第303話 相容れぬ問答

「まず、予め断っておくよ。今お前が見ている光景は幻だ。こうして話している吾にも実体はない。簡単に言えば、意識だけで語りかけているようなものだ。その証拠に日の高さも、壊れていたこの石も壊れていないだろう?」

 零無は笑みを浮かべながら、影人にそう説明してきた。その説明を聞いた影人は「・・・・・・ああ、そうかよ」と呟くと、低い声でこう言葉を続けた。

「気色の悪い事をしやがって。これじゃあ、お前と俺が繋がってるみたいじゃねえか」

「みたいじゃなくて、実際に繋がっているんだよ。吾は封印される前に、お前の中に極小さな自分の魂のカケラを滑り込ませた。染みや影とでも言うべきね。吾はその繋がりを使ってお前にこの幻を見せ語りかけているんだよ。ある程度力を取り戻せた結果だな」

 零無が影人の言葉を訂正する。その言葉を聞いた影人はハッと何かに気づいたような顔を浮かべた。

「そうか・・・・・・あの影は俺の記憶の残滓ってだけじゃなかったのか・・・・・・」

 影人の精神の奥底にあった禁域。その中には、影人が今見ている風景と、黒い影の姿の零無がいた。初めて影人が影の零無と会ったのは、イヴとの対話の時。2度目に影の零無と会ったのは、シェルディアとの戦いの時だ。

 影人は今の今まで、あの影が過去の記憶の一部だと思っていたが、あれは零無の魂のカケラだったようだ。影人は零無が化け物だから、記憶にもある程度自我のようなものがあると思っていたが、どうやらそのような理由からではなかったらしい。今思えば、いくら零無が化け物だからといって、記憶にもあれだけハッキリとした自我があるのはおかしいかったのだ。

 ちなみに、影人がかつて影に言った「影を残してまで、俺に固執するストーカー野郎」云々といった言葉は、影人の反応を見れば分かる事だが、零無の魂の事を知ってでの言葉ではない。非常に紛らわしい言葉ではあるが、あれは、あくまで比喩のようなものだった。

「ちっ、俺の中に少しでもお前の魂のカケラがあるって聞くと、死にたくなるほど気持ち悪くなってきたぜ。しかも、てめえの影のせいでイヴの奴も泣いちまっし、俺も不快になった。死んで詫びろよ」

「うん? イヴというのが誰かは分からないが、その口ぶりからするに、吾の魂のカケラとは会った事があるようだね。いったいどんな会話をしたんだい? 悪いが、繋がり自体はあるんだが、お前の中の吾の魂のカケラは、吾本体から独立してしまっているんだ。だから、カケラの記憶は吾にはないんだよ」

 影人の呪うような言葉などどこ吹く風といったように、零無はニコニコとした顔で影人にそう聞いて来た。一応、新たな事実を影人は知ったが、その程度で影人の態度が崩れる事は当然なかった。

「心の底から拒否するぜ。それよりも、わざわざ幻まで使って俺に何の用だ。いったい、お前は何を企んでる?」

 影人が警戒心を最大にしながら零無にそう問いかける。そう。零無本体ではなく、幻を使って自分に接触してきた理由。理由は色々と考える事は出来るが、その真意を正確に押し測る事は影人には出来なかった。

「別に単純極まりない理由だよ。お前と話がしたかった。ただそれだけさ。何せ、話をしようとお前に直接会いに行こうとすれば、この前のように、レイゼロールやあの吸血鬼、それにシトュウなどが邪魔をしてくるだろうし。だから、今は幻で我慢しているのさ」

 影人の問いかけに零無はそう答えた。いかにも零無らしい理由だ。そのため、影人は零無の言葉が嘘ではないような気がした。

「・・・・・・そうか。俺はお前と話したい事なんざ何もないがな。話はこれで終わりだ。とっとと失せろよ」

「つれないなぁ。でも、そういうところも好きだぜ」

 影人の拒絶の言葉に零無は笑みを浮かべそう言葉を返す。ダメだ。やはり零無とは会話にならない。影人はその事に苛立ちと虚無感を覚えながら、大きく舌打ちをした

「ちっ! てめえに好意なんか向けられても、何にも嬉しくねえよ・・・・・・10分だ。それ以上は話さねえからな」

 影人は負の感情で煮えたぎる自身の心を無理やり制御しながら、そう言葉を放った。どちらにせよ、影人にこの幻を解除する方法は分からない。結局のところ、幻を影人にかけている零無がこの幻を解かない限りは。ならば、非常に癪に障るが零無と話をするしかない。半ば諦めの果てに影人はその考えに至った。

「ふむ、随分と短いが今はそれで良しとしよう。どうせ、もう少しすればいくらでもお前と話す時間はあるのだし」

 零無は軽く頷くと、急にパチパチと拍手をしてきた。

「まずは、改めて復活おめでとう影人。吾がお前を蘇らせた時は興奮して祝辞を送るのを忘れていたからな。それにしても、レゼルニウスの記憶に拠れば、お前は2度蘇ったようだね。ふふっ、2度も蘇りを果たした人間なんて、人類の中ではお前が初めてだろうぜ影人」

「っ、レゼルニウスの記憶に拠ればだと・・・・・・? お前レゼルニウスの奴に何かしたのか? お前が創造したあいつに」

 無視できない言葉を聞いた影人が、零無にそう質問する。その言葉を聞いた零無は「ほう、その事を知っているのかい」と言い、少し意外そうな顔を浮かべた。

「なるほど、シトュウから聞いたのか。確かに、レゼルニウスとレイゼロールの兄妹は吾が創造したが、あの2柱を創ったのはただの暇つぶしだから、特段情はないよ。だからと言って、危害を加えたわけでもないが。レゼルニウスからは少々奴の記憶を見せてもらっただけさ。それ以外は何もしてないよ」

「冒涜者の薄情者が。お前の言葉は反吐が出るぜ。命を何だと思ってやがる」

 零無の言葉を聞いた影人は、嫌悪感を隠す事なくそう言葉を吐き捨てた。影人も倫理観はかなり低い部類だが、零無にはそもそも倫理観は存在しないのだ。少なくとも、零無と関わりがある影人はそう思っていた。

「別に。命に意味を見出してはいないからね。まあ、お前は例外だが。それよりも、影人。吾を封じてから、お前は随分と面白い事をしていたみたいだね。スプリガン、だったか。お前が光の女神から神力を譲り受けた姿は」

「・・・・・・本当に、レゼルニウスの奴の記憶を見たみたいだな」

 スプリガン。零無の口からその単語を聞いた影人は思わずそう言葉を漏らした。でなければ、封印されていた零無がその単語を知るはずもないからだ。

「ああ。レゼルニウスはレイゼロールの事が心配で、冥界から地上を覗いていた。そんな時、1人の謎の男がレイゼロールの前に現れた。それがスプリガン。黒衣に身を包んだ金眼の男。お前が光の女神の神力を使って変身した姿だ」

「・・・・・・」

 零無の言葉に影人は何も言葉を発さなかった。零無の言葉は真実で、別に何も言い返す必要もないからだ。

「しかし分からないんだが、お前はなぜ変身した自分に『スプリガン』という名前を付けたんだい? それは宝を守る妖精の事だろう。その妖精の名を名付けたという意味が、吾には分からないんだよ」

「はっ・・・・・・絶対にお前にだけは教えてやらねえよ」

 首を傾げる零無に、影人は今度は拒否の答えを返した。レゼルニウスが影人を見始めたのは、レイゼロールと初めて戦った時。そのため、レゼルニウスの影人の観察の記憶はそこからだろうが、そもそも、それ以前の記憶があったとしても、レゼルニウスもスプリガンの名前の意味は知りはしないだろう。スプリガンの名前の意味を、守るべき宝が何なのかを知っているのは影人と、恐らくは名前の意味に気づいているソレイユだけだ。

「ふーん・・・・・・まあ、いいよ。別にそこまで気になっているわけでもないし。ともかくとして、お前は戦ったわけだ。黒衣の怪人として。最終的には、レゼルニウスから『終焉』の力をも受け継ぎながら。ふふっ、吾が言うのも何だが、とても人とは思えないな。後、スプリガンの時のお前も格好良かったよ。うん、本当に」

「御託はいい。俺がスプリガンだったのは、既に過去の事だ。今の俺は何の力もないただの一般人だ」

 影人は少し複雑そうな顔を浮かべた。かつては力なんて望んでいなかった。だが、零無が復活してからは、影人は力を、正確にはスプリガンの力を心のどこかで求めていた。ただの人間に戻った自分が、また人ならざる力を求める。そのジレンマから、影人は複雑そうにそう言ったのだった。

「おや? おやおや? おいおい影人。それは何の冗談だい? お前にはまだだろう」

「っ・・・・・・?」

 零無が意味が分からないといった様子でそう言葉を述べる。零無にそう言われた影人は、しかし、零無と同じように意味が分からないといった顔を浮かべた。何だ。いったい、零無は何を言っている。

「・・・・その顔を見るに本当に気づいていないのか。まあ、『力』というのは自覚しなければ気付けないものだし、お前の場合は消滅のショックがあるからな。まだ気付く余裕もないといった感じか・・・・・・うん。なら今この話はいいよ。それに、どうせお前もいずれ気がつくはずだしね」

 零無は前半はブツブツと何かを呟くように、後半は影人に向けてそう言ってきた。正直、零無の言葉の意味は気になるが、あの零無が素直に教えてくれるはずがない。影人は零無の発言だけを心に留め、聞き返すような真似はしなかった。

「ああ、あとこれも気になっていたんだが、なぜそんなに前髪を伸ばしたんだい? それじゃあ、可愛いお前の目が見えないじゃないか。吾と会った時はそこまで長くなかったのに」

「なぜだと? 決まってる。お前のせいだ。お前みたいな化け物と2度と目を合わせないために、俺は視界をこの髪で閉ざしたんだよ」

 不愉快極まりないといった感じで影人は言葉を吐き捨てる。そうだ。影人がこれ程までに前髪を伸ばした原因は、全て目の前にいるこの透明と白が特徴の女のせいだ。

「ははっ、それで吸血鬼と会ってりゃ世話ないぜ。お前のその決意に意味はあったのかな?」

「黙れよ! 嬢ちゃんと、シェルディアとお前を一緒にするな!」

 容易く影人の逆鱗に触れるような言葉を放つ零無。そんな、零無に影人は感情を抑え切れずに怒りのままに言葉を荒げた。影人のその言葉は、かつての自分に対する怒りでもあった。化け物というだけで、零無とシェルディアとを同一視していた、あの時の愚かな自分に対する怒り。その怒りも半ば無意識に込められていたから、影人の荒だった声はかなり大きかった。

「うん、そうだな。確かにお前に愛されている吾と、ただの吸血鬼は一緒ではない。ふふっ、随分と遠回しな愛の言葉だが、吾はちゃんと理解してるし、受け止めるぜ」

「っ・・・・・・! どの口が、どの口が・・・・・・!」

 嬉しそうに頷く零無を見た影人の憎悪が限界を越える。そして、影人は怒りと憎しみに満ちた声でこう叫んだ。

「どの口が言いやがる!? 愛なんてあるわけねえだろ! お前のせいで俺は恋愛感情を失ったんだ! 俺には何にも分からねえんだよ! そういう感情は! ああ分かってるよ! 愛と恋は違う! そうさ! 俺にも家族愛はある! 愛は分かる! だがてめえの言う愛は恋愛感情が多分だろう!? だから分からねえんだよ! 分かるつもりすらも出来ねえんだよ! ああ、クソがクソがクソがッ!」

 感情が昂りすぎたせいだろう。影人の言っている事は、はっきり言って支離滅裂だった。だが、逆に言えばその支離滅裂な言動が、影人の憎悪がどれほどのものかの一端を表していた。

「そうだね。残念ながら、お前は恋愛感情を失ってしまった。従って、今のお前にあるのは正確には吾に対する愛だけだが・・・・・・その事はいずれ吾が何とかしてみせるよ。それまでは、吾がお前に愛を注ぎ続けよう。安心してくれ、影人。吾の寵愛はお前だけにしか注がないから」

「・・・・・・」

 少し悲しそうな顔を浮かべながらも、零無は心配するなといった感じの笑みを浮かべる。その笑みを見た影人は、もはや言葉を発する気力すらも失せた。怒りは通り越し、ただ冷め切った無感情だけが影人の中に広がった。

「・・・・・・そろそろ10分経っただろ。幻を解除しろ」

 影人が冷め切った声で零無に一方的にそう告げた。影人の言葉を聞いた零無は首を横に振った。

「いや、まだ8分56秒だから、正確には10分ではないよ。後1分もある」

「誤差だろ。どっちにしろ、後1分間お前が話したとしても、俺は全部無視する。だから、さっさと幻を解け。そうしないなら、お前とは2度と口を利かねえ」

 自分との会話の時間を正確に数えていた事に気持ち悪さを抱く影人。影人にそう言われてしまった零無は「それだけは耐えられないな」と呟くと、大きくため息を吐いた。

「はあー・・・・・・仕方ないな。今日はこれくらいにしておくよ。じゃあね、影人。だけど、またお前には語りかけるよ。吾の準備が全て整った日・・・・その日が来たらね。それまでまた、しばしの別れだ。愛してるぜ」

 零無がそう言って手を振る。すると、徐々に幻がぼやけていき、やがては夕暮れに染まる元の風景へと戻った。元より人通りの少ない道だからか、周囲に影人以外には人の姿は見えなかった。

「クソが・・・・・・最悪の気分だぜ」

 現実に戻った影人は忌々しそうにそう呟くと、重い足取りで歩き始めた。つい先程までは気分が良かったのに、一瞬でドン底にまで叩き落とされた。

(・・・・・・分かってた。零無の存在を忘れてたわけじゃない。あいつが、俺にとっての悪夢が蘇ったのは現実だ。しかも、あいつは前よりも圧倒的に強くなってる。そんなあいつに、俺は勝たなきゃならない。今度こそ決着をつけなきゃならない)

 でも、果たして出来るのだろうか。今の影人には、過去のような都合のいい状況が揃っているわけではない。スプリガンとしての、戦う力があるわけでもない。

 もちろん、昔とは違って力を貸してくれる者たちはいる。零無が言っていた影人が気づいていない「力」という何やらヒントのようなものもある。それはもしかしたら、戦う力にはなるかもしれない。

 だが、それらを加味しても、零無は強大な敵だ。シトュウの先代の『空』。かつての真界の最高位の神。そんな相手に、影人はまた勝つ事が出来るのだろうか。

(今の俺に・・・・・・昔よりも、守りたいものが増えちまった今の俺に・・・・・・)

 増えないように出来るだけ1人でいたつもりなのに、影人の脳裏には家族以外の人物たちの姿が浮かんでくる。シェルディア、レイゼロール、ソレイユ。それに、陽華や明夜、光司や暁理、ソニア。それ以外にも、影人と少なからず関わりがある者たちの姿が。

「はっ・・・・・・いつから俺はこんな感傷的な人間になっちまったんだろうな。こんな、傲慢な考えをする人間に・・・・・・」

 それでも、自分の気持ちに嘘をつく事は出来ない。影人はグッと右手を握り締めると、こう呟いた。

「それでも・・・・・・俺は変わらない。俺の芯だけは変わらない。変わらない事だけが俺だから」

 この気持ちは自覚していても表には出さない。ただ1人で、孤独が好きな人間。それが帰城影人だ。だから、自分は生涯このままだ。

(父さん・・・・・・もし、今も生きているなら、また力を貸してくれ。想いの力を。それ以外には、何もいらないから)

 影人が影仁の事を思い出しながら空を見上げる。自分のせいで家族と引き裂かれ、世界を放浪する事を義務付けられた影人たちの父親。そんな影仁も、もしこの空を世界のどこかで見上げているなら。勇気を送ってほしい。影人はそんな事を願った。

「ああ・・・・今の俺はどうしようもなく・・・・・・力が欲しい」

 影人の口からそんな言葉が漏れ出した。脳裏に浮かぶはかつての、今とは違うもう1人の自分の姿。黒衣の怪人、スプリガンとしての。

 影人はかつての自分に思いを馳せながら、1人で道を歩き続けた。

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