカはそう呟くと虚空を見つめ、その目で様々な情報を取得した。光の柱から出たレナカはやがて、カレル湖の近くにいた生命反応――つまりは影人たち――に気がついた。

「っ、破絶の天狐・・・・・・それに、真祖だと?」

「久しぶりじゃの『水天』のレナカ。大体1500年振りくらいかの」

「ふーん、私が何者なのか分かるのね」

 レナカにそう言われた白麗とシェルディアがそれぞれ反応を示す。そして、レナカはフェリートやゼノ、影人に目を移した。

「異世界の神の眷属・・・・・・っ? お前は何? 情報が全く見えない。それに・・・・・・斃したというの? 他の全ての災厄を・・・・・・」

「・・・・・・ああ。『地天』のエリレ、『火天』のシイナ、『風天』のセユス。そいつらは全員俺が滅した。後はお前だけだぜ、『水天』のレナカ」

 レナカは影人を見て他の災厄たちと同じような反応を示した。影人はどこか格好をつけたように、レナカにそう言葉を送った。

「帰城影人。さっさとあ奴を殺してくれ。妾といえども災厄を殺す事は出来ぬのでな」

「分かってるよ。一応、あいつを滅したら全部の災厄をコンプリートだ。そうなったら、俺は『四天を征した者』になる。はっ、中々いい称号だぜ」

「? 急にどうしたお主。どこかで頭でも打ったか?」

 影人はニヤリと強気な笑みを浮かべた。急に斜めというか直角90度レベルの頭パッパラパーな答えを返した影人に、白麗は不思議そうな顔になった。

「破絶の天狐に真祖、それに異世界の神の眷属に、謎の災厄殺し・・・・・・流石に分が悪いか」

 レナカは冷静に相手の戦力を分析すると、そう判断を下した。そして、この場から離脱する事を考えた。

「水よ、私が逃げる時間を稼ぎなさい」

 レナカが自分の下に広がるカレル湖を見つめそう唱える。すると、カレル湖の水がまるで意思を持っているかのように動き始めた。

「気をつけろ。奴は水の災厄。水を自由自在に操れる存在じゃ」

「へえ。なら、水がなければ何も出来ないのと同義よね」

 白麗の注意を聞いたシェルディアはフッと笑うと、再び『世界』を顕現させた。

「っ、これは一種の異空間・・・・・・『世界』顕現か」

「ええ、そうよ。ここなら水はないでしょ」

 レナカがその目で情報を確認する。シェルディアは超然たる笑みを浮かべた。

「おお、良いぞシェルディア。元の世界で戦っておったら妾の国に被害が出ておったかもしれんからの。うむ、褒めて遣わす」

「別にあなたの機嫌取りに使ったのではないのだけれどね。さて、それじゃあ災厄とやらを斃しましょうか」

 シェルディアはそう言うと、空に輝く星をレナカに向かって落とした。星は到底レナカが反応出来ない速度でレナカの水の体を貫いた。

「ふん、無駄よ。私の体は全てを受け流す」

「みたいね。精神ダメージの方もほとんど入っていないようだし。まあでも、例え私にあなたを斃す事が出来なかったとしても別にいいのよね。だって・・・・・・どうせ、あなた斃されるんだし。災厄だなんとかいってもね」

 シェルディアがバカにするような笑みを浮かべる。それは格下を嘲る笑みであった。

「っ・・・・・・たかが長く生きているだけの生命如きが」

 レナカがイラついたようにほんの少し顔を歪める。レナカは自身の水の両翼から高密度に圧縮した水の槍のようなものを影人たちに飛ばした。

「あら意外。挑発が効くのね」

「ほほっ、レナカを挑発とは。相変わらず面白いことをするのう」

「言ってる場合ですか・・・・・・! 執事の技能スキルオブバトラー、『障壁シールド』!」

「今回ばかりはお前に同意だぜ、フェリート・・・・・・!」

 攻撃されているというのに余裕たっぷりなシェルディアと白麗に、フェリートと影人は呆れたようにそう呟き、自分たちの正面に闇色の障壁を展開させた。レナカの放った水はその障壁に阻まれた。

「ああ、ありがとう影人、フェリート」

「よくやったぞ。ああ、そうじゃ。今思い出したが、レナカの水に触れてはならんぞ。体内に侵入して体の自由を奪われるからの」

「そう言う事は早く言ってくれ! というか、それなら俺たちが障壁張らなかったらどうするつもりだったんだよ!?」

 呑気にそう言った白麗に影人は思わずそう言った。スプリガンのキャラ的に、普段あまりこういう事は言わないのだが、影人は思いを抑えられずにはいられなかった。

「別に普通に避けるなり対処するなりしておったぞ。あまり妾を舐めてくれるな。なにせ、妾は破絶の天狐。最強の妖狐じゃからな」

 白麗はそう言うと、スッとその視線をレナカに向けた。

「さて、せっかくじゃ。妾も協力してやるかの」

 白麗は続いて右手を宙に浮かぶレナカに伸ばした。まるで狙いをつけるかのように。すると、白麗の後方に巨大で複雑な魔法陣が展開した。

「第96式妖術、『妖魔の縛呪ばくじゅ』。あ奴を縛れ」

 白麗の背後の魔法陣が妖しく輝き、そこから紫色の腕が何十、何百本と出現した。それらはレナカへと伸びて行った。

「っ、亡者の腕・・・・・・」

「懐かしいじゃろ。お前にも届き得る呪いじゃ。触れられれば、お主の体は様々な耐性を失うぞ。前はこれを受けた事によって、結果的に封印された事、忘れてはおらんじゃろ?」

「ちっ・・・・・・」

 レナカが顔色を変え、白麗が意地悪く笑う。レナカは亡者の腕の力を知っているため、回避行動に移った。

「ほほっ、せいぜい無様に逃げ惑え。お主はどう足掻いても妾たちには勝てんのじゃからの」

「狐が偉そうに・・・・・・」

「これこれ。図星じゃからといって悪態をつくでない。程度が底をつくぞ。そも、客観的に見れば幼子でも分かる道理じゃ。お前はこの空間では最大限の力を発揮出来ない。そして、妾たちは全員が強者で充分に力を使える。妾単体で見ても、お前を封じた時より力は上がっておる。のう、聞かせてくれんか『水天』のレナカ。災厄如きがどうすれば勝てるのかを」

 白麗が先ほどのシェルディアと同じような、嘲るような笑みを浮かべる。2度もそんな笑みを向けられたレナカは、その目に明確な殺意を乗せた。

「下等な生命が私にそんな顔を向けるな・・・・・・!」

 レナカは亡者の腕の間を潜り抜けると、自身の肉体を流動する水に分解した。すると次の瞬間、その水は鉄砲の如く、縦横無尽に四方八方から影人たちを穿たんとしてきた。

「ふむ。水ならではの攻撃じゃな。しかして、無駄じゃ阿呆」

 白麗が白銀の瞳を細める。すると、白銀の瞳にぼんやりとした光が宿った。

「第101式独自妖術、『流転のもどり』」

 白麗の両の瞳に複雑な魔法陣が刻まれる。その瞳に観測された鉄砲水は、一瞬間の時間でまるで時が戻るかのように1箇所に集まり、

「っ・・・・・・!?」

 やがて元の水の肉体へと戻った。自分でそうしたわけではないのに形態が戻ったレナカは驚いたような顔になった。

「妾の目を利用した特殊妖術じゃ。この目に観測されたモノは5秒前の状態と位置に戻る。そして、こうじゃ」

 白麗は周囲に待機させていた亡者の腕をレナカに触れさせた。白麗は避けれないタイミングでレナカを戻したので、呪いはレナカの水の体を犯した。

「くっ・・・・・・」

 結果、レナカのほとんどの耐性が失われる。白麗はそんなレナカを冷めた目で見つめた。

「後は任せたぞ帰城影人。あっけなく、それはそれは災厄とは思えんほどにあっけなく、奴を滅してくれ。先も言ったが、流石の妾も奴を滅する事は出来んでな」

「・・・・・・分かった。なら、決めさせてもらうぜ」

 白麗の言葉に頷いた影人は地を蹴りレナカへと近づいた。そして、

「解放――『終焉』」

 影人は全てを終わらせる力を解放した。影人の姿が変わり、影人の体から『終焉』の闇が立ち昇る。影人は影速の門を創造し、それを潜り一気に加速した。

「終わりだ、『水天』のレナカ」

「ぁ・・・・・・」

 そして、影人は呪いで動きが鈍ったレナカに『終焉』の闇を纏わせた右手を放った。影人の右手はレナカの胸部を貫き、レナカという災厄の意思は終わりを迎え、『終焉』の闇の中へと消えて行った。白麗の言葉通り、その最後はあっけなく終わった。


 ――『水天』のレナカ討伐。こうして、影人は結果的に全ての災厄を討つ事に成功したのだった。

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