第290話 人間の底力

「・・・・・・」

 あと少しで日が昇るという、夜と朝の狭間。正確な時間は時計を見ていないので分からないが、影人は静けさに沈む外を歩いていた。周囲に人は影人以外には誰も見えなかった。

「・・・・・・着いた」

 迷いなく歩いていた影人は、とある階段の前で立ち止まると、その上にいる朱色の鳥居を見上げた。そこはこの2日、いや今日を入れれば3日か。その間に何度も足を運んだ神社だった。そして、零無との約束の場所でもある所だ。

「すぅぅ・・・・・・はー・・・・・・」

 影人は1度大きく深呼吸をした。既に精神は整っているが、改めて覚悟を全身に促すために。

「・・・・・・よし。大丈夫だ」

 影人はそう呟くと神社の階段を登り始めた。零無との約束の時間は曖昧だが、まだ時間はあると信じたい。影人は零無がまだいない事を願った。

 階段を登り終えた影人は朱色の鳥居を潜った。そして、辺りを見渡す。

「・・・・・・いないな」

 いつもの大石の上にも、周囲にも零無の姿は見えない。もしかすれば、昨日のように気配を消しているだけかもしれないと影人は疑ったが、今回は脅かす必要もないはずだ。という事は、やはり零無はいないはず。そう考えた影人は、参道を歩き始めた。

(よかった。別にいても理由をつけてちょっとの時間は稼げただろうけど、やっぱり疑われる可能性があるから。最初の賭けには勝ったかな)

 参道を歩きながら、影人は自分の幸運に感謝した。出来れば、この幸運がまだ続いてほしいものだ。

 影人は拝殿を迂回するように通り過ぎ、その奥の本殿へと向かった。あの器が安置されている本殿へと。

「・・・・・・」

 本殿の前に辿り着いた影人は、無言で本殿を見つめた。この中にあの器がある。零無曰く、強力な呪具が。

 そう。影人のアテとはその呪具であった。零無の言葉で、あの呪具が本物であるという確証はある。そして、その呪具は条件こそあれど、何かを呪具。ここまで言えば、もう分かるだろう。


 影人は、その呪具を使って


「・・・・・・ごめんなさい神主さん。後でいっぱい謝ります。罪も償います。だから、だからどうか・・・・・・俺にあの器を・・・・力を貸してください」

 影人は罪悪感に満ちた言葉でそう懺悔すると、本殿の扉を開けた。昨日友三郎にこの中を見せてもらった時に、扉に鍵がかかっていない事は確認済みだ。

「・・・・・・あった」

 本殿の中はまだ薄暗かった。本殿の中に入った影人は、昨日も見た器を静かに見つめた。あの器が、今の影人の全ての希望だ。影人は器の前まで歩いた。

「女将さんが言ってた、この器の力を使うための条件は2つ。まず1つ目は・・・・・・使用者が何者にも負けず、動じない、鋼をも超えた覚悟を持つ事」

 それがまず1つ目の条件。正直に言えば、まだ子供の影人からすれば、この条件は曖昧で正確には分かっていない。だがしかし、強い、強い覚悟が必要というのならば、

(俺はもう覚悟を決めた。家族といるために、零無と戦う覚悟を。この覚悟だけは誰にも、何にだって負けるとは思わない。絶対に揺るがない)

 影人は既にそれを決めている。つい先ほどまでの弱い自分とはお別れをした。影人はどこか据わったような目で器を見つめながら、こう言葉を呟いた。

「・・・・・・生きて家族といられるなら、俺から何を持っていっても構わない。だから・・・・・・だから、応えろよ。俺に寄越せよ。お前の力を・・・・・・!」

 鬼気迫る表情と声。それは、子供がする顔では、子供が出す声では決してなかった。

「・・・・・・!」

 影人の言葉から、影人が本気であると理解したのだろうか。突然、器は1人でにカタカタと震え始めた。そして、器はその全身から闇色のオーラのようなものを発し始めた。

「へえ・・・・・・やっぱり本物なんだ。ずっと隠してたのか。お前はその力を」

 変化した器を見た影人は、大した驚きも見せずにそう言葉を漏らした。どうやら、1つ目の条件はクリアしたようだ。

「2つ目の条件は・・・・・・代償を1つ支払う事。いいよ、支払ってやる。さっきも言ったように、俺が生きて家族といられる以外なら何でも。ほら、教えろよ。お前は俺の何が欲しいんだ?」

「・・・・・・!」

 影人が器にそう問いかけると、また器が反応するかのように震えた。そして、器は自身から発しているオーラの一端を伸ばし、影人の右手に触れた。

「っ・・・・・・」

 その瞬間、影人は理解した。器が代償として何を求めているのかを。何を喰らえば、零無を封じるような強力な力を器が発揮出来るのかを。

「そうか・・・・・・お前はが欲しいんだな? それを喰らえば、お前は何でも封じられるんだな?」

「・・・・・・!」

 影人の言葉に、また器が反応した。是という事らしい。ならば、それならば、

「・・・・・・いいぜ。持ってけよ。それであいつを封じられるなら安いもんだ。ああ、そうさ。そんなものは・・・・・・」

 少しだけ、少しだけ影人は言葉を詰まらせた。思い出されるのは、数日前の紀子との話。紀子が素晴らしいと言っていたそれを、代償として事は、正直に言えば少しだけ悔いがある。

 だけれども、家族には変えられない。

「・・・・・・俺はお前にそれを支払う。根こそぎ持っていけよ」

「・・・・・・!」

 その影人の言葉に、器は今までで1番大きく震えた。まるで歓喜しているかのように。

 器が発しているオーラが伸びて、影人の胸部に触れた。そして、オーラはぬるりと影人の中に入り、

「っ・・・・・・」

 影人の中からを奪い去った。影人は未だそれを抱いた事はないが、器が確かにそれを奪い、喰らった事を理解した。

 影人から代償を受け取った器は、影人の中に侵入させていたオーラと右手に触れさせていたオーラの一端を回収した。

「・・・・・・!」

 瞬間、影人から受け取った代償を力とするかのように、器はその全身から発していた闇のオーラを激しく燃え盛らせた。そして、激しく燃え上がったオーラはしばらくすると、器の上の空間に収束し、丸型へと変化した。その瞬間、影人の頭の中にある意志が伝わって来た。

 すなわち、その丸型になったオーラに触れろという意志が。影人には、それが器の意志であると直感的に分かった。

「・・・・・・これに触れればいいんだな」

 器の意志を理解した影人が、収束している闇のオーラへと右手を伸ばす。

 そして、

「・・・・・・」

 影人は「力」に触れた。












「ふんふふんふーん♪」

 それから少し時間が経った頃。零無は陽気に鼻歌を歌いながら、神社へと姿を現した。今まで影人と2人で暮らすために、旧知の人外たちの元を訪れたり、世界をまた見て回っていたのだ。

「おや?」

 零無が鳥居から神社の中に入ると、参道横の大石の前に1人の少年の姿があった。零無が知っている半袖半パン姿ではなく、統一感のある鼠色の薄い長袖と長ズボンの寝巻きのような服を纏っていたが、その少年は零無がよく知っている、いや唯一愛している少年であった。

「影人! もう来ていたのか。すまないね、待たせてしまって」

「ああ、零無お姉さん。おはよう。いや、全然待ってないから気にしないで」

 歓喜の声を上げ、影人の名前を零無は呼んだ。名を呼ばれ零無に気づいた影人は、振り返るとニコリとした笑みを浮かべそう言った。

「そうかい? 気遣いも出来るなんて、やっぱりお前はいい子だね。ああ、影人。少し離れていただけなのに、お前と会えなくてたまらなく寂しかったよ。本当に」

 零無はそう言うと、影人の元まで移動して来てぐるりと影人を囲むように回った。零無の言葉を聞いた影人は小さく笑った。

「大げさだなぁ。でも、俺も零無お姉さんと会えなくて寂しかったよ。家族とのお別れも済んで、未練もなくなったし。・・・・・・今は楽しみな気持ちの方が大きいんだ。零無お姉さんと、これからどんな風に過ごせるんだろうって期待の方が」

 そして、影人はそう言葉を続けた。

「っ! そうか・・・・・・そうかそうか! 嬉しい事を言ってくれる! 無論、ああ無論吾もだよ影人! お前と共にこれからずっと過ごせるというのが、どれほどの幸福か! 間違いなく、これからの時間が吾の生涯絶頂の時間になるとも!」

 その言葉を聞いた零無はこの上なく、この上なく歓喜した。それは長い長い零無の生の中で、1番歓喜した瞬間だった。零無は特上の笑顔を浮かべながら、ふるふるとその幽体を震わせえた。

「影人、吾は昨日お前と別れた後、世界を回って来たんだ。今まではつまらない陳腐な物や光景とばかり感じていたが、お前と巡ればきっと素晴らしいものに見えるだろう。恋とは、愛とは世界を変える。ああ、斯くも美しいなあ!」

「そう・・・・・・なんだろうね」

 未だ歓喜の絶頂にいる零無の言葉を聞いた影人は、ただ淡く微笑んだ。

「さて、ではそろそろ行こうか影人! 何、既に世界を回る手筈は整っている! だが、そのためにはまずここから少し離れた場所に移動しなくてはならないんだ。だから、吾に着いて来ておくれ」

 零無はそう言うと、影人に背を向けようとした。だが、その前に影人は零無にこう声を掛けた。

「あ、待って零無お姉さん。最後に1つだけ。この大石の前に立ってくれない? ちょっとしたサプライズがあるんだ」

「サプライズ? おいおい、なんて嬉しい事を言ってくれるんだ。お前は吾を喜ばせる天才だな影人」

 子供らしい無垢な笑顔を浮かべながらそう言った影人。影人の言葉を聞いた零無はニヤけたような顔になると、大石の前に移動した。

「これでいいかい?」

「うん、ありがとう。これで――」

 影人は変わらず笑顔を浮かべると、スッとその右の掌を零無に向け、


「――


 そう言った。瞬間、影人の右手が真っ黒な闇に染まり、影人の周囲の空間から闇色の腕が複数出現した。闇色の腕は一瞬で零無の全身を掴んだ。精神体であり、普通ならば触れる事など出来ないはずの零無の体を。

「なっ・・・・・・!?」

 その突然の事態に零無は驚愕した。闇色の腕は非常に強い力を持っており、零無を拘束している。零無は全くその体を動かす事が出来なかった。闇色の腕は尚も増え続け、零無の全身を掴む。

「こ、これは・・・・・・これはいったい、どういう事だ影人ッ!?」

 零無が意味が分からないといった顔で、影人にそう叫んで来た。闇色の腕は影人のあの真っ黒な右手に宿った力を起点として、呼び寄せられている。という事は、この状況は影人が原因という事だ。

「どういう事? 別に今起こっているみたいに、さっきも言った通りだよ。これは、あんたを封じるための過程だ」

 零無にそう問われた影人は一転、冷めたような視線を零無に向けそう言った。

「吾を封じる・・・・・・!? お前はただの人間のはずだ。吾を封じられる力など・・・・・・っ、まさか!?」

 何かに気づいたような顔を浮かべる零無。そんな零無を見た影人は静かに頷いた。

「ああ、そうさ。この神社にある器の力を借りた。俺はてっきり、あの器自体に封じる力があると思ってたけど、それは違った。あの器は条件を満たした者に・・・・・・1つだけ封じる力を与える呪具だったんだよ」

 そう。今の影人の右手から封じる力が放たれているように、あの器は力を与える呪具だった。だから影人に器の有無は関係なかった。影人は零無を任意で封じられる力を右手に与えられていたから。

 ただし、いま影人が言ったように、この封じる力は何か1つを封じれば失われてしまう。あくまで限定的な力だった。

「ッ、バカな! ならばお前は条件を満たしたというのか!? 吾の気配に怯えていた、ただのか弱い人間の子供であるお前がッ!」

「そうだよ。俺みたいな奴だって、覚悟を決めれば戦える。零無お姉さん・・・・・・いや、零無。お前の敗因は俺を、人間を舐めすぎた事だ」

 零無の呟きに影人は少年らしからぬ、戦う者の顔を浮かべながらそう宣言した。

「ふざけるな、ふざけるなよ! 貴様のような下等生物のガキが調子に乗るな! せっかく目を掛けてやったのに、この仕打ち! 許さん、許さんぞ影人!」

 影人の勝利宣言を聞いた零無は、怒り狂ったようにそう叫ぶと自身の気配を全開にした。途端、零無の最上位存在としての圧が放たれる。生物ならば発狂してしまいそうなまでの恐怖が。

「っ・・・・・・」

 3度目となる尋常ならざる恐怖が影人を襲う。だが、影人は歯を食いしばり震える体と、自身の奥底にある本能を無理やり意志の力で制御した。

「もう負けるかよ、怖いもんかよ・・・・・・! 本当に怖いのは家族と別れる事だ。あの人たちが永遠に悲しむ事だ! 俺はもう2度と恐怖には屈しない! お前なんか怖くもなんともねえよ!」

 影人は毅然とした態度で強い意志迸る言葉を放った。そこにはもう、零無に恐怖し屈した少年はいなかった。

「っ、クソガキがぁ・・・・・・! ならば、この程度の封印破るだけだ! 『無』の力よ! この力を無くせ!」

 零無は自身に残っている僅かな力を使い、封印の力を無効にしようとした。途端、零無の全身から無色透明の力が放たれる。それは全てを無へと還す力。どのようなモノもこの力の前では無力。

 無の力は実際、零無を拘束している闇色の腕を消していった。その光景に零無はニヤリと笑みを浮かべる。そうだ。やはり、力をほとんど奪われたといっても、自分が人間などに封印されるはずがない。零無はそう高を括っていた。

 だが、

「無駄だ。その腕を消しても、腕はお前を封じるまで無限に這い出てくる」

 影人が冷たくそう言うと、先ほど零無の全身を拘束していた数よりも多い腕が虚空から現れ、零無の精神体を再び掴んだ。

「なっ!? くっ、ならば!」

 一瞬驚いた零無だったが、零無は再び「無」の力を使用し、自身を拘束している腕を消した。しかし、腕を消した瞬間、また複数の腕が虚空から現れ零無の全身を拘束した。

「っ!?」

「だから言っただろ、無駄だって」

 再三拘束された零無が信じられないといった顔になる。そんな零無に、影人は冷たく、ただ冷たくそう言った。

(くっ、本当に無限の物量だとでも言うのか!? マズイ、これは非常にマズイぞ! もうこれ以上の「無」の力は使えん! よしんば使ったとしても、逃げ切れる保証もない!)

 内心、零無は非常に焦っていた。まさか、「無」の力が物量によって無効化されるとは。そして、零無はその焦りと理不尽を自身を掴んでいる闇色の腕に向ける。

(そもそもに何だこの強力な封印の力は! 精神体を拘束し、対象を封じるまで無限に出てくるだと!? ここまで強力な封印の力、いったい影人は・・・・・・)

 零無は顔面を掴む腕の隙間から影人を見つめると、こう問いかけた。

「お前はいったい何を代償として支払った!? ここまで強力な力、相応の物を支払ったはずだ! 命と同等レベルの何かを! でなければ、説明がつかん!」

 代償を力とするものは、その代償に見合った力となる。それが代償と力の基本的な関係性だ。そして、零無を封じようとするこの力は、封印として最上の力と言っていい。零無は影人が何を代償としたのか疑問に思った。

「俺が何を支払ったかだって? 別にお前に言う必要はないだろ。だけど・・・・・・いいぜ。最後に教えてやるよ。俺が代償として支払ったのは、人間なら誰もが大体持ってるもんだ。俺が代償として支払ったのは・・・・・・」

 影人は特段何でもないように、自身が支払った代償を言葉にした。


。俺はそれを呪具に代償として支払った」

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