第301話 新たな生活(2)

「――はい。では今日の授業はここまでです。次は小テストをするので、そのつもりで」

 中年の国語教師がチョークを置きそう告げたと同時に、昼休みを知らせるチャイムの音が流れた。瞬間、教室の空気が弛緩する。教師が教室を去った瞬間、2年7組の生徒たちはワイワイガヤガヤと騒ぎ始めた。

「やっと昼か・・・・・・」

 軽く息を吐きながらそう呟いた影人は、シャープペンシルを筆箱に仕舞い、教科書とノートを机の中に入れると軽く伸びをした。

「お疲れ様です帰城さん。久しぶりの授業はどうでした?」

「あー、相変わらず眠たいってのが偽らざる感想だな。別につまらないって訳じゃないが、春の陽気を1番に感じるこの席が悪い。っていうか、さん付けはいらないって言っただろ。俺も砕けた口調にしたんだから、春野もしてくれ。じゃなきゃ、不公平だろ?」

 隣の席の海公が、男とは思えない可愛らしい笑みを浮かべ、影人にそう聞いて来た。影人は海公にそう答えを返しながらも、そう指摘した。

「そ、それは確かにそうなんですけど・・・・・・その僕は、実は知ってるんです。帰城さんが・・・・・・その、留年なさってるって事を・・・・・・」

「っ!? あー・・・・・・マジか」

 影人にだけ聞こえるくらいの小さな声で、海公は言いにくそうな顔でそう言った。海公にそう言われた影人は一瞬驚いたような顔になったが、すぐに苦笑いを浮かべた。

「そうか。それを知ってるなら、確かに口調は砕けにくいか。ていうか、春野は俺が最初から留年生だって知ってたのか? いずれ誰かにバレるとは思ってたが、まさか初日からバレるとは思ってなかったぜ。あ、それか榊原先生が口滑らせてみんな知ってるってオチか?」

「いえ、多分僕以外に知ってる人はこのクラスにはいないと思います。榊原先生もその事はみんなには言ってません。そして、最初から知っていたのかという質問についてはイエスです」

 納得したような表情でそう言った影人に、海公はふるふると首を横に振り、そう答えた。どうでもいいが、いちいち仕草が可愛らしい。

「へえ、まああの人も流石にそこまで抜けちゃいないか・・・・・・しかし、そうなると気になるのは、何で春野が俺の事を留年生だって最初から知ってたかだよな。まあ理由は色々と考えようと思えば考えられるが・・・・・・何で知ってたんだ?」

「あ、それは・・・・・・その・・・・・・実は、僕帰城さんにずっと憧れて――!」

 不思議そうな顔を浮かべる影人に、なぜか海公は少し恥ずかしそうな顔になった。だが、海公が意を決したように言葉を紡ごうとした時、海公の後ろから魅恋が乱入してきた。

「ねえねえ、海公っちと何話してるの?」

「う、うわっ!? き、霧園さん!?」

 魅恋が海公の肩を掴みながら、ズイッと顔を出してきた。急に魅恋が乱入してきた事に、海公は心底驚いたような顔を浮かべた。

「別に。ただの世間話ですよ。他愛のないね」

 急に乱入してきた魅恋に、影人は大して驚いた様子もなく、そう言葉を述べる。こういった明るい人種のやる事に、いちいち驚いていては世話がないからだ。

「えー本当? ていうか、そんな他人行儀な言葉遣いおかしくない? もっと砕けてオケ!」

 ビッと右の親指を立てながらは魅恋はそう言った。だがしかし、影人は首を横に振る。

「いえ、今はこれで。俺は少し人見知りなので、急に砕けた口調になるのは難しいんです。すみません」

「え・・・・・・!?」

 さっきの今でこの発言である。平然と嘘をつく前髪野郎。やはり人として終わっている。いや、というか人外だった。人外ならば、まあ仕方がないだろうか。その証拠に海公は驚いた顔になっていた。

「えー、そうなん? なら仕方ないか。でも、ウチ影人がタメ語使えるようになるまで待ってるぜ〜!」

「はは・・・・・・」

 ギャル特有の明るさと距離感に、前髪野郎は苦笑いを浮かべるしかなかった。すると、今までずっと魅恋に掴まれていた海公が恥ずかしそうに抗議の声を上げた。

「き、霧園さん! その、きょ、距離が近いから離れてもらってもいいかな・・・・・・!?」

「え、そう? ごめんね海公っち。ていうか、海公っちやっぱり可愛い〜。女子よりも女子って感じだよねー」

「いや、だから・・・・・・! というか、僕は男です! か、可愛いくなんてありません!」

 プクッと海公が怒ったのか頬を膨らませた。その仕草が既に可愛いのだが、恐らく本人は気づいていないのだろう。

「いや、もう可愛すぎだから!」

「わ、わっ!?」

 そして案の定、海公はそう言われて魅恋に抱きつかれた。魅恋に抱きつかれた海公は、女子に抱きつかれたからだろう。カァと急速に顔を赤らめた。思春期の男子なら、そんな反応もするだろうなと、その光景を見ていた影人は他人事のように考えた。

「あ、そうだ! せっかくだから、3人でご飯食べない? 影人にこのクラスの事教えたげるよ!」

「ちょ、霧園さん勝手に・・・・・・!? で、でも帰城さんとご飯・・・・・・」

 すると突然、魅恋がそんな提案をしてきた。明らかに今決めた感じだ。その証拠に、海公も戸惑ったような顔を浮かべた。なぜか後半はまんざらでもないみたいな顔になったのは謎ではあるが。

「すみません。お気持ちはありがたいんですが、先約がありまして。という事で、失礼させていただきます」

 影人はハッキリと魅恋の提案を断った。嘘ではなく、光司と暁理との約束があるからだ。まあ、なかったとしても、前髪野郎の事なので適当に嘘をついて断っていただろうが。基本的に前髪野郎は見た目こそ陰気なキャラだが、内面は人外なので、嫌なものは嘘をついてでも、オドオドせずにハッキリと断わるのである。

「あ、そうなん? なら仕方ないねー。じゃ、海公っち。一緒にご飯食べようぜ〜。ウチ、実は今日弁当忘れちゃってさー」

「それ絶対に僕からたかる気ですよね!?」

 悲鳴を上げる海公を無視しながら、鞄から弁当を取り出した影人は、スタスタと教室から出た。そして、大きなため息を吐く。

「はあー・・・・・・ったく、善意からの行動なんだろうが、やっぱりああいう人種は苦手だぜ。前のクラスの奴らの方が楽だったな。あいつら、基本俺に話しかけてこなかったし・・・・・・」

 1階にある学食フロアに向かいながら、影人はそう呟いた。頭に浮かぶのは魅恋の事だ。物珍しさと、恐らくは陽キャ特有の善意から影人に絡んで来るのだろうが、魅恋の行為ははっきり言って孤独が好きな影人からしてみれば迷惑であった。

「さて、暁理と香乃宮の奴はっと・・・・・・」

 そんな事を考えている内に学食フロアに辿り着いた影人は、生徒たちで賑わっているフロアを見渡した。影人がここに来るのは少し遅かったので、あの2人は既に来ているはずだ。影人はそう考えていた。

「おーい、影人!」

「帰城くん!」

 影人が周囲を見渡していると、手を振りながら影人の名を呼ぶ者たちがいた。暁理と光司だ。2人は既に席に着いており、昼食を載せたトレーを机に置いていた。

「よう、待たせたな。暁理、お前今日は学食なんだな」

「まあね。今日はそういう気分だったし」

 2人が座っている場所まで移動した影人が、暁理の隣の席に座る。どうやら、暁理が席を確保してくれていたようだ。暁理のトレーにはアジフライの定食が載せられていた。

「ご機嫌よう帰城くん。朝ぶりだね。ずっとこの時間を楽しみにしていたよ」

「そういうセリフを俺に言うな。てめえを好きな奴に言ってやれよ香乃宮」

 暁理の対面に座っていた光司が爽やか且つキラキラとした笑みを浮かべる。余りにもなイケメンスマイルを向けられた影人は、少しうんざりとした顔でそう言った。ちなみに、光司のトレーには焼き魚定食が載せられていた。

「ははっ、生憎と僕を好きな人がいるとは思えないから、それは少し難しいと思うよ」

「お前本気で・・・・・・いや、本気で言ってるんだろうな・・・・・・」

 笑う光司を見た影人は弁当を開きながら、いっそ哀れそうな声でそう呟いた。光司はこういった場面で嫌味を言う人物ではない。影人は、光司に好意を寄せている女子(或いは男子もか)に同情した。ちなみに、今日の影人の弁当は冷凍の唐揚げがメインである。具体的にはニ◯レイの。影人は「いただきます」と言って手を合わせた。

「それよりも暁理さんから聞いたよ帰城くん。学校側がその、君を留年させたって。これは由々しき事態だよ。君は不可抗力で学校に来る事が出来なかった。だと言うのに、留年処分だなんてあまりにも横暴だよ。大丈夫、安心してほしい帰城くん。僕がこの横暴に抗議するから。香乃宮グループの顧問弁護士に相談して、必要とあるなら裁判も――」

「待て待て待て待て! いきなり話が飛躍し過ぎだおい!?」

 真面目な顔でそんな事を言った光司に、影人は箸で口に運ぼうとしていたご飯を落としそうになりながら、今日1番の声でそう突っ込んだ。

「? どうしたんだい帰城くん?」

「どうしたんだいじゃねえだろうがこのバカ! 何がどうやってそんな悲しい理由で裁判しなきゃならねえんだ! 必要ねえよ!」

 不思議そうな顔を浮かべる光司に、影人は続けてそう叫ぶ。この男、普通に賢くて天然でもないのに、なぜここで不思議そうな顔を浮かべるのか。影人には全く以て分からなかった。

「うーん・・・・香乃宮くん何でか知らないけど、影人の事となるとちょっと変になるんだよな・・・・本当、何でだろ・・・・・・」

 一方の暁理はアジフライを食べながら、そんな感想を漏らした。完璧超人の香乃宮光司。その唯一理解しがたい点がそこだった。

「はあー、何で昼飯どきに疲れなきゃならねえんだ・・・・・・とにかく、お前は何にも口出しするな。正直、俺もまだ完全に納得し切れてはいないが、これは俺の問題だ。抗議するもしないも、俺が決める事なんだよ。だから、もうこの問題には何も言うな。分かったな?」

「っ・・・・・・うん、分かった。君がそう言うなら。ごめん帰城くん。僕は君のためにと思ったんだけど・・・・・・余計なお世話だったみたいだ。謝罪するよ」

 影人の言葉を受け取った光司が影人に謝罪した。光司にそう言われた影人は、「分かったならいい」と言って白飯を口にした。

「ねえ影人。クラスはどうなの? 後輩たちの中に君みたいな奴が紛れてて、みんな萎縮してない? 多分、明日くらいには訴訟されてると思うんだけど」

「何で存在してるだけで訴えられなきゃいけねえんだよ・・・・・・別に普通だよ。面倒くさい絡んでくる奴はいるが・・・・・・後はまあ、隣の奴以外には留年してるってまだバレてないし」

「え、隣の子にはバレてるんだ。それは気の毒だよね、隣の子が。というか、君に絡んでくるって、随分と命知らずの子がいたもんだね」

「俺への誹謗中傷が止まらねえなオイ。別に命知らずとかじゃなくて、単に物珍しさだろ。そいつギャルだし」

「ギャル!?」

「へえ、その子は見る目があるね」

 暁理がなぜか驚き、光司もうんうんとなぜか頷く。そして、暁理はそのまま影人の制服の襟を掴み焦ったような顔でこう言った。

「おい影人! まさか後輩のギャルに絡まれてドキドキなんてしてないよね!? もしかして俺の事好きなんじゃね? とか思ってないよね!? 言っとくけどそれ勘違いだからな! 相手は君の事何とも思ってないんだからな!」

「は、はあ? お、お前いきなり何言ってるんだよ?」

 急に暁理にそう言われた影人は、全く意味が分からないといった感じでそう言った。本当に暁理の言葉は影人には理解出来なかった。

「そりゃそうだろ。さっきも言ったじゃねえか、物珍しさからだろうって。ていうか、面倒くさいとは思ってもドキドキなんかするかよ。だって、俺だぞ?」

 影人は少し呆れたように冷静にそう言った。そもそも、暁理は知らないだろうが、零無を1度封じた時から影人に恋愛感情はない。ゆえに異性にも、同性にもそういったドキドキは感じた事がない。それに加えて、前髪野郎は厨二病の孤独好きなので、ただ魅恋の事を面倒だとしか思わないのだ。

「あ・・・・・・そ、そうだよね。だって、君だもんね。ご、ごめん。ちょっと動揺しちゃった。何だかんだ、君とこんなやり取りをするのは久しぶりだから」

 帰城影人だからという、あまりにも説得力があり過ぎる言葉に、暁理も一瞬で頭が冷え、影人の襟から手を離した。そうだ。こんな見た目をしているが、この少年は普通の人間とはそもそもの思考が違うのだ。

「お前も大概よく分からん奴だな。別に俺は慣れてるからいいが、他の奴には今みたいなヒステリー起こすなよ。友達なくすぞ」

「死ね!」

「痛え!?」

 もう色々とシンプルにそう言った暁理は堪らず影人の頭をしばいた。暴力系ヒロインと言う勿れ。これはあまりにも仕方がない事である。先に言葉の暴力を振るったのはアホの前髪である。

「ははっ。やっぱり、帰城くんと早川さんは仲がいいな」

 そんな光景を光司は微笑ましそうに見ていた。

 しばらくの間、3人が他愛のない会話を交わしながら昼食を摂っている時だった。突然、3人に向かって聞き馴染みのある声が向けられた。

「あ、帰城くんに香乃宮くん! それに早川さんも!」

「中々珍しい組み合わせね。よかったら、私たちもご一緒してもいいかしら?」

 声を掛けて来たのは陽華と明夜だった。陽華はトレーに山盛りのミックスフライ定食を載せており、明夜はカレーライスをトレーに載せていた。

「朝宮さん、月下さん」

「げっ、朝宮に月下・・・・・・」

「あ、どうも」

 2人に声を掛けられた光司、影人、暁理がそれぞれそんな反応を示す。特に影人の反応に、明夜がムッとした顔を浮かべた。

「ちょっと帰城くん。げって何よげって。私たちは幽霊じゃないわよ」

「そんな事は分かってるよ。ただ、また面倒な奴らが来たなと思っただけだ」

「いやそれなお悪くない!? 普通に傷ついちゃうんだけど!?」

「そんな山盛りのミックスフライ定食持ちながら言っても説得力ねえぞ朝宮。ただまあ、今はこの辺り以外に席は空いてねえし・・・・・・好きにしろ」

 周囲を見渡しながら少し残念そうに影人は2人にそう言った。影人の言葉を聞いた陽華と明夜は、「ありがとう!」「最初からそう言ってくれればよかったのに」と言いながら席に着いた。陽華は影人の隣に、明夜は光司の隣に。

「あ、そう言えば帰城くんクラスはどこになったの? 私と明夜のクラスじゃないから、他のクラスだよね。何組?」

「変わらず2年7組だ。留年したからな」

「「え!?」」

 陽華の質問にサラッと唐揚げを頬張りながら、影人はそう答えた。当然の事ながら、影人が留年したという事を初めて知った陽華と明夜は、驚愕した。それこそ、鳩が豆鉄砲を食ったような感じだ。

「え、留年!? な、な何で!?」

「ちょ、ちょっと衝撃的過ぎてついていけないんだけど・・・・・・」

 陽華と明夜はそう言葉を続けてくるが、色々と面倒になった影人は簡潔にこう言った。

「そりゃお前、宇宙人に攫われて期末試験すっぽかしたからだよ。他にも素行不良だったとか色々理由はあるが、主な理由はそれだ」

「「っ!?!?」」

 いきなりそんな事を言われた陽華と明夜は、更に混乱した顔になるが、影人は無視した。2人は既に影人が消えていた理由を知っている。ならば、いずれこの理由が建前だという事に気がつくだろう。それか、後で光司が2人にそれとなく伝えるだろう。

「ご馳走様。じゃ、俺は先に――」

「あ、帰城くん。今朝言った通り、デザートを奢るよ。どれがいいかな? 一緒に見に行こう」

「いや、それはいい・・・・・・って、香乃宮! 俺を引っ張るな!」

「いいからいいから」

 席を立った光司が影人の元まで移動し、無理やり影人をデザートを販売している所まで連れて行く。モヤシの前髪は光司に引き摺られるようにして、連行されていった。

「・・・・・・香乃宮くん、帰城くんに対してちょっと変わったわよね。前より積極的になったというか・・・・・・」

「うん・・・・・・でも、帰城くんも前よりかは柔らかくなった気がする。普通に友達みたいな感じだよね」

「うーん・・・・・・まあ、そうなのかもね」

 その光景を見ていた明夜、陽華、暁理がそれぞれそう言葉を漏らした。パッと見たところは、影人は本当に嫌がっているように見えるが、多少影人と付き合いのある3人にはそう見えた。

 それから、ショートケーキを手に戻って来た影人と、ニコニコ顔の光司は席に戻って来た。5人は他愛のない話を交わし(まあ、影人はそれほど会話には参加しなかったが)、昼休みは和やかに過ぎて行った。

 それは一時いっときの平和な光景。少し前までなら実現されなかった、ある意味では稀有な光景だ。それは、レイゼロールが救われたからこそ、実現した光景でもあるだろう。

 だが、それはあくまで一時的なものに過ぎない。零無という新たな脅威が現れた今、影人は再び戦わなければならない運命にあるのだから。

 戦いの時は確実に近づいている。しかし、その時までこの一時の平和は続くだろう。

 その事を胸に刻みながら、影人はその時間を大事に過ごそうと決めた。

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