第307話 邪悪なる愛

「あなたが『無』の力を使えないのならば・・・・!」

 再び亜空間に戻った戦場。先に仕掛けたのはシトュウだった。シトュウは周囲の空間から壮麗なる武器の数々――剣、槍、斧など様々な武器――を呼び出すと、自身の左手を零無に向けた。

「『時』の力よ」

 シトュウは呼び出した武器に『時』の力を纏わせた。シトュウが施したのは時を進める力、すなわち加速。その力によって超神速まで加速された武器が零無へと向かった。同時に、シトュウも加速した肉体で以て、零無に突撃をかける。

「はっ、脳筋がよ!」

 零無は周囲から透明の鎖を複数呼び出し、その鎖で武器を縛った。だが、全てとはいかず、数本の武器は真っ直ぐに零無に接近した。

「ちっ」

 零無が軽く舌打ちをして、大きくその武器を回避した。そして、そのタイミングで、シトュウは零無に蹴りを放った。零無はその蹴りを自分の腕で受け止めた。

「『時』の結界よ」

 瞬間、シトュウが自身と零無を中心として、小規模の結界を展開した。薄い紺色の結界が2人を覆った。

「っ、こいつは・・・・・・」

 展開された結界に、零無が少し驚いたような顔になる。そんな零無にシトュウは淡々とした表情でこう告げた。

「これは言うなれば小規模の『世界』のようなもの。この結界に捕われれば最後・・・・・・すなわち、私の勝ちです」

 シトュウが勝利宣言を行い、零無に右の拳を振りかぶった。零無はその拳に反応しようと、右手を動かそうとした。

 だが、

(っ? 何だ、手が動かない・・・・・・?)

 零無の意識に、零無の体は反応しなかった。

 その結果、シトュウの右拳が零無の左頬に炸裂した。

「ぐっ!?」

 久しく感じた事のない感覚――痛みが零無を襲った。零無に一撃を穿ったシトュウはこう言葉を述べた。

「この結界内は、私が自由自在に時を操れます。すなわち、この結界内にいるあなたに関する時も。体が動かないように感じているでしょう。それは、私があなたの体の時間をひどく遅らせているからです」

 続けて、シトュウは鋭い右の蹴りを放った。零無はまたしても意識は反応する事は出来たが、体は反応しなかった。結果、シトュウの蹴りが零無の腹部を打つ。

「がっ・・・・・・」

「回復する間も与えずに、全身を殴打します」

 シトュウは冷酷にそう宣言すると、超加速した自身の肉体で零無に全身を使った殴打を叩き込んだ。その打撃の数は一瞬で100、1000を超え、万の域へと達した。

「っ〜!?」

 零無は声を上げる間もなく全身を殴られ続ける。既に零無の全身の骨は砕け、内臓も潰れている。常人ならば既に死んでいるだろう。零無がまだ死んでいないのは、単純に零無が不死であるからだった。

(く・・・・そ・・・・この吾を、バカスカに殴りやがって・・・・・・だが、意識に時の力が作用していないのなら・・・・・・)

 零無はある力を行使した。すると次の瞬間、零無は透明の粒子となって忽然と姿を消した。シトュウの左拳は虚しく空を切った。

「・・・・・・転移ですか」

 シトュウは結界を解除し、その視線を自分の右斜め前方の空間に向けた。すると、そこには既に回復の力を使い元通りの姿になっていた零無がいた。

「ああ、そうだよ。力を使うのに詠唱ありきならば、まあ軽く詰みだったが、吾は力の行使に詠唱は必要としないからな」

 零無はシトュウの言葉に頷くと、少し苛立ったようにこう言葉を続けた。

「しかし、本当よくも殴りに殴ってくれたなあ、シトュウ。吾のご尊顔をよぉ。仮にもかつての上司だぜ吾は」

「今は関係ありませんよ。それに、あなたを殴打して少し晴れやかな気分になりました。人間的に言えば、ストレスが発散されたという感じでしょうか」

 シトュウは表情を変えずに零無にそう言葉を返した。シトュウのその言葉を聞いた零無は最初ポカンとした顔を浮かべていたが、次の瞬間には笑い声を上げた。

「ははははははっ! おいおい、随分と感情的な、面白い事を言うじゃないか! 言うようになったなシトュウ! 影人たちと話して、人間らしさでも学んだか!?」

「さあ、どうでしょうね。ですが、もしかしたらそうなのかもしれませんね」

「くくっ、そうかいそうかい。いいな、今のお前は正直けっこう好きだぜ」

 シトュウの言葉を聞いた零無は哄笑を収めると、こう言葉を続けた。

「だが、やはり負けてやる事は出来んなあ。吾の影人に対する愛のためにも」

 零無の瞳には狂気的な愛が宿っていた。その愛を見たシトュウは、その目を細めた。

「愛ですか・・・・・・私には、その感情はまだ理解出来ませんが、あなたの愛が歪んでいる事だけは分かります。あなたの帰城影人に対する愛は・・・・・・邪悪なる愛です」

 シトュウは零無の愛をそう批判すると、決意の宿った色彩の異なった目で零無を見つめた。

「ゆえに、その愛は私がここで断ち切ります」

 シトュウがそう言った直後だった。突然、零無の胸部を中心に方陣が出現した。次の瞬間、零無は自身の意識がひどく、ひどく緩慢になった気がした。

(こ・・・・・・れ・・・・・・は)

 何かを考えるという行為が、ひどく遅い。まるで鈍重なる亀のように。まるで、先ほどとは逆のようだ。

「・・・・・・あなたが転移、又は何らかの方法で結界を抜けるのは分かっていました。ゆえに、私はあの殴打の中にある『時』の力を仕込みました。先ほどあなたに施した力とは逆。意識をひどく遅らせる力を」

 そう言って、シトュウは歩いて零無の方に向かい始めた。その歩みはただ悠然。神としての格のようなものが、その歩みから滲み出ていた。

「意識の時を操る力は、ある意味特別です。本来は現実の世界に干渉する力を、他者の内面、精神世界に干渉させるために。ゆえに、この力だけは私が対象に直接触れなければ発動させる事が出来ない。それどころか、1つ制約のようなものを施さなければ、充分に力を発揮しないという、複雑で難しい、正直に言って扱いにくい力です」

 そう。その制約というものを、シトュウは「零無が結界から自ら出る事」に設定したのだ。ゆえに、零無に時間差で、力が発動した。

「ですが、その分上手く扱えば、戦いにおいては勝利に直結する力。意識の時を操作された者は、何人だろうと何もする事は出来ない。ちょうど、今のあなたのように」

 シトュウが零無の前に辿り着く。正確に言えば、零無の意識はひどく緩慢、つまり遅くなっているので、時間を掛ければ何かを思考する事や、体を動かす事は可能は可能だ。だが、それを行うには、おそらく現実世界で何時間もの時間を要するだろう。あくまで、零無の意識の状態は、停止に近い状態なのだ。 

 ちなみに、かつてシトュウは時を止めた事があり、あれは他者の内面の精神をも停止する力だったが、なぜシトュウはわざわざ面倒な手順を踏み、停止の力も使わないのかというと、それは時間を停止する力が莫大な力を消費するからだった。かつては『空』としての完全な力があったので、時を止める事が出来たが、今のシトュウはあの時の半分しか力がない。ゆえに、停止の力は使うのが、極めて難しいのだった。

「・・・・・・」

 零無はシトュウの言葉をただ聞いていただけだった。今の零無は、シトュウの言葉を理解するという意識すら働いていなかった。

「・・・・・・確かに、今の私とあなたの力は互角。普通なら、こんなに早く決着がつく事はなかったでしょう。ですが、あなたはなぜか『無』の力を使えなかった。対して、私は『時』の力を扱えた。それが力の均衡を崩したのです。・・・・・・あなたの敗因は、私を必ず罠に掛けられると思っていたその傲慢さですよ、零無」

 シトュウはボゥとした目を浮かべている零無にそう言うと、こう言葉を続けた。

「さて、では力を返してもらいましょうか。前回はあなたに触れたために痛い目を見ましたからね。今回は、あなたに直接は触れずに力を回収しましょう」

 シトュウは自身の右腕を水平にすると、虚空に透明の槍を創造した。そして、それを右手で掴んだ。

 基本的に力を回収、または奪う方法は単純だ。精神世界に根付いている力の根源。それに回収者、あるいは簒奪者が直接触れ、それを己がものとする。

 ただ、精神世界に干渉するためには、それに干渉する媒体や、肉体の状態が必要になる。以前、零無がシトュウから力を奪った際には、零無は幽体だった。つまり純粋な精神体だ。これが、要は干渉するのに必要な肉体の状態だ。ゆえに、零無はシトュウの内部に触れ力を奪う事が出来た。

 対して、シトュウは干渉する媒体を使っての力の回収を選択した(もちろん、シトュウも腕の一部を幽体化する事などは出来るが、前回触れるという行為によって痛い目を見たため、こちらを選択)。その媒体が、この透明の槍だ。この槍は、刺した対象の精神に干渉し、スポイトのように力を吸い上げる力を持っている。

「これで・・・・・・終わりです」

 シトュウが両手で槍を持ちそれを逆さにする。そして、シトュウはそれを軽く振りかぶり、

「ふっ・・・・・・!」

 シトュウはその槍を零無の胸部に突き立てた。そして、透明の槍が輝きを放ち、零無から力を吸い上げる。

 だがその瞬間、零無とシトュウを中心に透明の方陣が現れた。その方陣が輝くと次の瞬間、虚空から透明の鎖が複数出現した。そして、その鎖はシトュウの内面にあるを縛った。すると、亜空間はなぜか1人でに崩壊した。舞台が再び現実世界に戻る。

「っ・・・・・・!?」

 シトュウは何が起こったのか分からなかった。しかし、何かが、致命的な何かを封じられた。シトュウはそう思った。そう思ったのと同時に、零無の胸に突き立てた槍も砂のように崩れ去った。

「――くくっ、戦いにおいて、生物が1番油断する時はどこだと思う? そいつは太古から変わらないぜ。そう。勝利を前にした時、敵に止めを刺す時さ。な? だから言っただろうシトュウ。お前には出来ないってな」

 それと同時に、今まで喋る事すら出来なかった零無が至近距離からシトュウを見つめ、ハッキリとした口調でそう言った。目の焦点も合っている。つまり、シトュウの力が解除されたのだ。いったいどういう事だ。シトュウは後方に下がりながらそう思った。

「っ、なぜ・・・・・・」

「簡単さ。吾の罠にお前が掛かったからだ。その結果、お前の力は無効化された。ただ、それだけだよ」

 声を漏らしたシトュウに、零無はそう言葉を返した。

「私は、何も手順は間違えてはいなかったはずです・・・・・・なのに、この状況は・・・・・・」

 シトュウがどこか呆然とした様子で、零無を見つめる。いったい、本当にいったい何が起きたというのだ。

(とにかく、また力を・・・・・・)

 シトュウは動揺をまだ抑え切れてはいなかったが、「時」の力を行使しようとした。だが、どういうわけか、いくら力を使おうとしても、力は現象化しなかったか。

「っ?」

「ああ、言い忘れてたが、無効化したのはお前の力そのものもだ。しかもだシトュウ、お前は吾が許可しない限り、使。ははっ、つまりお前はただの無力な神になったってわけだ」

「なっ・・・・・・」

 零無が放ったその言葉。それを聞いたシトュウは、遂にその顔を驚愕に染めた。

「はははっ! いい顔だ。少しの間、我慢した甲斐があったなあ」

 その顔を見た零無が笑い声を上げる。シトュウは「時」の力以外にも他の神の力の使用を試みたが、やはりそれらの力を使う事は出来なかった。

「っ、神力の使用その行為自体を封じた・・・・・・? なぜ、どうして・・・・・・『空』の力を半分とはいえ持つ私は、力を行使出来るはずなのに・・・・・・あなたは、あなたはいったい何をしたのですか・・・・・・」

 シトュウがその顔をとある色――その色は絶望に似ていた――に染めながら、独り言のように零無にそう問いかけた。シトュウにそう聞かれた零無は、ニヤニヤとした顔を浮かべる。

「仕方ない、教えてやるか。今のお前は何にも出来ん死なないだけの者でしかないからな」

 零無はそう前置きすると、説明を始めた。

「まあ、お前も気づいていた通り、この戦いは罠だよ。シトュウ、唯一吾に対抗できるお前を無力化するためのな。そして実際、吾はお前を無力化する事が出来た。では、具体的に吾は何をしたのか。それは、お前の力の格を、『空』としての力の格、まあ言い換えれば、神としての格か。そいつを『無』の力で無効化したのさ。今のお前の力の格は、ただの真界の神。ただの真界の神は、神界の神と同じく地上では力を使えない。それが、今お前が力を使えない理由だよ」

「っ!?」

 零無の答えを聞いたシトュウが再び驚いたような顔になる。確かに、その理屈ならばシトュウは力を使えなくなる。だが、

「そんな事は・・・・・・そんな事は今のあなたには出来ないはずです。十全なる『空』としての力ならいざ知らず、今のあなたは私同様にその力は半分です。その力で、対等である私の力を無効化する事など、不可能です」

 シトュウは新たに自分の中に湧き上がってきた疑問を零無にぶつけた。そう。シトュウが「時」の力に制限を受けているように、零無も「無」の力に制限を受けているはずだ。その制限を受けている力で、実質的に対等のシトュウを無力化するなど、出来ないはずだ。

「まあ、普通はそうだよ。お前の言う通りだ。だから、吾は考えたよ。どうすれば、不可能を可能に出来るか。そして、その果てに、いくつかの厳しい制約を設ければ、何とかお前の力の格を無効化できるという結論に辿り着いた」

「厳しい制約・・・・・・?」

 鸚鵡返しにシトュウがそう呟く。そして、零無はその制約を口にした。

「まず1つ目が、『無』の力の使用の禁止。お前も気づいていたように、お前との戦い間、吾は『無』の力を使っていなかっただろう。それが1つ目の制約さ。後、この制約はお前の力を封じている間常に有効だ」

 零無が右の人差し指を立てる。

「2つ目は、力を奪わないという制約。本当なら、吾はお前から全ての力を取り戻したいが、それは出来ない。奪おうとした瞬間、お前に対する無効化は解除される」

 零無は次に右の中指を立てた。

「3つ目、これで最後だ。最後の制約は、状況の制限。吾が設定した状況は、『力を奪われる際、幽体を用いた方法ではなく、何か媒体を用いた方法による状況』というものだ。もちろん、お前が幽体を用いた方法を取っていたなら、吾は力を全て奪われていたぜ? そうすれば、お前の勝ちだったな。とまあ、以上の3つの制約を吾は自身に課す事で、力は発動し、お前の力を無力化する事に成功したというわけさ」

 最後に右の薬指を立て、零無はシトュウにそう説明した。

「っ、そんな・・・・・・」

 零無の罠は、まるで綱渡りかのような一か八かの賭けのようなものだった。罠とすら、策とすら言い切る事が出来ないような。

「私が幽体を使う方法を用いていれば、あなたは負けていたのですよ・・・・・・? なぜ、あなたはそんな博打のような真似をしてまで・・・・・・」

「そこまでしなければ、お前は無力化出来なかったからな。これでも、吾はお前を買ってる方なんだぜシトュウ。それにその質問は愚問だぜ。もちろん、全ては影人を手に入れるためさ」

 シトュウの呟きに零無はそう言った。零無の瞳には、影人に対する狂愛がやはり滲んでいた。

「で、結果は吾の勝ちだ。確かに、吾はお前を無力化している間『無』の力の使用は禁じられるが、それ以外の神力の使用は可能だ。何せ、吾の力は『空』の力だからな。『空』は地上世界でも力を振るう事の出来る。純粋な『空』としての神力があれば、レイゼロールやあの吸血鬼といった奴らも問題なく戦える。影人を奪う事も容易だろうぜ」

 零無はニヤリと笑みを浮かべながらそう言うと、もうシトュウからは興味が失せたように、シトュウに背を向けた。

「じゃあなシトュウ。『無』の力を禁じられた吾に、お前は殺せない。お前はもう力無き者だ。そんなお前を拘束し続けておくのも面倒だし、適当に消えろよ。吾はこれから最後の準備を整えないといけないからな」

 零無がシトュウに別れの言葉を口にする。だが、シトュウは最後にどうしても気になっていた疑問を零無に投げかけた。

「待ってください! あなたはなぜ、なぜ私が媒体を用いる方法を選択すると分かったのですか!?」

「ん? まあそれは、吾はお前の事を知ってるからな。お前なら、前回触れた事で吾に実質的に負けてる事を覚えてるだろうから、今度は逆の方法を取って来ると思っただけさ。ただの読みさ。まあ、結果はドンピシャだったがな」

「っ・・・・・・」

 零無のその答えを聞いたシトュウは、完敗したと思った。零無は読みと言ったが、それはシトュウの性格を正確に(ギャグではない)理解していないと、読めないある意味では高度な読みだったからだ。

「あばよ。やはり、最後に勝つのは愛だな」

 零無はそう言って、転移の力を使いこの場から消えた。シトュウは、零無が消えた後も、しばらくの間立ち尽くす事しか出来なかった。


 ――邪悪なる愛がいよいよ、そのあぎとを開き始めた。

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