第279話 蘇る影なる少年

「『死者復活の儀』を・・・・・・? まさか、あなたは自身を封じた人間を蘇らせる気なのですか・・・・?」

「ああ、そうだ」

 不可解そうな顔で女にそう聞いて来た男。女は男の言葉を首肯した。

「・・・・・・私にはあなたの深慮は分かりかねます。なぜ、自分を封じた忌々しい人間を蘇らせるのか・・・・・・」

 男が意味が分からないといった顔になる。普通に考えれば男の、『物作り屋』の反応は当然といえば当然だった。女が蘇らせようとしているのは、いわばかつての敵。そんな敵を生き返らせるなど、リスクは多々あるにせよメリットは何もない。

「ははっ、簡単だよ。『物作り屋』、単純明快なるただ1つの答えさ。吾が影人を生き返らせるのは・・・・・・愛ゆえにだよ」

「は・・・・・・・・・・・・?」

 女の答えを聞いた男はポカンとした顔になり、しばらく固まっていた。まさか、女の口からそんな答えが飛び出してくるなど、夢にも思っていなかったからだ。

「ん? 何だ、お前は愛を知らないのかい『物作り屋』。それは実にもったいないな。生を損しているぜ」

「いや、確かに私は愛なるものは知りませんが・・・・・・私が心底驚いたのは、あなたの口からそんな言葉が飛び出した事ですよ・・・・・・」

 男は未だに驚いているようにそう言うと、ジーンズのポケットから美しい銀の指輪を取り出した。そして、それを右手の人差し指に装着する。

「・・・・・・まだ色々と衝撃はありますが、理由は分かりました。それでは、あなたとあなたの愛する人間の感動の再会を邪魔するわけにも行きませんので、私はこれで失礼します」

「ああ、悪いがそうしてくれ。また後日に連絡するよ」

 女が笑顔で男に手を振る。男は軽く肩をすくめると、

「『行方の指輪』よ、我の行先を示せ。我の行先は、我の住処なり」

 男がそう言葉を唱えると、男の指輪がボゥとした光を放った。すると、男の体は徐々に黒い粒子と化していき、やがてこの場から完全に消え去った。転移したのだ。

「ふむ、邪魔者も消えた。では儀式を始めるか。なあ、影人。あともう少しだからな」

 男が転移して消えた後、女はそう呟きながら右手に持っていた容器の中にある影人の魂の残骸を見つめ、暖かな笑みを浮かべた。












「――吾という存在の名の元に、死者の復活を希う。復活を願う者の名は、帰城影人。今は死し、その存在を世界から消された人間なり」

 神社の参道の真ん中で、女は儀式を始める言葉を唱えた。参道の真ん中には、女の力で創られた、透明の祭壇が設置されている。祭壇の周囲には、複雑な陣が刻まれている。

「死者と関わりのある供物を捧げる。その供物の名は『帰城影人の魂の残骸』。帰城影人その者だけを示す供物である」

 女が祭壇中央部にある平台に、影人の魂の残骸を捕らえた容器を供える。儀式に必要な「死者と関わりのある物」が設置される。

「以上の供物を捧げ、吾は宣言する。『死者復活の儀』を執り行うと」

 女はそう唱えると、自身の体から神力を迸らせた。それは上位の神としての、しかも最上位の『空』の神力だ。その力の質、量ともに圧倒的。レイゼロールは、長年溜め続けて来た莫大なエネルギーを使用し2度目の「死者復活の儀」を執行したが、女はそんな事をせずとも圧倒的で、莫大で、凄まじい力を有していた。

 ちなみに、今回はあくまで人間を復活させるだけなので、それ程力は消費されない。レイゼロールが1度目の「死者復活の儀」で、力を蓄えずに儀式を行えたのはそのためだ。2度目の儀式で莫大なエネルギーが必要だったのは、復活の対象が神だからだった。だがまあ、女からすればその莫大なエネルギーもその身1つであがなえるのだが。その事実がどれだけ『空』の力が凄まじいか物語る。

 女が迸らせた神力のエネルギーが、祭壇周囲の地面に刻まれた方陣に流れ込む。方陣は透明の輝きを放った。

「『死者復活の儀』、執行」

 女が儀式を実行する言葉を述べると、祭壇と方陣が光を放ち胎動した。これで儀式は開始された。後は影人が蘇るのを待つだけだ。

 そして、これもちなみにではあるが、レイゼロールが行った2度目の「死者復活の儀」の時には、祭壇からエネルギーの柱が天に伸び、空の模様を変えたが、今回は柱も立ち上がらず、空の模様も変わっていない。それは儀式の規模の違いから来る、現象の違いだった。

「ふふっ、もう少し。あと本当にもう少しだ。ああ、影人。早くお前に会いたいよ」

 女はニコニコと笑みを浮かべながら、影人が蘇るのを待った。その顔はまさに恋する乙女の顔そのものだった。儀式が誰にも邪魔されないように、既にこの周囲一帯には力を漏れ出させない結界と、人払いの結界も張ってある。だから、女は何の心配もなく儀式を待つ事が出来た。まあ、それでももし邪魔をする者が現れたとしたら、何人たりとも殺すだけだ。人間だろうが、神だろうが、怪物だろうが、悉く全て。

「ふんふふーん♪」

 女は上機嫌も上機嫌だった。鼻歌を歌いながら、ずっと祭壇を見つめ続ける。待つ時間は女にとって苦痛には全くならなかった。むしろ、待つ時間すらも愛しい。

 それから約2時間後。

「うん? もう夜明けか」

 太陽が空に昇り始めた。女は昇り始めた太陽をチラリと見つめながらそう言葉を漏らす。儀式は普通ならば1時間と少しばかりで終わるが、その倍近くの時間が既に経過しているのは、影人がその存在を現在消されてしまっているからか。

 太陽が昇り始め1日が始まりを告げる。儀式に変化が訪れたのは、そんな時だった。

 突然、祭壇と方陣が一際強く輝き始めた。

「っ! ようやくかッ!」

 女が抑え切れない歓喜の声を漏らす。光は更に輝きを増し続ける。同時に、祭壇に供えられている供物も光を放ち始めた。供物の光も徐々にその輝きを増していく。

 祭壇の光と供物の光、それと方陣の光がこれまでで1番強い輝きを放つ。祭壇、供物、方陣の3つの光が共鳴し、やがてそれらの光は供物の光へと引かれ始める。3つの光が合一する。光はやがて人の形へと姿を変える。

 そして、


「・・・・・・」


 光が収まる。祭壇と方陣は役目を終えたように、跡形もなく消え去った。すると、その代わりにそこには1人の人間がいた。

 その人間は見たところ10代後半の少年のように見えた。服装はそれが少年が最後に着ていた服装だからだろうか。ブレザータイプの制服を着ていた。

 その少年の最も特徴的だったのは、その前髪の長さだった。顔の上半分が長い前髪に覆われており、少年の目は完全に隠れていた。

「・・・・・・・・・・・・ん?」

 そして、その少年――帰城影人は、長い前髪の下の目を見開いた。

「なん・・・・・・だ・・・・・・? 俺は・・・・・・」

 覚醒した影人は自分の体や手を見下ろした。何だかずっと長い夢を見ていたような気がする。ただ闇を彷徨っていたようなそんな夢を。

「ああ、ああ・・・・・・この時を待ち望んでいたぞ。久しぶり、久しぶりだな・・・・・・吾の愛しい玩具。吾の愛しい者・・・・・・なあ、影人!」

 蘇った影人を見た女は嬉々とした様子で影人にそう語りかけた。成長し、女の記憶の中の姿とは異なっている影人。前髪もあの頃よりかなり長くなっており、その顔の上半分は見えない。だが、魂で分かる。目の前の今蘇った少年は間違いなく、女が唯一その心を惹かれた人間だ。

「っ・・・・・・? な、なんで・・・・・・なんで、お前が・・・・・・」

 自分の名を呼ばれ、正面にいる女に気がついた影人は呆然とした顔を浮かべた。忘れるはずがない。目の前にいる透明と白を纏う女の姿を。影人の中の禁域。その中に封印していた記憶が否応にも溢れ出てくる。


「なんでてめえが俺の前にいるんだ・・・・・・! お前は俺が封じたはずだろッ・・・・・・! ッ!」


 影人は抑え切れない怒りを抱きながら、女の名前を呼んだ。

「ふふっ、そうだ。吾の名前は零無れな。お前が吾につけてくれた、お前しか呼ばない名前。ああ、お前にそう呼ばれて、吾は本当に本当に嬉しいよ」

 影人に名を呼ばれた女――零無は明るく笑いながら影人にそう言葉を返した。

「感動の再会だ。どうだい影人? 場所も吾とお前が出会った場所、この神社にしたんだぜ。まあ、あの時あった石は吾の封印が解けると同時に、砕けてしまったがな」

「そんな事はどうでもいいんだよ! 問題はてめえが俺の前に存在してる事だ! クソがクソがクソがッ! ふざけるなよ! 俺がどんな思いしててめえを封じたと思ってる!?」

 怒りと憎しみの炎が、影人の中からとめどなく燃え上がる。影人は前髪の下の両目で零無を睨め付けながら言葉を叫ぶ。影人がここまで怒りと憎しみを露わにするのは零無くらいだ。それ程までに、影人は零無の事を憎んでいた。

「まあまあ、そんなに吾に感情をぶつけないでくれよ影人。照れてしまうぜ」

 だが、影人から凄まじい怒りと憎しみをぶつけられている当の本人はどこ吹く風といった感じだ。零無は言葉通り、少し恥ずかしそうな顔になる。その零無の様子が、更に影人の怒りと憎しみを増長させる。

「っ、てめえのそういうところが・・・・・・! 俺は心底嫌いなんだよ・・・・・・!」

「嫌よ嫌よは好きの内。嫌いは好きの裏返し。分かっているよ影人。お前の気持ちは。吾もお前の事は好きだよ」

 歯軋りをしながら影人が言葉を吐く。その言葉を聞いた零無は、まるで話が通じていないかのようにそんな言葉を返して来た。影人は吐き気を覚えた。

「・・・・・・本当に、何でお前の封印が解けてるんだよ・・・・・・! よりにもよってお前の封印が・・・・!」

 影人が全てに絶望するようにそんな言葉を漏らした。その言葉に、零無はこう返答する。

「おやおや、覚えていないのかい影人? お前はシトュウに頼んで、自身をこの世界から消去した。世界改変の力によって、お前の存在は初めからなかった事にされたんだ。その結果、お前が封じた吾の封印も解けたというわけさ」

「っ・・・・・・!?」

 零無からそう聞かされた影人がハッとした顔を浮かべる。瞬間、影人は思い出した。自分が消える前の最後の記憶を。

「そう・・・・だ・・・・・・俺は、あいつに頼んで死ぬと同時に・・・・・・」

 最後に見たのは、泣きじゃくるソレイユの顔。そうだ。自分は既に死んでこの世界から消えたはず。なのになぜ、自分はこうして生きているのか。影人には訳が分からなかった。

「何で、俺は生きてるんだ・・・・・・?」

 影人は再び、どこか呆然としながらそう言葉を呟いた。

「簡単な事だ。それは、吾がお前を蘇らせたからだよ」

 影人の呟きに、零無がそう答えた。

「は・・・・・・? お前が俺を・・・・・・? 何でだよ、意味が分からねえ・・・・・・お前は俺を恨んでるはずだろ。お前を封じた俺を・・・・・・」

 零無のその答えは影人には理解出来ないものだった。影人は、零無が自分に固執していた事は知っていたが、その固執は封印の時に恨みに変わったものだとばかり考えていた。

「おいおい、まさか! 吾がお前を恨む? そんな事はないな。天地がひっくり返っても有り得ん。確かに、封じられる瞬間は苛立ったが、あれはあの時だけだよ」

 影人の指摘に零無は首を横に振る。そして、零無は微笑みながら、続けて影人にこう言った。

「さて、では今度こそ、今後こそ吾と共に行こう。吾と共に暮らそう。大丈夫、不安は何もないよ。お前の面倒は全て吾が見るし、お前を害する存在があれば、全て吾が滅ぼそう。さあ、吾と愛を語らおうぜ影人!」

 それは零無の愛の告白だった。女神としての、尋常ならざる美。文字通り、神々しさを体現する女性。魔性の女。傾国の美女。そんな言葉ですら生温い女神が、ただの人間に愛を捧ぐ。普通の人間ならば、自分の幸運さに感激し、泣いて喜ぶだろう。

「ふざけろよ。気色の悪い奴が・・・・・・! 誰がてめえみたいな奴を愛するか・・・・・・! 俺に一方的にてめえの欲望を押し付けるな!」

 だが、影人は既に零無の邪悪さを知っているし、零無に大切な者を奪われた人間だ。どうして、零無を愛する事など出来ようか。蛇蝎の如く、影人は零無の事を嫌っていた。

「ふーむ。どうやら、お前は蘇ったばかりでまだ興奮しているらしい。仕方ない、じゃあ取り敢えず、落ち着く意味も兼ねてデートしよう影人」

「誰がするか。死ね」

 影人はそう言葉を返すと、零無から1歩後ずさった。その動作を、逃げるための動作と見たのか、

「ダメだ。逃がさないぜ影人」

 零無は万物を創造する力を使い、透明の鎖を創造すると、その鎖を以て影人を縛った。

「っ!? ちくしょう・・・・・・!」

 鎖に全身を縛られ拘束された影人が悪態をつく。スプリガンの力は、影人が消える前にソレイユに返還している。つまり、今の影人はただの一般人だ。このような力を持つ相手に抵抗する事が、出来るはずがなかった。

「お前も消える前までは色々力を有していたようだが、かつての半分とはいえ、力を取り戻した吾にお前がどうこうする事は出来ないよ。ふふっ、では共に行こうか」

 影人を縛った零無はにこやかに笑うと、影人の方へと近づいて来た。

「クソッ、クソッ!」

 影人は無駄だとは分かりつつも、鎖を解こうと体を動かそうとした。だが、当然の事ながら、鎖はびくともしなかった。

「ああ、遂にこの時が・・・・・・」

 零無が影人に接近し、影人の頬に触れんとその右手を伸ばす。零無の手が影人の頬に触れようしたその時だった。


「――貴様のような怪しい輩が影人に触れるな」

「――その子をどうこうなんてさせないわ」


 突如として、どこからかそんな声が聞こえてきた。

「っ!?」

「ん?」

 その声に影人と零無がそれぞれ反応する。すると、目にも止まらぬ速さで2つの影が動いた。1つの影は影人を拘束している鎖を引き裂き、もう1つの影は拘束が解けた影人を抱き、攫った。2つの影は零無の後ろへと移動した。その際、影人を攫った人物は影人を地面へと下ろした。

「っ・・・・・・・・・・!? 何で、ここに・・・・・・」

 自分を助けてくれた2つの影。その姿を見た影人が驚愕し、そう言葉を漏らす。

 1人は、ブロンドの髪を緩いツインテールにした豪奢なゴシック服を纏った人形のように美しい少女。いや、正確には少女ではなく吸血鬼だ。影人はその事をよく知っている。

 もう1人は、長い白髪に西洋風の黒の喪服を纏った女だ。その女は20代半ばほどの外見だった。その瞳の色は美しいアイスブルー。女も普通の人間ではない。神と呼ばれる存在だ。影人はその事をよく知っている。

「嬢ちゃん、レイゼロール・・・・・・」

 影人はその2人――シェルディアとレイゼロールを見てそう言葉を漏らした。

 影人を助けたのは、かつて本気で影人と戦い、そして分かり合った者たちだった。

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