第278話 ただ1つの願い

「帰城影人の蘇り・・・・・・?」

 女のやろうとしている事を聞いたシトュウは、どこ呆然とした表情を浮かべながら、鸚鵡返しにそう呟いた。

「そうだ。吾は影人を蘇らせる。必ず。絶対に。何が何でもな。そのためには力が必要だ。しかし、先ほどまでの吾にはその力がなかった。だから、影人を蘇らせられるだけの力を、お前から返してもらったのさ」

 呆然とするシトュウに笑みを消した女はそう言った。シトュウは女の透明の瞳の中に、尋常ならざる執念が渦巻いている気がした。

「・・・・・・私には分かりません。あなたは、なぜそこまであの人間に、帰城影人に固執するのですか・・・・・・? 確かに、彼はあなたを封じた人間です。あなたといえども、思うところはあるでしょう。ですが、私やあなたにとって、人間とはそこまで気にかける存在ではないでしょう。なのに、なぜあなたは・・・・・・」

 真界の神にとって、人間は森の木に生えている葉のような存在。つまり基本的には意識の範囲外の存在だ。女も追放されたとは言え、元は真界の神。しかも、その最上位である『空』だった。つまり、意識はシトュウと何ら変わらないはず。

 ゆえに、シトュウは女がたかが人間1人のために執念を燃やし、力を求めるという心情を理解出来なかった。

「ふっ、そうか。お前には分からないか。まあ、仕方がないか。吾も追放される前までは、大体お前のような考え方だったからなぁ」

 女はどこか暖かな目をシトュウに向けると、再び立ち上がりシトュウを見下ろしながら、こう言葉を続けた。

「吾はこの世界を追放されて、地上世界にいた。ずっと、ずっとな。その中で、幽霊のような存在になりながら、人間という存在を見続けて来た。正直、最初は愚かな下等生物にしか見えなかったよ。だが・・・・・・いつからか、人間を見るのが面白いと思うようになった」

 女は無意識に笑みを浮かべる。女の言葉はまだ続いた。

「人間はな、必死に感情を動かし続けて生きるんだよ。自分の為すべき事のために。吾にはそれが面白かった。喜劇のように、悲劇のように、そこには全てがあった。まあ、途中からは傍観者に飽きて、吾を感じ取れる存在を唆して、喜劇や悲劇を自分から作ったりもしたがな。だから、今の人の歴史は少なからず吾が介入した歴史でもあるわけだ。おっと、これはあまり関係がなかったな。まあ、軽い吾の自慢として聞いてくれよ」

 女は少し戯けたようにそう言うと、遂に影人との出会いについて語った。

「影人と出会ったのは本当に最近の時代だ。地上世界での世界規模の戦争が終わって、一般的には平和になった時代。吾は少々の退屈と共に、その中でも特に平和な国、日本の京都と呼ばれる場所にいた。そこで、旅行客としてたまたま出会ったのが影人だった」

 女はどこかウットリとしたような顔になり、言葉を奔らせ続ける。

「影人はその本質が少し特殊でな。そのために、普通は見えない吾を見る事が出来たんだよ。吾は物珍しさから影人に語りかけた。そして・・・・・・ふふっ、まあ色々あって、吾はあの子を大層気に入ってしまった。吾があの子に執着する理由は、一言で言えばそれだよ」

 そして、女は自身の気持ちをシトュウに告白した。

「吾は、あの子の事が好きなんだ。狂おしいほどに。殺したいほどに。抱きしめたいほどに。怒りたいほどに。悲しみたいほどに。復讐したいほどに。とにかく、好きなんだよ。人間はこの感情を恋と呼び、愛と呼ぶ。ああ、素晴らしきかな。吾は愛ゆえに、影人を生き返らせるのさ。今度こそ、あの子の全てを手に入れるために・・・・・・!」

「っ・・・・・・!?」

 そこにいたのは、ある意味では恋する乙女だった。だが、その瞳の奥には狂気に近い愛と、歪んだ思いが存在していた。それを見たシトュウは一瞬恐怖を覚えた。

「少し長くなってしまったが、これが今の吾の行動理念だ。死した人間を生き返らせる事は禁忌だが、真界には何の問題も起こらないだろう? だから、許せよシトュウ。この吾をな」

 女はシトュウにそう言い残すと、右手を虚空に向け黒い門を開いた。そして、女はその門の中に身を入れようとする。

「っ、行く気ですか・・・・・・全ての消えた存在が辿り着く、『虚無の闇辺やみべ』へと・・・・・・ですが、いくらあなたといえど、あの無限の虚無の闇の中に揺蕩う、帰城影人の残滓を探す事は不可能なはずです」

「それについては、アテがあるから大丈夫だよ。お前の言う通り、最終的には吾は『虚無の闇辺』に行くつもりだ。だがその前に、に聞かなければならない事があるからな。少し寄り道するよ」

 女はシトュウの問いにそう答えると、最後にシトュウにこう言った。

「さらばだシトュウ。また会う事もあるだろうぜ」

 そして、女は黒い門を潜り「空の間」からその姿を消した。女が潜ると、黒い門は溶けるように虚空に収束した。

「あなたは、本当に・・・・・・」

 女が去った後に、シトュウは変わらず地面にへたり込みながら、ポツリとそう言葉を漏らした。













「さて、残りの業務は・・・・・・」

 冥界。天の国と地の国を包括する、いわゆるあの世と呼ばれる世界。その世界の最上位の神である、レゼルニウスは自分の住居の執務室で、黒い豪奢な椅子に腰掛けていた。元々、レゼルニウスは地上の神であったが、人間に殺されてしまったためにこの冥界に来て、気づけばこの世界の最上位の神となっていた。

 だが、レゼルニウスの妹であるレイゼロールや、神界の神々たちはその事を知らない。基本的に、冥界の神は他の世界に干渉できないからだ。

「・・・・・・なしか。じゃあ今日の仕事は終わりだな。よし、なら地上にいる可愛い妹の様子でも・・・・」

 だから、レゼルニウスは一方的に、こっそりと冥界から地上世界を観察していた。冥界の神は他の世界に干渉は出来ないが、地上世界を見守る事は出来る。レゼルニウスは、空間にウインドウのような物を出現させ、地上にいるレイゼロールの様子を見ようとした。

 だが、


「よう、レゼルニウス。ちょっとお前に聞きたい事がある。悪いが、吾の質問に答えてもらうぜ」


 突如として、レゼルニウスの部屋の中央に黒い門が出現し、その中から透明の瞳の女が現れた。女は気安い態度で、レゼルニウスにいきなりそう語りかけて来た。

「え・・・・・・? あ、あなたはいったい・・・・・・」

 急に自分の前に現れた女に、レゼルニウスは呆気に取られ、戸惑ったような顔を浮かべた。当然だ。誰だって、急に誰かが虚空から現れれば驚く。

「吾の事はまあ気にするなよ。お前には、、今はどうでもいい。それよりもだ」

 女は未だに呆然としているレゼルニウスに一方的にそう言うと、その右の人差し指をレゼルニウスに向けた。

「世界改変の力を無くせ」

 女がそう呟くと、女の人差し指の先に透明の光が宿った。光は急にレゼルニウスにも認知できないような速度で瞬くと、レゼルニウスの頭を撃った。

「あ・・・・・・・・・・・・」

 その瞬間、レゼルニウスの中にある少年の記憶が蘇る。前髪が長く顔の上半分が見えない、見た目は少し暗めの少年。その少年の名前は帰城影人。かつてはスプリガンとも呼ばれていた、真にレゼルニウスの妹であるレイゼロールを救った者。自分が『終焉』の力を与え、過酷な道を進ませた少年だ。

「っ、そうか・・・・・・僕は世界改変の力で彼の事を・・・・・・」

 影人の事を思い出したレゼルニウスは、右手でその頭を押さえた。そうだ。影人は『空』の力によって、自身の存在を消したのだ。それが影人の願いだった。生と死の世界の狭間での影人との会話を思い出したレゼルニウスは、仕方がないとはいえ、自分を激しく責めた。絶対に忘れないと言ったのに。自分にとっては誰よりも恩人であるはずなのに。

「そういう事だ。ちゃんと影人の事は思い出したみたいだな」

 レゼルニウスの様子を見た女は満足げに頷いた。そして、女はレゼルニウスにこう質問をした。

「じゃあ聞かせてもらおうか。なぜ、影人は自身の存在を消したがっていた? お前なら、その理由を知っているはずだ」

「っ、彼の事を・・・・・・? 確かに、僕は彼の最後の事情をある程度は知っている。だけど・・・・・・そもそも、あなたはいったい何者なんだ? なぜ、彼の事を覚えていて、世界改変の力を――」

 レゼルニウスが訝しげな顔でそう言おうとすると、女は苛立ったような顔を浮かべ、

「だから吾の事はどうでもいいんだよ。しゃらくさい、ちょっとお前の記憶を覗かせてもらうぜ」

「なっ・・・・・・」

 瞬間移動をしてレゼルニウスとの距離を詰めた。レゼルニウスは再び驚いたような顔になる。そして、女はレゼルニウスが驚いている間に、右手でレゼルニウスの頭を掴んだ。

「見せろ、影人に関するお前の記憶を」

「っ!?」

 女がそう唱えると、女の中にレゼルニウスの影人に関する全ての記憶が流れ込んで来た。レゼルニウスと影人の生と死の狭間での語らいの事。影人がスプリガンなる者として戦っていた事。レゼルニウスが見聞きした影人に関する全ての記憶が。

「・・・・・・は、ははっ。そうか、そうか影人。お前は吾が知らない間にそんな事に巻き込まれていたのか。ああ、お前が自身を消したいと思っていた理由も、分かった気がするよ。お前は優しいからな。本当に、誰よりも」

 レゼルニウスの頭部から右手を離しながら、女は噛み締めるようにそう言葉を漏らした。

「だが、ああ妬ける。妬けるなぁ・・・・・・吾以外の者に、お前が命を懸けるほどに思いを抱くとは。ふふっ、嫉妬だな。嫉妬するぜ、レイゼロール」

「何なんだ・・・・・・お前は、本当にいったい・・・・・・」

 どこか狂ったような笑顔で、自分の妹の名前を述べる女に、レゼルニウスは本当に久しく恐怖を覚えた。

 そして、レゼルニウスは無意識に感じ取っていた。この透明の瞳の女が異質な何かであり、自分よりも高位の存在であるという事を。レゼルニウスの女に対する恐怖はそこから来ていた。

「邪魔をしたな。もうお前に用はない。さらばだ」

 影人が消える事を望んだ理由や、自分の知らない影人の事を知り満足した女はそう言うと、透明の粒子となって一瞬でレゼルニウスの目の前から、その姿を消した。

「・・・・・・・・・・・・」

 いきなり現れて、いきなり消えた女。まるで夢を見ていたかのようなその唐突さに、レゼルニウスはしばらく呆然としていた。












「ふむ、ここに来たのはいつ以来か・・・・」

 冥界から粒子となって去った女は、周囲が暗闇に包まれた、世界と世界の狭間とでも言うべき場所に転移していた。世界と世界を移動する際には、門を開く必要があるが、世界渡航以外ならば転移でことたりる。ここは世界と世界の狭間であって、世界ではない。ゆえに女は転移でこの場所にやって来た。

「『虚無の闇辺』に行くためには、この狭間で門を開かねばならんからな。全く、面倒なものだ」

 女が正面の暗闇に向かって右手を伸ばす。すると、暗闇の中に透明の門が現れた。全ての消えた存在が行き着く場所、「虚無の闇辺」はこの狭間の深層にある。ゆえに、ここで世界を渡るための門を開く必要があるのだ。女は「虚無の闇辺」へと続く門を開き、門を潜った。

 途端、一面の暗闇だった景色が変わる。そこは薄い闇がどこまでも広がり続けている世界だった。それだけならば、先ほどの世界と世界の狭間と変わらない。狭間と変わっている点は、暗闇の至るところに、ぼんやりとした透明の、様々なモノがあることだ。それは剣のようなモノだったり、人のようなものであったり、人外の生物のようなモノと、本当に様々だった。これらは全て、世界から消された存在であったり、虚無へと行き着いた何かたちであった。

「さて、早く影人を探さないとな。吾といえど、ここに居続ければ虚無に還ってしまう」

 そもそも、ここは生あるモノが足を踏み入れる場所ではない。基本的にはここに足を踏み入れた全ての存在は、その瞬間に虚無へと還り、永遠にこの場所へと取り込まれる。それは神界の神や、その上位である真界の神々も例外ではない。この場所は、全ての者にとって絶対に入ってはならない場所、禁域なのだ。

 ではなぜ、女はすぐに消えないかと言うと、それは女が『空』の力を半分奪取したからだった。『空』はこの場所に満ちる虚無とほとんど同義の、を使う事が出来るため、耐性があるのだ。つまり、今の女は例外だ。

「普通ならシトュウが言っていたように、この場所から特定のモノを探す事は出来ない。広さが無限だからな。だが、吾には印がある」

 女はニヤリと笑うと目を閉じて意識を集中させた。感じられるはずだ。必ず。女は意識の綱を広げ続けた。

「・・・・・・・見つけた」

 意識の綱に自身と共鳴するモノが引っかかる。女は目を開けると、その共鳴するモノの場所まで瞬間移動した。

「ああ・・・・・・久しぶり。本当に久しぶりだな影人・・・・・・」

 瞬間移動した女は、自身の正面にぼんやりと浮かぶモノ――人の形をしているが、顔や姿は分からない――を見つめると、感動したようにそんな言葉を漏らした。姿ははっきりしないが、女には目の前のモノが影人だと分かった。その理由は、目の前のモノから感じるからだ。女がかつて、影人の中に滑り込ませた、ほんの少しの自分の――魂のカケラの存在を。女が先ほど呟いていた印とはこの事だった。ゆえに、女は影人を見つける事が出来たのだ。

「さて・・・・・・おいで、影人。もう少しすれば、吾がお前を蘇らせてやる。そのためには、お前の魂の残骸が必要だ」

 女はまるで聖母のような慈しみある笑みを浮かべると、両手をかつて帰城影人だった存在に向けた。すると女の手に引かれるように、ぼんやりとした透明のモノが粒子となり、女の手に集まっていく。女はそれを丸めるように手を動かす。そして、人の形をしていたモノは、いつしか拳くらいのぼんやりと光を放つ球体に変化していた。

 それは、人魂と呼ばれるものに似ているように思えた。女は容器を創造し、その中に大切そうにその球体を入れると、容器を密封した。これで大丈夫だ。

「さあ、帰ろうか影人。吾たちの世界へ」

 女は右手で大切そうに容器を持ち、暖かな顔でそう呟くと、左手で門を開き「虚無の闇辺」を後にした。












「・・・・・・事は上手く進んでいますかね。上手く進まなければ、色々と都合が悪いのですが・・・・・・」

 真夜中の神社の境内にいた『物作り屋』と呼ばれる男は、難しげな顔を浮かべながらそう呟いた。1度転移して自分の武器庫に戻り、人形と『帰還の短剣』を手にした男はそれらを女に手渡した。男は真界に行った女の帰りを待っていた。

「っ・・・・・・」

 男が女を待っていると、突然参道の真ん中に白い門が出現した。すると、その中から透明の瞳をした女が現れた。女は満足そうな顔で、右手に何かの容器を持っていた。

「お帰りなさい。その様子だと・・・・・・上手くいったみたいですね」

「ん? ああ、上々だぜ。吾の目的は果たされた。力も全盛期の半分だが戻ったしな」

「それはよかった。では、人形はどうでもいいのですが、『帰還の短剣』を返していただけ――」

「ああ悪い。あれはシトュウに、現在の『空』に消された。だからないよ」

「え、ええ・・・・・・」

 言葉とは裏腹に、全く悪びれていない顔でそう言って来た女に、男は嘘だろといった顔になる。何だかんだ、効果が珍しい武器だから重宝していたのに。こんな事ならば貸すんじゃなかった。男はそう考えてしまった。

「だから悪かったって。まあ、力は取り戻せたから、お前が言っていた願いは叶えてやるよ。それでいいだろ?」

「・・・・・・はあー、分かりましたよ。今回はそれで呑みましょう」

 女にそう言われた男は、ため息を吐くとコクリと頷いた。何をしても、どうせあの短剣は返ってこないのだ。ならば、もう諦めるしかない。

「それで、その右手に持っている物は何なんですか?」

 男は話題を変えるように、女がずっと右手に大切そうに持っている容器に視線を移した。容器には何かぼんやりと光るモノが入っている。

「これは吾の1番大切なモノだよ。さて、『物作り屋』。悪いが今日はもう帰ってくれ。お前の願いは後日に叶える。吾は今からやらねばならぬ事があるんだ」

「それは了解しましたが・・・・・・いったい、何をするのですか?」

 男は不思議そうな顔で女にそう聞いた。すると、女はニヤリと笑った。

「決まっている。吾は最も大切な人間の魂の残骸を手に入れた。なら、そんな吾がやる事は1つしかない。『物作り屋』、吾が今からやるのは・・・・・・」

 そして、女は男にこう言った。どこか超然とした笑みを浮かべながら。


「『』だよ」

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