第308話 昏い覚悟
「ふぁ〜あ・・・・・・そろそろ寝るか」
月曜夜11時過ぎ。零無とシトュウが戦った同日の夜。自宅の自分の部屋で漫画を読んでいた影人は、大きなあくびをすると、目から溢れて来た涙を服の袖で拭いそう呟いた。
「よいしょっと」
漫画を机の上に置き、影人はベッドに潜り込んだ。春は寝やすい季節なので、本当にいい。出来れば春と秋だけで巡ってほしい。影人がどうでもいい事を考えながら、長い前髪の下の目を閉じようとした時だった。
何の前触れもなく、突如として周囲の光景が変化した。真夏の昼の神社の境内へと。
「っ・・・・・・!?」
その変化に、眠気が吹っ飛ぶ。影人はバッと体を起こし立ち上がると、この幻覚を通して影人に接触してきた人物、その姿を参道右側の大きな石の上に見つけ、前髪の下の両目でその人物を睨みつけた。
「やあやあ影人。約束通り、また語りかけに来たよ」
「零無・・・・・・!」
石の上に座りながらパタパタと自分に手を振って来るその人物――零無に、煮えたぎる負の感情を乗せながら、影人は零無の名を呟いた。
「はっ、またお話でもしにきやがったか? だったら話す事はないから、さっさとこの幻覚を解け。前は話してやったが、今日はもう話さねえぞ」
一瞬にして精神がドス黒い感情に支配された影人は、低い声でそう言った。
「おやおや、いいのかい? 今のお前は、もはやそう言える状況ではないというのに」
「っ・・・・・・? どういう事だ?」
だが、零無はニヤニヤとした顔で意味深にそう言った。零無の言葉を聞いた影人は、意味が分からないといった顔を浮かべた。
「端的に言おう。吾はつい先ほど、シトュウを無力化した。もはや、シトュウはこの地上世界で力を振るえない。つまりだ。吾はやろうと思えば、いつでもお前を迎えに行く事が出来るというわけさ」
「なっ・・・・・・」
零無が放った衝撃的な言葉。それを聞いた影人は、その顔を驚愕に染めた。
「っ、そんな嘘が・・・・・・!」
「嘘だと思うのなら、シトュウに聞いてみればいいさ。ただの死なないだけの普通の人間と変わらない者に成り下がったあいつを、吾は拘束も何もしていないからな」
「っ・・・・・・」
影人が反射的にそう言葉を漏らすと、零無が落ち着いた様子でそう言ってきた。零無のその言葉を聞いた影人は、つい口をつぐんでしまった。零無の言葉は真実なのだと思ったからだ。
「確かに、シトュウを排除してもお前の周囲には、吾を殺せる力を持ったレイゼロールや、それなりの力を持った吸血鬼もいる。だが、そんな奴らじゃ吾の相手にはなり得ないのさ。吾の相手になり得たのはただ1人、シトュウだけだった。そして、そのシトュウは吾が無力化した」
「・・・・・・つまり、てめえは何が言いたいんだよ」
どこか唸るように、影人がそう言葉を挟む。その言葉を受けた零無はニィと笑った。
「さっき言った通りさ。吾はいつでもお前を迎えに行く事が出来る。それこそ、やろうと思えば今すぐにでも。こんな幻を越えてな。だが、吾は寛大だからな。影人、またお前にこう問いかけようと思うのさ。あの時と同じ、2択だよ」
零無は邪悪をも超えた、超然たる笑みを浮かべながら影人にこう言った。
「影人、明日の夜、1人でとある場所に来い。もちろん、誰にも言わずにな。場所は明日に知らせる。多分、それほど遠い場所ではないさ。1人で来るなら、吾はお前の周囲にいる者に危害は加えない。それは誓ってやろう。だが、1人で来ない場合は、お前の周囲の者たちを殺す。お前の家族や、関わりがある者、人ならざる者、全てをだ。1人で来るか、1人で来ないか・・・・・・お前の選択は2つに1つだ」
零無のその言葉は一種のブラフだった。「無」の力を封じられている今の零無に不死者、つまりレイゼロールやシェルディアは殺せない。だが、影人はその事を知らない。もしかすれば、後日シトュウからその事を聞けば、零無の今の言葉の一部が嘘だと分かるかもしれないが、とにかくとして、今の影人にその言葉が嘘だとは分からなかった。
「っ!?」
零無の無慈悲な宣言を受けた影人は、強いショックを受けた。否応もなく、あの7年前の零無との事が思い出される。あの時も、影人は零無から2択を迫られた。1人で零無と共に行くか、家族を殺されて零無と共に行くかの2択を。
(ふざけるなよ・・・・・・お前はまた、俺から奪うっていうのか。しかも、今度は家族だけじゃない。それ以外の奴らまで・・・・・・!)
ギリッと影人は歯軋りをした。あまりにも悔しくて。あまりにも怒りが込み上げてきて。感情は表面的に爆発はしなかったが、影人の内部で確かに爆発していた。
「だがまあ、お前はもし1人で来たとしても、前のように吾に反逆しようとするだろう。まあ、お前なりの照れ隠しだと吾は思っているが。残念ながらお前はそうすると思わざるを得ない。そして、その時はいいぜ。互いに戦い合おう。互いの力を尽くしてな」
零無は予め、影人に戦いの許可を与えた。これは昔とは違う事だ。零無は以前よりも遥かに強い力を取り戻し、影人も昔とは違いある力を持っている。今の零無にも届き得る力を。
「そろそろ、もう気づいているんだろう影人。吾が言った、お前の力に。さあ、あの時の再現と、その続きと行こうぜ。じゃあな、影人。今日はそれだけ言いに来た。お前がどちらを選択するか、楽しみにしてるぜ」
零無がそう言うと、フッと零無の幻ごと幻覚の風景が消えた。まるで、春の夜の夢のように。
「・・・・・・」
薄明かりが照らす自身の部屋の中心に立ち尽くしながら、影人はただその顔を俯かせた。
「・・・・・・ああ、いいぜ。今度こそ、お前と決着をつけてやる零無」
影人は低い声でギュッと拳を握った。そう。つい先日、影人は零無が言っていた自分の「力」に気がついた。考えてみれば、その力が影人の中にあるのは道理だった。なぜなら、影人は彼から力を受け継いだのだから。そして、影人はゆらりと顔を上げると、こう言葉を続けた。
「俺は・・・・・・必ずお前を殺す」
まるで呪い殺すかのような殺意を、その体から立ち昇らせながら。
影人は昏い覚悟を決めた。
そしてその直後、シトュウから影人、レイゼロール、シェルディア、ソレイユ、ラルバに対し、念話が送られてきた。その内容は、零無が言ったように、零無の罠にかかり地上で力を振るう事を封じられ、戦力外になってしまったというものだった。
「・・・・・・まずい事になったわね」
シトュウの念話を受けポツリとそう呟いたのは、シェルディアだった。夜遅く、自分の寝室のベッドの上に座っていたシェルディアは、彼女にしては珍しく難しげな顔を浮かべていた。
(今まであの零無とかいう女が仕掛けて来なかったのは、おそらく
シェルディアはシトュウの戦闘能力を直接見た事はないが、シトュウが尋常ならざる実力者であるという事は理解していた。最初に影人を生き返らせた時、零無はシトュウが現れた事によって退却したからだ。シトュウが現れなければ、零無はレイゼロールとシェルディアと戦っていただろう。つまり、シトュウが現れなければ、零無は2人に勝てると踏んでいたのだ。
ちなみに、力を封じられたシトュウがなぜ念話を使えたかの理由については、シトュウが念話で言っていたが、真界に戻ったからだ。シトュウが力を封じられたのはあくまで地上での話。ゆえに、真界ならばソレイユやラルバと同じく力を扱える。
(不幸中の幸いは、零無が不死殺しの力を使えないという事だけかしら。対して、こちらにはレイゼロールの『終焉』の力、もしくは私の禁呪がある。だけど・・・・・・)
それでも、零無が強力極まりない相手である事に変わりはない。自分やレイゼロールですらも圧倒したあの重圧。シェルディアに限って言えば、生物そのものの格の違いを教えられるような、あんな感覚は初めてだった。当然、零無はあの重圧を発するだけの実力はあるだろう。
(もちろん、負ける気なんてものは全くないわ。何があっても、影人は必ず私が守ってみせる。あの子のためなら、私は何だって出来るのだから)
それがシェルディアの唯一の覚悟。自分に暖かさを教え、自分を受け入れてくれた影人だけは、何をしてでも守る。それだけは明確だ。
だが、
「・・・・・・何だか胸騒ぎがするわね」
シェルディアはポツリとそう呟いた。もちろん、それはただの予感だ。確証のようなものは何もない。
しかし、シェルディアは何か取り返しがつかない事が起こるような気がしてならなかった。
「・・・・・・」
そして、翌日。4月23日火曜日早朝。平日なので、普通に学校があった影人は、自宅を出た。すると、
「影人」
自分を呼ぶ声が近くから聞こえて来た。影人がその声のした方を振り向くと、そこにはシェルディアがいた。
「嬢ちゃん・・・・・・おはよう。外でずっと俺が出てくるまで待ってたのか? インターホン鳴らしてくれりゃよかったのに」
影人は小さな笑みを浮かべ、シェルディアにそう言った。影人にそう言われたシェルディアは、自身も小さな笑みを浮かべた。
「おはよう。ほとんど待っていないから気にしないで。それよりも・・・・・・」
シェルディアは真面目な顔になると、念のため周囲に遮音の結界を張り、こう言葉を続けた。
「昨日の念話は聞いた? シトュウが零無に無力化されてしまったという話の事よ」
「ああ・・・・・・うん。聞いたよ。かなりマズい事になったよな・・・・・・」
その言葉に影人は頷いた。確認を取ったシェルディアが再び言葉を紡ぐ。
「ハッキリ言って、零無の危険度が跳ね上がったわ。零無はいつあなたを狙って仕掛けて来てもおかしくない。だから、影人。あなたは本当ならば、私やレイゼロールの側にしばらくはずっといた方がいいわ。もちろん、あなたの身に何か異常があれば、私やレイゼロールはいつでも駆けつける。でも・・・・・・コンマ数秒の差であなたが攫われる、という可能性もなくはない。だから・・・・・・あまり1人で出歩かない方がいいと思うの」
少し長めの言葉で、シェルディアは影人にそう提案した。シェルディアからそう言われた影人は、再び軽く頷いた。
「そうだな・・・・・・確かに、そっちの方が確実だよな。うん。嬢ちゃんの言ってる事は正しい。俺なんかを心配してくれる稀有なみんなのためにも、俺はそうすべきなんだろうな」
「だったら・・・・・・」
「でも、ごめん。これはどうしようもない我儘だけど、逃げ隠れはしたくないんだ。後は、ちょっと俗な理由にはなるけど、前みたいにあんまり学校もサボれないし。だから、それは出来ない」
しかし、影人はシェルディアにそう答えを返した。
「っ・・・・・・そう。確かに、あなたも色々と都合はあるものね。正直、あまり納得は出来ないのだけれど・・・・・・分かったわ」
影人の答えを聞いたシェルディアは、複雑そうな顔を浮かべながらも、ゆっくりと頷いた。
「でも、危険を感じたらすぐに私が行くから。何よりも速く。疾く風よりも速く」
「ありがとう。うん、その時はごめんだけど、頼むよ。じゃあ、俺は学校に行かなきゃならないから。またな、嬢ちゃん」
影人は軽く微笑みそう言うと、シェルディアに背を向けマンションの構内を歩き始めた。
(悪い、嬢ちゃん。でも、大丈夫だから。あいつが仕掛けて来るのがいつか、俺はもう分かってるから)
歩きながら、影人は心の内でシェルディアに謝罪した。そう。零無がいつ影人に仕掛けて来るのかは分かっている。なぜならば、昨日の夜に零無が影人に告げたから。明日の夜、つまり今日の夜に会う場所を、戦う場所を告げると。それまでは、零無は何もしてこない。影人には、なぜか確信があった。
「俺が全部・・・・・・終わらせる」
小さな、小さな声で影人はそう呟いた。その呟きをシェルディアは聞いたわけではなかったが、シェルディアは、
「影人・・・・・・」
影人のその後ろ姿が、どこかいつもの影人と違っているように見えた。漠然とした不安を抱きながら、シェルディアはポツリと影人の名前を呟いた。
「・・・・・・」
そして、時はあっという間に過ぎた午後4時過ぎ。授業を全て終えた影人は、鞄を持って教室を出ようと自分の席から立ち上がった。
「あ、帰城さん。今日も途中まで一緒に帰っていいですか?」
すると、同じように鞄を持った隣の席の海公が明るい顔で影人にそう聞いて来た。
「悪い春野。今日はちょっと帰りに寄る所があってな。だから、今日は無理だ」
「あ、そうでしたか。わかりました、すみません。では、また明日」
「ああ、またな」
影人は海公にそう言うと教室を出た。別に特に寄る所はないのでこれは嘘なのだが、影人は今日は誰かと一緒に帰るような気分ではなかったので、嘘をついたのだった。
「・・・・・・」
昇降口で靴を履き替えた影人が外に出る。周囲には部活に行く者や、影人と同じように下校しようとする者の姿が多くある。そんな者たちの中に紛れ、影人は学校の外に出た。
その身に、昏い感情のようなものを纏わせながら。
「――時は来た」
そして時は進み、太陽が闇に沈み月が世界を照らす夜。正確には午後8時過ぎ。とある開けた場所に立っていた零無はその口を三日月のように歪ませながら、そう呟いた。
「さて、では影人に告げるとするか。吾の居場所を。ふふっ、さあ影人。お前はいったいどちらを選択したのかな。まあ、予想はついているが」
零無は抑え切れぬ愉悦に心身を震わせると、影人に語りかけを行った。
「・・・・・・来やがったな」
自宅の自室。帰宅して晩ご飯を食べ終えてから、ずっとベッドの上に座っていた影人は、急に周囲の光景が変わった事に気がついた。すなわち、真夏の昼下がりの神社の光景へと。
「やあ影人。昨日言った通り告げに来たぜ。追加の情報を。つまり、吾が今いる場所をな」
大きな石の上に座っている幻覚の零無が、影人にそう言ってきた。すると、影人の中にとある場所のイメージが浮かんできた。この感覚は、かつてソレイユに闇奴の場所を知らされていた時の感覚によく似ていた。
「お前の中の吾の魂のカケラを通じて、送った場所。そこに吾はいる。今お前がいる場所から、せいぜい20分くらいかな。吾の魂のカケラが、吾と共鳴しているから、進む方角は感覚で分かるはずだ。その場所で、決着をつけよう。吾とお前のな。じゃあ、待ってるぜ影人」
零無はそれだけ言うと、スッと溶けるように消えていった。同時に周囲の風景の幻覚も。影人はユラリと、どこか幽鬼のような不気味さで立ち上がった。
「・・・・・・」
そして、無言でそのまま玄関に向かった影人は、靴を履き家を出た。その身に、夜に溶けるような黒い上下のジャージを纏いながら。
「俺が1人で・・・・・・お前を殺す。例え、お前が神だろうが何だろうがな・・・・・・」
低く昏い声で影人はそう呟いた。春の夜風がマンションの廊下に吹き込み、影人の前髪を揺らした。その隙間から見えた影人の両の目は、まるで視線だけで人を殺すかの如く鋭かった。
――影人が選択したのは、1人で零無と戦う道だった。
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