第276話 謎の女の暗躍

「さーて、問題はなぜ現在の『空』が世界改変の力を使って影人の存在を消したかだな。ふむ・・・・」

 封印から解き放たれ、影人の事を思い出した女はそう呟いた。どれくらいの時間が経っているのか、封印から解かれたばかりの女には分からない。影人がなぜその存在を消されているのか、何があったのかも女には分からない。かつては全知全能であった女からすれば、それは皮肉な事だった。

「1番手っ取り早いのは、真界に行って現在の『空』から影人をなぜ消したのか聞く事だ。だが、今の吾は真界に踏み入る事を禁じられているからなぁ・・・・・・・・ちっ、全く困ったものだぜ」

 女は少し苛立ったように舌打ちをした。真界を追放された時は別に何とも思わなかったが、まさかここに来て真界に入れない事が響くとは。

「はてさて、本当にどうするか・・・・・」

 女は考えた。まず間違いなく、影人の事を知るためには真界に行き、現在の『空』から話を聞く必要がある。世界改変の力は、例外としてその使用者のみ改変の影響を受けない。この場合、真界の最高位の神『空』(あくまで確証はなく女の予想だが、恐らく間違いはない)だけは、影人の事を覚えているはずだ。女は聞かなければならない。『空』から影人の事を。

「・・・・・・・・・・」

 それから数時間、女はただ思考を続けた。封印が解けたからと言って、女にすべき事はない。既に粗方の事はやり尽くし、興味は失せている。女のただ1つの興味は、執着は帰城影人という人間のみ。それ以外は万事どうでもいい事だ。

 気がつけば、すっかり夜も更けた午前3時過ぎ。女に時間の感覚はほとんどないが、そんな時だった。女は突然どこからかこんな声を聞いた。


「――懐かしい気配を感じたので来てみれば、封印が解けたんですね。お久しぶりです」


 聞こえて来たのは挨拶の声。それは男の声だった。女は声が聞こえて来た方向、闇に包まれた神社の鳥居の方にその顔を向けた。

 男はコツコツとその足音を石畳に響かせながら、女の方へと向かって来た。男の姿が月明かりに照らされる。

 見た目は20代くらいの若者といった感じだった。髪は肩口にかかるくらいの、男にしては少し長い髪。顔は綺麗といった感じで、瞳の色は薄い灰色。服装は、灰色のシャツに闇に溶けるような黒いパーカーを羽織り、ジーンズ。足元はスニーカーで、ごく普通の若者に見える。女はその格好のせいで男が一瞬誰だか分からなかったが、その顔と薄い灰色の瞳を見て、すぐにその男が誰だか分かった。

「ああ、お前か。確かに久しぶりだな。最後に会ったのはいつだったか・・・・・・」

「最後に会ったのは、確か75年ほど前のフランスですかね。第二次世界大戦が終わったばかりの頃ですか。あの時は残念でしたね。今度こそ、この世界が壊れると思ったのですが・・・・・いやはや、何だかんだギリギリのバランスで、この世界は壊れませんね」

 女の言葉を捕捉した後に、やれやれといった感じで男はそんな言葉を漏らした。

「ですが、あなたの気配が完全にこの世界から消えた時は驚きましたよ。まあ、あなたをこの世から排除する事は誰にも出来ないので、どこかで封印されたと予想していましたが」

「ならおめでとうだ。お前の予想は当たりだよ。吾はついさっきまで封印されていた。それにしても、よく吾の気配を覚えていたなお前。今やこんなに微弱になった吾の気配を」

 女は軽く笑うと男にそう言った。男が1日も経っていない内に、封印から解かれた女の前に現れたのは、気配を探っての事だろう。つまり、女の気配を覚えていなければ、女の前に現れる事は出来ない。今の口ぶりから考えるに、男は女がこの場所に封印されていた事を知らなかったはずだ。

「まあ、あなたとは何だかんだ1500年ばかりの付き合いですから。あなたとは者同士、この世界で無力に生きる事しか出来ないという事も相まって、親近感もありますし。私は数時間前までフィンランドにいましたが、あなたの気配の元を探って、転移用の道具を使って急いでここに来たというわけですよ」

 女の言葉に男はそう答えた。その言葉を聞いた女は笑い声を上げる。

「ははっ、親近感ね。確かに吾とお前は境遇が似ている事は似ている。だが・・・・・・・・」

 女は急にその顔を無表情なものに変えると、こう言葉を放った。

「お前と吾は同じではない。不敬であるぞ。たかだか物造りを権能とする下位の神如きが。吾と同じ存在など、全ての世界において存在しない」

 女は絶対的にそう言い切った。その言葉には当然といった意味しか存在せず、そこに傲岸さと不遜さは不思議と一切なかった。女の前では、全てのモノは絶対的に下なのだ。

「っ、それは失礼しました。何ぶん、あなたと言葉を交わすのは久しぶりですから。ご無礼をお許し下さい」

 女の威圧に屈したわけではないが、男はその場に跪き許しの言葉を述べた。その言葉を聞いた女はしばらく黙っていたかと思うと、その首を縦に振った。

「・・・・・いいだろう、許す。吾は寛大だからな」

「ありがとうございます。では、少しご質問をしてもよろしいですか?」

「いいぞ、吾に分かる事ならばな」

「それでは・・・・・なぜ急にあなたの封印は解かれたのですか? それと、そもそもなぜあなたは封印されたのです? あなたの気配がこの世界から完全に消えたのは、今から6から7年前。あなたに、いったい何が起きたのですか?」

 女から許可をもらった男は、そんな質問を女に投げかけた。男は女がどのような存在なのか知っている。ほとんど無力な幽霊のようになってしまったとはいえ、女が何者かに封印されたという事実。それは、ずっと男にとって疑問だったのだ。

「そうか、吾が封じられてからそれくらいの時が経ったのか。ふむ、なるほどな」  

 自分が封印されていた期間を男の言葉から知った女はそう呟くと、男の質問にこう答えた。

「まず吾の封印が解けた理由は、吾を封じた者がその存在を世界改変の力によって消されたからだろう。世界改変によってその存在を消された者は、関わりがある物や、その者が行った行為すらも消え去るからな。その行為は他の何かや何者かによって代替される事もあるが、吾の封印の場合は代替が効かなかったという事だ」

 そう。女の封印が解けた理由は、女を封印した張本人である、帰城影人の存在がこの世界から消えたからだ。影人が消えた事によって、影人が女を封印したという事実も消え去った。影人の事を思い出した時から、女は自分の封印が解けた理由を理解していた。

 ただし、女は影人がこの世界から消えて既に3ヶ月の時が経過している事は知らない。ではなぜ、それ程の時間が経って女の封印が解かれたのかと言うと、それは一種のラグのようなものだった。世界が女の封印を代替出来る辻褄を探し、なかった末に女は封印から解かれたのだ。その辻褄を探す時間に、世界は3か月の時間を掛けた。

「っ、あなたを封印した者が世界改変の力によって消されたからですか・・・・・・・・確かに、それならば都合が合いますね。世界改変の力を使えるのは、真界の神々のみ。つまり、彼らがあなたを封印した者の存在をこの世界から消したと」

「そういう事だ。しかも、力を使ったのは現在の『空』だ。吾も最初は力の影響を受けていたからな。まあ、なけなしの力を使ってその力は無くしたが」

「真界の最高位の神『空』がですか・・・・・・正直、よく分かりませんね。なぜ、『空』がわざわざあなたを封じた存在を消したのか・・・・」

「吾もそれが知りたいんだよ。何せ、吾を封じた者はただの人間だった。まあ、本質は闇でそこだけは変わっていたがな」

「っ・・・・・・・・? 待ってください。あなたを封じた存在がただの人間・・・・? まさか、冗談でしょう・・・・・・?」

 女のその言葉に、男が信じられないといった顔を浮かべる。何の力もない人間がこの女を封じた。男には意味が分からなかった。

「冗談じゃないんだな、これが。しかも、当時吾を封じた時、あの子はまだわらべだった。確かあの時は10か11と言っていたな。ふふっ、懐かしい。あの子は可愛らしい顔をしていたんだよ」

 ニコニコと突然上機嫌な笑みを浮かべながら、女はそう言った。その事を聞かされた男は遂に驚愕した。

「子供・・・・・・・・・・!? あ、あなたを封じたのは子供だったと言うんですか・・・・・・!?」

「ああ、そうだ。吾はあの子の思いに負け封じられた。まあ、あの子が吾を封じる都合はたまたま整っていただけだがな。とにかくとして、吾はここに封じられていたというわけだ」

 どこか懐かしむような顔を浮かべ、女はそう言った。忘れるはずがないあの夏の日の記憶。影人と出会い過ごした時間は、2、3日の事だが、女の最も印象的で大事な記憶だった。

「さて、以上が吾が封じられ蘇った経緯だ。それはそうとして・・・・・・・『物作り屋』よ、今度は吾からお前に聞きたい事が1つある」

 女が男にその透明の瞳を向け、そう言った。『物作り屋』というのは、女が男に付けたあだ名のようなものだ。女は男の名前を知っているが、ずっとそう呼び続けていた。

「あなたが私にですか・・・・・? 珍しいですね。ですが、私に答えられる事ならばいくらでも」 

 女の言葉に男が頷く。そして、女は男にこんな質問を投げかけた。

「お前の作った道具の中には、確か珍しい効果を持った武器があったな。傷つけた対象を、その者と最も縁の深い場所へと還す短剣。確か名前は、『帰還の短剣』だったか。お前はまだそれを持っているか?」

「っ・・・・・? はい、『帰還の短剣』なら、私の武器庫に仕舞ってありますが・・・・・あの短剣がどうかしましたか?」

 女の質問に男は少し不思議そうな顔を浮かべ、そう聞き返した。というのも、男には女が何を考えているのか分からないからだ。あの短剣は、戦いなどで敵を追放したり、緊急避難用で自分に刺して逃げたりする事には使えるが、その使用用途はかなり限られている。そんな短剣の存在を覚えていたのも意外だったが、あの短剣をいったいどうしようというのか。

「ああ、何1つ頼み事があってな。その短剣を・・・・・吾に?」

 女はニヤリとした笑みを浮かべながら、男にそう言った。












「・・・・・・・・・・」

 真界。その最上位の神のみが座す事を許された「空の間」。透明の光が空から降り注ぎ、煌めく星々が黄昏の空を照らす不思議で、神聖な空間。そんな空間の真ん中で、1人の女が座椅子のような物に座りながらその瞳を閉じていた。薄紫の長い髪が特徴のその女は、真界の神々の最上位神、『空』と呼ばれる存在であった。

「っ・・・・・・・・・・?」

 何かがこの空間にやって来る、転移の力の兆候を感じた女がその透明の目を開く。この神聖な場所にいったい何者が転移してこようというのか。この場所に入る事が出来るのは真界の神々のみ。少し前に人間である帰城影人がやって来たが、あの人間は唯一の例外だ。そして、帰城影人は既に死に、その存在は世界から消されている。

(いったい何者ですか・・・・・・・・・・?)

 女が疑問を抱き、全知全能の力を以てここに転移してくる存在の事を識ろうとした。だがその力を使う前に、その存在は唐突に女の前に現れた。

「――ん? 何だ、今の『空』はお前か。久しぶりだなぁ。随分と出世したじゃないか、。そうか、そうか。吾を慕い、吾を貶めた主犯であるお前が現在の『空』か。ははっ、まあ考えればそうさな」

 現れたのは『空』である女と同じ、透明の瞳をした女だった。女は現在の『空』である女の昔の名前を呼ぶと、ニヤニヤとした顔でそう言ってきた。

「なっ・・・・・・・・・・・・・・・!? な、なぜ・・・・・なぜ、あなたが・・・・・・・・・・」

 女の姿を見たシトュウは、その顔を驚愕の色に染めた。転移してきた女の事をシトュウはよく知っている。だがなぜだ。なぜこの女がこの場所に入れる。

「あなたは真界を追放され、この世界に入る事を禁じられたはずです! 私を含めた他の真界の神々によって! それは不変の掟として!」

 シトュウは彼女にはとても珍しい事に、女を睨み叫んだ。その顔には混乱と疑問。そして、隠せぬ恐怖があった。全知全能の真界の最上位神に恐怖を抱かせるなど、普通はあり得ない。確実に。だが、目の前の女は例外で、全ての外に位置する存在だ。シトュウはその事をよく知っていた。

「ああ、確かにそうだよ。だが、お前は1つ勘違いをしているなシトュウ。吾が奪われたのは、この世界を含めた世界を開く力だ。つまり、それ以外の方法なら、吾はいつでもここに戻って来る事が出来た。今回はこのオモチャを使わせてもらった」

「っ・・・・・・?」

 女は左手に持っていた短剣をシトュウに見せた。シトュウはそのナイフが何であるのか識ろうと、全知全能の力を使用した。女の透明の瞳に無色の光が輝く。瞬間、シトュウの中にあの短剣の情報が入って来る。

「『帰還の短剣』・・・・・そういう事ですか・・・・」

「全知の力か。しっかり使えてるじゃないか。ああ、そういう事だ。吾はこの短剣を刺して、この場所に来た。まあ、肉体というか器がないと刺さらなかったから、あいつから人形の器を借りたがな」

 右の掌にある刺し跡を見せながら、女がそう説明する。女が説明したように、女はいま人体に非常に近い、精巧な人形に憑依しているため、血は出ていない。空洞のような刺し跡があるだけだ。

 ちなみに、今述べたように、女には現在実体がある。人体を精巧に模した人形をあの男、『物作り屋』から借りたのだ。ゆえに、女は現在人形に憑依している形になっていた。姿が女の元の姿と同じなのは、人形の「器に入っているモノに合わせてその姿を変える」という効果のせいだった。

「この短剣で傷つけられた対象は、その者と最も縁の深い場所へと還される。ゆえに、吾はこの場所に戻って来た。この真界が、特にこの『空の間』が吾にとって1番縁が深い場所だからな。お前の先代、にとって」

「・・・・・・・・そうですね。あなたにとって1番縁が深い場所は、間違いなくここでしょう。私の前にここに座っていたのは、あなたですから」

 女の言葉をシトュウは肯定した。そう。シトュウの目の前にいるのは、シトュウの先代の『空』であった者だ。かつて、シトュウが仕え敬愛していた存在。だが、様々な事があり、女はシトュウを含む真界の神々に力を奪われ追放された。

「・・・・そんなあなたが、いったい今更何の用ですか? 私たちに対しての復讐ですか、それとも・・・・・・・・」

「ああ、そんなつまらない用事じゃないさ。吾がわざわざここに来た理由はただ1つだ」

 シトュウの言葉を即座に否定した前『空』であった女は、シトュウにこう聞いた。

「シトュウ、お前はなぜ影人の存在を消したんだ? 吾はその理由をお前に聞きに来た」

 シトュウの透明の瞳。『空』の証であるその目を自身の透明の瞳で見つめながら。


 ――現在の『空』と先代の『空』が相対する。その結果に果たして何が起こるのか。分かる者はこの世に存在しなかった。

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