第344話 ハロー、異世界

 異世界への門を潜った影人たちは一瞬眩い光に目を細めた。光は徐々に収まっていき、やがて周囲は薄暗い暗闇に包まれる。異世界に来て初めて影人たちの視界に映ったのは、どこかの広い室内のような場所だった。影人たちが使った門はすぐに消えた。

「っ、ここは・・・・・・どっかの遺跡の中か?」

 周囲を軽く見渡した影人がそんな言葉を漏らす。薄暗いのであまり見えないが、この空間は古い石で形作られている。そして、四方を囲む壁にはうっすらとだが何かの紋様や、壁画のようなものが描かれていた。

「そうね。見覚えはないけど、そのような場所だと思うわ」

 シェルディアは影の中から電気タイプのランタンを取り出し辺りを照らしながら、影人の呟きに同意を示した。

「真っ暗闇ではないという事は、どこかに光がありますね。どこかの地下遺跡という感じではなさそうだ」

「ふーん・・・・・・」

 フェリートも周囲を観察し分析の言葉を述べる。ゼノは特に言葉を発さず周囲を見渡していた。

「取り敢えず外に出ましょうか。私がこちらの世界を去ってどれくらい変化したのか、どれくらいの時が経ったのかは分からないけど、まずはフェルフィズについての情報収集をしなければならないし。栄えている場所を目指しましょう」

「そうだな」

 シェルディアの提案に影人が頷く。フェリートやゼノも頷きはしなかったが、シェルディアの提案に納得している様子だった。

「出口はあそこみたいね。行ってみましょう」

 シェルディアが正面を指差す。ランタンで照らされた先には通路があった。シェルディアを先頭に影人たちは通路を目指した。

 通路は一本道で通路の壁面にも紋様や壁面が描かれていた。それらが何を意味するのかはシェルディアにも分からないらしい。

「ああ、光が見えるわね。あれが外への出入り口のようね」

 少しの間通路を進むと小さな部屋に出た。そこには木の枝か何かで遮られた出入り口のようなものがあり、そこから室内へと光が入って来ていた。

「そのようですね。シェルディア様、素朴な疑問なのですがこの世界にも太陽はあるのですか? あの光が太陽光かどうか私たちには分からないものですから」

「ええ。朝と夜のサイクルは基本は変わらないわ。まあ、一部の地域は例外だけど」

「なるほど。でしたら、この世界は地球と同じ太陽系の惑星の1つという可能性と、別次元もしくはいわゆる並行世界の太陽系という可能性がありますね」

 シェルディアの問いかけからフェリートがそんな推論を立てる。今の問答だけでよくそんな事を考えられるなと影人はフェリートに感心した。さすがは執事。頭がいい。

「さあ、どうでしょうね。私はそんな難しい事考えた事はないから分からないけど。まあ、今はそんな事よりも早く外に出てみましょう。私もこの世界は本当に随分と久しぶりだから、どんな世界になっているのか楽しみだわ」

 シェルディアはワクワクを隠しきれない様子で、出入り口に向かいそこを遮っていた木の枝を軽く振り払った。それだけで、木の枝はバキバキと音を立て地面に落ちた。さすがの吸血鬼の真祖の怪力である。シェルディアが外に出る。それに続いて影人たちも遺跡と思われる室内から出た。

「あら、どうやらどこかの森の中のようね。残念だわ、もっと眺望がいい場所だと嬉しかったのだけど」

 シェルディアが呟いた通り外は森の中だった。見たところは元の世界の森と同じように見える。木の形や葉の色もおかしなところは何もない。

(やっぱり、転移して来た場所は遺跡みたいだな。多分だけど)

 影人は振り返り自分たちが出て来た建物を見た。建物は古い欠けた石で作られており、そこに木の一部が同化している。そのため全貌も見えずパッと見た感じでは建物とは分からないだろう。影人はその雰囲気からその建物を遺跡と判断した。

「どうする? 森から出る? それとも、今日はここで野宿の準備でもする? 俺たちも死にはしないけど腹は減るし、寝なきゃ疲労も溜まるしね」

「まだ日も高いし準備はいらないわ。それに、野宿の今で言うアウトドア用品かしら。それは一式私の影の中にあるし。食料や水も主に影人のために大分買い込んで影の中に入ってるし問題ないわ。私の影の中の物は、影に入れる前の状態で保存されるから日数とかも気にしなくていいし」

「ああ、それで何も用意はいらないって言ったのか・・・・・・」

 ゼノへのシェルディアの返答を聞いていた影人は得心したように言葉を漏らした。数日前にシェルディアに異世界には何を持っていけばいいかと聞いた時に、シェルディアは「スプリガンの変身道具以外には何もなくて大丈夫よ」と言った。その時はまあ、シェルディアがそう言うならと思ったが、どうやら色々と自分のために用意をしてくれていたようだ。

「何から何までありがとう嬢ちゃん」

「ふふっ、気にしないで。私がそうしたかっただけだから」

 影人が感謝の言葉を述べると、シェルディアは笑みを浮かべた。その様子を見ていたフェリートは「よくもまあ、シェルディア様を嬢ちゃん呼び出来ますね・・・・・・」と軽く呆れたような顔を浮かべ、ゼノは「そうなんだ。それは楽だ」と先ほどのシェルディアの言葉に対する感想を述べた。

 野宿の準備を何もする必要がないと分かった影人たち4人は、森から出るべく森の探索を始めた。

「そう言えば、嬢ちゃんこっちの世界でも転移は使えるのか? 使えるんだったら、どこか街っぽい所に転移出来るんじゃないか?」

「もちろん使えるし、こちらの世界の場所は粗方回ったつもりよ。でも、もしかしたら当時と地形なんかが変わってるかもしれないし、転移して海の中とか沼地や火山の中だったりしたら嫌でしょう? だから、転移を使う前に地図か何かで色々確かめてからにしたいの」

「確かに、それは嫌だな・・・・・・うん、嬢ちゃんの考えの通りにしよう」

 シェルディアから転移の問題を提起された影人が頷いた時だった。突然前方から――


「グガァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

「「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」


 何かの獣の咆哮と悲鳴が聞こえて来た。

「っ・・・・・・!?」

「あら、何かしら」

「・・・・・・何やら早速面倒事な予感がしますね」

「悲鳴の方は2つとも声が高いし、両方女かな?」

 その咆哮と悲鳴を聞いた影人、シェルディア、フェリート、ゼノはそれぞれの反応を示した。

「グガァァァァァァァッ!」

 影人たちの視界内に咆哮を上げる獣が映る。その獣は四足歩行の熊のような獣であった。ただし、熊のようなとはその巨大な体だけで、頭部は狼のようで口が長く広い。そこからは夥しい数の牙が覗いている。加えて、全身は灰色の鱗に覆われ巨大な尻尾まで生えている。その獣は明らかに地球には存在しない生き物だった。

「ヤバいヤバいヤバい! まさか岩だと思ってたのがバジダハルだったなんて! 私たちこのままだと死んじゃうよ〜!」

「誰のせいよ!? 嫌だ嫌だ嫌だ! 私まだ死にたくなーい!」

 そんな獣に追われていたのは2人の少女たちであった。ただし、両方とも普通の人間という感じではなく、片方の少女は頭から狐のような耳を生やし、もう片方の少女は頭から紫の角を側頭部から片方だけ生やしていた。

「何かしらあの生き物。初めて見たわね。追われてる子たちは・・・・・・獣人族と魔族かしら?」

 この世界出身のシェルディアが軽く首を傾げながらそう呟く。すると、追われていた少女たちが影人たちに気づいたようで、こんな言葉をかけて来た。

「え、こんな所に何族!? 危ないよ今すぐ逃げて!」

「早くしないと死んじゃうわよ! バジダハルは凶暴なんだから!」

「? 何だ。何か言ってるのか?」

 必死な様子で言葉を叫んだ少女たち。その言葉はどのような言語だろうと理解できるシェルディア、フェリート、ゼノの3人には理解出来たが、スプリガン形態ではない影人には理解出来なかった。

「逃げろってさ。でも、逃げるのは面倒くさいな。仕方ない。取り敢えず、あの生き物を壊して・・・・・・」

「いいわゼノ。私がやるから。未知の生物・・・・・・ふふっ、少し楽しみね」

 ゼノは自身の封印を壊そうとしたが、シェルディアが待ったをかける。シェルディアはゾクリとするような笑みを浮かべると、

「さあ、まずはあなたの硬さを確かめてあげるわ」

 自身の影を鋭利な形に変形させ、その影をバジダハルと呼ばれた獣に飛ばした。影は一瞬でバジダハルに接近すると、その肉体を貫いた。

「グギャ!?」

「あら、硬そうな見た目の割に存外脆いのね」

 バジダハルは悲鳴のような声を漏らし、貫かれた箇所から赤色の血を流した。急な攻撃のせいか、バジダハルの動きが止まる。その様子を見たシェルディアは呆気ないという感じの感想を漏らした。

「え!?」

「な、何が起きたの!?」

 バジダハルの異変に気がついた少女たちが驚いた顔を浮かべる。その一瞬間にシェルディアはバジダハルに距離を詰めた。

「残念だわ。どうやら、あなたはただのつまらない獣のようね」

「グッ!?」

 シェルディアが冷めたような目をバジダハルに向ける。シェルディアに底知れぬ恐怖を本能で抱いたバジダハルは体を大きく震わせると、脱兎の如くどこかへと逃げていった。

「へえ、別に気配は解放していないのだけど・・・・・・さすがは獣ね。本能の感度がいいわ」

 シェルディアは逃げる獣を見逃した。別にもう興味はないからだ。

「嬢ちゃんに恐れをなして逃げたか・・・・・・まあ、賢い選択だな」

 その光景を見ていた影人が他人事のようにそう言った。シェルディアと戦った者からすれば、獣の行動は最適解の1つだと言わざるを得ない。ちなみに、もう1つの最適解は逃げずに降参する事だ。

「バ、バジダハルが逃げた・・・・・・?」

「す、凄い・・・・・・バジダハルは危険で凶暴な魔獣なのに・・・・・・」

 少女たちが信じられないといった様子になる。2人はしばらくの間呆然としていたが、やがてハッとした顔になるとシェルディアに対しお礼の言葉を述べた。

「あ、あのありがとうございます! おかげで助かりました! 私、獣人族のハルっていいます!」

「魔族のヘレナです。その、本当に助かりました。あのままだったら私たち多分死んでました」

「ハルにヘレナね。気にしないで。礼を言われるような事は何もしていないから」

 ハルとヘレナと名乗った少女たちに、シェルディアは軽く首を横に振り笑みを浮かべた。ハルは茶髪の少し短めの髪に活発な印象の少女で、ヘレナは黒髪のロングのストレートの少し大人しそうな印象の少女だった。どちらも、肌の色や質感は人間と変わらない様子だった。

「でも、どうやってバジダハルを傷つけたんですか? バジダハルの皮膚は刃も通さないほど堅牢で、魔法も弾く防魔皮でもあるのに・・・・・・」

「そうなの? 別に全く硬くなかったけど。それよりも、1つ聞いてもいいかしら? この辺りで1番栄えてる場所はどこにあるの? あるなら教えてほしいのだけど」

 ヘレナの質問にシェルディアは適当に言葉を返すと質問を行った。

「ありますよ。この大陸で1番大きい複合都市が。私とハルはそこに住んでいますし」

「複合都市? それは何と何の複合なのかしら?」

「各種族の複合って意味です! もしかして、皆さんどこか遠い所からいらっしゃったんですか? 複合都市って有名だと思うんですけど・・・・・・」

 ハルがシェルディアに複合の意味を説明し、逆に影人たちにそんな事を聞いてくる。相変わらず、影人にはその言葉は理解出来なかったが、4人を代表するようにシェルディアがこう答えた。

「ええ、実はそうなの。旅をしていて、この辺りで大きな町を探していたら森で迷っちゃって。よければその複合都市の場所を教えてくれないかしら?」

(なるほど。そういう設定でいく感じか)

 シェルディアの言葉を聞いた影人はある程度の事情を察した。まあ、いきなり実は異世界から来ましたなんて答えれば場が混乱するだけだろう。その事を影人やフェリート、ゼノは理解していたので口を挟むような事は何もしなかった。

「もちろんいいですよ。ちょうど私たちもそろそろ帰るつもりでしたし、複合都市まで案内しますね」

「目標のキナキノコは採れたもんね! そうだ、都市についたら食事をご馳走させてください! 命の恩人様ですから!」

「あらそう? ありがとう。素直にお言葉に甘えさせてもらうわ」

 ヘレナとハルの提案をシェルディアは素直に受け入れた。シェルディアが何かを了承したらしいという事は分かったので、影人は隣にいたフェリートにこっそりとこう聞いた。

「なあ、嬢ちゃんは何をOKしたんだ? お前ら別に難しそうな顔してねえから言葉分かるんだろ?」

「あの方達が町にまで案内してくれるようです。というか、なぜ私がいちいちあなたに説明をしないといけないのですか」

「仕方ねえだろ。言葉はスプリガンに変身しないと多分だが分からないんだよ。流石に今は変身出来ねえし」

「あなた達行くわよ。この子達が案内してくれるようだから」

 影人とフェリートがそんな言葉を交わしていると、シェルディアが影人たちにそう呼びかけてきた。影人たちはハルとヘレナの後をついて行った。

 森は体感時間ではあるが、30分くらいで出る事が出来た。ハルとヘレナ曰く、この森は「メルレイムの森」という中規模くらいの森らしい。基本的には安全な森らしいが、先ほどの魔獣(危険な獣はこちらの世界ではそう呼ばれるらしい)なども数は少ないがいるらしいので、リスクはある森のようだ。相変わらず影人には2人の言葉は分からなかったので、フェリートから聞いた。

「おお、こいつは・・・・・・」

 森を出た影人は思わず感嘆の声を漏らした。

 森の外は平原だった。遮蔽物はほとんどない。あるとしても岩くらいだ。薄らと草が生い茂り、空の色や雲、太陽などは影人たちの世界と変わりがないように見える。ただ、影人の見間違いでなければ空に岩や島のようなものが所々浮いているように見えた。

「これが異世界か・・・・・・何だか、ちょっと懐かしい感じがするな。過去の世界にどこか似てるっていうか・・・・・・」

「そうだね。あの頃の世界に似てる」

「ここが自然豊かな地域なのかは知りませんが、文明のレベルはそれ程進んではいないようですね」

 影人、ゼノ、フェリートがそんな感想を述べる。紀元前の世界を知っている影人とゼノは懐かしさのようなものを覚え、フェリートは感想というよりかは分析の言葉を呟いた。

「・・・・・・ただいまと言うべきなのでしょうね」

 シェルディアはその瞳に様々な感情を乗せ、ポツリとただ一言そう呟いた。この辺りの光景はシェルディアがこの世界を去る前とあまり変わっていないように思えるが、他はわからない。影人たちが立ち止まっていると、ヘレナとハルが不思議そうな顔を浮かべた。

「皆さんどうされましたか?」

「もしかして、どこか調子が悪かったり?」

「ごめんなさい。別に何でもないの。ただ、少し色々と感じてただけよ」

「そうですか。なら、行きましょう。複合都市はここから1時間くらいで着きますから」

 ヘレナは小さく笑みを浮かべるとハルと共に歩き始めた。影人、シェルディア、フェリート、ゼノの4人は2人の後をついて行った。

(ハロー、異世界。これからしばらくの間・・・・・・よろしく頼むぜ)

 2人について行きながら、影人は心の中でそんな言葉を呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る