第329話 元凶たる忌神

「嬢ちゃんが元いた世界・・・・・・?」

 シェルディアから放たれたその言葉。それを聞いた影人は不思議そうな顔を浮かべた。その言葉の意味も影人は今一理解出来ていなかった。

「・・・・・・影人。あなたには今まではっきり言ってはいなかったと思うけど、私はこの世界に最初から存在していた者ではないの。私は遥か昔に、違う世界からこの世界にやって来た者なのよ」

 そんな影人に、シェルディアは補足するように言葉を述べた。

「っ・・・・・・そう、だったのか」

 影人は一瞬衝撃を受けた顔になったが、すぐにいつもの顔に戻るとそう呟いた。

「・・・・・・あまり驚かないのね」

「まあ、もう嬢ちゃんの正体も知ってるしな。それに、スプリガンになって驚きっぱなしだったから、驚きに対する耐性がついてるんだ。今更嬢ちゃんが異世界から来た存在だって言われても、そうかって感じだ」

 自分をジッと見つめてくるシェルディアに影人は何でもないようにそう言った。既にシェルディアが吸血鬼だと知っている影人からすれば、そこに異世界人という属性が加わったに過ぎない。異世界も、神界や真界の事を知っている影人からすれば、今さら違う世界が何個あろうが驚くべき事ではない。

「というか、その情報で変わる事なんて何もないだろ。だって、嬢ちゃんは嬢ちゃんだしな」

「っ、影人・・・・・・」

 そして、影人はそう言葉を続け笑みを浮かべた。影人にそう言われ、影人の笑みを見たシェルディアはどこか驚いたような顔を浮かべた。

「ふふっ、そうね。確かにその通りだわ。全くもう、あなたのそういうところダメよ。本当にダメなんだから」

「え? そ、それどういう意味だよ?」

 シェルディアはニコニコと、どこか嬉し恥ずかしそうに笑った。言葉と表情が一致していないシェルディアに、影人は戸惑ったような顔を浮かべた。影人には全く意味が分からなかった。

「ちっ! だらしのない顔してんるんじゃねえよ吸血鬼。見てて不愉快だ」

「あらごめんなさい。あまりにも愉快だったものだからつい」

「っ?」

 零無は舌打ちをして呪い殺しそうな勢いでシェルディアを睨みつけた。シェルディアは機嫌が良さそうに笑いながら口元を軽く左手で押さえた。一連のやり取りを聞いていた影人は、やはり意味が分からずに首を傾げた。

「じゃあ、結局はこの世界と嬢ちゃんが元いた世界との境界が不安定になってるから、ドラゴンがこの世界に現れたって事なのか?」

「ああ、そういう事だ。この辺りはあの竜以外に目立ったモノたちは現れていないが、今頃この世界では、あちらこちらに向こう側の世界の者たちが現れているはずだ」

 確認を取った影人に零無は頷いた。零無の言葉を受けた影人は再び驚いた顔を浮かべた。

「なっ、全世界にだと!? ヤバいだろそれは!」

「ええ、非常にマズいわね。向こう側の住人がこちらの世界に大量に出て来れば、何が起こるか分からないわ」

 影人とシェルディアはそれぞれそんな反応を示した。そうとなれば、今頃世界は大混乱しているはずだ。

「落ち着けよ。その対処のためにシトュウは真界に戻ったんだ。今頃は真界の神々と神界の神々どもが対処してるだろうぜ。だから、それほど大事にはなってないはずだ。まあ、世界の境界が完全に崩壊していればかなり危険だっただろうが、今回はあくまで境界が揺らいでるだけだしな」

 そんな2人に零無は変わらぬ様子で言葉を吐く。影人は零無のその言葉を聞いて、「そ、そうか・・・・・・」と言って取り敢えず少し落ち着いた。もちろんまだ動揺はしていたが。

「零無。世界と世界の境界が不安定になって、向こう側の世界の者たちがこちらに現れているという事は、その逆も起こっているのではないの? つまり、こちらの世界の者たちも向こう側の世界に現れているんじゃないの?」

 シェルディアがそう指摘する。だが、零無はその首を横に振った。

「いや、それはない。確かに両世界の境界は揺れて不安定になっているが、今回の場合は向こう側の者たちがこちら側に来ても逆は発生しないという、いわば一方通行の状態になっている。境界が不安定になって所々空間に亀裂が入っているが、普通の人間などはその亀裂に入る事は出来ない。吾がそう設定したからな」

「っ・・・・・・!? おい、どういう事だ零無。今の言葉・・・・・・お前がこの事態を引き起こした元凶って事か?」

 影人は零無を睨みながらそう問うた。そうだとするならば、いったいいつ事態を引き起こす仕込みをしたのかなどの疑問はある。だがそれよりも、影人は怒りを覚えていた。多少は改心したと思ったのに、まだ悪意を振りまこうというのか。

「まあ、吾が元凶といえば元凶なんだがね。ただ、吾は道具を創っただけだよ。次元の境界を不安定にする道具をね。それを使って、この状況を作り上げたのは別の奴さ」

「誰だそいつは!? お前はいったい誰にその道具を渡した!? 答えろ零無!」

 影人に睨まれた零無は軽く肩をすくめながらそう言った。影人は語気を強め、零無にそう言葉を飛ばした。シェルディアも鋭い目を零無に向けた。

「いいよ、教えよう。吾がその道具を渡した相手は、吾が『物作り屋』と呼んでいる者だ。そいつの得意な事もとい権能が物作りでね。だから、吾はそいつをそう呼んでる。そいつの名前は・・・・・・」

 そして、零無はこの事態を引き起こした者の名を放った。

。かつて忌神として神界を追われた神さ」












「くしゅん・・・・・・ふーむ、誰かが私の噂でもしているんでしょうかね。私は風邪なんて引きませんし」

 くしゃみをしたその男――男神フェルフィズは右手の人差し指で軽く鼻下を擦りながらそう呟いた。場所はさっきとは変わり、京都のとあるホテルの一室だ。フェルフィズはイスに座り、机にはコーヒーが置かれていた。その光景から分かるように、フェルフィズは混乱している世界を尻目に寛いでいた。

「世界間の境界を不安定にさせる事には成功しましたが・・・・・・いささか混沌の具合が弱いですね。見たところ、生物などの流入は向こうの世界からの一方的なもので、こちらの世界からは向こう側には流入していないようですし。それに、神々の対応も思っていたよりも早い」

 フェルフィズはメガネに映っているこの世界の国々の各主要都市の光景を見ながら、少し不満そうにそう言った。このメガネはかつてフェルフィズが作った神器だ。必要なマーキングさえすれば、その場所の光景を見る事が出来る。フェルフィズはそのメガネを通して、この世界の現在の状況を観察していた。

「恐らく、向こう側からこちら側への流入は一方的なものに設定されていましたね。全く、こちら側から境界を不安定にさせたのに流入が向こう側からの一方的なものになるとは・・・・・・やってくれましたねあの女」

 フェルフィズは少し苛立ったようにそう言葉を吐いた。フェルフィズが言ったあの女とは、かつての真界の最上位の神、零無の事だ。色々と助け、「帰還の短剣」までも貸して消滅させたくせに、この程度の力しかない道具を寄越すとは。フェルフィズが期待していたのは、あくまで両世界からの流入が起こる境界の不安定だ。だが、この程度では期待外れもいいところだ。

「文句の1つも言いに行きたいところですが、この前会った時以来、彼女の気配が全く感じられなくなりましたからね。まあ恐らくは、どういう奇跡か、また封印されたか、戦いに負けて死んだのでしょうが・・・・・・」

 フェルフィズは零無からあの3本の道具を貰って以来、零無とは会っていない。零無のその後もどうなったのか知らなかった。そのため、フェルフィズは以前は感じられた零無の気配が感じられなくなった事をそう推測していた。零無はシトュウから力を奪ってから自身の気配を完全に遮断していたが、フェルフィズにだけは分かるようにしており、そのためフェルフィズは零無の気配が消えたという事実を理解していた。

 だが、事実は少し異なり零無は幽霊として生きている。ではなぜ零無が封印される前に、幽霊状態でも零無の気配を感じ取る事が出来たフェルフィズが、今回は気配を感じられなくなったのか。

 それは、零無の幽霊としての在り方が変わった事が理由だった。零無は影人に肉体を殺されたショックが原因で幽霊としての在り方が変わった。どんな者もチャンネルを合わせれば零無の存在が感じ取れる代わりに、零無がチャンネルを合わせていない者、又は無調整状態の零無を感じ取る事が出来るのは、零無の魂のカケラを宿す影人、零無と魂の格が同等の真界の神々くらいとなった。もちろん、そこに気配も含まれるため、神界に所属していた下級の神であるフェルフィズは零無の気配を感じ取れなくなったのだ。

「まあ、いかに神々といえども完全に境界を元に戻すには時間が掛かるでしょう。出来ればその間に色々と仕込みをしたいですね・・・・・・なので、今はまあこの状況で良しとしましょう」

 フェルフィズは気を取り直すようにそう呟くと、笑みを浮かべた。

 その笑みには狂気と邪悪さが宿っていた。














「なっ・・・・・・フェル、フィズ・・・・・・だと・・・・・・?」

「っ、その名前は・・・・・・」

 零無の口からフェルフィズという名前を聞いた影人とシェルディアは、互いにその顔を驚愕の色に染めた。影人もシェルディアもその名前を知っていたからだ。

「・・・・・・零無。そのフェルフィズというのは、『フェルフィズの大鎌』のフェルフィズ・・・・・・という理解でいいのかしら?」

 影人よりも先に驚きから立ち直ったシェルディアが、零無にそう質問した。その言葉に零無は頷く。

「ああ、そのフェルフィズだ。まあ、ある意味有名じんだよなあいつは」

「そう、やはり・・・・・・」

 確認したシェルディアは深刻な顔になった。フェルフィズ。それは一部の者に狂った神、或いは忌神として知られている神だ。本来は神々くらいしか知らぬその名前を、シェルディアは知っていた。長生きしていれば色々な情報は自然と知る事が出来るものだ。だがしかし、確かその神は――

「・・・・・・そいつは遥か昔に死んだはずだろ。少なくとも、俺はソレイユからそう聞いたぜ」

 ようやくある程度衝撃を受け止める事が出来たのか、影人がそう言葉を放った。そう。影人の指摘通り、フェルフィズは既に死んでいる神のはずだ。自身が作り、自身の名を冠した全てを殺す大鎌によって。それが、フェルフィズという神を知っている者たちの共通した最期だ。

「その理解は間違っていないよ。あいつは一応死んだ事になっているからね。だがよくある話で、実はあいつは生きていた。それだけの話だよ」

「「っ・・・・・・」」

 だが、零無は何でもないように衝撃の事実を述べた。その事実に、影人とシェルディアは再び驚いた顔を浮かべた。

「予め言っておくが、どうやってという疑問には答えられん。ただまあ、自分の作った道具や何やらを使って死を偽造したとは言ってたな。それ以上は知らんよ」

「そう・・・・・・でも、その話が本当だとすれば由々しき事態ね。あのフェルフィズが生きていた。しかも、明らかに混乱と災厄を振り撒こうとしている。現在この世界に生きる者として、また向こう側の出身者として見逃す事は出来ないわ。・・・・・・まあ、不謹慎ながらちょっとワクワクはしているのだけれど」

「ははっ、存外にいい性格してるなお前」

 長年生きているため、面白そうな事や事態の変化といった事などに人一倍興味を示すシェルディアが最後にそんな言葉を漏らす。シェルディアの隠しきれぬ本心を聞いた零無は笑いながらそう言った。

「あなたにだけは言われたくないけれど。全く、フェルフィズが生きている事もそうだけど、フェルフィズがそんな事をすると分かっていたなら、もっと早く言ってもらいたかったものね。そうすれば、この状況も防げたかもしれないのに」

「今更もしもの話をするなよ。というか、話ならさっきシトュウにしたぜ。色々聞かれたからな」

「遅すぎるのよ。聞かれなければ話さないという姿勢を改めなさいな」

「うるさい吸血鬼だな。別にいいだろ。吾が境界の揺らぎに制約を掛けていたから、この程度で済んでるんだ。まあ、制約を掛けていた理由は吾と影人が生きるこの世界を壊さないようにしたからだが。だから、境界が不安定になってもまだこの世界は壊れてないだろ」

 シェルディアと零無がそんな会話をする。2人の会話を漠然と聞きながら、影人は他の事に、つまりフェルフィズの事にその意識を割いていた。

(フェルフィズ・・・・・・今の零無の話が本当なら、俺が過去で会ったフェルフィズは・・・・・・)

 過去の世界で影人とレイゼロールに接近し、そして影人を刺して現代の世界に還した男。影人が死んだという嘘をレイゼロールに伝え、結果的に長年に渡る光と闇の戦いの原因を作った男。その男が名乗った真の名前というのがフェルフィズだ。現代に戻りソレイユにその名前を知っているかと問い、答えたのが遥か昔に死した忌神フェルフィズ。そのため、影人は過去で会ったフェルフィズは、忌神の名を語る偽者か、それ以外の何者かだと今まで思っていた。

 しかし、零無の話を聞いてその認識が変わった。過去で会ったフェルフィズは、忌神フェルフィズであった。影人はそう確信した。そして、その男神がまだ生きており、今度は世界に混乱をもたらそうとしている。

「・・・・・・ムカつくな」

 ポツリと気づけば影人はそう言葉を漏らしていた。影人はかつてフェルフィズに刺された箇所を右手でギュッと抑えた。同時に、影人の内に怒りの感情が湧き上がって来る。憎悪や殺意といった負の感情も。

「・・・・・・決めたぜ。フェルフィズの奴は俺が潰す。あいつにやられた傷の借りも返さなきゃだからな。お礼参りだ」

 影人は自然と冷たい顔になりながら、低い声でそう宣言した。自分の全ての戦いは零無との戦いで今度こそ終わったと思っていたが、どうやらまだだったようだ。ならば、徹底的に戦ってやる。影人は新たに戦う決意をした。

「ふむ、そうかい。確かにお前はあいつと少なからず因縁があったな。どちらにせよ、お前がそう決めたのなら吾はお前の味方をするだけだ」

 レゼルニウスの記憶を見てフェルフィズと影人の因縁を知っていた零無は、影人の言葉に理解を示し頷いた。

 ちなみに、零無はフェルフィズと影人に因縁があった事を今思い出した、というか気にした形だ。その理由はほんの少し前まで、どうやって影人を我が物にしようかという事しか考えていなかったからだ。要は頭一面お花畑、もとい恋愛脳だったのである。フェルフィズが影人を刺した事を知っていて、零無が怒り狂わなかった理由はそういう事であった。

「私も協力するわ。理由はさっき言った通りよ」

 シェルディアも真剣な顔で影人に同意した。

「・・・・・・ありがとよ嬢ちゃん。助かるぜ」

 影人はシェルディアに感謝の言葉を告げると、振り返りその金の瞳で夜空に浮かぶ月を見上げた。そして、影人は改めて決意の言葉を吐いた。

「・・・・・・待ってやがれよ、フェルフィズ。てめえが何を考えてるか知らねえが・・・・・・お前はもうスプリガンの標的だ」

 スプリガンの新たな仕事が決まった。それは――狂える忌神の討伐だった。

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