第360話 羽無しの少年

「こっちこっち! おーいユニル姉ちゃん! 俺以外にも『羽無し』がいたよ!」

 影人の手を引いた「羽無し」の少年ソラは、影人を連れてある建物の敷地に入った。位置的にはシザジベルの町の西のはずれといったような場所だ。その建物はシザジベルの多くの建物とは違い、燻んだような白が特徴の建物だった。

「おい、だから話を聞けって! 俺はお前が言う『羽無し』じゃない。俺は吸血鬼だ」

 流れと勢い的にソラについて来てしまった影人は、こちらの世界での方便的な身分を述べた。

「嘘だ。吸血鬼なんて種族聞いた事ないもん。俺には分かる。お兄ちゃんは俺と同じだって!」

 だが、ソラは影人の言葉を信じようとはしなかとた。今まで出会った人々は吸血鬼という種族を知っていたので、ソラは年齢的にそういった種族などの知識が乏しいのかもしれない。影人は思わず「参ったな・・・・・・」とぼやいた。

「ソラ? 帰ってきたの?」

 影人が左手で軽く頭を抱えていると、建物のドアが開かれ中から1人の女性が出て来た。20代半ば過ぎくらいの若い翼人族の女性だ。栗色の長い髪のおっとりとした雰囲気のその女性はソラの名を呼んだ。

「ユニル姉ちゃん! ほら、見て! 俺以外の『羽無し』の影人! 今日初めて会ったんだ!」

「え・・・・・・ほ、本当ね。羽がないわ。ああ、よかったわねソラ。あなたと同じ方が見つかって」

 ユニルと呼ばれた女性は影人の姿を見ると驚いた顔を浮かべた。そして次の瞬間には笑顔を浮かべ、ソラにそう言った。

「うん! 俺ベゾトの奴ら探して来る! いっつも俺は仲間がいないってバカにしてたあいつらをギャフンと言わせてやるんだ!」

「あ、おい! ったく・・・・・・急に連れて来て急に置いていくなよ・・・・・・」

 ソラはそう言うと、敷地を出てどこかへと走って行った。影人はソラを呼び止めようとしたが間に合わず、大きくため息を吐いた。

「もうソラったら。いくら嬉しいからってお客様を置いていくなんて・・・・・・すみません。どうぞお入りください。お茶をお出ししますね」

「いえ、俺は・・・・・・分かりました。ではご厚意に甘えさせていただきます」

 ユニルの誘いを反射的に断ろうした影人は、しかしその判断を変えた。正直、「羽無し」という言葉の意味も知りたいし、ソラの誤解をユニルを通してなくしたかった。ゆえに、影人はユニルの誘いを受けたのだった。

「では、どうぞ中へ」

「ありがとうございます」

 そうして、影人は建物の中へと入っていった。














「どうぞ。正直かなり薄いですが・・・・・・申し訳ありません」

 キッチン近くの簡素なテーブルについた影人は、ユニルから色の薄いお茶を出された。言葉通り、申し訳なさそうな顔を浮かべるユニルに、影人はかぶりを振った。

「いえ、全く。ありがとうございます、いただきます」

 影人はそう言うと、木のコップに注がれたお茶を飲んだ。お茶はユニルの言葉が嘘ではないと示すように、かなり薄くそしてぬるかった。

「美味しいです。あの、俺はあのソラって子から何も知らされずにここに来たんですが・・・・・・ここはどんな場所なんですか? その、子供の数がかなり多いようですが・・・・・・」

 この建物に入りこの場所に来るまでに、影人は多くの翼人族の子供たちを見た。子供たちは町の人々同様に影人に怯えたような目を向け、そそくさとどこかへと逃げて行った。

「ああ、それはすみません。ソラがご迷惑をお掛けしました。ここは孤児院なんです。そして、私はここの院長をしているユニル・シジャーと申します」

「孤児院・・・・・・なるほど。でも、シジャーさんが院長ですか。その、意外です。とてもお若いので」

「2年前までは違ったんですけどね。前の院長だった方が不幸な事にお亡くなりになられて・・・・・・それで、私しか院長をするものがいなかったので、成り行き的に」

「そうでしたか・・・・・・」

 ユニルの説明を聞いた影人は納得し軽く頷いた。

「・・・・・・ソラ君も孤児なんですか?」

「はい。あの子は赤ん坊の頃からここにいます。翼人族であるのに羽がない子なので、色々と苦労してきて・・・・・・いえ、今もですね。とにかく、とても可哀想な子なんです。そのせいで荒れてしまい・・・・・・お恥ずかしながら、よく他の方にご迷惑を掛ける子になってしまって」

 暗い顔で影人にソラの事を教えてくれたユニルは、そこで少し明るい顔を浮かべるとこう言葉を続けた。

「ですが、今日は久しぶりにあの子のあんな嬉しそうな顔を見ました。自分と同じ存在に出会えた事が本当に嬉しかったんだと思います」

「・・・・・・すみません。本当の事を言うのは少し心苦しいですが・・・・・・俺はソラ君とは違います。あなた達の言う『羽無し』とは違う存在なんです」

 影人はユニルに真実を告げた。影人にそう言われたユニルは驚いた顔になった。

「え? で、でも、失礼ですが影人さんには身体的な特徴が何もないですよね・・・・・・?」

「俺は吸血鬼なんです。だから、パッ見て身体的な特徴はありません。一応、ソラ君にも説明したんですが、ソラ君は吸血鬼の事を知らない様子で」

「きゅ、吸血鬼・・・・・・そうでしたか・・・・・・すみません、私も吸血鬼の方を見たのは初めてだったので、勘違いをしてしまいました」

「いえ、謝られるような事ではないので。あの1つ聞いてもいいですか。『羽無し』っていうのはいったい何なんでしょうか? 俺たちは旅中でここに訪れたので、よく分からなくて」

 影人がユニルに「羽無し」という言葉の意味を尋ねる。ユニルは「ああ、そうですよね」と頷くとこう説明してくれた。

「『羽無し』というのは、翼人族であるのに羽がない者という意味です。極めて稀ですが、そういう子が生まれて来る事もあるんです。そして『羽無し』は・・・・・・翼人族にとって恐れと忌避の対象でもあります。古くから『羽無し』は災いをもたらすと言われているからです」

「っ・・・・・・そうなんですか」

 ようやくその言葉の意味が分かった影人は、ポツリとそう言葉を漏らした。あまりいい意味の言葉ではないだろうとは思っていた。そして、町の人々のあの目の理由も分かった。

「はい。正直、バカバカしい話です。ソラは確かにいい子とは呼べないかもしれませんが、それは『羽無し』というだけで勝手に恐れられ避けられてきた事の反動のようなものです。子供は敏感です。ソラはずっと孤独を感じて、それに耐えて来ました。自分が寂しさに呑み込まれないように必死に・・・・・・」

 ユニルは怒ったような悔しそうな顔を浮かべ、言葉を吐き出した。

「・・・・・・理解できる気がします。子供の自衛本能としては多分適切な事だと思いますから。でも、ユニルさん。ソラくんが孤独と疎外感の海に引き摺り込まれていないのは、あなたがいるからだと思います」

 影人は前髪の下の目で真っ直ぐにユニルを見据えると、こう言葉を続けた。

「あなたのソラ君に対する目は普通だった。そして、俺が『羽無し』とソラ君に紹介された時にも、あなたの目には怯えや恐れの色がなかった。多分、ソラ君にとってあなただけが『普通』なんです。拠り所があるから、まだ壊れないでいる。少なくとも、俺はそう思います。・・・・・・すみません、さっき会ったばかりの奴がこんな事を言って」

「いえ、ありがとうございます。そんな言葉を掛けてくださって。影人さんはお優しいんですね」

 影人の言葉を聞いたユニルは小さく笑った。

「でも、私は本当の意味では、残念ながらソラには寄り添えていません。ソラに寄り添えるのは、きっとソラと同じ者だけなんです」

「・・・・・・だけど、俺はソラ君と同じじゃありません」

「それは分かっています。・・・・・・影人さん、失礼を承知で言わせて頂きますが・・・・・・1つだけお願いをしてもよろしいでしょうか?」

「お願い・・・・・・? 何ですか?」

「少しの間、ほんの少しだけの間でいいんです。どうか、『羽無し』として振る舞っていただけないでしょうか?」

 そして、ユニルは影人にお願いの内容を口にした。

「っ・・・・・・あなたの思いは分かります。ですがそれは・・・・・・最終的には彼を傷つける事になると思いますよ。子供に優しさからの嘘は難しい。嘘がバレた時、ソラ君の絶望はよりひどいものになる。希望から絶望の落差は恐ろしいものです」

「ええ、分かっています。だけど、それでもソラには笑っていてほしいんです。例え偽りであってもあの子が笑っていてくれるなら・・・・・・」

 ユニルのその言葉はエゴでもあった。その事はユニル自身が1番よく自覚している。その上で、ユニルは影人に嘘をつくようにお願いしているのだ。

「俺は・・・・・・」

 影人が難しい顔で答えを返そうとした時だった。突然、どこからかこんな声が聞こえて来た。

「おーいどこ影人兄ちゃん! ユニル姉ちゃんもー!」

「けっ、本当にお前以外の『羽無し』なんているのかよ。お前の嘘じゃねえだろうなソラ」

「嘘じゃない! ちゃんといるんだよベゾト! おーい影人兄ちゃん、ユニル姉ちゃん!」

 それはソラの声だった。ソラは建物内にいるのだろう。影人とユニルを呼んでいた。

「っ、もう戻ってきて・・・・・・すみません影人さん。今の話はまた後で」

「ええ、分かってます」

 ユニルが困ったような顔を浮かべ、影人は首を縦に振った。そして、ユニルと影人は部屋を出た。

「あ、いたいた! ほら見ろよベゾト。俺の言ってた事本当だっただろ!?」

 ソラは孤児院入り口の玄関ホールのような場所にいた。隣にはソラより少し歳上の黒髪の翼人族の少年がいた。その少年は影人の姿を見ると目を見開いた。

「っ・・・・・・本当に・・・・・・」

「ねえ影人兄ちゃん! 影人兄ちゃんはどこから来たの? やっぱり上の島の方?」

「いや、俺はもっと遠い所から来た。少なくとも、上やこの近くじゃない」

 ソラにそう聞かれた影人は、当たり障りのない答えを返した。

「そうなんだ。確かに、羽がないと上から降りて来るのは難しいもんね」

 うんうんとソラは首を縦に振った。すると、今まで黙っていたソラの隣にいた少年、ベゾトが影人にこんな事を聞いて来た。

「・・・・・・あなたは、本当に翼人族なんですか?」

「っ・・・・・・」

 まさか子供からそんな事を聞かれるとは思っていなかった影人は、思わず軽く息を呑んだ。

「は? 何言ってるんだよベゾト! 影人兄ちゃんにはツノも尻尾も羽もないじゃないか! 俺と同じ『羽無し』に決まってるだろ!?」

「お前はちょっと黙れバカ『羽無し』。図書館の本か何かで読んだ事があるんだよ。世界には身体的な特徴が何もない種族もいるって。確か、吸血鬼って種族だったはずだ。それに、魔妖族の中にもいるらしい。あなたはそういった種族じゃないんですか? あなたは上の島から来ていないと言った。少なくとも、リィフィルの地上の土地はこのシザジベルだけです」

「っ・・・・・・」

 ベゾトの質問は核心をつくものだった。しかも、影人が翼人族とは思えないという証拠を1つ提示してきた。ベゾトは見た目と雰囲気的に、少し不良少年気味な感じだったが、知識もあり頭もいい。少し油断していたと影人は反射的に思った。

「ち、違うよね影人兄ちゃん!? た、確かに兄ちゃんはさっき吸血鬼がどうのって言ってたけど、あれは冗談だよね!? 『羽無し』って思われたくなかったんだよね!? 俺には分かるよ! 『羽無し』って分かったら、みんな怖がって近づいてこないから! それが嫌だったんだよね!?」

 ソラが必死な様子で影人にそう言ってくる。その顔には恐れや不安があった。もしベゾトの言う事が本当だったらどうしよう。ソラは今にも泣き出しそうだった。

(・・・・・・どうする。真実を言うとしたらここだ。多分、ここがラストチャンス。真実を言えば、ソラはきっと傷つく。でも、いつかは立ち直る。逆にここで俺が嘘をつけば・・・・・・)

 影人は刹那の間、永遠とも思えるほどに悩んだ。そしてその末に、影人はソラに真実を告げる事を決めた。

「俺は・・・・・・」

 影人が意を決し改めてソラに真実を伝えようとする。全ての事情を知っているユニルは不安を隠しきれぬ顔を浮かべ、影人とソラを見守っていた。

「違う・・・・・・よね?」

「っ・・・・・・」

 ソラがその目に一杯の涙を溜め、最後に影人にそう聞いて来る。その目を見た影人は思わず――

「・・・・・・ああ。俺はお前と同じ『羽無し』だよ」

 そう答えてしまった。

「っ」

「だよね! ほら、やっぱり影人兄ちゃんは俺と同じだったんだ!」

 影人の答えを聞いたユニルは驚いた顔を浮かべ、ソラは一転その顔を明るくし笑顔を浮かべた。

「ソラの言う通り、皆に疎まれたくなくて吸血鬼って嘘をついたんだ。ごめんな」

「ううん! 俺にもその気持ちはよく分かるから!」

 小さく笑みを浮かべそう言った影人を、ソラは許してくれた。影人は未だに不審な目を向けてくるベゾトの方に顔を向けた。

「俺は遥か昔に辺境に追いやられた翼人族でな。遠い場所でひっそりと暮らしてたんだ。だから、一般には俺たちの故郷は知られていないんだよ」

「・・・・・・そうですか。それは失礼しました」

 今考えた適当な理由を影人はベゾトに述べた。ベゾトは完全には納得していない様子ではあったが、そう言葉を返して来た。

「ねえねえ、影人兄ちゃんはずっとここにいるの!?」

「いや、俺は旅をしてるからずっとはいない。でも、もうしばらくの間はいると思う」

「そっか・・・・・・じゃあ、それまでは俺と遊ぼうよ! きっと楽しいよ! だって、俺と影人兄ちゃんは同じなんだから!」

 満面の笑みでそう言ったソラに影人は頷いた。

「・・・・・・ああ、いいぜ。でも、今日は取り敢えず帰るよ。ちょっと用事があるからな。また明日の昼頃、ここに来る。それでいいか?」

「うん、分かった! じゃあ、また明日ね! 絶対絶対だからね!」

「おうよ。また明日な、ソラ」

 影人はそう言うと、チラリと顔をユニルの方に向けた。ユニルは影人に感謝するように軽く頭を下げた。そして、影人は孤児院を後にした。

『くくっ、嘘ついちまったな影人。これで、あのガキの運命がどう転ぶか楽しみだぜ。嘘がバレなきゃ、あのガキは偽りの希望を信じ続け生き続けていく。嘘がバレりゃ、希望から絶望への転落で心が壊れるかもしれない。どっちにしろ、破滅みたいなもんだぜ』

 孤児院から出るとイヴが意地悪たっぷりに影人にそう語りかけてきた。イヴの言葉は意地悪であると同時に、紛れもない真実だった。

「・・・・・・分かってるよ。俺はまごう事なきクソ野郎だ。嘘がバレてもバレなくても、俺の罪は極刑レベルだろうぜ。でも・・・・・・」

 影人は無意識に悲しそうな顔を浮かべ、こう言葉を続けた。

「ガキを泣かせるのも罪だろうぜ・・・・・・つまりは、詰みだったんだよ、俺は」

 ソラと出会ってしまった時点で。影人は長年親しんでいる罪悪感を抱きながら、宿へと戻った。

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