第302話 新たな生活(3)

「それじゃ、帰りのホームルームはこれで終わりだ。解散ー」

 教壇からやる気のなさそうな声で紫織がそう告げる。紫織から解散という言葉が放たれた瞬間、2年7組は放課後を迎えた。生徒たちがそれぞれ鞄や部活の道具を持ち、それぞれ席を立ち始める。

「ふぅ・・・・・・さて帰るか」

 影人も鞄を持ち自分の席から立ち上がる。帰宅部の影人に放課後の予定は特にない。今日は昼に暁理や光司、陽華や明夜たちと話して疲れた。そのまま直帰しようと影人が考えていると、教室内に一際大きな声が響いた。

「イェーイ! やっと放課後! カラオケ行くべ!」

 声の主は魅恋だった。魅恋は解放されたような顔で両手を上げている。周囲には、魅恋の友達だろう。女子生徒たちが複数集まっていた。恐らく、彼女たちとカラオケに行くのだろう。

(ギャルは本当にカラオケが好きだな。まあ、偏見だけど)

 影人はそんな事を考えながら教室を出ようとした。すると、魅恋が影人に気付きこう声を掛けてきた。

「あ、影人! 影人も一緒にカラオケ来ない? ちっちゃいけど歓迎会って事で! どうどう?」

(チッ)

 思わず内心で舌打ちをする影人。本当に面倒だから声を掛けないでほしいと思いながらも、影人は魅恋にこう言った。

「すみませんが、男子1人はちょっと・・・・・・」

「えー、関係なくね? よし分かった! なら海公っちも一緒に行こう! それならいいっしょ?」

「え!?」

 帰り支度をしていた海公は、急に魅恋にそう言われたので、驚き戸惑ったような顔を浮かべた。

「ちょ、ちょっと霧園さん! 勝手に決めないでくださいよ!」

「いいじゃんいいじゃん。海公っち帰宅部だし。それにいっぱいいる方が盛り上がるし! ね、みんな?」

 魅恋が周囲にいた女子生徒たちにそう聞いた。女子生徒たちは、「うんうん! 特に春野くんは大歓迎!」「私も私も!」「春野くんと距離を詰めるチャンス・・・・・・!」などと答えた。どうやら、海公は女子に人気があるようだ。まあ、あの容姿なので分からなくもないが。

「ていう事だし、一緒にオケろう! はい決まりー! 駅前のカラオケ屋にレッツゴー!」

「あ、ちょ・・・・・・」

 勝手にそう決めた魅恋は女子生徒たちを伴って教室を出ようとした。海公は何かを言おうとしたが、結局勢いに流されたように口をつぐんだ。そして、トボトボと魅恋たちの後に着いて行こうとした。

「すみません霧園さん。やっぱり俺は遠慮させてもらいます」

 だが、影人だけは立ち止まったまま、ハッキリと魅恋にそう言った。

「え、何で?」

 影人の言葉が意外だったのか、魅恋は振り返り影人にそう聞いて来た。魅恋の周囲の女子生徒たちも、少し驚いたような顔を浮かべている。後は、海公も。

「単純に今日は帰ってゆっくりしたい気分なので。霧園さんが気遣いや善意の気持ちから俺に構って下さってる事は理解しています。ですが、俺にそういったものは不要です。俺は1人が好きなので。不愉快に思われたのなら謝罪します。では、そういう事で」

 影人は軽く頭を下げると、魅恋たちの前を通って教室を出た。その歩みには何の躊躇いもなかった。魅恋たちは少し驚いたような顔で、しばらく言葉を発さなかった。

「凄い・・・・帰城さん、やっぱりあなたは・・・・・・」

 そして、海公はポツリとそう呟いた。













「・・・・・・ふっ、俺は孤独な一匹狼だ。何者にも止められやしないんだよ」

 昇降口で靴を履き替えた影人は、クールにそう呟きながら(あくまで本人はクールだと思っている。滑稽だが)、正門に向かった。少しハッキリ言い過ぎたかもしれないが、あのような人種はアレくらい言わないと分からないだろう。なにせ、悪気はないが無自覚だからだ。

「さて、これで明日ハブられてたら楽なんだがな。まあ、霧園は多分善人だからそうしないとは思うが・・・・・・はあー、面倒くせえ」

 影人が実に前髪野郎らしい捻くれた言葉を漏らし、正門を潜った時だった。後ろから、突然影人を呼ぶ声が聞こえて来た。

「おーい! 帰城さーん!」

「ん、春野?」

 影人が振り向くと、そこにはこちらに走って向かって来る海公の姿が見えた。海公を見た影人は不思議そうな顔を浮かべた。

「はあ、はあ、はあ・・・・・・」

「何か用か? というか、お前はあいつらとカラオケ行くんじゃなかったのか?」

 影人の側まで来た海公が膝に手をつき息を切らす。そんな海公に影人はそう聞いた。

「そ、それは断って来ました・・・・・・僕も、そんなに行きたくはありませんでしたから・・・・・・」

 息を整えた海公は膝から手を離し影人を見上げた。海公は男性にしては小柄で大体160センチあるかないかくらいだ。対して、影人は170センチはあるので、必然海公は影人を見上げる形になった。

「そうか。まあ、現実で女子複数の中に男子1人はキツいもんな・・・・・・」

 うんうんと思わず影人は頷いた。漫画やアニメなどではハーレムだとかで羨ましがられるかもしれないが、現実だと異性の中に1人というのは相当に堪える。

「いえ、確かにそれもあるんですが・・・・・・1番は、帰城さんに勇気をもらったからです!」

「は、はあ? 俺に勇気をもらったから・・・・・・?」

 どこか感動したような顔で、突然そんな事を言って来た海公に影人は戸惑った。影人には海公の言葉の意味が全く分からなかった。

「・・・・・・取り敢えず、ここだと色々邪魔になるから、適当に座れる場所に移動していいか?」

 話が見えないので話にどれだけ時間が掛かるか分からないという事に加えて、ここは人通りが多い正門付近。つまり邪魔になる。その事を考えた影人は海公にそう提案した。海公も「あ、はい!」と頷いた。

 それから影人と海公は風洛高校を出て、コンビニの近くにあった古びたベンチに腰掛けた。そして、影人は海公に先ほどの言葉の意味を訊ねた。

「で、俺に勇気をもらったってのはどういう意味なんだ? はっきり言って、俺は他人に勇気を与えられる人間なんかじゃないと思うが」

「い、いえそんな事はないです。少なくとも、僕は勇気をもらいました。ハッキリと自分の都合のために、霧園さんの誘いを断る帰城さんの姿に」

 海公は1度首を横に振りそんな答えを述べた。海公の答えを聞いた影人は、しかし尚も不思議そうな顔を浮かべたままだった。

「え? いや、あんなの別に普通だろ。嫌だったら断る。小学生でも知ってるぜ」

「知っていても、それをハッキリと言える人は現実には中々いないですよ。少なくとも、僕はそうです」

 海公は苦笑しながらそう言うと、ジッと地面を見つめながらこんな話を始めた。

「・・・・・・僕は自分のそういった意思が弱いところや、この容姿が嫌なんです。容姿に関しては、コンプレックスって言うんですかね。小さい時から、女性のような見た目だったので、色々と言われて来ました。毀誉褒貶っていう感じで。それに加えて、僕は今言ったみたいに意思が弱かったので、特に何も言えませんでした」

「・・・・・・」

 影人は黙って海公の話を聞く。こういった時は、ただ黙って聞いているのが1番いいからだ。

「高校生になってからは、みんな成長したからか可愛いとか、そういう容姿を褒めるような言葉ばかりになりました。でも、僕は正直に言えば嬉しくなかった。僕は自分の容姿が嫌いだから。僕は可愛いよりも、格好いいって言われたかった」

 そして、今まで地面を見つめていた海公は影人の方に視線を向けた。

「そんな時、僕はたまたま帰城さんの姿を学校で見かけたんです。たまたま見かけた帰城さんは、堂々としていました。多少は人目を引く見た目なのに。人の目なんか気にも掛けないで。その後も、色々な場面で帰城さんを見かけました。でも、いつだって帰城さんは堂々としていた。僕はそこに意志の強さを見ました。そして、僕はそんなあなたに・・・・・・尊敬の念を抱きました」

「・・・・・・なるほどな。だから、お前は俺が留年してるって知ってたのか。前から俺の事を意識してたから」

 その言葉を聞いた影人は、ポツリとそう呟いた。海公が影人が留年していた事を知っていた謎、それが今ようやく解けた。

「はい。そんな憧れの人である帰城さんが同じクラスで、僕の隣の席になった。不謹慎かもしれませんが、僕はずっと今日その事が嬉しかったんです」

「・・・・・・そうか」

 小さな笑みを浮かべる海公に影人も少し口角を上げた。まさか、自分が留年した事で喜ぶ者がいるとは思わなかったが、そう言ってもらえるのならば多少は嬉しいというものだ。

「春野、お前の話は分かった。正直、別に嫌な気持ちはしねえよ」

 海公の話を聞き終えた影人はそんな感想を漏らした。そして、暮れゆく空を見上げこう言葉を続けた。

「春野。確かに、意志を貫き通すのは力だ。少なくとも、俺は今までずっとそうしてきたし、これからもそうするつもりだ。それが俺だからな。お前が俺のその部分に自分にないものを見て、そうなりたいと願うのはお前の自由だ。変わりたい、変わりたくないという事もお前の自由だ」

 影人はその前髪の下の目を空から海公に向ける。影人が海公に伝えたい事はこれからが本題だ。

「だが、強さってのは1つじゃない。霧園みたいに明るく生きて、人を気にかけるのも強さだ。強さなんて、人それぞれで、大抵1つくらいは誰でも持ってるものだ。お前にだって強さはある。絶対にな。もしそれが分からないっていうなら、それはまだお前が気付いてないだけだ。その事だけは知っておいてくれ」

 影人は柄ではないと分かっていながらも、海公にそう伝えた。

 影人はスプリガンになって色々な強さを見てきた。それは純粋な力であったり、意志の力であったり、協力する強さであったりと様々だ。それは影からずっと観察していた影人だからこそ言える言葉であった。

「僕にも強さが・・・・・・?」

「ああ。後、1つだけ忠告だ。意志を貫き通す力は、いい面もあるが悪い面もある。どうしても、凝り固まっちまうんだ。行き過ぎると、何をしても崩せないほどに。だから、求めてもそこまでは行くなよ。そこまで行くと・・・・・・中々戻れないからな」

 影人は自分とレイゼロールの事を思い浮かべながらそう言った。レイゼロールは影人が死んだと思った時から凄まじい年月をかけて、目的のためにただ邁進した。挫けずに折れずに。悲しくもあるが、それは紛れもない意志の強さだ。

 影人は零無と戦うと誓った時に覚悟を決めた。あの時から影人の精神の強さは上がった。その強さは今も影人の核の1つになっている。

 だが、影人はそのせいで2度目の死を迎えた。あの時、ソレイユが言ったように誰かを頼っていれば、もしかすれば死なない道もあったかもしれなかったのに。そんな都合のいい事はないとは分かっているが、これはあくまで可能性であり姿勢の問題なのだ。結局、意志を貫き通した結果、影人は死に零無は蘇った。まあ、運が良かった事に再び影人はこの世に蘇る事に成功したが。とにかくとして、それは間違いなく意志を貫き通す力の悪い面だった。

「そこだけは気をつけろよ。俺はもう戻れないしな。だから、時たまには霧園とかの誘いに乗ってやれ。それもいつか強さになるからな」

 影人にしては珍しい、どこか優しげな笑みを浮かべながら影人は海公にそう告げる。そして、何かに気づいたようにハッとなると、気まずそうな顔になった。

「悪い。説教臭い事を言っちまった。留年してる奴にこんな事言われても気色悪いだけだよな。すまん、春野」

「いえ、とんでもないです! むしろ、ありがとうございます。帰城さんの言葉はしっかりと僕の中に響きました。貴重なお言葉をありがとうございました」

 海公はしかし、首を横に振ると笑みを浮かべて影人にそう言った。何と出来た少年だろうか。これは容姿に関係なくモテるなと、非モテの影人は思った。

「でも、少し意外でした。帰城さんが霧園さんの事をそんな風に思っているなんて。確かに、霧園さんはいい人ですし、男子にもあの隔てない気遣いが人気ですけど・・・・・・帰城さんは今日初めて霧園さんを知った感じですよね?」

「ああ。基本後輩と関わる事がなかったしな。だから、後輩にどんな奴がいるのかは全く知らなかった。だから霧園もお前も今日初めて知った。霧園が善人だっていうのは、まあ話してる内に分かったよ。悪意を感じなかったからな」

「へえ・・・・・・凄いですね、帰城さんは。僕にはとてもそんな観察眼はないです」

「別に観察眼って程じゃないぜ? ただまあ・・・・・・色々と観てきたからな。それくらいは分かるつもりだ」

 影人はキラキラとした目を向けて来る海公にそう言うと、正面を向いた。

「さて、話はこれで終わりだな。じゃあな、春野。本当なら飲み物1つでも奢ってやれりゃ良かったんだが・・・・・・生憎と今は金欠なんだ。許せよ」

「いえ、そんな事はお気になさらないでください。今日は本当にありがとうございました」

 海公が律儀に頭を下げ立ち上がる。影人も立ち上がると「いや、礼はマジでいい」と言い首を横に振った。そして、影人はベンチを離れスッと海公に振り向かずに手を振った。

「また明日な、春野」

「っ! はい、また明日!」

 影人のその言葉に、海公は明るい笑みを浮かべ自身も手を振ったのだった。













「・・・・・・柄にもない事を言っちまったな。ったく、恥ずかしいもんだぜ」

 海公と別れた帰り道で、影人は先ほどの自分の言動を思い出しそう呟いた。全く何様のつもりだ。先輩風を吹かすなどという行為は大体は嫌がられる行為だというのに。

「はっ、尊敬してますなんて言われて、調子に乗っちまったか帰城影人。情けない男だな」

 自分にそう言いつつも、影人は笑みを浮かべていた。何だかんだ、影人も人間。海公に尊敬していると言われた事は嬉しかったのだ。

「ふっ、明日何か春野にお菓子でも――」

 やるか。影人がそう呟こうとして一歩を刻もうとした時だった。突然、本当に突然、


 ――何の前触れもなく世界が変わった。真夏の陽光が降り注ぐ神社の境内へと。


「っ!?」

 その現象に、その風景に影人は驚いた顔を浮かべ呆然と立ち尽くした。影人が立っているのは参道の真ん中。そして、その右側にあるのは――

「やあ、影人。5日ぶりだね。吾は変わらずに、ずっとお前に恋焦がれていたよ」

「・・・・・・いずれまたお前が来るとは分かってた。だけどやっぱり、お前には2度と会いたくなかったよ」

 影人は怒りと嫌悪を込めた声でそう言うと、自分の右側、そこにある大きな石の上に座っている女を睨み付けた。その前髪の下の両の目で。

「零無・・・・・・!」

「ふふっ、そう照れるなよ」

 怨嗟に満ちた影人の言葉に、零無は笑みを浮かべ、その透明の瞳でジッと影人を見つめた。


 ――日常とは唐突に、そう本当に唐突に壊れやすいものだ。特に、帰城影人の日常は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る