第287話 魅入られた者

「おーい、影人。早く起きろよ。もう少しで朝飯だぞ」

 旅行2日目、朝7時過ぎ。歯磨きを終えた影仁は、隣の部屋の襖を開け、未だに眠っている影人にそう声を掛けた。

「・・・・・・ん? うん・・・・・・」

「あー、ダメだ。こりゃ言うだけじゃ起きないな」

 寝ぼけた声を漏らした影人を見た影仁は、軽くため息を吐くと影人の側まで行った。そして、隣に座ると両手で影人の体を揺すった。

「ほら起きろよ寝坊助さん。起きないとヒドイぜ。こちょこちょするぞー?」

「ん、んん・・・・・・」

 だが、影人はなおも目を覚さなかった。こうなれば仕方がない。影仁は両手を軽く動かすと、影人が寝ている布団の中に両手を入れ、影人の脇腹や脇を掻いた。

「っ・・・・・・!? あは、ははははッ! くすぐったい! な、何だいきなり!?」

 その効果は覿面てきめんで、影人はすぐに目を覚まし笑い声を上げた。

「ほれほれ〜」

「くっ、はははは! お、おい父さん! やめろよ!」

「中々起きなかったお前が悪いんだ。もうしばらく笑えよ。これは罰だからな〜」

 影仁は笑い転げる影人をニヤニヤとした顔で見つめる。影人と影仁のやり取りを隣の部屋から見ていた日奈美と穂乃影は、「朝から何やってんだか」「楽しそう」とそれぞれ感想を漏らした。

「はぁはぁはぁ・・・・・・こ、この、朝一からよくも、こんなに笑わせやがったな・・・・・・」

 数分後。ようやく影仁の手から解放された影人は、疲れたような顔を浮かべ、影仁にそう言った。

「言っただろ。中々起きなかったお前が悪いって。それに朝から笑うって事はいい事だぜ。朝は1日の始まり。始まりが明るいなら、その後もきっと明るいさ」

「な、何だよそれ・・・・・・」

 笑いながらそんな事を言う影仁に、影人は意味が分からないといった顔を浮かべた。よく分からない理屈だ。

「人間はイメージの生き物だからな。そう思えばそうなのさ。ほれ、早く顔洗って歯磨いてこい」

「はあー・・・・・・分かったよ」

 影仁の言葉に頷いた影人は、立ち上がると部屋を出て共用の洗面所へと向かった。

「しかし・・・・・・何であいつあんなに眠たがってたんだ? 一応、睡眠時間は足りてるはずだが・・・・・・まるで、夜更かしでもしたみたいだったな」

 影人は朝が決して強いタイプではないが、それほど弱くもない。普通に声を掛ければ起きて来る。だが、今日は中々起きなかった。影仁には、それが少しだけ不思議だった。

「・・・・ま、気にするほどの事でもないか。さーて、朝飯は何かな。楽しみだ」

 影仁はそう呟くと、日奈美や穂乃影がいる部屋に戻った。











「ねえ、母さん。まだ観光に行くまでは時間あるよね? だったら、それまでまたあの神社に行って来ていい? 今度はちゃんと時間内に戻って来るから」

 朝ご飯を食べ終えた影人は、対面に座る日奈美にそう言った。ちなみに、旅館の朝ご飯は、白飯にお味噌汁、焼鮭に海苔や卵焼きといった、ザ・日本の朝食といった感じで、とても美味しかった。

「それは別にいいけど・・・・・・またあの神社? あそこ、そんなに面白い物でもあったの?」

 お茶を啜っていた日奈美はお茶を置くと、影人にそう聞き返して来た。

「いや、その・・・・面白い物があるって言うよりかは、雰囲気が気に入っちゃってさ。ほら、神社の空気って他とはちょっと違うし・・・・・・それに、朝の神社って何だかいい感じだし」

 日奈美の言葉に、影人は少し誤魔化したような笑みを浮かべそう返答した。本当は零無に会いに行くのだが、まさか幽霊に会いに行くなどとは言えるはずもない。

「はー、あんた子供のくせにお爺ちゃんみたいな感性してるわね。ま、いいわ。そうね・・・・・・今8時過ぎだから、いくら遅くても9時半くらいには戻って来なさい。今度は遅れちゃダメよ」

 日奈美がスマホで時間を確認しながら影人にそう言った。日奈美から許可をもらった影人は、嬉しそうな顔になり、「ありがとう!」と感謝の言葉を述べた。

「影兄また神社に行くの? 私も行こうかな」

「あー、ごめん穂乃影。今はちょっと1人でゆっくりしたい気分なんだ。その代わり、戻って来たらまた遊んでやるから。だから、穂乃影は母さんたちといてくれ。な?」

 零無と会う都合上、穂乃影を連れて行けない影人は申し訳なさそうな顔を浮かべた。影人にそう言われた穂乃影は、コクリと素直に首を縦に振った。

「ん、分かった。影兄がそう言うならそうする」

「ありがとうな。やっぱり、穂乃影は偉いな。じゃ、行って来るよ」

 既に着替えていた影人は立ち上がり、そのまま部屋を出ようとした。だが、その前に日奈美がこう声を掛けた。

「あ、待ちなさい影人! ほら、これタオルとお金。このお金で、自販機で麦茶買いなさい。じゃないと、熱中症になるから」

「分かった。ありがとう、母さん」

 日奈美からタオルと100円硬貨2枚を受け取った影人は、日奈美に感謝すると今度こそ部屋から出て行った。

「何だかやけに楽しそう顔してたわね。何かあったのかしら?」

 影人を見送った日奈美は、少し不思議に首を傾げた。日奈美の反応に、影仁はこう言葉を述べる。

「さあ? あの神社は見た限り普通の神社だったけど・・・・・・もしかして、友達でも出来たとか?」

「こんな短期間で? でも、それなら友達が出来たから遊びに行くって言わない?」

「まあ、それもそうか」

「うーん・・・・・・ま、いいわ。大した事でもないし。それより、今日の観光のルート確認しなくちゃ」

 日奈美はそう言うとスマホを弄り始めた。だが影仁は、

(そういえば、昨日あいつ変な事言ってたな。女の人がどうで、俺には見えないのか何とか。・・・・・・まさか、あの神社に幽霊がいて、その幽霊に会いに行ったとか? ・・・・・・いや、流石にないか)

 謎の勘の良さで真実に到達していたが、すぐにその事を否定し、軽く首を横に振った。













「ふふふふーん。ふふふふーん♪」

 旅館を出た影人は、近くの自販機で麦茶を買うと鼻歌を口ずさみながら神社へと向かった。ここから神社までは5分ほどなのでもうすぐだ。

「それにしても、母さんに言われた通り、お茶とタオル持って来て正解だったな。朝でも凄い暑いし・・・・・・」

 朝から関係なく夏の暑さを振り撒く太陽に目を細める。朝であるはずなのに、日差しが軽く痛い。朝でこれなら昼はもっと暑いんだろうな、と影人は少しうんざりしたような気持ちになりながら、神社を目指す。

「よっと」

 数分後。神社に辿り着いた影人は神社の階段を登り、鳥居の前に姿を現した。そして鳥居を潜り、神社の境内に足を踏み入れた。

 すると、

「――ん? おやおや、朝早くから参拝客とは珍しい。しかも、子供とは」

「っ・・・・・・?」

 突然、少ししゃがれた男の声が聞こえて来た。影人が声のした方を見ると、そこには白い着物に水色の袴姿の老齢の男性がいた。足元は足袋に草履、手には箒を持っている。

 パッと見たところ、影人が宿泊している旅館の女将の紀子と同じような年齢だ。背筋はシャッキリとしており、白髪混じりの髪は綺麗に撫で付けられている。メガネを掛けたその男は柔和な笑顔を浮かべていた。

「あ、こんにちは・・・・・・あの、お爺さんはこの神社の人ですか?」

「こんにちは。ああ、そうだよ。私はこの神社の神主だ。名前は、播野はりの友三郎ともさぶろうという」

 男の服装からそう予想した影人が男にそう聞いた。影人の質問にその男、この神社の神主である、播野友三郎は頷きそう言った。

「神主さん? あ、女将さんと知り合いの?」

 昨日の紀子との話を思い出した影人が、ついそう言葉を述べる。影人の言葉を聞いた友三郎は、少しだけ首を傾げた。

「ん? この辺りの旅館の女将というと、紀子さんかな? ◯◯旅館の」

「あ、そうです。実は俺、あそこの旅館に泊まってて。それで、昨日女将さんとこの神社の事を話してたんです。この神社には伝説の器があるって聞きました」

 友三郎の確認に影人は頷いた。影人の頷きを見た友三郎は、「ああ、やっぱり」と笑った。

「紀子さんとは何だかんだ長い付き合いでね。しかし、そうか。なら君は、紀子さんの話を確かめにここに来たのかな?」

「ま、まあそんなところです」

 友三郎がそう聞いてきたため、影人は頷いた。本当は零無に会いにきたのだが、以下云々だ。

「そうか。なら、その器がどんな物か見てみるかい?」

「え、いいんですか?」

 影人は素でそう聞き返した。正直、見れるとは考えていなかったのだ。

「ああ、いいよ。大した物でもないしね」

「・・・・・・なら、正直見てみたいです。興味があるので」

 2つ返事でそう言った友三郎に、影人はそう言った。本物の、力ある器。影人はそれがどんな物なのか見てみたかった。

「よし、なら私に着いてきなさい」

 友三郎はそう言うと、本殿の方に向かって歩き始めた。

(零無お姉さんは・・・・・・今はいないかな)

 参道横の大きな石の上に、零無の姿はない。たまたまいないだけなのかは分からないが、今は逆に好都合だ。影人は友三郎の後に続き、本殿に向かって歩き始めた。

「よいしょっと・・・・」

 本殿の前に来ると、友三郎は本殿の扉を開けた。どうやら、鍵などは掛かっていないらしい。

「ほら、あれが器だよ。と言っても、何の変哲もないがね」

 友三郎が奥を指差した。本殿の中は4畳半ほどの小さなスペースで、友三郎が指差す奥には文机のような低い机があり、その上に鈍色の器があった。

「へえ、あれが・・・・・・」

 朝日の光に照らされた器を見た影人が、ついそう言葉を漏らす。器は杯のように持ち手があるタイプだ。かなり年代が古いのか、ところどころに少し錆ついていた。

「・・・・・・確かに、見たところはただの器っぽいですね」

「ははっ、そうだろう? 一応、由緒がある物らしくて、ずっとここに安置されているんだ。私が生まれる前からね。亡くなった親父にいつ頃からあるのか聞いた事があるんだが、親父も分からないと言っていたよ。とにかく、とても古くからあるんだ」

 友三郎は影人にそう説明した。一方の影人は、器から不思議な力を感じ取れないかどうか、一生懸命に見つめていた。

(・・・・・・ダメだ。何にも分からない)

 だが、影人には何も感じる事は出来なかった。影人がそう思った瞬間、


「――へえ、あれが件の器か。なるほど、確かにそれなりの力は秘めている感じだな」


 突如として、影人の耳元でそんな声がした。

「え!?」

 驚いた影人が自分の横に振り返ると、そこには零無がいた。全く気が付かなかった。一体いつからいたのか。影人が呆然としていると、友三郎が不思議そうな顔を浮かべこう言ってきた。

「? どうしたんだい、急に。何かあったかい?」

「あ、い、いや別に! ちょっと虫が止まっちゃって。でも、もう大丈夫です。どっか行ったみたいなんで。あの、見せていただいてありがとうございました。じゃあ、すいません。俺はこれで!」

 友三郎にそう誤魔化した影人は、逃げるように友三郎の元から去った。

「あ、ああ・・・・・・気をつけてね」

 急に走り去って行った影人に、未だに不思議そうな顔になりながらも、友三郎はそう言って影人を見送った。

「しかし、気のせいか? さっき、一瞬何か・・・・・・何かとても・・・・・・」

 1人になった友三郎は本殿の扉を閉じると、その顔を少し険しいものにさせ、

がしたのだが・・・・・・」

 そう呟いた。













「零無お姉さん! 急に現れないでよ! ビックリしたじゃないか!」

 神社を出た影人は、周囲に人の姿がない事を確認すると、自分に着いてきていた零無に向かってそう言葉を放った。

「ははっ、悪い悪い。ついね。最初は少し驚かそうと思って気配を絶っていたんだが、お前があの男とどこかに向かう様子だったんで、こっそり後を着けてたんだ。許しておくれよ」

 影人にそう言われた零無は、言葉とは裏腹にあっけらかんとした様子だった。そんな零無に対し、影人は軽くため息を吐く。

「はあー、全く・・・・・・お姉さん、本当に幽霊なんだから・・・・」

 先ほど零無が現れたタイミングを、幽霊らしいという意味でそう言って、続けてこう言った。

「それで、さっきお姉さんが言ってたみたいに、あの器はやっぱり本物だったの?」

「ああ、間違いはないよ。あれは相当に強力な呪具だ。ただ、普段はその力を露わにしてはいないようだがね。恐らく、昨日お前から聞いたように条件発動型で、その条件を満たせば力が解放されるのだろう」

「条件・・・・・・女将さんが言ってた、何者にも負けず、動じない、鋼をも超えた覚悟を持つ事ってやつかな」

「ああ。その心持ちで、あの器の前に行けばあの器は力を発揮し、2つ目の条件、代償を1つ支払うというプロセスに進むって感じかな」

 零無は影人の言葉に頷くと、続けて少し不満げな顔を浮かべた。

「影人、お前があの神社に来たのは器を見るためかい? だとしたら、少し心外だな。お前はてっきり吾に会いに来てくれたと思っていたのに」

「い、いや俺は零無お姉さんに会いに行ったんだよ? これは嘘じゃない。でも、たまたま神主さんと会ってああいう流れになっただけで・・・・・・」

「・・・・・・本当に?」

「うん、本当だよ!」

 口を尖らせそう確認してきた零無。そんな零無に、影人は力強くそう言った。

「ふふふ・・・・・・そうか、そうか。いやなに、初めから分かっていたとも。ちょっと言ってみただけさ。やはり、吾に会いにきたか。ふふふ」

「っ?」

 影人の言葉を聞いた零無は途端に、にへらぁとした顔になり嬉しそうに笑った。急に機嫌が良くなった零無に対し、影人は不思議そうな顔を浮かべた。

「ああ、影人。お前はいい子だな。可愛いな。それでこそ、吾の友だ」

「れ、零無お姉さん? 本当、いきなりどうしちゃったのさ・・・・・・?」

 影人の周囲を嬉しそうにクルクルと回る零無。その様子に影人は戸惑った。

「別に何も。何もないさ。ただ、存外にこの世界が美しいという事に気がついただけだよ。ふふっ、ふふふ!」

「・・・・・・ははっ。そうだね、きっとそうだね」

 零無はとびきりの笑顔を浮かべた。そして、零無に釣られるように、影人も笑みを浮かべた。

 それから、影人が宿に戻るまで、2人はまた他愛のない話をした。零無は終始機嫌が良く、影人も零無と話す時間がとても楽しかった。


 ――出会ってまだ1日ばかりだが、2人は確かな絆を育んでいた。それは、友との関係に時間などは必要はない、という一種の素晴らしい事実を示していた。影人と零無は確かに、確かに友であった。


 ――そう。この時までは。

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