第368話 網を張れ
「・・・・・・」
翌日。早朝。影人は布団の中で座っていた。影人の部屋には窓がないので、朝日は差していない。影人は昨日の戦いの事を思い出していた。
(殺意や怒りの負の感情は俺の力になる。だが、それらは時に判断を狂わせる要因になる。だから、俺は冷たくそれらを抱かなければならない。冷めすぎているほどに。感情は力になるが、感情と判断を切り離さなければならない。・・・・・・改めて、肝に銘じとかないとな)
影人は軽く息を吐いた。昨日の自分は冷たい殺意を抱けていたし力にもなっていた。だが、少しほんの少しだけ感情が混じっていた。あれではダメだ。反省しなければ。
「・・・・・・他の誰のためでもない。過去の俺に恥じないようにも、俺は強くなる」
決意の言葉を敢えて肉声で発し、影人は軽く右手を握った。すると、影人の中にイヴの声が響いた。
『お前、自分のこと客観視できるくせに何でそんなんなんだ? 現在進行形で過去の自分にも恥かきまくってる性格じゃねえか』
「何を急に訳のわからない事言ってるんだお前? 別に俺は俺だ。そこに理由はないだろ」
『訳が分からないのはお前だアホ。ったく、相変わらず存在がちぐはぐな奴だぜ』
イヴは呆れ切ったようにそう言うと言葉を切った。影人が枕の近くに置いていたペンデュラムに手を伸ばすと、襖の外から葉狐の声が聞こえてきた。
「おはようございます。朝食のご用意が整いましたのでお声がけに参りました」
「あ、ありがとうございます。食べる場所は昨日と同じ場所ですか?」
「はい」
「だったらもう少ししてから行きます。昨日の場所はしっかりと覚えてるので」
「かしこまりました」
襖の外から葉狐の気配が消える。昨日は迷ってしまったが大座敷は分かりやすい行き方なので大丈夫だ。影人は布団の中から出て軽く身支度を整えた。
「おお、来たか。おはようじゃ、帰城影人」
「おはよう、白麗さん」
大座敷に入ると、上座に座っていた白麗が朝の挨拶をして来た。影人は白麗に挨拶の言葉を返す。
「おはよう影人」
「おはようございます影人さん」
「おはよう、嬢ちゃんキトナさん」
そのまま既に座っていたシェルディアとキトナにも挨拶の言葉を返す。2人とも、影人と同じく浴衣姿だ。昨日はそれどころではなかったので気づかなかったが、シェルディアが和服を(正確にはこちらではテアメエル風の服なのだろうが)着ているのは非常に珍しいなと影人は思った。
「遅いですよ」
「ん、おはよう」
「悪かったな。おはようだフェリート、ゼノ」
どうやら影人は最後だったらしい。フェリートとゼノの横を通り抜け、影人は自分の席に着いた。箱膳には何かの焼き魚と焼き卵。それと白米と味噌汁のようなもの、何かの根菜の付け合わせがあった。異世界なので、正確に影人たちの世界の料理と全く同じというわけではないだろうが、限りなくそれらに近い。やはり日本と文化が似ているなと改めて思いながら、影人は手を合わせた。
「それで、お主たちは今日はどうするのじゃ? どうせ、フェルフィズなる者が動くまでは暇なのじゃろう?」
「まあそうね。ああ、そうだ。ねえ白麗。あなたの目でもフェルフィズは見えないの? 彼は姿を変えているけど、あなたの目は真実の姿を見るから変装は関係ないでしょ」
朝食を摂りながら逆にシェルディアが白麗にそんな問いを投げかける。シェルディアたちがこちらの世界に来た事を察知し、ずっと見ていた白麗なら、フェルフィズの居場所も分かるのではないか。シェルディアはそう考えた。
「お主らには残念な答えじゃろうが、妾にも見えん。お主らがこの世界に来る前に、何か異質な気配がこちらに入って来た事は感じたんじゃが、その気配を辿って見る事は出来なんだ。こんな事は妾にも初めてじゃよ」
「そう、あなたでもフェルフィズの居場所は分からないのね・・・・・・」
シェルディアが残念ではないが、難しげな顔を浮かべる。シェルディアと白麗の会話を聞いていた影人も、自然とシェルディアと同じような顔を浮かべていた。
「じゃが、まだそのフェルフィズを捕らえられる機会はあるぞ。奴は各霊地を不安定にして回っておるんじゃろ。だから、お主たちも妾の国に来た。この国も、いやこの島自体も霊地じゃからな」
「ああ。災厄が復活したのはあくまで副次的な効果に過ぎない。奴の本当の狙いは、この世界と俺たちの次元の境界を不安定に、もしくは完全に破壊して、最終的には俺たちの世界を壊す事だからな」
白麗の言葉を影人は肯定する。そして、影人はこう言葉を続けた。
「俺たちはあいつの目的を理解しこの世界の霊地を巡って奴を捕らえようとしてきた。俺たちにはその方法しかないからな。だが・・・・・・結果はこの通りだ。俺たちはいつも後手に回らざるを得ない。俺たちを見てきた白麗さんになら分かるだろ」
「ああ、分かっておるとも。姿を常に変え、それを見抜く手段もない状態では何をどうしても無理じゃろうて。だがの、言ったじゃろ。奴を捕らえられる機会はあると。喜ぶがよい、お主らは網を張る事が出来るぞ」
「っ、どういう意味だ・・・・・・?」
影人が顔を疑問の色に染める。シェルディアやフェリート、キトナやゼノも影人と似た表情になっていた。
「このテアメエルは少し特殊での。他の霊地は境界の脆い場所がけっこう点在しておるのじゃ。仮に、ウリタハナの町があったとしよう。ウリタハナは全体が霊地じゃ。だが、どこにでも境界を不安定にさせる力を使えばよいというものではない。境界を不安定にさせたければ、脆い場所に一点的に力を使わなければならない。お主らが今まで巡って来た霊地、メザミア、ウリタハナ、シザジベルにはそのような場所が大体10箇所はあった」
「・・・・・・テアメエルはそうじゃない、って事か?」
白麗の説明を聞いた影人が先読みするようにそう呟く。影人の呟きを聞いた白麗はその首を縦に振った。
「その通りじゃ。勘がいいの帰城影人。このテアメエルには妾がいる。破絶の天狐たる妾がな。妾がいる事によって、テアメエルは他の霊地よりも格段に安定しておる。そのため、テアメエルの境界の脆い場所は1つしかないのじゃ。その場所の名はシレナ火山。その麓にある湖、カレル湖じゃ。その辺りだけが唯一脆い」
「・・・・・・つまりは、そこで待ち伏せをすればいいって言いたいのね?」
「応よ」
今度はシェルディアが白麗の言わんとした事を察する。白麗は再び頷いた。
「一応、妾はお主たちがこの国に来てからカレル湖をずっと見ておる。あの辺りは神聖な場所ゆえ基本は誰も立ち入らん。ゆえに、誰かが来て何か怪しげな行為をすれば、それがお主たちの捜しているフェルフィズという者じゃ。無論、そのような者が現れればお主たちに教えてやろう」
「なるほど・・・・・・確かにそれならば、あのフェルフィズを捕らえられますね」
軽く顎に手を添えながらフェリートがそう呟く。それは明らかに自分たちにとっての光明だった。
「正直、とても助かる話ね。・・・・・・でも白麗。あなたのその話は本当なのかしら。あなたが私たちに嘘を教えている可能性もゼロではないわよね」
「・・・・・・ほう?」
シェルディアがスゥと目を細め白麗を見つめる。白麗は面白いといった感じでシェルディアを見つめ返した。
「昔からあなたには何度か騙されたわ。私と同じく退屈を嫌う不死者としての
シェルディアがそう言った瞬間、大座敷に緊張が奔った。少しだけ、ほんの少しだけシェルディアが自身の気配を解放したのだ。キトナ以外の者たちはそれくらいの気配ならば既に慣れていたが、初めてシェルディアの気配の一端を感じたキトナは「っ・・・・・・!?」と驚きと緊張が入り混じった顔を浮かべた。
「ほほっ、まあ妾を知るお前ならば疑うか。無理もない事じゃ。・・・・・・じゃが、今回ばかりは嘘ではない。妾もこの国に愛着がある。そこに生きる民にもな。その国が危険に晒され、やがてこの世界が大混乱に陥る可能性があるとなれば、嘘はつけんよ。まあ正直、そうなればなったらで面白そうとは思うがの」
白麗は軽く肩をすくめた。シェルディアはしばらくの間白麗をジッと見つめ続け、
「・・・・・・分かったわ。ならば、今回はあなたを信じましょう」
ふっと視線を外しそう言った。
「でも、嘘だったら許さないから」
「承知しておる」
白麗がフッと笑う。その瞬間、場を満たしていた緊張感は完全に霧散した。
それから朝食はつつがなく進行した。影人たちはようやくフェルフィズを捕えるチャンスを得たのだった。
「それじゃあ、私とキトナはヒギツネの町に行ってくるけど・・・・・・あなた達は行かなくて本当にいいの?」
朝食を食べ終えてしばらく時間が経った頃。葉狐とキトナと共に玄関にいたシェルディアは、影人たち男性陣に対しそう言った。
「ああ。俺は今日はちょっとゆっくりしたい気分だしな。嬢ちゃんたちは存分に観光してきてくれ」
「俺もそんな感じ」
「私は桜狐さんなる方に料理の事を聞きたいので」
影人、ゼノ、フェリートはそれぞれ答えを返す。3人の答えを聞いたシェルディアは「分かったわ」と頷いた。
「では、また後でね。行きましょうかキトナ」
「はい。では皆さん後ほど」
シェルディアとキトナは葉狐に連れられ屋敷を出て行った。
「さて、では私も厨房にお邪魔するとしますか」
「お前場所分かるのか?」
「先ほど葉狐さんに1度屋敷の地図を見せてもらいました。その時に覚えましたよ」
「お前凄いな・・・・・・」
「これくらい執事として当然です」
フェリートは影人にそう言うとスタスタと廊下を歩いて行った。
「じゃ、俺も部屋に戻ってのんびりしようかな」
ゼノもそう言って玄関から去ろうとした。だが、影人はゼノを呼び止めた。
「あ、待ってくれゼノ。悪いんだが、ちょっと付き合ってくれねえか?」
「? 何に?」
ゼノが不思議そうな顔で首を傾げる。影人はこう言葉を放った。
「互いに死なない範囲での戦いだ」
「意外だね。君が俺と戦いたいだなんて」
十数分後。影人とゼノは更地エリアにいた。ゼノは準備運動をするように軽く首を動かした。
「・・・・・・よく考えれば、お前と共闘した事はあっても戦った事はなかったからな。ああ、この前の零無の前に戦ったあれはノーカンだぜ。あんなもんは正式な戦いじゃねえからな。・・・・・・それで、昨日ちょっと自分の不甲斐なさに気付いてよ。せっかくだから、戦ってみたくなったんだ。最強の闇人であるお前とな」
スプリガンに変身した影人がゼノにその金色の瞳を向ける。影人の言葉を聞いたゼノは「確かにそうだね」と頷いた。
「俺もこの前のあれを正式な戦いとは思ってない。いいよ、戦ろう。俺も君と戦いたくないって言ったら多分嘘になるからね」
「はっ、ありがとよ」
影人とゼノが互いに小さく笑う。影人もゼノも別に戦闘が好きというわけではない。どちらかというと、2人とも戦いは面倒だと思うタイプだ。
だが、2人とも今回だけは乗り気だった。その理由を明確に言語化する事は影人にもゼノにも難しかった。
「ルールは1つだけ。互いに殺さない事だけだ。即死以外の攻撃なら何をしてもオーケー。これでいいな?」
「問題ないよ」
影人が最後に確認を取る。ゼノは同意を示した。
「・・・・・・行くぜ」
影人がその体に身体能力を強化する闇を纏わせる。その他にも眼の強化、『加速』、『硬化』、『破壊』なども。
「うん。来い」
ゼノも全てを喰らう破壊の闇を解放する。ゼノの体から濃密な闇が噴き出し、ゼノの髪の右半分が黒に染まる。
そして、妖精の名を冠する怪人と『破壊』の名を冠する闇人は互いに地を蹴った。
「・・・・・・今日でここに来て5日目か」
白麗の屋敷の縁側で薄い曇り空を見上げていた影人はポツリとそう呟いた。
あれから、影人はたまに町に出たり、またシェルディアと戦ったりして時を過ごしていた。久しぶりの(世界から消えていた影人からすれば、それほど久しぶりという感覚ではないのだが)シェルディアとの戦いは正直地獄だったが、戦いの感覚は否応にも鋭さが戻った。シェルディアに感謝である。
(今回もあいつが行動を起こす時間の幅が長いな。この時間の幅には何か意味があるのか・・・・・・)
影人がフェルフィズについて思案する。あの狡猾な忌神の事だ。恐らく意味はあるのだろうとも思えるし、愉快犯的性格から影人たちを焦らして楽しんでいるとも思える。腹立たしい限りだ。
「・・・・・・だが、今回は網を張ってる。今まで通りとはいかないぜ」
影人がポツリとそう呟く。すると、影人の背後から声が聞こえてきた。
「帰城影人様」
「っ、葉狐さんか。どうしたんだ?」
声を掛けて来たのは葉狐だった。影人は振り返り葉狐を見つめた。
「白麗様がお呼びでございます。申し訳ありませんが、大座敷までお越しいただけますか」
「白麗さんが・・・・・・? 分かりました」
影人は葉狐に連れられ大座敷に向かった。
「おお、来たか」
影人が大座敷に入ると白麗がそう声を掛けてきた。座敷にはシェルディア、キトナ、ゼノ、フェリートもいた。
「っ、どうしたんだ。何かあったのか?」
「まあそうじゃな。朗報じゃぞ、帰城影人」
全員が揃っているのを見た影人が顔色を変える。白麗は影人にそう前置きすると、
「獲物が網に掛かったぞ」
笑みを浮かべた。
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