第285話 人間の最も強い力

「こら影人! ちゃんと夕食までには戻って来るって約束したでしょ! もう7時過ぎてるわよ!」

 影人があの神社で人ならざる友人を得て、影仁と共に宿泊先の旅館の自分たちの部屋に戻ると、日奈美が影人に怒った様子でそう言ってきた。日奈美にそう言われた影人は、少しビクつくと申し訳なさそうな顔を浮かべた。

「ご、ごめん母さん・・・・・・約束を破るつもりはなかったんだけど、つい時間を忘れてた」

 日奈美に怒られた影人は素直に謝罪した。日奈美は怒る時ははっきりと怒る。しかも、どう見ても相手が、この場合は影人が悪い時だけ。ゆえに、自分が悪いと理解していた影人は、すぐに謝罪の言葉を述べたのだった。

「・・・・・・ん。悪いと思っているのなら、これ以上は言わないわ。旅行先ではしゃぐ気持ちは分かるけど、私たちが心配するって事を忘れないでね」

「うん、本当ごめん・・・・・・」

「分かったならオーケーよ。さ、手を洗って来なさい影人。もう旅館の人たちがご飯運んでくれてるから」

 日奈美は笑みを浮かべると影人にそう言った。影人は2階の洗面所で手を洗うと、穂乃影の横に座った。影仁は日奈美の隣だ。

「影兄、神社に何か面白い物あった?」

「え? い、いや別に何にも。ただの普通の神社だった」

 穂乃影からそう聞かれた影人は、誤魔化すような笑みを浮かべ答えを返した。まさか、幽霊と出会って友達になったなどとは言えない。

「さあ、食べましょ! 見てよこの豪勢な夕食! 絶対に美味しいわ!」

 日奈美が自分たちの前に並んでいる料理の数々を見つめる。料理は各自に同じメニューが添えられ、お盆に乗っており、何と言ってもその目玉は鉄板で焼かれているお肉だろう。その他には季節の天ぷらや、色々な魚のお刺身があり、茶碗蒸しに炊き込みご飯、野菜のお浸しや小鉢などもある。普通の食事では中々見ない豪勢さに、日奈美は興奮していた。

「影人、穂乃影。好き嫌いは別として、どうしても食べられない物があったら言いなさい。私と影仁が食べてあげるから」

 小鉢などには、湯葉などまだ子供の2人が素直に美味しいと感じにくい具材もあった。大人と子供の味覚は違う。その事を忘れずに、日奈美は2人にそう言うのを忘れなかった。日奈美の言葉に、影人と穂乃影は首を縦に振る。

「よし、じゃあ・・・・・・いただきます」

「「「いただきます」」」

 両手を合わせそう言った日奈美に続き、影仁、影人、穂乃影の3人も手を合わせ、食事に対する感謝の言葉を述べる。帰城家はその豪勢な夕食に舌鼓を打った。











「ふぅー、美味しかった・・・・・・」

 夕食から約40分後。午後8時前。お腹がいっぱいになった影人は、座椅子にもたれ掛かりながら、そんな言葉を漏らした。

「本当にね。特にメインのお肉が美味しかったわ」

「俺は天ぷらが特に美味いって感じたね。いやー、蓮根と海老がマジで美味かった」

「私はマグロが美味しかった。柔らかくて、とっても美味しかった」

 影人の感想に続くように、日奈美、影仁、穂乃影もそんな感想を漏らす。

「さーて、じゃあ日奈美さん。風呂に入る前に一杯やらない?」

 影仁が隣にいる日奈美にクイッと酒を飲むポーズを取る。実は先ほど旅館に戻って来る際に、近くのコンビニでお酒を買っておいたのだ。酒は部屋の備え付きの冷蔵庫で冷やされている。今頃は、ちょうどいい感じに冷えているはずだ。

「いいわね。じゃあ私ビール。影仁、悪いけど取ってきて」

「はいはい〜っと。じゃ、俺もビールにしよ」

 影仁は広縁の奥にある冷蔵庫の方に向かい、その中から缶ビールのロング缶を2本取り出した。そして、片方を日奈美に渡す。

「影人、穂乃影。父さんと母さん、これからちょっとお酒飲むから旅館内でも探検してきたらどうだ? ここ外からはそんなに広く見えないけど、中はけっこう広いから面白いと思うぜ」

「分かった。お酒呑んでる父さんと母さんに絡まれるのは面倒だし・・・・・・穂乃影、行こう」

「うん」

 影仁の提案に頷いた影人は、隣にいた穂乃影を誘う。穂乃影はすぐに影人の言葉に頷いた。そして、影人と穂乃影は部屋を出た。

「2階は基本的にはお客の部屋だから・・・・・・1階を探検してるみるか。それでいいか穂乃影?」

「どこでもいいよ。私は影兄について行くだけだから」

「そうか。じゃ、1階から行くぞ」

 穂乃影の言葉を聞いた影人は、穂乃影を伴って1階へと降りた。

「穂乃影、こっちに行ってみようぜ。長い廊下がある」

 1階に降りた影人と穂乃影は、奥の方へと続く長い廊下を歩き始めた。

「わはは! どうぞどうぞ! まだまだ行けますよ!」

「がはは! これはありがたい!」

 影人と穂乃影が廊下を歩いていると、襖で区切られた部屋の中から陽気な男たちの声が聞こえて来た。廊下の左右には2つの大きな部屋があるのだが、どうやらここは宴会場か何かのようだ。

 廊下の1番奥まで辿り着くと正面にトイレがあった。そして、トイレの前で廊下が左と右に分岐していた。右の方を見ると、廊下は途中から吹き抜けになっていた。吹き抜けの廊下の周囲には美しい庭園があり、ぬる過ぎる夜風に植物たちが揺らされていた。

「確か、あの女将の人は庭を抜けた先にお風呂があるって言ってたから、右はお風呂に続く道か。お風呂はどうせ後で行くだろうし・・・・・・穂乃影、左に行くぞ」

「うん」

 影人は左の方に続く廊下を穂乃影と共に歩いた。この廊下の先は、また更に左に曲がっており、行く先は影人たちには見えない。そのため、影人たちにはこの先に何があるのか分からない。

 そして、影人と穂乃影が左の廊下の角を曲がる。すると、影人と穂乃影は広間のような場所に出た。

「ここは・・・・・・」

 そこは10畳ほどの広さの休憩、又は娯楽スペースのような場所だった。右側のスペース、その壁には本棚が複数置かれており、漫画や小説、雑誌や絵本などが沢山置かれている。それらをくつろいで読むソファや椅子も複数置かれている。対して左側のスペースには卓球台が2つ置かれていた。今はたまたまなのだろうが、影人と穂乃影以外に人の姿はなかった。

「わあー、本がいっぱい。素敵だね、影兄」

「そうだな。何か秘密基地っぽくていい場所だ。穂乃影、何か本でも読んだらどうだ? 色々あるから、きっと楽しいぞ」

「うん」

 穂乃影は小さな笑みを浮かべ頷くと、本棚の方に小走りで向かった。

「さて、じゃあ俺は・・・・・・」

 一方の影人は、この休憩部屋の先にある廊下を歩き曲がった。休憩部屋は廊下と廊下の間にある部屋で、まだ先に進む事が出来たのだ。影人はその廊下の先がどこに繋がっているのか気になった。

「あ、なるほどな。こっちに繋がるのか・・・・・・」

 廊下を曲がった影人は納得したようにそう呟いた。曲がった先はこの旅館の入り口、フロント部分に繋がっていた。つまり、影人はぐるりと1周してきた形だ。

「あら、帰城様。どうかなさいましたか?」

 影人がフロントに出ると、カウンター内にいたこの旅館の女将、紀子が柔和な笑顔を浮かべながらそう言葉をかけてきた。

「あ、いや・・・・・・実は、ちょっとこの旅館内を探検してたんです。父さんと母さんは、今ちょっとお酒呑んでるから。それで、階段の横の廊下から1階を探検してたら、ここに戻って来ちゃって・・・・・・」

 紀子に言葉をかけられた影人は、素直にそう答えた。影人の言葉を聞いた紀子は、「あらあら、そうでございますか」と言って微笑んだ。

「あまり広い旅館ではありませんが、ご存分にお楽しみください。1周回られたのなら既にお分かりと思いますが、そちらの奥には休憩・娯楽スペースもありますので」

「うん、いま穂乃影・・・・妹が本読んでるところ。女将さん、ここいい旅館だね。なんか、落ち着くって感じがする」

「そうでございますか。ありがとうございます。そう言っていただけて、とても嬉しく思います」

 影人の旅館に対する感想を聞いた紀子は、言葉通り嬉しそうに笑った。

「・・・・・・ねえ、女将さん。女将さんって、ずっとこの辺りにいるの?」

 少しの退屈と少しの興味。それを起因として、影人は紀子にそう聞いた。

「私ですか? そうですねぇ、生まれは隣の滋賀県ですが、もう50年はこの辺りに居ります」

「50年・・・・・・凄いね。俺はまだ10歳だから、その5倍ここにいるんだ。じゃあさ、この旅館の近くに神社があるでしょ。あそこの何か変わった話とか聞いた事ない? 例えば、幽霊が出るとか」

 この辺りに紀子が長くいる事が分かった影人は、続けて紀子にそう聞いてみた。神社の幽霊。今日友達になったあの女性が、噂になっていないかを知りたかったからだ。

「神社と言いますと、◯◯神社ですか? いえ、私はあの神社で幽霊が出るなどといった話は聞いた事がございませんね」

「そっか・・・・・・」

 紀子の答えを聞いた影人はポツリとそう言葉を漏らした。50年もここにいる紀子があの女性についての噂を聞いた事がないという事は、影人以外にあの女性の姿が見えなかったという事か、もしくはたまたまあの女性があそこにいたという事だろう。

「ああ、でも幽霊ではありませんが、あの神社には1つだけ言い伝えというか、伝説がございます。それこそ昔からある」

「伝説・・・・・・? それって、どんな伝説?」

 紀子の漏らした言葉に影人が反応する。純粋に興味を引かれた影人は、その目を無意識に輝かせた。影人は既に厨二病を発症しているため、そう言った話には目がなかった。

「奥の本殿の中に、ある器が安置されているという話でございます。何でも、その器は呪われた力がある物だとか。その器は何でも1つだけ、何かを封印する事が出来る。ただし、その器を使う事には2つの条件があるそうです。1つは、使用者が何者にも負けず、動じない、鋼をも超えた覚悟を持つ事。2つ目は、使用者は代償を1つ支払う事。そうすれば、その器はどんなモノでも1つだけ、永遠に封じる事が出来る・・・・・・といった伝説でございます」

「へえ・・・・・どんなモノでも1つだけ封印する事が出来る呪われた器か・・・・・・」

 紀子から聞いた神社にまつわる伝説。それを聞いた影人は面白そうな顔を浮かべた。

「まあ、あくまで伝説でございますがね。ただ、本殿の中に器があるのは事実だと、あの神社の神主さんが言っておられました」

 子供らしい表情を浮かべる影人を見た紀子は、小さな笑みを浮かべた。その笑みは、さながら祖母が孫を見て笑うような、暖かな笑みだった。

「ありがとう女将さん。面白い話聞かせてくれて」

「いえいえ、喜んでいただけたならよかったです。ふふっ、それにしても帰城様は綺麗なお顔をなさっていますね。学校では女子に人気でございましょう」

 楽しげな顔の影人を見た紀子がそんな言葉を漏らす。紀子にそう言われた影人は首を横に振った。

「別に人気はないよ。授業とか必要最低限の時しか、俺は女子と話さないし。女子からしてみれば、俺は愛想がないって感じだと思う」

「あら、そうでございますか? ふふっ、でもきっと女子たちは帰城様を意識しておられると思いますよ。ええ、これは間違いないです」

 紀子がどこか確信したようにそう言葉を述べる。紀子のその言葉に影人は首を傾げた。

「? そうなのかな。俺にはよく分からないや。俺まだ女子に興味もないし、恋もした事ないから」

 素直に自身の気持ちを吐露した影人。そんな影人に、紀子は「あらあら、それはもったいない」と言葉を漏らす。

「恋は素晴らしいですよ。誰かの事が好きになると、心が元気になるんです。その人のために何でも出来るような気持ちになったり、その人を想うだけでドキドキしたりします。あの気持ちは、恋に落ちなければ分からない気持ちでございますよ」

「そうなんだ・・・・・・じゃあ、女将さんもそんな気持ちになった事あるんだ」

「ええ、私も長い事生きておりますので、そういった経験は何度もあります。もちろん、恋というものは難しく、苦く辛い経験もいたしましたが・・・・・・それでも、恋の力、愛の力というものは凄い力を発揮するものです。もしかしたら、人間が1番力を出せるのはそういった力なのではないかと、私は思っております」

「・・・・・・そんなに凄いんだ、恋って・・・・」

 驚いた顔を浮かべながら、影人はポツリとそう言葉を漏らす。影人は恋というものにそんな力が秘められているとは知らなかった。

「じゃあ、いつか俺も恋をすれば分かるのかな。その言葉の本当の意味が」

「ええ、分かりますとも。いつかきっと。その気持ちをこれから体験出来るというのは、幸せな事ですよ。帰城様の初恋は、そんなに遠くない内に訪れるかもしれませんね」

 影人の呟きに、紀子は暖かな笑みを浮かべながら頷いた。紀子にそう言われた影人は、小さく笑みを浮かべると、紀子に感謝の言葉を述べた。

「そこはまだ分からないけどね。ありがとう、女将さん。忙しいだろうに、俺の話に付き合ってくれて。おかげで、楽しかった」

「もったいないお言葉です。また何かありましたらお呼びください」

「うん。じゃあ、バイバイ」

 影人は紀子にそう言うと、穂乃影がいる休憩室の方に向かった。影人の背を見つめていた紀子は、

「ふふっ、お子様と話すと元気が出ますね。さて、もうひと頑張りしましょうか」

 暖かな顔でそう呟くと業務へと戻った。












(今日は色々あったな・・・・・・)

 午後11時過ぎ。布団に入っていた影人は、中々寝付けずにいた。あの後風呂に入って、明日も朝が早いので、帰城家全員は午後10時半過ぎに布団に入った。左から日奈美、影仁、穂乃影、影人という順番で寝ている形だ。部屋はクーラーが適度に効いていて寝やすいはずなのだが(事実、影人以外は全員寝息を立てていた)、影人が寝付けずにいる理由は、今日神社で起こった出来事があまりにも衝撃的だったからだ。つまり、幽霊と出会い友達になったという出来事か。

(不思議な気持ちだ。この世界に本当に幽霊がいて、俺は幽霊と友達になった。まるでマンガやアニメみたいに。ああ、非日常と出会ってしまった俺は、これからどうなるんだろう。どんな日常を送るんだろう。もしかしたら、今までと全く変わらないかもしれない。でも、もしかしたら大きく変わるかもしれない)

 未知との出会い。その体験が、影人の心を刺激し、思考を活発にさせる。ワクワクとした気持ちと、ドキドキとした気持ちが少年の心をいっぱいにする。

「ああ、何だろう・・・・・・明日が凄く、凄く楽しみだ・・・・・・」

 小さな、小さな声で影人はそう呟いた。取り敢えず、明日またあの女の幽霊に会いに行こう。影人がそんな事を思っていると、


「――やあ、影人。まだ起きているかな?」


 唐突に、どこからかあの女の幽霊の声が聞こえてきた。

「え・・・・・・?」

 聞こえるはずのないその声に影人は驚いた。眠気が完全に吹っ飛んだ影人は、ガバリとその上半身を起こした。

(幻聴・・・・・・? いや、それにしてははっきり聞こえた。声のしてきた方向は・・・・・・)

 向こうの部屋だ。影人は寝ている家族を起こさないようにそっと立ち上がると、隣の部屋の襖を引いた。

「ああ、起きていたか。よかった。やあ、影人。夕方ぶりだね」

 影人が隣の部屋に出ると、再びそんな声がした。影人は声のした方向、広縁の方に視線を向けた。すると、そこには――

「お姉さん・・・・・・?」

 夕方、あの神社で出会った女の幽霊がいた。

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