第315話 影人と零無、因縁の決着

「っ・・・・・・」

 影人の右手が零無の胸部に灯る魂に触れる。その瞬間、フッと零無の胸に灯る魂が消えた。崩壊を始めている影人の『世界』が原因で消えたのではない。零無の魂が消えたのは、影人が触れた瞬間に決定を下したからだ。死という決定を。

「はあ、はあ、はあ・・・・これで・・・・終わりだ零無・・・・・・俺たちの因縁も・・・・・・」

 影人はそう言葉を絞り出すと、『世界』を解除した。途端、周囲の光景が元の世界に戻る。影人のスプリガンとしての力も限界を迎え、影人の変身が強制的に解除された。

 同時に、影人の体にどっと今までの疲労が押し寄せる。影人は全身の力が抜けてしまい、立っていられずにその場に尻餅をついた。零無もそのまま力ない様子でドサリと、大の字に地面に倒れた。

「「帰城くん!」」

 戦いが終わった事を理解した陽華と明夜が、影人の元へと駆け寄ろうとする。だが、そんな2人にシェルディアは待ったの声を掛けた。

「待ちなさい陽華、明夜。まだ、まだダメよ」

「え、な、何でシェルディアちゃん・・・・・・?」

「戦いはもう終わったでしょ・・・・・・? 帰城くんの勝利で・・・・・・」

 シェルディアの言葉に、陽華と明夜は意味が分からないといった顔を浮かべる。シェルディアは少し悲しそうな声で、2人にその答えを返した。

「まだ済んでいないからよ。影人と零無の・・・・・・お別れが」

「「っ・・・・・・」」

 シェルディアの答えを聞いた2人はハッとしたような顔を浮かべ、シェルディアと同じような、少し悲しげな顔になり、影人と零無を見つめた。

「はあ、はあ・・・・俺の勝ち・・・・だぜ、零無・・・・」

 影人は息を荒げながら、元の長さに戻った前髪、その下にある両目を零無に向けた。その言葉を聞いた零無は、仰向けになりながらこう言った。

「ああ・・・・・・どうやら、そうみたいだね・・・・・・」

 零無はそれから少しだけ間を開けて、こう言葉を続けた。

「ふ、ふっ・・・・・・やっぱり、お前は凄いよ。本当に、大した人間だ・・・・・・普通なら、絶対に人間にあの精神攻撃は耐えられないはずなのに・・・・・・お前は耐えた。そして・・・・・・吾に勝った。正面から、真っ直ぐに・・・・・・不可能を可能に、条理を破った・・・・・・全く、本当にお前という奴は・・・・・・」

 自分の中から消え行くもの、命もしくは魂を感じながら、零無は小さく笑った。その笑みは、悲しそうでもあり、呆れたようなものであり、そして嬉しそうなものでもあった。

「ふん・・・・・・よりにもよって、俺に精神攻撃なんかするからだ。まあ、そういう状況にしたのは俺だがな・・・・・・悪いが、俺は精神の、心の強さだけは自信があるんだよ・・・・・・」

 ようやく息を整えられてきた影人が、零無にそう言葉を述べる。その言葉を聞いた零無は、変わらず小さな笑みを浮かべた。

「はは・・・・・・そう、だな・・・・・・うん・・・・・・お前の言う通りだ・・・・・・でも、不思議なものだ・・・・・・初めて会った時・・・・・・泣きじゃくっていた人間が・・・・・・まさか・・・・・・吾を封じ、吾を斃すなんてな・・・・・・」

 7年前の事を思い出しながら、零無はそう呟いた。全く思いもしなかった。まさか、自分という不滅のはずの存在を終わらせるのが人間だなんて。本当に生というものは、何が起きるか分からないものだ。

「ああ・・・・・・色々と思い出すな・・・・・・なるほど、これが人間の言う・・・・・・走馬灯というものか・・・・・・だけど、やっぱり・・・・・・1番鮮明で、1番強烈で・・・・・・1番楽しくて・・・・・・光り輝いている記憶は・・・・・・お前と過ごした、あの夏の記憶だよ・・・・・・」

 自分を変えたあの日々。恋というものを、愛というものを知り、世界の美しさを知り、そして自分が「零無」になったあの日々。あの時から零無の本当の生は始まったのだ。明確にそう断言出来る。その前の自分は、生きながらも死んでいたのだ。

「・・・・・・」

 零無の言葉を影人は黙って聞いていた。既にやる事はやった。零無はもう少しすれば死ぬ。死に行く者の言葉を、影人はただ聞いていた。

「本当に・・・・・・お前と笑い合った日々は楽しかったなぁ・・・・・・お前はいつからか・・・・・・吾の前では笑わなくなってしまったが・・・・・・」

「・・・・・・いつからかじゃねえよ。明確だ。俺がお前の前で笑わなくなったのは、お前が俺を逃がさないと言った時、お前が俺を脅した時だ。・・・・・・まあ、お前には脅したなんて感覚はないだろうがな」

 その言葉に影人は今度はそう言葉を返した。届くはずはない。そう分かっていても、影人はそう言った。

「そう・・・・か・・・・・・ああ、そうだな・・・・・・確かに、あの時から・・・・・・お前は笑わなくなった・・・・・・そうか・・・・・・吾はお前を苦しめていたのか・・・・・・」

「っ・・・・・・」

 だが、零無の漏らした言葉は影人が予想していたものでは全くなかった。零無の言葉を受けた影人は驚いた顔を浮かべた。

「死に向かっているから・・・・かな・・・・・・それとも、1度お前の『世界』で・・・・・・魂を浄化されたからか・・・・・・何だか、随分と・・・・・・随分と素直で、まっさらで・・・・・・穏やかな気持ちだ・・・・・・」

 零無の体からぼんやりとした透明の光が放たれる。それは消え行く光。零無がこの世界から消え行く、淡い証明だった。

「どうやら・・・・・・吾は間違っていたみたいだなぁ・・・・・・唐突に、本当に唐突に・・・・・・そう思えて来たよ・・・・・・」

 先ほどまで身を焦がしていた愛の激情がすっかり落ち着いたからか、零無はポツリとそんな言葉を漏らした。それは今までの零無からは考えられない言葉であった。

「零無・・・・・・」

 その言葉を聞いた影人がどこか呆然としたような顔になる。零無はその顔からツゥと透明の涙を流した。

「ごめんな・・・・・・ごめんな影人・・・・・・今更、謝っても遅すぎるし・・・・意味がないのも・・・・許されないのも分かってる・・・・・・でも、ごめんな・・・・・・どうやら、吾は今まで暴走していたらしい・・・・・・子供のように、初めての感情に・・・・浮かれていたらしい・・・・・・その事に今気がついたよ・・・・・・」

 零無が懺悔の言葉を口にする。その瞬間、零無の中で何かが氷解した。感情と涙がブワッと溢れて来る。

「は、はは・・・・・・感情1つ制御出来ないで・・・・・・何が真なる神だ・・・・何が全ての頂点に立つ存在だ・・・・・・全てから自由と謳い・・・・・・吾は『空』という役目に雁字搦めだった・・・・ああ、愚かだなぁ・・・・結局、愛というものが・・・・・・本当はどんなものかも分からなかった・・・・・・本当に吾は愚かだ・・・・・・」

「・・・・・・」

 泣き笑う零無。そんな零無を見た影人は何とも言えないような顔になった。零無はなけなしの力で、右の手で自身の胸部に触れると、胸の内から透明の輝きを放つ光の球体のようなものを取り出した。

「シトュウ・・・・・・お前に力を返すぜ・・・・・・死に行く吾に・・・・・・もうこれは必要ないからな・・・・・・」

 零無はそう呟くと、そっと右手を動かし光の球体を放った。光の球体はふわふわとひとりでに動くと、シトュウの方へと向かい、シトュウの中へと入っていった。

「っ、零無・・・・・・」

 自身の中に『空』としての全ての力が戻った事によって、シトュウの薄紫の目が透明の目へと変化する。その事を確認した零無は、シトュウに向かってこう言葉を続けた。

「『空』はお前だシトュウ・・・・・・せいぜい、しっかりやれよ・・・・だけど、気負い過ぎないようにな・・・・じゃなきゃ・・・・・・いつか吾みたいに・・・・なっちまうぜ・・・・・・」

「ええ・・・・・・肝に銘じておきますよ」

 その零無の言葉にシトュウはコクリと頷いた。それは、『空』の正式な継承を意味していた。

「さて・・・・・・これで、やり残した事はなくなったな・・・・・・そろそろ、逝くとするか・・・・・・」

 もう目に分かるくらい、零無の体は薄く、透明になっていた。いつかの消える前の影人のように。それは、あとほんの少し先に死がある事を示していた。

「じゃあ・・・・な・・・・・・影人・・・・・・吾の友だった者であり・・・・・・吾が愛した・・・・・・唯一の人間・・・・・・こんな事を、吾に言われるのは嫌だろうが・・・・・・しっかりと・・・・・・お前なりに・・・・・・幸せに生きるんだぜ・・・・・・」

 零無は最後に微笑みながら影人にそう言った。その笑みはかつての優しかった、愛に狂う前の零無と同じ笑みだった。

「・・・・・・零無、お前は愛ってものが、結局どんなものか分からなかったって言ったな。それは俺もだ。俺も愛ってやつが本当はどんなものなのかは分からない・・・・・・でもな、人間は昔から愛の1つの解釈としてこう言ってるぜ」

 影人は零無にそう言うと笑みを浮かべ、

「愛とは――与えるものだってな・・・・・・」

 そう言った。

「そう・・・・か・・・・・・愛とは・・・・与えるもの・・・・か・・・・・・ありがとう・・・・・・最後に知れて・・・・・・よかったよ・・・・・・」

 その言葉を聞いた零無は満足したような顔になった。そして次の瞬間、零無の体が一際強く輝き零無の存在が消滅し――


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ?」


 ――なかった。体は依然半透明のままだが、零無はこの世から消えはしなかった。

「ああ、あともう1つだけ与えるものがあった。それは・・・・・・赦しだ。少なくとも、その2つは与えられるものらしいぜ」

 影人はそう言うと、不思議そうな顔を浮かべている零無にこう説明した。

「俺が殺したのは、あくまでお前の肉体だけ。表側だけだ。裏側・・・・・・魂まで殺しはしてねえよ。もちろん、殺そうと思えば殺せたがな」

「なぜ・・・・・・どうして・・・・・・吾を、吾を赦すというのか影人・・・・・・」

 その答え聞き、7年前と同じ精神体、幽霊に戻った零無が驚いた顔で影人にそう聞いた。信じられないといった声音で。

「勘違いするな。俺は一生お前を赦さないし、これからも赦すつもりはない。さっきの言葉はあくまで一般論だ」

「では何故だ・・・・何故、吾の魂を存続させた・・・・・・? 吾には分からない・・・・・・分からないよ影人・・・・・・」

 零無が呆然とした顔でそう質問する。子供のように。影人は「はあー・・・・・・」と大きくため息を吐くと、こう言った。

「・・・・・・お前に借りを作らないためだ。事情はどうあれ、お前は俺を生き返らせた。それは明確なデカい借りだ。借りは返さなくちゃならないだろ。それがどれだけ嫌いで憎んでいる相手でもな。じゃなきゃ、気持ち悪いんだよ」

 つまらないといった感じの顔を浮かべながら、影人が零無の魂を殺し切らなかった理由を述べる。そう。影人は零無に大きな借りがある。零無が生き返らせてくれなければ、影人はまた大事な人たちに会えなかった。

 ゆえに、影人は感情を抜きにして割り切ったのだ。本当ならば、割り切れるはずがないそれを無理矢理に。

 つい先ほどまでの、暗い感情に支配され切っていた影人ならば、それを割り切れずに、『終焉』の力で零無の魂まで殺し切っていただろう。それは間違いない。

 だが、再びスプリガンになって、暗い感情の支配からある程度脱した影人は、零無に対する借りを自覚し、魂まで殺す事はやめた。『影闇の城』を顕現した時には、影人はその事を決めていた。

「・・・・・・俺は人間だ。どこまでも人として堕ちていたとしても、俺は人間なんだ。理性あるな。その証明のためにも、矜持のためにも俺はその選択をした。だから勘違いするな。結局は、全部俺のためなんだよ」

 そして、影人は立ち上がり真っ直ぐに前髪の下の目を向けると、こう言葉を続けた。

「さて、今のお前にはもう何の力もない。ただの、本当にただの幽霊と同じだ。何にも干渉できず、ただ見る事しか出来ない存在に成り下がった。だからもう、警戒する価値すらもない。後は好きにしろよ。それでいいよな、シトュウさん」

「・・・・・・ええ。他でもないあなたがそう言うのならば。『空』の力も全て戻りましたし、零無に関する処遇はあなたに任せます」

 影人にそう言われたシトュウはその首を縦に振った。零無をどうするかは、全て影人に決める権利がある。かつて零無に大切な者を奪われた影人に。

「・・・・・・そういう事だ。じゃあな」

「待って、待ってくれ影人・・・・・・好きにしろと言われても、急に何をしたらいいのか分からないよ・・・・・・」

 去ろうとする影人に零無がそう言葉をかける。先ほどまでの覇気を失った零無の様子は、不安そうな子供のようであった。

「はあ? 何言ってんだお前。別に俺と出会う前みたいに過ごせばいいじゃねえか。ガキじゃねえんだから、それくらい考えろ」

「無理だよ・・・・・・お前と出会う前に戻るなんて。そんな事は、今の吾にはもう・・・・・・」

 呆れたようにそう言った影人に、零無は力なく首を横に振った。

「マジで言ってんのかよ・・・・・・はあー・・・・・・ああああああああああッ! ったく、分かったよ!」

 影人は右手でガリガリと頭を掻きながら、急にそんな声を上げると、やけくそ気味にこう言った。

「だったら! 幽霊だろお前は! 守護霊じゃねえが、それも幽霊の形みたいなもんだろ! 分からねえならそうしろ! クソッタレが!」

「え・・・・・・・・・・・・」

 零無は呆気にとられた顔になり、思わずそう言葉を漏らした。そんな零無に影人は言葉を畳み掛ける。

「だが勘違いするなよ! さっきも言ったみたいに俺は一生、絶対にお前を赦さない! だから馴れ合う気はねえ! 分かったな!? 分かったらもうこれ以上言わせるな! 感情ぐちゃぐちゃになってどうにかなりそうだ!」

 零無に右手の人差し指を向けながら、キレたようにそう言った影人。そんな影人をただその透明の瞳で見つめていた零無は、幽霊であるはずなのに、ツゥとその瞳から涙を流した。

「い、いいのかい・・・・・・? 吾は・・・・・・吾はこれからもお前と一緒にいても・・・・・・」

「だからそう言ってんだろうが! これ以上言わせるなって言っただろ!」

「ほ、本当に・・・・・・?」

「ああ本当だよッ!」

 完全にキレた口調で影人は零無の言葉に答えを返した。その答えを聞いた零無は、泣きじゃくりながら言葉を絞り出す。

「う、ううっ・・・・・・あ、ありがとう・・・・・・本当に、本当にありがとう影人・・・・・・ううっ」

「ちっ、泣くなよ。泣きたいのは、こんな事を言っちまった俺なんだからな・・・・・・」

 泣きじゃくる零無に、影人は右手で軽く頭を押さえながらそう言葉を漏らす。本当になぜ自分はそんな事を言ってしまったのか。自分でも分からない。だが、気づけば影人はそう言ってしまっていた。

「そう・・・・・・それが、あなたの決断なのね。ふふっ、ならば私たちはそれを受け入れるだけ。でも・・・・・・ええ、やっぱりあなたはあなたなのね。とても、とてもあなたらしい決断だわ影人」

 その様子を見守っていたシェルディアは、暖かな笑みを浮かべながらそう呟いた。シェルディアはどこか嬉しそうだった。

「ううっ、良かったね明夜・・・・・・」

「ええ・・・・・・文句のつけようがないくらい、ハッピーエンドよ・・・・・・!」

「帰城くん・・・・・・やっぱり、君は凄いよ・・・・・・」

「ふん・・・・・・それがお前の決めた事ならば、我は何も言うまいよ」

「影人・・・・・・っ、本当に大した人間ですよ。あなたは・・・・・・」

 その光景を見ていた陽華、明夜、光司、レイゼロール、ソレイユたちもそれぞれそんな言葉を漏らしていた。

「ほら、分かったら行くぞ。さっさと帰らなきゃならないからな」

「うん・・・・うん・・・・・・ありがとう影人・・・・・・」

 影人と零無は最後にそう言葉を交わし合うと、周囲で自分たちを見守っていてくれた者たちの方へと、向かって行った。


 ――こうして、影人と零無の因縁の戦いは決着した。

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