第283話 あの日の出会い

「――来たぜ、京都に! ハレルヤ! 夏の激し過ぎる太陽が俺たちを祝福してるな!」

 東京から新幹線に乗って約2時間後。時刻は昼の正午を回った辺り。京都駅の前で、影仁は青空を見上げながら、テンション高めにそう言った。

「うるさい父さん。ただでさえ暑いのに・・・・・・余計に暑く感じるだろ。ていうか、本当に暑い・・・・・・」

 そんな影仁に、厳しい言葉を投げかけたのは影人だった。影人はだらだらと流れてくる汗をタオルで拭いていた。

 何だろうか。東京も暑かったが、京都の暑さは東京とは違う。東京はただ暑いという感じだったが、京都の暑さは全身が溶けていくような、耐え難い嫌な暑さだ。むわっとしているというか。湿度が尋常なく高いというか。その暑さを感じているのは、当然穂乃影や日奈美も同じで、

「暑い・・・・・・」

「穂乃影、しっかり麦茶飲んでおきなさいよ。熱中症になっちゃうからね。しかし・・・・・・本当に暑いわね。夏の京都の暑さは凄まじいとは聞いてたけど、まさかここまでとは思ってなかったわ」

 そんな言葉を漏らしていた。

「影仁、取り敢えず予約してた旅館に行きましょ。早く観光には行きたいけど、一旦ゆっくりしないと子供たちがもたないわ」

「うん、そうだね。正直、俺でもへばりそうだし・・・・・・よし、旅館に行こうか。じゃ、タクシー乗り場に向かおう。影人、はぐれないように穂乃影と手を繋いでやってくれ」

 日奈美からそう言われた影仁は頷くと、影人にそう言って来た。

「分かった。ほら、穂乃影。俺の手を握って」

「うん」

 影人が右手を差し出すと、穂乃影は左手で影人の手を握って来た。影人は穂乃影の手を握り返す。そして、帰城一家はタクシー乗り場へと向かった。

 それから数分後、タクシー乗り場でタクシーを拾った4人は、約30分ほどクーラーのよく効いた車で揺られながら、目的地へと向かった。

「ありがとうねえ。ほなら、旅行楽しんでねみなさん。ほなおおきに」

「はい、ありがとうございました」

 タクシーの運転手である初老の男性が笑みを浮かべ、4人にそう言った。その言葉に、帰城家を代表して影仁がそう答えた。4人が外に出ると、タクシーはドアを閉め、暑い京都の街中を走っていった。

「へえー、画像で見て分かってはいたけど、素敵な外観ね。やっぱり、生は違うわ。うん、きっと中身も素敵ね」

 宿泊先の旅館を見て初めにそんな感想を漏らしたのは日奈美だった。日奈美の目の前には、綺麗な2階建ての日本家屋があった。一見するとただの民家に見えるが、ここは歴とした旅館である。宿泊先をどこにするか調べている際、たまたま日奈美がこの旅館の事を見つけて、ここにしないかと提案したのだ。影仁、影人、穂乃影の3人は断る理由もなかったので、日奈美の提案を了承した。

 ちなみに、この旅館はサービスもよく、ご飯もおいしい、知る人ぞ知るいい旅館といった感じらしく、代金はけっこうな額だった。だが、夏のボーナスがあった日奈美はそこにケチはつけなかった。

「どうだ影人、穂乃影。ここが2日間俺たちが泊まる場所だ。いい感じだろ? 日奈美さんに感謝しろよ」

「何で父さんがドヤ顔してるんだよ・・・・・・」

「綺麗な旅館・・・・・・素敵」

 影仁の言葉に、影人はいつものように呆れた顔を浮かべ、穂乃影は影仁の言葉など聞こえていないといった感じで、旅館の外観に見惚れていた。

「よし、じゃあ中に入るわよ」

 日奈美は3人にそう言うと、引き戸を開けて中に入った。影仁、影人、穂乃影も日奈美に続き、旅館の中に足を踏み入れた。

 中に入ると、そこは外観よりもずっと広く見えるフロントがあった。正面にはカウンター、影人たちから見て左側の部分には、応接用の机に椅子が何台か設置されている。右側の部分には廊下と2階への階段があった。中は和風8割、洋風2割といった何とも味わい深い内装になっていた。

「いらっしゃいませ、ようこそおいでくださいました」

 正面のカウンター内部にいた水色の着物を着た女性が、影人たちに気づき笑顔で迎える。パッと見たところ、正確な年齢は分からないが、恐らくは70代ほどだろうか。優しげな顔に長い髪を簪で止めている、背筋がシャッキリとした女性だ。女性はカウンター内部から出てきて玄関で立ち止まっている4人の方に歩いてくると、深くお辞儀をしてきた。

「当旅館の女将の冬住ふゆずみ紀子きこと申します。ええと、4名様という事は、今日ご予約の帰城様でよろしかったでしょうか?」

「はい、そうです。2日だけですが、よろしくお願いします。こんな素敵な旅館に泊まれて嬉しいです」

 自己紹介をして来た女将、紀子の言葉に日奈美は頷き笑みを浮かべた。日奈美の言葉を聞いた紀子は顔を上げ笑みを浮かべる。

「嬉しいお言葉をどうもありがとうございます。ささやかな宿ですが、どうかごゆるりと。精一杯ご奉仕させていただきます。お荷物をお部屋の方までお運びいたしますね」

 紀子はそう言うと仲居を2人呼んだ。荷物を仲居に預けた4人は、紀子の案内のもと2階へと上がった。

「どうぞ、ここが皆様が泊まられるお部屋でございます」

 2階の1番奥の部屋。そのドアを開けて紀子が影人たちを部屋の中に入れた。仲居たちは運んできた荷物を部屋の中に置き、早々に立ち去っていった。

「おー、こいつは何とも・・・・・・」

「うわー、いいわ・・・・・・」

 部屋の中に入った影仁と日奈美はついそんな言葉を漏らした。

 部屋は当然の事ながら和室だった。かなり広めで15畳ほどはあるだろうか。中央には机と4つの座椅子が設置されており、その奥には広縁があり、洋風の椅子が2つと小さな机が設置され、冷蔵庫が置かれている。左側には花や掛け軸の飾ってある床の間があり、右側にはテレビと襖がある。いかにも旅館といった感じだが、その中に確かな味がある。影仁と日奈美は早速この部屋を気に入っていた。

「わあー・・・・・・凄いね、影兄」

「ん、そうだな。いい部屋だ」

 気に入っているのは影仁と日奈美だけでなく、穂乃影も影人もそんな感想を呟く。帰城家全員の言葉を聞いた紀子は、「ありがとうございます」と言って笑みを浮かべた。

「右の襖を開いていただくと、8畳のお部屋があります。トイレは2階の階段の先と、1階の廊下奥に。お風呂は1階の庭を抜けた先でございます。夕食は7時から。こちらに運ばせていただきますね。それでは、また何か御用や分からない事があれば、お呼びくださいませ。それでは、ごゆっくり」

 紀子はそう言って頭を下げると、ドアの鍵を机に置いて退室していった。

「おお、こっちの部屋もいい感じだ。これなら、布団4枚並べても大丈夫だな」

「はあー、やっぱ畳はいいわ。今の家、和室ないから余計にそう感じる」

 影仁は襖を開けて隣の部屋に、日奈美は畳に座りそう呟く。影人と穂乃影は広縁の椅子に座り、そこから窓の外を見た。

「見ろよ穂乃影、あれ人力車ってやつだぜ。こんな暑い中でよく人を乗せて動けるよな・・・・・・」

「凄いね、私だったら絶対無理だよ。あ、見て影兄。あっちに橋があるよ。人がいっぱい」

 それから数十分間、帰城一家は部屋で休息を取った。そして体力と気力が回復した頃、影仁と日奈美が影人と穂乃影にこう言葉を掛けてきた。

「影人、穂乃影。そろそろ大丈夫か? 大丈夫だったら、観光に行くけど」

「お腹空いたでしょ。取り敢えず、この近くに美味しいお蕎麦屋さんがあるみたいだから、そこには最初に行くつもりだけど」

「俺は大丈夫だよ。穂乃影は?」

「うん。私ももう平気」

「そ、なら行きましょうか」

 影人と穂乃影の言葉を聞いた日奈美は、2人にそう言った。影仁、日奈美、影人、穂乃影の4人は必要な物だけを持って部屋を出た。

「暑っ・・・・・・この暑さだけは慣れそうにないわね・・・・・・」

「調べてみたら、今日の京都の温度38度らしいよ。本当、バカみたいに暑い・・・・・・」

 旅館の外に出た4人を、また京都の暑さが襲った。日奈美と影仁は空に燦然と輝く太陽に目を細めた。

「2人とも、水分はこまめに摂りなさいよ。それで不調を感じたらすぐに言うのよ」

「分かった」

「うん」

「よろしい。じゃあ、まずはお蕎麦屋さんに行きましょ。おいで、穂乃影」

 日奈美が穂乃影に右手を差し出す。穂乃影は日奈美の手を小さな左手で握った。そして、スマホの地図を確認しながら歩き始めた。影仁と影人は、日奈美の後に続いた。

「ほれ、お前は父さんとだ」

 影仁が影人に左手を向けて来た。どうやら、前の日奈美と穂乃影同様に握れという事らしい。

「嫌だよ。勘弁してくれ。何で10歳にもなって父さんと手なんか繋がなくちゃならないんだ。恥ずかしい」

 だが、影人はそっけない態度で影仁にそう言って、影仁の手を無視した。息子にそう言われてしまった影仁はショックを受けた。

「お、おい嘘だろ。数年前までは笑顔で俺の手握ってくれたのに・・・・子供の成長早すぎるだろ・・・・・・」

「別に普通だろ。父さんが俺と同じ年齢の時、親と手を握りたかったか?」

「いや・・・・・・よく考えれば、俺もあんまり握りたくなかったな。どっちかって言うと、俺は女子の手を握りたかった。あ、もしかしてお前もそう?」

 ニヤニヤとした顔を浮かべながら、影仁がそんな事を聞いて来た。その笑みを少し不愉快に感じた影人は、どこまでも平坦な声でこう言葉を述べる。

「いや全く。俺は今のところ、恋愛にも女子にも興味はないから。クラスの男子たちは、最近そっち方面に興味持ち始めてるけど・・・・・・俺は友達と遊んだり、1人でゲームしたり漫画読んだりとかしてる方がよっぽど好きだ」

「冷めてんなーお前は。もったいない。せっかく日奈美さんに似た綺麗な顔なのに。ま、いつか興味が出てくる事もあるだろ。その時は、日奈美さんに感謝するだろうぜ、お前」

「何の話だよ・・・・・・」

 急にそんな事を言って来た影仁に、影人は少し疲れたように言葉を述べる。別に、影人は自分の外見を気にした事などないし、興味もない。というか、自分の顔が綺麗と認識した時が来たら、それは一種のナルシストになったという事ではないか。それは格好よくない。影人は、自分の顔がどうこうの話は忘れようと思った。

 まあ、数年後の影人はナルシストとは比べ物にならない一種の化け物みたいな奴(色々な意味で)になるのだが、それをこの時の影人は全く知らない。

 そして、そんな話をしている間に4人は最初の目的地である蕎麦屋に辿り着いた。蕎麦屋は少し混んでいたが、10分ほど待っていると席が空いた。日奈美と影人は天ざる蕎麦を、影仁は鴨そばを、穂乃影はざる蕎麦と小さな炊き込みご飯を注文した。

「お蕎麦、美味しかったわね」

「うん、美味しかった」

「いやー、マジで絶品だったぜ。あの鴨そば。また食いてえな」

「天ざる蕎麦も美味かったよ。ご馳走様、父さん」

 蕎麦屋を出た日奈美、穂乃影、影仁、影人はそれぞれそんな感想を漏らした。ちなみに、いま影人が礼を言ったように、蕎麦屋の代金は影仁が支払った。

「あいよ。よし、じゃあここから本格的な観光と行くか! 日奈美さん、次はどこ行く?」

「そうね。清水寺は明日行く予定だし、今日は東寺の五重塔に行きましょうか。影人、穂乃影。あんた達からすれば、寺なんか見ても全く面白くないでしょうけど、ちょっとだけ付き合ってちょうだいね。その代わり、近くにイ◯ンあるみたいだし、帰りそこ連れて行ってあげるから」

「いいよ」

「うん、分かった」

 日奈美からそう言われた影人と穂乃影は、日奈美の言葉に素直に頷いた。

「ありがとう。じゃ、またタクシー拾って移動しましょ」

 日奈美は小さく笑ってそう言うと、タクシーを探すべく歩き始めた。影仁、影人、穂乃影も日奈美の後に続いた。影人ははぐれないように穂乃影の手を握って。

 こうして、帰城家の本格的な京都旅行が始まった。












「ふいー、楽しかった。この年になると、ああいう芸術作品が沁みてくるな」

「そうね。あの時は木造の建物なんか見て何が楽しいって思ったものだけど、よかったわ。こういう歳の取り方は悪くないわ」

 午後6時過ぎ。旅館の近くまで戻って来た影仁と日奈美は、そんな言葉を述べた。国宝に指定されている五重塔は、2人の心に感銘を与えてくれた。

「見て見て、影兄。このぬいぐるみ可愛い」

「よかったな。珍しく父さんが頑張ってくれたおかげだな」  

 一方の穂乃影と影人はそんな言葉を交わし合っていた。穂乃影は笑顔を浮かべながら、イ◯ンのゲームセンターで影仁がUFOキャッチャーで取った、兎に似た不思議な生物のぬいぐるみを影人に見せて来た。大きさは両手で抱えられるくらいだ。ちなみに、影仁はこのぬいぐるみを取るのに2000円以上掛かった。まあまあ頑張ったというべきだろう。

 影人は玩具屋でスタイリッシュなコマ、具体的にはベイ◯レードを影仁に買ってもらった。最近、男子小学生の間で流行っており、影人も友達と対戦したりしているのだが、今日影仁に買ってもらったのは、影人がまだ持っていなかった最新型の物だ。ゆえに、影人は子供らしく気分が高揚していた。

「さーて、後は美味い飯食って、美味い酒呑んで、温泉に浸かって寝るだけだな! いやー、幸せ過ぎるぜ」

「本当にね。影仁、今日は付き合いなさいよ」

「分かってるって日奈美さん。でも、べろんべろんに飲んだら明日観光出来ないから、適度にだぜ? 日奈美さん呑み過ぎるからさ」

「うっ、分かってるわよ・・・・・・」

 影仁の言葉に日奈美が苦い顔を浮かべる。日奈美はかなりの酒好きで、1度呑み始めると中々止まらないのだ。

「ん、神社かあれ・・・・・・?」

 もう少しで宿泊先の旅館というところで、影人は赤い鳥居を見つけた。そこには小規模な神社があった。影人はつい立ち止まってしまった。

「? どうしたの影人?」

 そんな影人に気づいた日奈美が、影人にそう言葉を掛ける。影仁と穂乃影も立ち止まり、不思議そうな顔で影人を見つめた。

「いや、ちょっと神社が気になってさ。純粋な興味で。・・・・・・母さん、夕食の時間までには戻るから、神社見て来ていい? 旅館までの道は分かるから」

 旅行先の神社という非日常空間。そんな場所に多少の興味を覚えた影人は日奈美にそう言った。

「まあ、それくらいならいいけど・・・・・・すぐに戻って来なさいよ?」

「分かってる」

「ならいいわ。ちゃんと気をつけて戻って来るのよ」

「うん」

 日奈美に許可をもらった影人は影仁にオモチャの袋を預けると、神社の方に向かって歩き始めた。日奈美、影仁、穂乃影は先に旅館へと戻る。

「ふーん、分かってはいたけど・・・・・・普通の神社だな」

 階段を登って鳥居を潜り、神社の中に入った影人は周囲を見渡しながらそう呟いた。神社内は影人以外に人の姿はない。この神社は周囲が小さな森で覆われており、正面には拝殿があり、その奥には本殿がある。影人は一応奥の本殿や拝殿を観察した。

「・・・・・・雰囲気はいいけど、あんまり楽しくはなかったな。そろそろ戻るか」

 拝殿の前に戻って来た影人はそう呟くと、参道を歩いて神社を出ようとした。だがその途中で、

「・・・・・・・・・・・・ん?」

 影人は人影を見た。入って来た時には気づかなかったが、今の影人から見て左側にある(入り口から見れば右側)大きな石。その石の上に女性が腰掛けていた。

「・・・・・・・」

 その女性は不思議な女性だった。まず、その髪。腰にまで届くようなその長髪は、無色または透明だった。夕暮れの光を受け、その髪はオレンジ色にも見えた。

 次にその面。完璧と言っていいほどに整った顔立ちは、絶世の美女という言葉すら生温い。その面を飾る瞳の色は神秘的な透明。服装は白一色の着物で、そこから覗く肌はシミ1つなく、雪のように白く美しい。そして、女はなぜか裸足だった。

(何だ・・・・・・・あの人・・・・・・・)

 影人は無意識に立ち止まり、その女性に目を奪われた。もちろん、その外見的な美しさもあるが、その女性はどこか神秘的で、神々しいように感じられた。影人は、浮世離れした女性の存在そのものに、目を奪われていた。

「ん?」

 影人が少しの間その女性に目を奪われていると、その女性が影人に気がついた。そして、その透明の瞳を影人の方に向けて来て、

「ッ・・・・・・・!」

 影人はその女性と目が合った。いや、。そして、影人は女性の神秘的な透明の瞳に、その奥に瞬く透明色の深淵に呑み込まれた。影人は、まるで金縛りにあったように動けずに、ただその深淵を直立不動で覗き続けた。


 ――それが、影人と零無の出会いだった。影人からすれば最低最悪の、零無からすれば最高の、互いの運命を大きく変える、決定的な出会いだった。

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