第277話 空と空

「帰城影人を消した理由を・・・・・・?」

 前『空』である女の言葉を聞いたシトュウは、その顔を疑問の色に染めた。

「ああ、そうだ。お前、世界改変の力を使って影人の存在を消しただろう。その理由は何だ? なぜ、ただの人間であったはずのあの子を、現在の『空』であるお前がわざわざ消した。吾にはそれが不可解だ」

 女が『物作り屋』に頼んで、わざわざこの場所に戻って来た核心。女はその理由をシトュウに問いただした。

「確かに、私は少し前に帰城影人の存在を世界から消しましたが・・・・・・なぜ、あなたはまだ彼の事を覚えているのですか? 『空』の世界改変の力は、全ての存在に及ぶ。あなたといえど、例外ではないはずです」

「そうだな。吾も封印が解けた直後は影人の事を忘れていたよ。だが、色々疑問があったから、なけなしの『』の力を使って、世界改変の力を消した。それだけだ」

「っ、あなたにまだそんな力が・・・・・・」

「言っただろ。なけなしだよ。吾の力は既にほとんど枯渇している。だからそこは安心しろよ」

 女は軽く肩をすくめると、少し不思議そうな顔でシトュウにこう質問した。

「それよりも、お前がなぜ影人の名前を知っているんだ? お前たちにとって、たかだか人間の名前なんて覚えるだけ無駄だろう。それとも、影人が名乗ったか?」

「確かに、私が名を尋ねると彼は自身の名を名乗ってくれました。ですが・・・・・・帰城影人の名前は特別なのです。この真界において。何せ、彼は私たちですら完全に滅しきれなかったあなたを、ただの人間でありながら封じた者ですから」

 女の質問にシトュウはそう答えた。そう。シトュウがあの時、影人の名前を聞いた時に反応したのは、影人が目の前の先代の『空』であった女を封じたからだ。地上世界に追放された女の気配が完全に消えた時、全知の力でその事を知ったシトュウは愕然とし、シトュウからその事を聞かされた他の真界の神々も驚愕した。

 封じたのは帰城影人という人間。しかも当時は子供だった。ゆえに、真界の神々にとって、影人の名前は特別なのだ。帰城影人。その名前は唯一真界の神々にとって、刻まざるを得ない名前であり、そこには一種の畏怖の念があった。今はシトュウが世界改変の力を使ったので、シトュウ以外の真界の神々は帰城影人の存在を忘れているが。

「・・・・・・あなたの封印が解かれた理由も、今分かりました。私が帰城影人の存在を消したがために、彼があなたを封印したという事実も消えたのですね。そして、世界が彼の代わりにあなたを封じた代わりを探しても、その代わりはどうしても見つからなかった。その結果、あなたの封印は解かれた。・・・・・・『空』である私とした事が・・・・・・」

 全知の力を使わずに、シトュウはその答えに辿り着いた。その答えに女は頷く。帰城影人の存在が消えて多少時間が経っていて、女がつい先ほど封印から解かれ、時間のラグがあったのは世界が影人の代わりを探していたためだろう。迂闊だった。影人の頼みを聞いてしまったために、女の封印は解かれてしまったのだ。シトュウは内心で自分を責めた。

「そういう事だ。まあ、力がほぼ無くなっても、吾を封じるなんて事は基本不可能だからな。影人が例外過ぎただけで。あの子以外に、吾を封じられる者などいるかよ」

 少し不快げに女はそう吐き捨てると、こう言葉を続けた。

「それよりも、お前のさっきの言葉だ。シトュウ、あの子はお前に名を尋ねたと言ったな。つまり、影人はここに来たんだな。この『空の間』に」

「・・・・・・はい。彼は少し前に、何の前触れもなく、ふらりと私の前に現れました。通常、人間がこの世界に、この場所に入って来る事は出来ません。ですが、帰城影人はこの場所に来た。恐らく、あなたと関わりがあったからだと私は思っていましたが」

「あー、確か吾は封印される前に、影人の中にほんの少しだけ自分の魂の一部を滑り込ませたからな。なるほど、影人がこの場所に入って来れたのはそのためか」

 シトュウの説明を聞いた女は同意するように頷いていた。女が影人の中に飛ばしたのは、本当にごく一部の小さな小さな魂のカケラだ。染み、あるいは影と称すべきような。その極小の魂のカケラにあった神性のようなものが、影人をこの世界に入る事を許可したのだろう。女はそう考えた。

「で、そろそろ本題だ。影人がお前の目の前に現れた事は分かった。まあ、影人がどうやってこの世界の扉を開いたのか知らんがな。シトュウ、なぜ影人の存在を消したのだ? お前の答えによっては・・・・・・吾は本気で怒るぜ」

「っ・・・・・・」

 女はそこでスッと表情を消し、声を無機質と思えるほどに冷たいものにさせると、その透明の瞳でシトュウをただジッと見つめた。今はほとんど力を失ったはずなのに、女の威圧と威厳は『空』であった時と何ら変わっていなかった。シトュウはほんの少しだけ、女に気圧された。

「・・・・・・頼まれたからです。他でもない、帰城影人本人に。自分の死を契機に、自分の存在を初めからなかったものにしてほしいと」

「っ・・・・? 頼まれた・・・・・・? それはどういう事だシトュウ?」

 シトュウの答えを聞いた女は、彼女にしては本当に珍しく意味が分からないといった顔になった。この女もこんな表情をするのかと、シトュウはついそんな事を思った。

「帰城影人は、今は死して冥界の神となっているレゼルニウスから『終焉』の力を受け継いでいました。そして、その力を以て私を脅したのです。自分の願いを聞かなければ、私を殺すと。『終焉』の力は私たち真界の神々でさえ、その存在を滅する事が出来る異端の力。私は仕方なく帰城影人の願いを叶えました。『空』が死ぬわけにはいきませんから」

 シトュウは正直に女にあの時の事を伝えた。嘘をつく理由は別にないからだ。

「影人が『終焉』の力を? おいおい、あいつ吾が封じられている間に何してたんだよ・・・・・・くくっ、全く相変わらず予想の範囲外にいるなあの子は。あの子らしいと言えば、あの子らしいが」

 影人が『終焉』の力を受け継いでいたというまさかの事実。それを聞いた女は一瞬呆気に取られたような顔になったが、すぐに面白そうに笑った。その笑顔を見たシトュウは驚いたような顔を浮かべた。

「・・・・・・あなたはそんな顔で笑うのですね。初めて見た気がします、あなたのそんな顔は・・・・・・」

「ん? まあ、ここで『空』をしていた時は、ずっと退屈で死にそうだったからな。確かにお前も、純粋に面白がって笑っている吾を見るのは珍しいか」

 シトュウに女は変わらずに笑みを浮かべながらそう言葉を返す。シトュウとの付き合いはかなり長いが、指摘通り彼女の前ではこんな感じで笑った事はない気がした。

「・・・・・・とにかく、私が帰城影人の存在を消したのはそのような理由からです。彼がなぜ自身の存在した事実を消したかったのか、彼はそれを言いませんでしたし、私も聞きませんでした。彼の存在を私の力で消してしまったために、全知の力を使ってもその理由は今や知る事が出来ません。あなたも知っての通り、全知の力を使うには2つの条件がありますから」

「能動的に自身が識りたいと思う事。既に世界から記述が消された事実や存在は識れない事か・・・・・・」

 シトュウの言葉を捕捉するように、女が右手を顎に当てながら言葉を漏らす。全知の力は、あくまで世界(ここでいう世界は、地上世界、神界、真界、冥界、など全ての世界を指す)に刻まれた事を識る力だ。その存在が全ての世界から消された影人は、今やその力の対象外となっていた。

「・・・・・・まあ、お前の話は分かったよシトュウ。嘘もついていないだろう。つく理由もないからな。そうか。あの子は自ら望んで消えたのか・・・・・・」

 影人の存在をシトュウが消した理由を聞いた女は、一応納得したようにコクリと頷いた。

「・・・・・・シトュウ。お前は影人がレゼルニウスから『終焉』の力を受け継いでいたと言ったな。ならば、レゼルニウスは影人が自分の存在を消したがっていた理由を知っていると思うか?」

「それは分かりません。ですが、いくら帰城影人といえども、この場所への扉を開けられるとは考え難い。この真界の『空の間』への扉を開けられる者は限られています。そして、冥界の最上位神であるレゼルニウスもその内の者。帰城影人に『終焉』の力を譲り、この場所への扉を開いたレゼルニウスは彼と接触があった事は確実です。ゆえに、可能性はあるにはあったでしょう」

 シトュウがあったと過去形にしたのは、そのレゼルニウスも今や影人の事を忘れているからだ。シトュウの言わんとしている事を正確に理解していた女は、再び頷いた。

「ふむ、そうか。可能性はあったか・・・・・・まあ、今はそれだけ聞ければ充分。礼を言うぞ、シトュウ」

「・・・・・・まさか、あなたに礼を言われる日が来ようとは。夢にも思っていませんでした」

「ははっ、まあお前ならばそう言うだろうな」

 今日何度目になるか分からない驚きを受けるシトュウ。そんなシトュウを見て女は笑った。

「さて、ここに来た目的は果たした。後はそうさなぁ・・・・・・」

 女はどこか満足したような顔を浮かべると、次の瞬間、


「お前の力を、吾から奪った力を返して貰おうか」


「っ!?」

 ニィと邪悪な笑みを浮かべ、急にシトュウへと襲い掛かってきた。シトュウは驚いた顔を浮かべるが、

「愚かな・・・・・・」

 シトュウはすぐに冷静になり、その顔から表情を消すとこう言葉を唱えた。

「時よ、止まりなさい」

 すると次の瞬間、この空間のシトュウ以外のモノは全てその動きを停止させた。無論、女もピタリと動かなくなった。今シトュウが唱えた通り、この空間のシトュウ以外の時を止めたのだ。

「・・・・・・確かに、あなたがここに来れた事には驚きました。ですが、あなたの力は以前のまま。私たちがあなたからほとんどの力を奪った時のままです。そんなあなたが、万が一にも私をどうこう出来るはずがないでしょう」

 静止している女に、シトュウは独白するように呟いた。今のシトュウは真界の最高位の神。その力は全ての存在を凌駕する。何人たりとも、シトュウに勝つ事は不可能だ。対して、女は力のほとんどを削がれた今や脆弱なる存在。シトュウでさえ、女の存在は滅する事は出来ないが、負ける道理は存在しない。

「まずは、あなたがまたこの場所に来れないように、その短剣を処理しましょうか」

 シトュウは一応まだ警戒しながら、立ち上がり静止している女に近づくと、女の手から「帰還の短剣」を取った。そして、その短剣を塵へと還した。これで「帰還の短剣」は永遠に失われた。

「次はあなたです。愚かなる気狂いの先代の『空』。・・・・・・残念です。私が敬愛していたあなたは、もういない。今日はあの時のあなたの片鱗を見たと思っていたのですが・・・・・・それは私の勘違いだった」

 静止している女を見つめながら、シトュウはほんの少しだけ、どこか悲しそうに言葉を漏らす。結局、女は自分たちが追放した時と何も変わってはいなかった。

「・・・・・・今の私でも、あなたを滅する事は出来ない。ゆえに、あなたを再び追放します。今度は地上世界ではなく、ただ無が広がる世界へと」

 シトュウが自身の右手に世界追放の力を宿す。この手が女に触れた瞬間、女は何もない世界へと追放される。永遠に、女は何もない世界を彷徨う事になる。

 シトュウが右手を伸ばし、女の胸部に触れんとする。そして、

 シトュウの右手が女の胸部に触れた。瞬間、シトュウの右手を基点に空間が歪み、女はその歪みに吸い込まれ、その姿を消した。

「・・・・・・これで終わりです」

 最後にそう呟き、シトュウは座に戻ろうとした。しかし、その瞬間、


「終わりじゃないんだな、これが。油断だぜ、シトュウ」


「っ!?」

 背後からそんな声が聞こえて来た。その聞こえるはずがない声を聞いたシトュウは反射的に後ろを振り返る。すると、そこにはなぜか今追放したはずの女がいた。女はシトュウが振り返った直後にその右手をシトュウの胸部に突っ込んだ。だが、血や傷は出ていない。それは女に実体がない事を示していた。

「さあ、力を頂くぜ」

「くっ・・・・・・!?」

 女の右手はシトュウにダメージこそ与えなかったが、シトュウから力を吸い取っていた。シトュウは凄まじい虚脱感に襲われた。力の行使もままならないまでの。

「・・・・・・ふむ。まあ、これだけあれば充分か」

 しばらくの間、女はシトュウから力を吸いとり続けると、唐突にそう呟き右手をシトュウの胸部から引き抜いた。シトュウは崩れ落ちるように地面に手を着いた。

「な、なぜ・・・・・・」

「疑問があるなら全知の力を使えよ、と言いたいところだが、吾が今力を半分ほど奪い取ったからな。力の行使は難しいか。いいぜ、なら答えてやるよ」

 女はシトュウにそう言うと、こう言葉を続けた。

「別に簡単な話だ。お前が追放したのは器だけで、吾は器と共に追放される前に、器から出ただけだ。足元からこっそり出てお前の背後に回った。種明かしはそれだけさ」

「わ、私は時を止めていました。なら、あなたの意識も凍結していたはずです・・・・・・」

「そこは予め力を設定しておいたんだよ。お前に仕掛ける前にな。吾は残り全ての力を使って、『お前が吾に触れた瞬間に吾に掛かっている力を無くす』っていう効果をな。まあ、これは吾の存在を賭けた大博打で、後10秒していれば吾の存在は消滅していたがな。その前に力を奪えたから良かったが」

 シトュウの疑問に女はそう答える。シトュウが女の器に触れた瞬間、時を止める力は無くなった。そして追放される前より早く、女は器から出ていった。一言で言うならば、そういう事だった。

「っ・・・・・・そんな、限定的な力を・・・・・・」

「まあ読みと言えば読みだぜ? だが、お前は確実に吾を排除したいはずだ。なら、自身の手で直接吾を排除する方法を取る。そう思ったのさ」

 シトュウを見下ろしながら、女は笑みを浮かべた。シトュウの左目の色が透明から薄い紫の色になっている。女が力を吸い取ったからだ。元々、シトュウの目の色は薄紫で、シトュウの目の色が変化したのは、『空』の力をシトュウが受け継いだからだった。透明の瞳は『空』の証なのだ。

 ちなみに、先代の『空』である女の目の色は元から透明だったので、力をほとんど奪われても、女の目の色は変わっていなかった。

「まあ、安心しろよシトュウ。吾がお前から奪った力は半分だけだ。それに、お前や他の真界の神々に復讐するつもりも、再び『空』に戻ろうとするつもりもない。吾はただ他の事に力が必要だったから、その分の力を返してもらっただけだ」

 シトュウから半分力を奪った事によって、既に肉体を得ていた女は、どこか穏やかな声でそう言った。女のその意外に過ぎる言葉を聞いたシトュウは、透明と薄紫になってしまった目を見開きながら、こう言葉を漏らした。

「っ、他の事・・・・・・? いったい何なのですか、その他の事とは・・・・・・あなたは、何をするつもりなのですか・・・・・・!?」

 シトュウが女を見上げながら問う。分からない。シトュウには女が何を考えているのか、まるで分からなかった。

「いいぜ、教えてやろうシトュウ。吾のやろうとしている事は、復讐でも、世界の破壊でもない。今の吾がやろうとしている事は、願う事はただ1つ――」

 女はしゃがんでシトュウとの目線を合わせると、笑みを浮かべてその願いを口にした。


「あの子の――

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