第291話 真なる神を封ぜし者

「知ってるか? その感情は人間が1番力を発揮出来る感情の1つらしいぜ。だからだろうな。あの器は俺に最上の封じる力を与えてくれたよ」

「なっ・・・・・・」

 不敵に笑いながら、影人は続けてそう言った。影人の言葉を聞いた零無は絶句した。

「分かって・・・・・・分かっているのか影人!? お前は永遠にその感情を失ったんだぞ!? 2度と恋心を抱く事が出来ないのだぞ!? こんなにも、こんなにも素晴らしい感情を!」

 影人が失ったものを知った零無は、どこか哀れむような、糾弾するような声音でそう叫ぶ。影人がきっかけでその感情、又はその感情の一端を知った零無は、その感情がどれほどに尊いものかを知った。

 それは世界を変えるほどの力を持つ感情だ。実際、零無の世界は変わった。追放され、真界よりかは面白いとは感じていたが、零無はこの地上世界をずっと見下していた。なぜ、自分のような真に最上位の存在がこのような下等生物たちが生きる世界にいなければならないのか。心の底で、零無はずっとそう考えていた。

 だが、影人と出会って零無の世界は、いや零無は変わった。影人といると、全てが楽しく思える。何気ない会話で時はすぐに過ぎ去る。影人といると、全てが美しく見える。この陳腐な神社ですら、真界の景色よりも美しいと思える。それはひとえに、零無の影人に対する愛という感情が要因だろう。

 だから、零無は実感を持って言えるのだ。恋愛感情は、愛を感じる心は素晴らしいと。本当に世界を変えるものだと。ゆえに、零無は心の底から影人に哀れみを覚え糾弾した。影人は、取り返しのつかない事をしてしまったのだ。

「へえ、意外だな。お前でもそう言うのか。だったら、本当にそれはいい感情だったんだろうな。1回は、1回は感じてみたかったよ」

 少しだけ寂しそうな顔を影人は浮かべた。影人はまだ初恋を知らない。そのため、恋愛感情というものを1度も味わわずに、それを永遠に捨て去ったのだ。もう影人は恋というものを知ることは出来ない。同じく永遠に。

「・・・・・・だけど、お前を封じるためだ。お前がいなくならなきゃ、俺は家族を失う。家族は俺を失う。なら、天秤がどっちに傾いてるかは明白だ。俺の感情1つで家族を救えるなら・・・・・・俺は家族を選ぶ。俺は自身の愛よりも、家族愛を選ぶッ!」

 影人は内に秘めた激情の一端を言葉に滲ませながらそう叫んだ。

(ああ、やっぱり俺は幸せだ。恵まれてる。そんな事を言えて、そんな選択が出来て。俺は、俺は本当に幸せだ・・・・・・!)

 叫びながら、影人は内心でそう思った。影人がその選択を出来たのは、それほどまでに家族が大事だから。ひいては、それほどまでに家族が影人を愛してくれたからだ。だから、影人は自分が幸せだと、恵まていると心から思えた。そして、そんな人たちのためだからこそ、影人は戦える。

「そろそろ終いだ・・・・・・! 零無、お前を封じる。永遠に、俺が俺であるためにッ!」

 影人が右手に更に力を込める。影人の周囲の空間から更に闇色の腕が出現し、零無の体を掴む。そして、零無を掴んだ腕は徐々に零無を動かし始めた。すなわち、零無の後ろにある大きな石へと。

「っ、まさかッ!?」

「そうだ。お前をその石の内側に封じる。ここは神社。神のやしろだ。もう2度とお前の勝手な欲望を、悪意を振り撒かないように一生見張られてろ!」

 何かを悟った零無に影人はそう言葉を送る。そう。影人が器から与えられたのは、あくまで何かを封じる力。封じるモノを入れる依代はない。

 ただ、依代自体は何でもいい。ただし、出来るだけ壊れない物がベストだ。依代が壊れれば、封印は解かれてしまうから。

 そこで影人が依代として選んだのが、この大石だった。この大石なら、簡単にはまず壊れないだろうから。

「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!? ふざけるな、ふざけるな! 本当に吾が封じられるだと!?」

 どんどんと腕によって石の中に引かれていく零無は、心の底から焦ったように言葉を吐いた。腕の引く力は強く、既に零無の左腕は半ばまで石の中に入っている。

「影人、バカな事はよせ! 今ならお前を許してやるから! だからこのバカバカしい封印を解くんだ! お前は吾に選ばれた唯一の人間、唯一の友だ! ならば本当はどうするべきか分かるはずだ!」

 続けて、零無は影人にそう訴えた。今の自分ではもうこの封印から抜け出せない。その事を零無は悟っていた。ゆえに、零無は影人を説得しようと試みた。

「ああ、どうするべきかは分かってるよ。それはお前を封印する事だ。後、もう1つ言っとくぜ。俺とお前はもう友達じゃない。脅すような奴を友達とは言わないんだよ」

「っ・・・・・・!?」

 だが、影人は全く動じなかった。そして、影人は冷たくそう宣言した。その言葉を聞いた零無は心底ショックを受けた顔を、闇色の腕の隙間から覗かせた。

「影人ォ・・・・・・!」

 そして、それはショックから一転、激しく身を灼かんばかりの怒りの業火を零無に与えた。

「ガキがッ! 吾は、貴様に名を与える事を許したのだぞ!? 全てから自由であるこの吾が、わざわざお前に縛られてやったのだぞ!? その意味を、貴様は分からないか! 低知能の猿が!」

 もう左半身が石の中に引き摺り込まれていた零無が、怒りと恨み、全ての負の感情が混ざった目で影人を睨みつけた。その目は射抜く者全てを視線だけで殺してしまいそうな、そんな目だった。

「許さん・・・・・・許さんぞ! 絶対に! 吾を裏切りやがって! 吾を虚仮にしやがって! ただでは、ただでは封じられん! 影人、貴様を呪ってやるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!」

「っ!?」

 零無が残っている貴重な「無」の力を削り、一瞬右手の拘束を解いた。そして、零無は右手を影人の方へと向けた。零無の最後の悪あがきに、影人が顔色を変える。

「そんなに家族といる事が大事なら・・・・・・! 貴様と家族の仲を永遠に引き裂いてやる・・・・・・! 貴様に別離の呪いを掛ける!」

 既に新たな闇色の腕が零無の右腕を拘束しているが、零無は力を振り絞り右手を影人の方へと向け続けた。そして、零無の右の掌から透明の光が放たれた。その光は真っ直ぐに影人の方へと向かって来た。

(マズイ! 対象を封印している最中俺は動けない! このままだと・・・・・・!)

 その光を見た影人は内心で焦ったようにそう呟いた。零無の言葉の通りならば、この光は呪いだ。どのような方法か具体的には分からないが、影人と家族の仲を永遠に引き裂く呪い。

(クソックソッ! それじゃあ意味がないじゃないか! 零無を封じても俺が家族と一緒にいられないんじゃ、何も! どうする、どうすればいいんだ!?)

 影人は必死に、必死に考えた。今逃げる事は出来ない。それは、零無の封印の破棄を意味する。封印を破棄した瞬間、零無がどのような行動を取るかは火を見るより明らかだ。だが、この光に当たる事も出来ない。影人は板挟みの状態に陥っていた。

 しかし、時は止まってはくれない。零無が放った光は確実に影人へと接近し、そしてあと少しで影人に触れようとしていた。

「クソッ・・・・・・!」

 影人が悔しげに歯を食いしばる。結局、結局自分は――

 影人がそう思った時、


「――いいや、そんな事はさせねえよ」


 どこからかそんな声が響き、影人の前に1人の男がその体を滑り込ませて来た。零無の放った光は、その男の体に触れると、溶けるようにその男の体の中に消えていった。

「なっ・・・・・・」

「え・・・・・・」

 そのまさかの光景に、突然の乱入者に、零無と影人は驚いたような顔を浮かべた。

「ま、まさか・・・・・・」

 影人を呪いの光から救ってくれた男。その男の背中を見た影人はその目を大きく見開いた。自分よりも遥かに大きいその背中。その背中を影人は知っていた。なぜならばその背中は、何度も、何度も見た事があったから。

「何で・・・・・・・・・・・・」

「よう、大丈夫だったか? 影人」

 信じられないといったような声を漏らした影人にその男、帰城影仁は半身を影人の方に向けると笑みを浮かべそう言った。











「影人、取り敢えず話は後だ。今はお前のやる事をやれ」

 呆然としている影人に、影仁は続けてそう言った。影仁にそう言われた影人はハッとした顔になる。

「っ・・・・・・うん、分かったよ!」

「よし、いい返事だ」

 影仁が影人の前から退く。すると、影人の前に再び封印途中の零無の姿が目に入った。零無はもうほとんど石の中に引き摺り込まれ、露出している部分は既に顔と右腕だけになっていた。

「これで、今度こそ本当に終わりだ零無!」

「くそっ・・・・・・くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 影人が宣言すると同時に、闇色の腕は最後の仕上げとばかりに力を更に強め、零無を石の中に引き摺り込んだ。顔が石の中に消え、最後に残った右腕も石の中へと引き摺られる。

 その際、小さな、小さな透明の粒子が右腕から放たれた。その粒子は地を這うように移動し、影人の足に触れると溶けるように消えていった。だが、粒子のあまりの小ささと状況から、影人も影仁もその事には気が付かなかった。


 そして、零無は石の中に完全に消え、封じられた。


「よ、よし・・・・・・はあ、はあ、はあ・・・・・・」

 零無を封じた事を確認した影人は右手を下ろし、荒い息を吐いた。何だか、精神的にとても疲れた気分だ。

「大丈夫か影人? 気分は悪くないか?」

 そんな影人を見て、影仁は心配そうな顔でそう聞いてきた。影人は小さな笑みを浮かべると、影仁にこう言葉を述べた。

「だ、大丈夫。ちょっと疲れただけだから・・・・・・それよりも・・・・・・」

 影人は顔を影仁に向けると、こう言葉を続けた。

「何で父さんがここに・・・・・・? それに、さっきの行動・・・・父さんにも零無が見えてたの?」

 それは影人にしてみれば当然の疑問だった。なぜ影人はここにいて、自分を庇えたのか。いったい、いつから影人と零無の事に気がついていたのか。

「ああ。と言っても、俺にもあの女が見え始めたのは、あの女が黒い腕に掴まれた時からだけどな。で、俺が何でここにいるかって言うのは・・・・・・まあ、一言で言えば親の勘と虫の知らせのブレンドかね」

「親の勘と虫の知らせのブレンド・・・・・・?」

 影仁の言葉を聞いた影人は、不思議そうな顔を浮かべた。

「ここ最近お前の様子が変なのは俺も日奈美さんも気づいてた。親だからな。でも、俺は旅行初日のここでのお前の発言を知ってたから、お前が何か隠してるんじゃないかと思ってたんだ。まあ、確信を持ったのは昨日の夕方にお前が帰って来た時だけど」

 影仁は説明を続けた。

「で、本当についさっきだな。突然目が覚めたんだよ。ハッキリと何の前触れもなくな。その目覚めに俺は何かを感じたよ。それでふと周囲を見渡してみると、お前の姿がなかった。そこで、何となく分かったよ。お前はまたあの神社に行ってるんだってな」

「なるほど、それで親の勘と虫の知らせのブレンドか・・・・・」

 影仁の説明を聞き終えた影人はポツリとそう呟いた。何か神がかり的なまでの偶然だが、その偶然に影人は救われたのだ。

「そういう事。昔からそういう勘だけは鋭いんだよ俺。で、急いでここに来てみたら、お前が虚空に話しかけてた。俺は最初意味が分からなくてしばらく観察してたら・・・・・何か急に闇色の腕が現れたり、女が現れたりってわけだ。俺はしばらくの間、状況を飲み込めなさすぎて呆然としてたよ」

 影仁はやれやれと言った感じで一旦そこで言葉を切ると、一転、真剣な顔を浮かべた。

「で、影人。次は俺がお前に聞く番だぜ。お前はずっと俺たちに何を隠してた? さっきの女は、さっきの状況は何だったんだ?」

「っ、それは・・・・・・」

 影仁にそう言われた影人は一瞬逡巡するような顔になったが、すぐに決心したような顔に変わると、首を縦に振った。

「・・・・・・分かったよ。全部話す」

 そして、影人は影仁に全ての事を話した。零無との出会いから、今に至るまでの全てを。

「・・・・・・そうか」

 全ての事を知った影仁は神妙な顔で一言そう呟くと、影人を抱き締めてきた。

「っ・・・・・・? と、父さん・・・・・・?」

「ごめんな・・・・・・本当にごめんな影人。もっと早くに気づいてやるべきだった。ごめんな、お前に全部背負わせちまって。しかも、お前は・・・・・・」

 影仁は影人を強く抱き締めながら、そんな言葉を吐き出した。父親である自分が不甲斐ないせいで、影人は恋愛感情を失ってしまった。永遠に。それが影仁には悔しくて、申し訳なくて仕方なかった。影人は人生の選択肢の1つを制限されてしまったのだ。

「・・・・・・謝らないでくれよ。俺が何も言わなかったのが悪いんだから。父さんたちは何にも悪くないよ。本当に気にしないでくれ」

 震える影仁の背にそっと手を回しながら、影人は笑みを浮かべた。そう。影仁が懺悔の言葉を口にする必要など何もない。

「・・・・・・それに、もう全部終わったんだ。だから、大丈夫だよ」

「っ・・・・・・そうだな。お前の言う通り、全部は終わった。分かった。お前がそう言ってくれるなら、もうこれ以上は何も言わない。じゃないと、いつまでも引き摺っちまうからな」

 影人の言葉を受けた影仁はそう言うと、影人の体から手を離した。

「よし。じゃあ、そろそろ戻らないとな。しかし、影人。お前すげえ一夏の冒険したな。間違いなく今夏で1番の体験したのはお前だぜ」

「一夏の冒険じゃ片付けらないけどね・・・・・・でもまあ、世界は広がったかな。色々な意味で」

 影人に気を遣っての事だろう。影仁が少し茶化すようにそう言った。影仁の気遣いに苦笑を浮かべた影人はそう言葉を呟いた。

「父さん、今何時か分かる? そろそろ、母さんたち起きてるかもしれないから、戻らないと心配されるよ。旅館に戻ろう」

「ああ悪い。急いで出てきたから時間確認できる物は今持ってないんだ。後、影人。悪いが・・・・・・」

 影仁は困ったように自分の右頬を人差し指でポリポリと掻くと、


「旅館には1人で戻ってくれ。俺はお前と一緒には行けない」


 そう言った。

「・・・・・・・・・・・・え?」

 影仁の言葉を聞いた影人はポカンとした顔になると、そんな声を漏らした。

「な、何言ってるんだよ父さん・・・・? じょ、冗談だろ?」

 影仁の言葉を冗談と受け取った影人は、焦ったような笑みを浮かべながらそう言った。だが、影仁はその顔を困った顔から変えなかった。

「いや・・・・・・本当だ。俺はもうお前や日奈美さん、穂乃影の元には戻れない。ここで・・・・・・お別れをしなくちゃいけないんだ」

「な、何でだよ!? 何で父さんが・・・・・・っ、まさか・・・・・・!?」

 影仁の言葉を聞いた影人は動揺した。影仁はそんな事を言うタイプではない。ならば何か理由があるはず。そして、影人はその理由に思い至った。

「・・・・・・ああ、そうだ。俺はあの女の光をこの身に受けた。だから、呪われちまったみたいでな。どうやら、この呪いは一定の場所には止まれない放浪の呪いってやつみたいだ。あの透明の光を受け止めた瞬間、呪いの内容が頭に浮かんできた」

「そん・・・・・・な・・・・・・」

 影仁の説明を聞いた影人は絶望したようにそう言葉を漏らす。あの呪いは影人個人だけを呪うものではなかったのだ。

「しかも、この呪いはタチが悪くてな。俺が放浪し続けなきゃ、俺の1番大切な人間が死ぬみたいだ。つまり、日奈美さん、穂乃影、お前の内の誰かが死ぬ。だから、俺はこれから世界を放浪し続けなきゃならない」

 影仁は絶望している影人の目線に合わせるようにしゃがむ。そして、呆然としている影人にこう言葉を続けた。

「・・・・・・呪われたから全く会えないなんて事は言えないから、俺はこのまま失踪する。生死不明の行方不明になる。日奈美さんと穂乃影には辛い思いをさせちまうが・・・・・・これが1番いい方法だ。だから悪い影人。お前は日奈美さんと穂乃影に、俺が生きてる事は伝えないでくれ。お前は俺の事は何も知らない体でこのまま旅館に戻れ。・・・・・・お前も辛いかもしれないが、頼む」

「・・・・・・ううっ。何で・・・・・・何でだよ・・・・・・何で父さんが、いなくならなきゃいけないんだ・・・・・・うっ、ごめん。ごめんなさい父さん・・・・・・俺の、俺のせいで・・・・・・!」

 影人は溢れてくる涙を堪え切れなかった。影仁が自分たちの元から去らなければならなくった理由は、全て影人のせいだ。影人を庇って影仁はこれから過酷な道を進まされる。自分が零無と出会わなければ、目を合わせなければこんな事には、こんな事にはならなかったはずなのに。影人は激しく自分を責めた。

「・・・・・・影人、お前は何も悪くない。本当に何も悪くないんだ。お前は優しいから俺のために泣いてくれてるんだろうし、内心では自分の事を責めてるんだろうが・・・・・・そんな事をする必要は本当にないんだよ。悪いのは、全部あの女だ。お前はあの女から俺たちを守ろうと、まだ子供なのに必死に戦ってくれた。そんなお前が、悪いわけがねえ」

「ううっ・・・・・・ううっ・・・・・・!」

 影仁は泣きじゃくる影人の頭を自分の右手でそっと撫でた。影仁にはいったいどれだけの覚悟で影人が戦う事を決意したのか分からない。だが、影人がその決意をしたのだと思うと、影仁の胸は激しく痛んだ。

「・・・・・・悪い。そろそろ行くな。最後に影人、本当はお前にこんな事は言いたくないけど、お前を縛り付けたくはないけど・・・・・・言わなきゃならないから。影人、日奈美さんと穂乃影を、家族を頼む。どうか・・・・・・どうか俺の代わりに2人を守ってくれ。本当ごめん。でも、これだけは約束してほしい」

 この約束が影人にとって一種の呪いになるであろうという事を分かりながらも、影仁はそう言った。泣きそうな顔で。

「うん・・・・・・うん・・・・・・約束するよ・・・・・・! 俺が、必ず母さんと穂乃影を守るから・・・・・・! 父さんの代わりに、絶対に俺が2人を守るから!」

 影仁にそう言われた影人は手で涙を拭いながら、何度も何度も頷いた。影人はこの時に誓った。影仁との約束を絶対に守ろうと。

「ありがとうな。やっぱり、お前は凄いよ。俺の自慢の息子だ。本当、俺にはもったいないくらいの」

 影人の頷きを見た影仁は立ち上がると、最後に影人にこう言った。

「愛してるぜ影人。心の底から。これで、俺は安心して行ける。じゃあ、さよならだ。俺はちょっくら世界を回ってくるぜ。ついでに観光と呪いを解く方法でも探してくるわ」

「は、ははっ・・・・・・大した男だよ、父さんは」

 笑みを浮かべそんな事を言った影仁に、影人は泣き笑いに近い笑みを浮かべた。

 そして、

「またね、父さん」

「おう。またな影人」

 影人と影仁は再会を誓う言葉を交わし合った。影人が見守る中、影仁は鳥居を潜り、目覚め始めた街の中へと消えて行った。









 ――これがずっと帰城影人が己の中に封じ続けていた記憶。人ならざる者と出会い、絆を育み、そして戦い、大切な人を失った記憶。帰城影人の罪悪と後悔の記憶。

 この後、影人は宿に戻り、日奈美と穂乃影に合流した。そして、影仁がいない事に気がつくと、日奈美と穂乃影、それに演技ではあったが、影人も動揺した。そして、影仁の失踪はしばらくの間、影人たち家族に暗い影を落とした。気丈な日奈美も一時は茫然自失となり、穂乃影もずっと暗かった。そんな2人を見た影人は胸が締め付けられ、影仁が実は生きている事を伝えたかったが、それは必死に我慢した。

 それから時は過ぎ、金銭的な面からも影人たちはマンションに引っ越し、そこから影仁なしの新しい生活が始まった。日奈美と穂乃影は徐々に立ち直り、日々の忙しさから次第に元の様子に戻っていった。だが、影人は影仁を失った2人の心の傷が未だに癒えていない事を知っていた。

 そして、影人はと言えば、零無の件から当然ながら変わった。まず、零無の記憶を心の奥底に仕舞った影人は、人とあまり関わらないようになった。大切な人間を出来るだけ作りたくはなかったから。その喪失の痛みに、もう耐えられないと思ったから。

 もう1つの変化は、前髪を伸ばした事。そもそも、零無と目を合わせなければあんな事にはならなかった、という事を影人はずっと思っていた。だから、もう2度と目を合わせてはならない者と目を合わせないために、影人は前髪を伸ばした。それが影人に出来る数少ない事の1つだったから。


 こうして、影人は自身の心の一部と、その視界を閉ざした。

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