第353話 王女の旅立ち、ウリタハナへと

「ギルメリド様! たった今、キトナ様がお帰りになられました!」

 キトナが城を出て数日経った日の昼頃。ギルメリドが執政室で文書に目を通していると、突然慌てた様子で中年男性の家臣がギルメリドにそう報告してきた。

「っ、まことか・・・・・・分かった。すぐに行く」

「はっ! キトナ様は玉座の間にてお待ちです」

 家臣からの報告を受けたギルメリドは文書を置くと、玉座の間へと向かった。

「ああ、お父様。お久しぶりです」

 玉座の間に行くと、旅の衣装姿のキトナが笑みを浮かべギルメリドに挨拶をしてきた。キトナの姿も様子も、城を出る前と変わりがなかった。

「キトナ・・・・・・よかった。変わりはないようだな。あの吸血鬼どもは、約束を違えなかったか」

「ええ。とてもよくしていただけましたわ。ここ数日は本当に楽しかったです」

 ギルメリドがホッと安堵の息を吐く。キトナはニコニコ顔でギルメリドにそう言葉を返した。

「あの吸血鬼たちは?」

「私を王都に送ってくださった後にまたどこかへと旅立たれましたわ」

「そうか・・・・・・本来なら文句の1つも言いたいところだが、恐らくあれは天災のようなものだからな。お前が無事に帰って来ただけ良しとするべきなのだろうな・・・・・・」

 ギルメリドは少し葛藤したような顔を浮かべていたが、やがて調子を変えるように軽く息を吐くと、キトナにこう言った。

「・・・・・・すまぬ。言うのが遅れたが・・・・・・よく帰ってきたな、キトナ」

「はい、ただいまですお父様」

 ギルメリドとキトナは帰還の挨拶を交わす。数日振りに見た長女の笑顔に、ギルメリドの顔も自然と綻んだ。

「もう少しだけ待て。今に王妃とお前の兄弟たちが・・・・・・」

「すみませんお父様。お母様や他の兄弟たちが来る前に、お話があります。1対1で」

「っ? 1対1で話だと・・・・・・?」

 どこか真剣な顔でそんな事を言って来たキトナ。ギルメリドは不可解そうな顔になる。

「ええ、どうか・・・・・・どうかお願いします。お父様」

「・・・・・・よかろう。お前がそう言うのならば、応えるのが父だろう」

 キトナのただならぬ雰囲気を悟ったギルメリドは、その首を縦に振った。

「皆の者、下がれ。そして、キトナとの話が終わるまで誰もここに入れさせるな」

「「「「「はっ!」」」」」

 ギルメリドが周囲にいた者たちに命令を下す。周囲の者たちは、ギルメリドの命令に頷くと、玉座の間の外に出てその扉を閉ざした。

「・・・・・・これでいいか?」

「はい。我儘を聞いてくださり、ありがとうございます」

「気にするな。お前のそれには慣れておる。それでキトナ。話とはなんだ?」

 ギルメリドが玉座に着きキトナにそう促す。それは、父としてまた王として話を聞くというギルメリドの立場を示していた。

「・・・・・・今からする話に、お父様はきっと驚かれると思います。もしかしたら、自身の正気を疑い激しく己を責められるかもしれません。それでも、聞いてくださいますか?」

 キトナはその目を少し見開きギルメリドにそう確認を取った。キトナはギルメリドに端的にこう聞いたのだ。覚悟はあるかと。

「ほう・・・・・・お前からそんなことを聞かれたのは初めてだな。・・・・・・キトナよ。俺は父であり国王だ。どうしてお前の話を聞かないだろうか。もちろんだ。何でも話すがよい」

 キトナの暗に言わんとしている事を理解したギルメリドは力強く頷いた。そこには確かな1国の王の風格があった。

「ありがとうございます。やはり、お父様は強くお優しいですわね。では、お話しましょう。私の真実を」

 キトナは今までギルメリドに隠していた本当の自分の事を話し始めた。なぜ今まで自分を偽っていたのかその理由も。

「今までのお前は嘘・・・・演技だったという事か・・・・・・」

 キトナの話を聞き終えたギルメリドは、その衝撃を受け止め切れぬかのように、片手で軽く顔を覆いそう言葉を漏らした。

「どのような話でも泰然と受け入れるつもりだったが・・・・・・信じられんな。しかし、お前がわざわざこんな嘘をつくはずもない。であるなら、やはり真実なのだろうな」

 ギルメリドはショックを受けていた。今までのキトナが嘘だったという事もショックはショックだ。だが、ギルメリドが本当にショックを受けたのは、自分が、自分たち家族が誰1人として今までキトナの嘘を見抜けなかった事だ。それが親として不甲斐ない。ギルメリドはそう思った。

「お父様・・・・・・」

「ふぅ・・・・・・すまぬキトナ。お前の注意を聞いた上でこの様だ。俺は情けぬ父親よ。本来なら、卓越した知能と演技力をお前が持っていた事を喜ばねばならぬのにな」

「いいえ。お父様は立派な方ですわ。父としても王としても。演技していた私をずっと王女として扱ってくれたのですから。私はお父様を尊敬しています」

「っ、世辞でも嬉しいものだな・・・・・・して、キトナよ。ずっと俺たちに自分を隠し続けてきたお前が、なぜ今になってその事を明かした? お前の真意を聞こう」

 意識を切り替えたギルメリドがキトナをジッと見つめる。キトナはギルメリドの問いにこう答えた。

「はい。先ほども話した通り、私はずっと城を出るために演技を続けてきました。そしてこの数日間、私はあの方たちと共に外に出た。・・・・・・正直、とても楽しかったですわ。自由を感じました。私が恋焦がれていた自由を。やはり、私は外に出たい。世界を旅してみたい。その気持ちは、より強くなりました」

 キトナはその目を開き真っ直ぐにギルメリドを見つめ、はっきりとした口調でこう言葉を放った。

「私にこのせかいは狭すぎる。私に自由を拘束する王女くさりは必要ない。お父様、私は旅に出たいのです」

「・・・・・・お前の気持ちはよく分かった。俺も父親だ。娘の意志は出来るだけ尊重したいと思う」

「なら・・・・・・」

 その言葉にキトナが期待したような顔になる。

 だが、

「・・・・・・だがな、俺は国王でもある。国王としては、第1王女のお前が旅に出る事は許容出来ん。お前が望む望むまいと、お前は公的な人間だ。公的な人間には国民に対する義務がある。ゆえに、諦めろ。・・・・・・すまんが、それが俺の答えだ。許せよ」

「っ・・・・・・」

 ギルメリドはキトナに否の答えを突きつけた。自身の願いを拒否されたキトナは一転、残念そうな顔を浮かべた。

「・・・・・・やはり、そうなりますか。そうですよね、お父様のお答えは正しいです。それでこそ、国王としての答えですわ」

「・・・・・・本来は聡明なお前なら分かってくれると思っていた。なに、旅には出してやれんが、これからは定期的に外に出させて――」

「ですが、正しさだけでは私たち知性ある生物は納得出来ない事もあります。いえ、なまじ知性があるが故に納得出来ないのです」

 ギルメリドの言葉を遮るように、キトナがそう言葉を挟む。キトナは決意ある顔で真っ直ぐにギルメリドを見据えた。

「っ・・・・・・」

 そのキトナの様子に、キトナから放たれる威圧感のようなものに、ギルメリドは目を見張った。

「お父様、あなたは父としての前提よりも王としての前提をお取りになられた。ですが、私は王女としての前提よりも、生物としての前提を取りますわ。こういう言い方は卑怯にはなりますが・・・・・・義理は果たしました。私は世界に旅立ちます。では、さようなら。キトナは旅に出たとお母様や他の兄弟たちにはお伝えください」

「待てキトナ! お前を逃しはせん! やっと、やっと本当のお前と出会えたというのにッ!」

 キトナがギルメリドに背を向ける。ギルメリドは立ち上がると、キトナに向かって手を伸ばした。

「ええ。残念ながら、私1人ではここからは出られないでしょう。だから――助けてもらいますわ」

 キトナがギルメリドに背を向けながらそう呟くと、突然キトナの近くに1人の男が現れた。

「・・・・・・いいんだな?」

 その男――スプリガンに変身し、ずっとキトナの側で透明になって控えていた影人は、キトナにそう聞いた。

「ええ。影、いやスプリガンさん。私を攫ってください」

「・・・・・・あいよ。じゃあ、攫ってやるよ」

 笑顔でそう言ったキトナに影人は頷くと、キトナの腰に手を回しキトナを抱えた。

「っ!? 何だ貴様は!? いったいどこから!? いや、それよりもキトナから手を離せ! 兵たちよ来い!」

 突然出現した影人にギルメリドが驚愕する。ギルメリドの言葉にただならぬものを感じた兵士たちが、玉座の間の扉を開ける。

「行くぜお姫様」

「はい」

 影人はキトナを抱えたまま玉座の間側面のガラスに向かって駆けた。そして、キトナが傷つかないように調整し、窓ガラスを体当たりで破った。

「キトナ!」

「キトナ様!」

 窓から逃げた影人とキトナにギルメリドと兵士たちが声を掛ける。影人とキトナはどういうわけか空中に浮かんでいた。

「さようならお父様、皆さん! 私、行ってまいります!」

「「「っ・・・・・・?」」」

「っ・・・・・・」

 キトナが大声を上げギルメリドたちに手を振る。兵士たちは何が何だか分からないという顔を浮かべていたが、ギルメリドだけはその意味を理解していた。ギルメリドはやがて、諦めたようにフッと笑うと、

「例え本性を明かしても、お転婆は変わらんか・・・・・・行ってこいキトナ。俺はお前がいつか帰ってきてくれる事を祈ろう。・・・・・・達者でな」

 ギルメリドは小さな声でそう呟くと、旅立つ娘に向かって小さく手を振った。














「ああ、とても楽しかったです! 空から見た王都は美しかったです! ありがとうございました影人さん」

 数分後。王都外の平地にキトナと共に影人は降り立った。地上に降りたキトナは少し興奮したような様子だった。

「そいつはよかったな」

「しかし、影人さんは凄いですね。空も飛べて姿を消す事も出来るなんて。ふふっ、姿も変わりますし、本当不思議な人」

「・・・・・・まあ、こっちの俺は色々やる事があったからな」

 スプリガン状態の影人にキトナはそんな感想を述べる。影人はキトナにはスプリガン状態の事は適当に誤魔化していた。

「お帰りなさい。上手くいったみたいね。ふふっ、どうだった影人。お姫様を誘拐した感想は」

「どうかと聞かれたら・・・・・・難しいな。ただまあ、経験の1つにはなったかな」

 軽く手を叩きながらそんな事を聞いて来たシェルディアに影人は苦笑した。

「さて、油を売っている暇はありません。一応、私たちは国王を脅迫し王女を攫った一味なのですから。逃げる意味も込めて、早く次の目的地ウリタハナに行きましょう」

 闇の力で馬車を用意していたフェリートが一同にそう告げる。一応、影人がキトナを攫ったという事はギルメリドには分からないはずだし、別に逃げなくてもこの面子ならば迎撃は可能だが、影人たちはフェリートの言葉に異論を唱えはしなかった。

「皆さん。本当に、本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません。それでは、さようなら」

 キトナが影人たちに別れの言葉を告げる。だが、シェルディアたちは不思議そうな顔を浮かべた。

「何を言ってるの? あなた1人で旅をするのは現実的じゃないでしょう。私たちに着いて来なさいな」

「一応、行き先とかは決まってるから完全に自由な旅とはいかないだろうが、それでもキトナさんからしてみれば楽しいと思うぜ」

「私たちが言うのも変ですが・・・・・・色々と責任は持ちますよ」

「君さえよければ一緒に行こうよ」

 シェルディア、影人、フェリート、ゼノはキトナにそう言葉をかけた。

「っ、皆さん・・・・・・」

 4人からの言葉を受けたキトナが驚いた顔を浮かべる。キトナはどこか感極まったように表情を変えると、最後にシェルディアたちにこう聞いて来た。

「私は皆さまと旅をして・・・・本当にいいのですか?」

「当然」

「今更だろ」

「ええ」

「うん」

 その言葉にシェルディア、影人、フェリート、ゼノが頷く。キトナは満面の笑みを浮かべ、

「はい・・・・・・それでは、どうかこれからもよろしくお願いします!」

 そう答えた。

 こうして、キトナは正式に影人たちに同行する事が決まった。














「次の目的地は・・・・・・この辺りですね。土地の名前は・・・・・・ウリタハナ、ですか」

 獣人族国家ゼオリアルと魔族国家の間に位置する小川のほとり。その近くにある小さな岩の上に座りながら地図を眺めていた男はポツリとそう呟いた。男は灰色の短い髪に黒いツノを生やした、青年の魔族に。傍らには男の移動手段である、馬に似た3本のツノが生えた生物が控えていた。

「いやはや、最初こそ慣れない異世界で色々と苦労しましたが・・・・・・今回ほど私が物作りを司る神でよかったと思った事はありませんね」

 地図を丸めたその男――魔族青年に変装したフェルフィズは小さく口角を上げた。姿を変化出来ているのは、フェルフィズがある仮面を被っているからだ。フェルフィズの神器の1つ、見た者の姿に変わる事が出来る「変貌の仮面」。フェルフィズは場所に合わせて、目立たぬようこの世界に溶け込んでいた。

 ちなみに、フェルフィズが地図の文字を読めたのは、この世界に来た時に適当な獣人族男性の記憶を神器を使って覗いたからだ。そのため、フェルフィズはある程度この世界の常識のようなものを理解していた。もちろん、この世界の霊地を知る事が出来たのも、神器の力が関係していた。

「それにしても・・・・・・昨日は驚きましたね。まさか、彼がこっちの世界に来ているとは。いやはや、本当にしつこいですね」

 フェルフィズが昨日の事を思い出す。昨日、第1の霊地メザミアへと至ったフェルフィズは、前髪の長すぎる男、スプリガンでありフェルフィズを追い詰めた1人である影人とすれ違った。幸い、フェルフィズは変装していたので向こうは気づかなかったが、影人はフェルフィズを追ってこちらの世界に来たのだろう。いや、もしかすれば影人だけでなく、他の者もこちらの世界に来ているかもしれない。

(あの場所に彼がいた事は偶然・・・・・・ではないでしょうね。という事は、私の目的を彼もしくは彼らは理解していると考えるべきですね。であれば、これからも彼とは出会う可能性がある)

 恐らく、既にメザミアの境界が不安定になった事を影人は理解しているだろう。ならば、影人はフェルフィズを追うために、次の霊地へと向かっているはずだ。まあ、フェルフィズの次の行き先を影人たちは分からないだろうし、フェルフィズは変装し常に姿を変えられるので、フェルフィズが圧倒的に有利な事は変わらないのだが。

「・・・・・・ははっ、面白いじゃないですか。私が先に5つの霊地の境界を不安定にさせるか、それともあなた達が私を捕まえるのが先か・・・・・・異世界での鬼ごっこと行きましょう」

 フェルフィズは変装していても隠し切れぬ、狂気宿した笑みを浮かべると、立ち上がり馬のような生き物の背に跨った。

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