第288話 反転
「おお、ここがあの清水寺か! テレビでは何回も見たけど、来たのは初めてだ。いやー、流石に人が多いな」
午前11時過ぎ。清水寺を訪れた影仁は、どこかワクワクとした顔になりながら、そう言葉を呟いた。
「あれ? 影仁、東京出身なのに京都来るの初めてなの? 東京の修学旅行って大体京都なのに」
「俺の時はたまたま北海道だったんだ。だから、ここに来るのは初めてだよ」
日奈美が影仁にそう聞くと、影仁はそう答えた。日奈美と影仁が知り合ったのは大学時代なので、夫婦、もしくはパートナーといえども、それより前の事はあまり知らない事もあったりするのだ。
「へえ、そうだったんだ。でも、北海道か。いいわよね、私あそこも行ってみたいわ。ご飯美味しいって聞くし」
「あそこはいいよ。本当に飯が美味い。俺、未だに高校の時に食った海鮮丼の味覚えてるもん」
「海鮮丼か・・・・・・いいわね。よーし、次に旅行するとしたら北海道ね。決めたわ」
影仁の言葉を聞いた日奈美はコクリと頷きそう言うと、影人と穂乃影にこう言った。
「でも、今は京都を楽しまなくちゃ。さあ、行くわよ影人、穂乃影。有名な清水の舞台を味わうわよ」
「ん、分かった」
「うん」
日奈美の言葉に影人と穂乃影は素直に頷く。そして、4人は清水の舞台の方へと向かった。
「うわっ、けっこう高いな・・・・・・」
清水の舞台から外を見下ろした影人はそんな感想を漏らした。清水の舞台は影人が想定していたよりもかなり高かった。
「何でも高さが18メートルくらいあるらしいぜ。昔はここから実際に飛び降りた人もいて、亡くなった人もいるってくらいだからな」
影人が漏らした感想に、横にいた影仁がそう説明した。
「18メートル・・・・・・それって、具体的にはどれくらい?」
「うーん、そう言われると俺も分からないな。ちょっと待てよ。・・・・・・えーと、大体ガ◯ダムと同じくらいだってさ」
「何それ。余計に分からないじゃない」
スマホで検索をかけそう答えた影仁に、日奈美がそうツッコむ。日奈美からのツッコミを受けた影仁は、「あはは、まあそうだよね」と笑った。
「まあとにかく、かなり高いって事だ。どうしても気になるなら後で自分で調べな影人。今はこの景色を記憶に刻んだ方がいいと思うぜ」
影仁がスマホを仕舞い、清水の舞台から見える景色に右の指を向ける。影人も釣られて再びそちらに顔を向けた。
そこに見えるのは、夏の青い葉が生い茂る鮮やかな緑と、京都市の街並みだ。京都タワーやお寺、様々な新しさと古さが混じった独特の街並み。その街並みは素直に綺麗で美しいと思えるようなものだった。
「・・・・・・うん、そうだね。きっとそうする方がいいや。父さんもたまにはいい事言うね」
「おいおい、どういう意味だよそれは・・・・・・ったく、これでも尊敬される父親をやってるつもりなんだがな」
ふっとした笑みを浮かべる影人に、影仁は少し不満げな顔を浮かべる。そんな影仁に対し、影人はこう言葉を述べた。
「冗談だろ。尊敬出来る父さんなんて、俺の父さんじゃないよ。どこか父親らしくないところが、父さんなんだから」
「いや何で!? え、マジでそれどういう意味だよ!?」
今度は本気で焦ったような声で影仁がそう叫ぶ。その影仁の様子を見た日奈美と穂乃影は笑みを浮かべた。
「あはは、まあそうね。影人の言うように、そんなのは影仁らしくないわ」
「うん。お父さんはそういう感じじゃない」
「日奈美さんと穂乃影まで!? ああもう、いったい何だってんだよ・・・・・・」
自分以外の家族全員からそう言われた影仁は、ガクリと肩を落とした。どうやら、本気で落ち込んでしまったらしい。そんな影仁を見て、影人はまた小さな笑みを浮かべた。どうやら、影仁はこれが自分たちなりの愛情表現だとは分かっていないようだ。
(きっと、1番俺たち家族に必要な人は、家族の中心は、何だかんだ言って父さんだ。父さんがいるから、母さんも元気に頑張れる。俺と穂乃影も、父さんの明るさと優しさに、知らない内に助けられてる)
影仁は不思議な人間だ。緩くて、少しドジで、締まらなくて、欠点を挙げれば限りがないような、そんな人間だ。だが、その明るさからか、もしくは雰囲気からか、影仁は基本的に誰からも好かれる。もちろん、家族からも。
(だけど、父さんはその事には気づいてないんだよな。勘だけは結構いいはずなのに。まあ、わざわざそんな事を言うつもりもないけど)
影人は未だに落ち込んでいる影仁を見てそう思っていると、影仁が影人の視線に気がついたのか、顔を影人の方に向けてきた。
「何だよ影人。まだ俺のメンタルに来る言葉を浴びせる気か? これ以上はやめろよ。マジで泣くから」
「別にそんなんじゃないよ。ていうか、大の大人が情けないな・・・・・・なあ、父さん」
「ん?」
「・・・・・・また家族全員でどこかに行こうな」
「・・・・・・ああ。もちろんだ」
影人の言葉に、影仁は明るい笑みを浮かべた。そして、右手を影人の頭に乗せて、優しく影人の頭を撫でた。影人は少し恥ずかしかったが、手を払うような真似はしなかった。
「影仁、影人。こっち来て。写真撮るわよ」
少し離れた位置に移動していた日奈美が、2人にそう言葉を掛けてきた。日奈美の隣には穂乃影もいた。どうやら、家族写真を撮ろうという事らしい。
「分かった! ほら、行こうぜ影人」
「うん」
影仁と影人は日奈美と穂乃影の元に向かった。すると、日奈美はデジタルカメラを観光客の1人に手渡し、自分たちを撮ってくれるようにお願いしていた。日奈美にお願いされた青年は、4人にこう言った。
「じゃ、撮りますよ。はい、チーズ!」
カシャリと音が響き、カメラのシャッターが切られる。そこには、日奈美、穂乃影、影人、影仁が笑顔と共に写っていた。
――それが、4人で写った最後の写真になった。
「いやー、良かったわ。楽しかったわ」
「ね。後は旅館に戻って、また美味い飯と酒を呑んで、それで温泉入ってぐっすりするだけか。いやー、明日にはもう東京に帰るって嫌だなー。名残惜しい」
「本当にね。この暑さだけは嫌だけど、もうちょっと居たかったわ」
午後4時過ぎ。清水寺とその付近を充分に観光した帰城家。旅館近くに戻って来た日奈美と影仁は、そんな言葉を交わしていた。
「でも、仕事は月曜からだから、明日には絶対帰らなきゃならないし。仕方ないわ。その代わり、また旅行に行きましょうね影人、穂乃影」
日奈美は自分の横にいた2人にそう言った。
「ん、まあ気が向いたらね」
「うん。楽しみにしてるね」
日奈美にそう言われた影人と穂乃影は、それぞれそんな反応を示した。
「あ、母さん。俺、またちょっと神社行って来る。ご飯前には絶対戻るから」
また零無に会いたくなった影人は、続けて日奈美にそう言った。
「また? もう仕方ないわね。まあ、明日の昼くらいには帰っちゃうし、いいわ。行ってらっしゃい。でも、熱中症には充分に気をつけなさいよ。はい、これでまた麦茶買って行きなさい」
日奈美は少しだけ呆れたような表情になりつつも、影人に許可を与えた。そして、また財布から100円硬貨を影人に2枚手渡した。
「ありがとう。じゃ、また後でね」
100円玉を2枚握り締めた影人はそう言うと、1人神社の方へと駆けて行った。
「本当によく神社に行くわね、あの子・・・・・・あんなに神社好きだったかしら?」
影人の背を見送りながら、日奈美がポツリとそんな言葉を漏らした。確かに、影人はあの年齢にしては雰囲気が少し落ち着いている方で、色々なものに興味を持ちやすい方ではある。しかし、神社に何時間もいて楽しめるかどうかと言われれば、疑問が残る。
「いや、正直そんなにだったと思うけど・・・・・・もしかしたら、この旅行を通して、そっちの方面に興味が目覚めたのかもね。まあ、影人も子供だ。あんまり深く考えても意味はないと思うよ、日奈美さん」
日奈美の呟きに、影仁がそう反応した。
「まあ、それもそうか・・・・・・子供はいつだって独特の感性がある不思議な存在だしね。気にしてもしょうがないわ。行こう穂乃影。帰りにコンビニでアイス買ってあげる。ハーゲ◯ダ◯ツでもいいわよ」
影仁の呟きを聞いた日奈美は軽く首を傾げながらも、そう自分を納得させると、穂乃影にそう言った。
「やった。じゃあ、私チョコ味食べる」
「じゃ、私は抹茶食べよっと。ほら、行くわよ影仁」
「あ、うん」
日奈美の声を受けた影仁は、日奈美と穂乃影に続くように歩き始めた。だが、その内心は神社に向かった影人の方に向いていた。
(・・・・・・正直、日奈美さんも感じてるみたいだけど、影人の奴ちょっと変なんだよな。多分、あの神社に行き始めた辺りから。こりゃひょっとすると・・・・・・ひょっとするかもしれねえな)
未だに確証はない。だが、影仁は影人が何かを隠しているという事を確信し始めていた。
「零無お姉さん、朝ぶり。また来たよ」
神社に辿り着いた影人は、大きな石の上に零無の姿を見かけると、笑顔で声を掛けた。影人に声を掛けられた零無は、嬉しそうにその表情を変えた。
「おお、影人。待っていたよ。お前に会えない時間が、まさかこんなに長く感じるとはね。ふふっ、不思議なものだ」
「あはは、そう言ってくれると正直嬉しいな。俺もお姉さんと話す時間は大好きだし」
少し気恥ずかしかったが、影人は自分の素直な気持ちを零無に伝えた。影人のその言葉を聞いた零無は更に嬉しそうな顔になる。
「ふふふっ、そうかいそうかい。もちろん、吾もお前と話す時間は大好きだよ。それで、お前は昼は寺に行ってきたんだったね。どうだった?」
「うん、楽しかったよ。暑くて人もいっぱいだったけど、それでも楽しかった」
影人は清水寺の感想を零無に伝えた。影人の言葉を聞いた零無は、「それはよかったね」と穏やかな笑みを浮かべた。
「――あ、もうそろそろ帰らなきゃ」
それから約2時間後。空が夕暮れに染まり始めた事に気がついた影人はそう言葉を漏らした。零無と話をしていると楽しすぎて、時間があっという間に過ぎて行く。
「ん、そうか。少し名残惜しいが、今日はこれくらいにしようか。気をつけて帰るんだよ、影人」
影人の言葉を聞いた零無は、言葉通り名残惜しそうな顔を浮かべながらも影人にそう言った。
「うん、ありがとう。ああそれと、零無お姉さん。また明日の朝も1回来るし、その時に改めて言うけど・・・・・・一応言っとくね。ごめんね、俺明日の昼には東京に帰らないと行けないから、明日で一旦お別れなんだ」
「っ・・・・・・!?」
少しだけ悲しそうな顔を浮かべながらそう言った影人。そして、影人の言葉を聞いた零無はその顔を驚愕に染めた。
「だから、バイバイ。俺、零無お姉さんと会えて本当によかった。友達になれて、本当によかった。零無お姉さんと一旦お別れするのは、正直つらい。・・・・・・でも、永遠のお別れじゃない。またきっと、どこかで会えるよ。何なら、お姉さんが会いに来てくれてもいい。お姉さんは、どこにでも行ける幽霊で、俺のいる場所も分かるみたいだし」
影人は敢えて明るく笑いながらそう言うと、最後にこう言った。
「ありがとう。俺の初めての幽霊のお友達。またね」
影人は心からの思いを込めてそう言うと、零無に背を向けて神社を後にしようとした。
だが、
「・・・・・・待て、影人」
零無は影人を呼び止めた。
「? どうしたの、零無お姉さん?」
影人が振り返ると、零無は顔を俯かせていた。なので、零無の表情は分からない。
(ああ、分かっていたはずなのにな。影人にとって、吾は1番大切な者ではない。影人には吾よりも大切な者たちがいるという事は)
影人が家族と共にこの辺りに旅行で訪れているという事は、影人から話を聞いていて知っていた。いつ帰るかなどは聞いていなかったが。だが、その時は零無は全く以てどうでもいい事だと考えていた。なぜなら、その話を聞いた段階では、零無にとって影人は面白い子供くらいしか、気持ちを抱いていなかったから。
だが、
(・・・・・・今の吾にとって影人と離れる事、別れる事は苦しく辛い。ああ、それはそれは。こんな気持ちは初めてだ。それ程までに、吾の中では影人の存在がいつしか大きくなっていた。・・・・・・吾を見る事が出来るだけの、ただの人間であるはずの影人が・・・・)
別に、影人と離れる事が辛いならば、零無が影人に着いていけばいいだけだ。零無は精神体。この世界でいう、いわゆる幽霊だ。行こうと思えばどこにでも、いつまでもそこにいる事が出来る。零無が着いて行くと言えば、影人は喜んで頷いてくれるだろう。それは分かる。容易にも。そして、それが1番幸せで穏やかな方法だ。
しかし、
(・・・・・・嫌だ。そんなものでは嫌だ。今の吾にとって、影人は全てだ。影人以外は別に何もいらん。だが、影人だけは・・・・・・影人だけは・・・・・・吾のものだ)
零無の心はそんな思いに占められていた。自分のものであるはずの影人が、自分以外に心奪われるなど。大切な者が存在するなどと。そんな事はあってはならない。零無の心に火が灯る。欲望と嫉妬、それが混じり合った歪んだ愛の炎が。
――影人の別れの言葉は、零無にとって一種の契機となってしまった。
そして、その灯った炎は一種にして零無の中で激しく燃え上がった。
「影人・・・・・・お前は、吾の・・・・零無のものだ。だから、お前は生涯吾と共にいるんだ。いつだって、どんな時でも。ああ、そうさ。それが当然であり、事実であり、真実だ」
「零無、お姉さん・・・・・・?」
ゆらりとその面を上げ笑みを浮かべた零無に、影人は戸惑った顔を浮かべた。
零無は明らかに、明らかに変であった。その透明の瞳には、一瞬竦んでしまうほどの情念が渦巻いている。その瞳に、いつもの神秘的な輝きはない。それどころか、それとは真逆の鈍い、黒い輝きがあった。
その笑みも、いつもの悠然としたものではなく、どこか壊れたような、狂気が宿った笑みであった。明らかに、普段の零無の笑みではなかった。
「い、いったいどうしたの・・・・・・? 急に・・・・変だよ。零無お姉さん・・・・・・変だよ」
最初に零無の笑みを見た時ほどの恐怖はないが、無意識にその体と声を震わせながら、影人は零無にそう言った。
「変? いや、別に変ではないよ。ただ、気づいただけだ。吾にとって、お前がどれくらい大事かという事を。なあ、影人」
零無は変わらずいつもとは違う笑みを浮かべながら、影人をジッと見つめると、
「――愛してるぜ。だから、お前は絶対に逃がさない」
歪な愛の言葉を口にした。
――今この瞬間、影人と零無の関係は反転した。
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