第二部

第275話 平和な世界、予兆

「――おーい明夜。こっちこっち!」

「あれ陽華? 私が部活終わるまで待ってたの? 長かったでしょうに」

 4月11日木曜日、午後5時過ぎ。風洛高校の正門前で明夜を待っていた陽華は、正門から出てきた明夜に向かって手を振った。陽華の姿を見た明夜は、少し驚いたようにそう言葉を返した。

「全然。他の友達とお喋りしてたから長いって感じはなかったよ」

「ああ、そう。女子してるわね。じゃあ帰りましょうか。あ、そうだ。『しえら』寄っていかない? 私、あそこのアップルパイ食べたい」

「いいね。じゃあ、そうしよう!」

「よし、糖分取りに行くわよ!」

 陽華と明夜はそう言葉を交わし合うと、喫茶店「しえら」を目指し歩き始めた。

「それにしても、あのレイゼロールとの最後の戦いからもう3ヶ月。私たちも高校3年生かー。時間が経つのは早いよね」

「本当にね。私も夏になったら書道部引退だし、進路の事も本格的に考えないとね。あー、嫌だわ」

「あはは、だよね。私もだよ・・・・・」

 今から3ヶ月前、陽華と明夜は光導姫や守護者、シェルディアやシエラ、最後には敵であったはずの闇人といったと協力して、レイゼロールを浄化して救った。ソレイユやラルバ、神界の神々とレイゼロールが和解した事によって、世界に闇奴や闇人が発生する事はなく、世界はその面に関しては、一定の平和を享受するに至った。

 そして、それは光導姫や守護者が必要なくなったという事でもあった。あの戦いから3ヶ月経った今現在、光導姫と守護者はもう存在しない。全ての光導姫と守護者はその力をソレイユとラルバに返還した。当然、陽華と明夜も。2人はただの高校生に戻っていた。

「でもあの戦いを、光導姫として戦った経験は絶対にこれからの人生に役立つよ。一応、私たちの今の進路選択は進学だし、頑張ろう明夜!」

「分かってるわよ。私もキャピキャピのキャンパスライフを陽華と一緒に送りたいもの。やったるわ! 気合いよ気合い!」

 歩きながら2人は笑顔を浮かべる。明るい未来を夢見て、2人の少女はそう言葉を交わし合った。

「あれ? ねえ、明夜。あの後ろ姿、香乃宮くんじゃない?」

 10分ほど歩いた時だろうか。喫茶店「しえら」まであと半分ほどといった距離で、陽華は自分の前を歩く光司の姿を見つけた。学校帰りのためだろう。光司は陽華や明夜と同じく制服姿だった。

「本当だ。おーい、香乃宮くーん!」

 陽華の指摘でその事に気がついた明夜は、前方を歩く光司にそう呼びかけた。

「? 月下さんに朝宮さん? 奇遇だね、こんな所で会うなんて。ああ、もしかして、2人も『しえら』に行く感じかな?」

 自分の名を呼ばれた光司は、振り返り陽華と明夜の姿を見ると、爽やかな笑顔でそう聞いてきた。

「うん、そうだよ。もって事は香乃宮くんも『しえら』に行く途中なんだね」

 陽華は光司の言葉に頷くと、そう言葉を述べた。陽華の言葉に、今度は光司が頷いた。

「そうなんだ。どうしても、あのアップルパイが食べたくなっちゃって」

「私たちもよ。じゃあ、香乃宮くん。一緒に『しえら』に行きましょうよ」

「ありがとう月下さん。では、そうさせてもらうよ」

 明夜の提案に光司は相変わらず爽やかな笑みを浮かべ、感謝の言葉を述べた。この笑顔に風洛高校の女子生徒は心を撃ち抜かれるのだ。イケメン恐るべし。3人は喫茶店「しえら」に向かって歩き始めた。

「まだ1年先だけど、香乃宮くんは進路どうするの? やっぱり進学?」

「うん。一応、そのつもりだよ朝宮さん。でも、まだ本格的な受験勉強は初めてないけどね」

「香乃宮くんは頭がいいからきっと大丈夫よ。まあ、私たちはさっき話し合ってたんだけど、気合いで頑張る事にしたわ。結局、私たちにはそれしかないから」

「あはは、月下さんと朝宮さんがそう決めたなら、まず間違いなく大丈夫だよ。だって君たちは、その気合いと頑張りでレイゼロールを浄化して、世界を救ったんだから。その世界を救った気合いと頑張りがあれば、何だって出来るよ」

「それは買い被り過ぎだよ香乃宮くん。私たちがレイゼロールを浄化出来たのはみんなのおかげ。全世界の光導姫や守護者。『終焉』の闇から私たちを守ってくれた、シェルディアちゃんやしえらさん。それに、最後は私たちに協力してくれた闇人。みんな。もちろん香乃宮くんも」

「陽華の言う通りよ。私たち、そこだけは履き違えないから」

 光司のその言葉に、陽華と明夜はキッパリと首を横に振った。それは2人の本心だった。

「うん、そうだったね。ごめん。でも、君たちが大きな役割を担った事は事実だ。だから、それは自信にしてほしいな」

 2人のその本心を傷つけないように、光司は2人にそんな言葉を送った。

「ありがとう、香乃宮くん。そう言ってくれる人がいるなら、そこはちゃんと自信にするよ」

「本当、気配り上手なボーイよね香乃宮くんは。イケメンで気配り上手で、その他諸々の美点あり。うーむ、香乃宮光司は化け物か・・・・・」

 光司の言葉を聞いた陽華と明夜はそんな言葉を述べた。相変わらず、明夜は色々ズレた感じだが、まあそれが月下明夜という少女だ。

 そうこうしている内に、3人は「しえら」の前に辿り着いた。光司がドアを開け、3人は店の中に足を踏み入れた。

「・・・・・いらっしゃい」

 喫茶店の中に入ると、店主である女性――その正体は、真祖と呼ばれる吸血鬼――この喫茶店の名前と同じ名前のシエラが、そう言って3人を迎えた。

「あら、陽華に明夜。それと、あなたは元守護者だったわね。ふふっ、奇遇ね」

「げっ、元光導姫に元守護者・・・・・」

 3人の姿を見てそう言葉を漏らしたのは、カウンター席に座っていたシェルディアとキベリアだった。2人はお茶をしていたのか、カウンターの上には紅茶とコーヒーが置かれていた。2人以外には、他の客の姿は見えなかった。

「あ、シェルディアちゃん。こんばんわ!」

「キベリアさんもこんばんわ」

「・・・・どうも」

 陽華と明夜は何でもないように2人にそう挨拶し、光司は少し硬い表情で軽く頭を下げた。

「ええ、こんばんわ」

「はあー・・・・どうも」

 3人に挨拶されたシェルディアは笑みを浮かべ、自身も挨拶の言葉を返した。キベリアはため息を吐きながらも、3人に一応そう言葉を返す。

「シェルディアちゃんも、このお店によく来るようになったよね。これで、このお店で会うのも3回目くらいだし」

「ええ、まあね。あの戦いが終わってまだこの世界が続いていたら、シエラの店にお茶に来ると約束してしまったのがきっかけだけど、思っていた以上にお茶も食べ物も美味しかったから、そのまま通っているという感じね」

 陽華と光司と共に4人掛け用の席に着きながら、明夜がシェルディアにそう話しかける。明夜の言葉に、シェルディアは小さく頷きながらそう答えを返した。

「でも、あなたがここまでお茶や料理の腕があるなんて思ってもいなかったわ。本当、びっくりよ」

「・・・・・・・・修行したからね。まあ、それでも20年くらいだけど。だから、まだまだ日々精進中」

 カウンター内で洗い物をしていたシエラに視線を移しながら、シェルディアがどこか感慨深げにそんな言葉を漏らす。シェルディアの呟きを聞いたシエラは、表情を変えずにそう返答した。

「・・・・注文は決まってる?」

「あ、はい。ええと、私はオレンジジュースと、アップルパイを」

「僕はホットのレモンティーを。あと、すみません。僕もアップルパイを」

「私はコーラとナポリタンとハムサンドとシュガートーストとベイクドチーズケーキを! あと、私もアップルパイお願いします!」

 カウンター内から3人に注文を聞いたシエラに、明夜、光司、陽華はそれぞれメニューを告げた。

「・・・・オレンジジュース、ホットのレモンティー、コーラ、ナポリタン、ハムサンド、シュガートースト、ベイクドチーズケーキ、アップルパイが3つね。分かった」

「「「はい」」」

 3人の注文内容を復唱したシエラに、3人は間違いないと頷いた。注文を確認したシエラは「ん・・・・アップルパイだけちょっと時間が掛かるから」と言って、作業に取り掛かり始めた。

「ええ・・・・どんだけ食うのよあんた・・・・引くわ・・・・・・」

「ふふっ、相変わらずよく食べるわね陽華は」

 陽華の注文を聞いていたキベリアとシェルディアが、それぞれそんな言葉を漏らす。その言葉を聞いた陽華は少しだけ照れたような顔になった。

「ほ、放課後はどうしてもお腹空いちゃって・・・・で、でも今日はまだ少なめだから!」

「そうよキベリアさんにシェルディアちゃん。この前の2時間連続で体育があった日の放課後なんて、陽華がどれだけドカ食いしたか。まるで掃除機みたいだったわ」

「あはは、でも僕はいっぱい美味しそうに食べる女性は素敵だと思うけどね。朝宮さんは絶対に食べ物を残さないから、そこも素敵だと思う」

「え、そ、そうかな? えへへ、だってさ明夜! 私、素敵だって!」

「アホね。それはスーパー完璧イケメンの香乃宮くんだから、そう言ってくれただけよ。普通だったら、多分まあまあの人に引かれるわ」

「ええ!? そ、そんなぁ・・・・・・・・」

 平和で微笑ましいやり取り。そんな3人の若者のやり取りを見ていたシェルディアは、和やかな笑みを浮かべた。

「ふふっ、やっぱり面白いわねあなた達は。あなた達がそんな人間だから、きっとレイゼロールは救われたのね」

「ええ? そ、それどういう意味シェルディアちゃん?」

「ああ、レイゼロールと言えばシェルディアちゃん。レイゼロールや他の闇人たちはどうしてるの? 私たち力をソレイユ様に返して以来、ソレイユ様とは会ってないから、その辺りの事情知らなくて・・・・よければ教えてもらえない?」

 そんな言葉を述べたシェルディアに、陽華はよく分からないといった感じの顔を浮かべ、明夜はそう言えばといった感じで、シェルディアにそんな質問をした。

「さあ? 私も詳しくは知らないの。他の闇人も、ここにいるキベリア以外はどうしているか知らないし。元々、私たちは互いにあまり関係しないという感じだったから。でも、闇人たちはあの戦いの後、力を出せないように再びレイゼロールに力を封印されたわ。それが、神界の神々との約束の1つだって、レイゼロールは言ってたかしら」

 明夜の質問に、シェルディアは素直にそう答えた。本当に、シェルディアはレイゼロールや他の闇人たちの動向を知らなかった。

「あの、私は無理やりシェルディア様の家事係として拘束されてるだけなんですが・・・・・・・・」

「何か言ったかしら?」

「い、いえ何でもないです・・・・」

 ボソリとそう言ったキベリアに、笑みを浮かべるシェルディア。その笑顔には無言の圧があった。これ以上言えば殴られる。力を封印されている、ただの死なないだけのモヤシのキベリアが、何も出来るはずはない。キベリアは慌てて、深緑色の髪を揺らしながら首を横に振った。

「そう? ならいいわ。シエラ、お勘定をお願い」

「ん、分かった」

 キベリアの反応を見て満足げに頷いたシェルディアは、シエラにそう言った。飲み物の用意をしていたシエラは、シェルディアに金額を告げ、シェルディアは自身の影から財布を出し、お金を支払った。

「行くわよ、キベリア。じゃあ、さようなら陽華、明夜、それに元守護者のあなた。特に、元守護者のあなたは、まだ私たちと色々確執があるかもしれないけど、これから仲良くなれたら嬉しいわ」

「っ・・・・・・・・そうですね。僕も、出来るだけ善処したいと思っています。あなた達との関係を」

 シェルディアにそんな事を言われた光司は、まだどこか硬い表情でそう言葉を返す。陽華と明夜は少し特別で、敵であったはずのシェルディアとキベリアに普通に接しているが、光司はまだそこまで割り切れていない(まあ恐らく、光司以外の他の元光導姫や元守護者も光司とほとんどと同じだとは思うが)。ゆえに、光司はシェルディアの言葉にそう答えたのだ。

「ええ、今はその言葉だけで充分よ。ありがとうね。ああ、後そうだわ。ねえ、あなた達、あなた達が知っているはずはないと思うのだけれど・・・・」

 外に出るドアに手を掛けたシェルディアは、最後に3人に向かってこんな事を聞いて来た。

「私、何か大切な事を、を忘れている気がするの。あなた達、それが何かは知らないわよね?」

「「「?」」」

 シェルディアのその質問を聞いた3人は不思議そうな顔を浮かべた。その顔を見たシェルディアは、

「ああ、ごめんなさい。変な事を聞いたわ。じゃ、さようなら」

 そう言って、キベリアと共に「しえら」を後にした。















 同日、午後10時過ぎ。場所は日本の京都。そのとある神社の境内。その境内にある大きな岩。突然、何の前触れもなく、その岩にピシリと無数の亀裂が入り、岩が砕けた。

「・・・・・・・・・・・・」

 岩が砕けると、その中から出てくるように、少しぼんやりとした女が、月明かりにその姿を照らされた。実体はない。女はまるで幽霊のようだった。

 まず、特徴的なのはその長い髪だろう。髪の色は無色、もしくは透明といった感じで、月の明かりを受けて少し輝いていた。その光景はどこか神秘的だ。

 次に特徴的なのはその顔だろうか。ほとんど完璧と言っていいほどに、女の顔は整っていた。絶世の美女。そんな言葉ですら、女の前では生ぬるいように感じられる。

 服装は白一色の着物。着物から覗く肌は雪のように白く、シミ1つなく美しい。足元は裸足であった。

「ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」

 女が閉じていた目を開く。その瞳の色は、女の髪と同じ透明だった。目を開けた女は、軽く周囲を見渡した。

「ここは・・・・・・・・いや、そもそも何だ? この長い眠りから覚めたような感覚は・・・・・・・・? ん? 岩が割れている?」

 状況を確かめるように、女は周囲を見渡し、自分の周囲に砕けている岩を見つけた。

「この岩・・・・・・・・破魔の力と封じる力の残滓を感じるな。おいおい、という事は封印されていた、とでも言うのか? このが? ははははっ、悪い冗談にしか聞こえないな」

 その事実に気がついた女は笑った。そして、すぐにその顔を真剣な、いや無表情に近い顔に変えた。

「だが、だとすればおかしいな。が封印される前の記憶がない。吾は誰に封印された? 忘れるはずがないだろう、この吾が。ああ、おかしい。おかしいな。おかしいおかしいおかしいおかしい」

 女はぶつぶつと無表情で、そう呟き続ける。自分ほどの存在を封印した人物、その人物を忘れる事などあり得ない。それと女にはもう1つ疑問があった。なぜ、自分の封印は解けたのかという事だ。

「ん? ああ、もしかして記憶の操作を受けているのか? いや、吾の記憶を操作出来る者などいるはずがない。だとすれば・・・・・・・・世界改変の力か?」

 女は1つの答えに辿り着いた。そして、自分が辿り着いた答えに納得したように頷いた。

「それしか有り得ないな。世界改変の力を使えるのは、真界の神々だけだ。だが、吾すらもその影響を受けるとなると・・・・・・・・使用者は現在の『から』だけか。ふむ、ならば・・・・・・・・」

 女は自分の右の人差し指に、ボゥとした無色の光を灯らせた。力のほとんどを奪われた女が、かろうじて使える力の残滓のようなもの。それはその光だった。

「『』の力よ、我に掛かった改変の力を無くせ」

 女はそう言って、右の人差し指を自分のこめかみに当てた。

 その瞬間、

「っ・・・・・・・・・・・・・・・・!」

 女の中にある1人の人間の記憶が蘇る。その記憶を思い出した女は哄笑を上げた。

「ははっ・・・・・・・あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ! よりによって! 吾がを一瞬でも忘れていたなんてなぁ! おいおいふざけてるぜ! ちゃんちゃらおかしい!」

 女の中に喜びと怒りとその他の様々な感情が混ざったような気持ちが生じる。自分をこんな気持ちにさせる人間は1人しかいない。その人間の名は――


「なあ・・・・・!」


 ――既にこの世には存在しない、世界から忘れ去られた影たる少年。女はその少年の名を叫んだ。


 ――かつて帰城影人に封じられた女は蘇った。それがもたらすものは吉兆か凶兆か。

 かくして、


 物語は再び動き始める。

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