第270話 始まりの記憶(1)
「よう、戻ったぜ」
真界から生と死の狭間である暗闇の空間に戻った影人は、白髪の男に向かってそう言った。戻って来た影人を見た男は、「あ、おかえり・・・・・」とまだ驚きから立ち直っていない顔でそう言葉を返した。
「それで、君は出会えたのかい・・・・・? 真界の神々の最上位神である『
「ああ。自分の事を『空』って言ってたから間違いはないはずだ。まあ、ちょっくらお願い事しに行って、最初は却下されたから、あんたから貰った力で脅したが。まあ、俺の目的は果たせたよ」
男の質問に影人は素直にそう答えた。
「本当に会ったのか。ただの人間が、『空』に・・・・・・・・いや、というか君僕から受け継いだ力を使って脅したって言ったかい!? 『空』を!?」
男は最初こそどこか呆然とした顔を浮かべていたが、次の瞬間には信じられないといった顔になっていた。
「おう。一応急いでたからな。正直、やり方は中々アレだったが、結果良けりゃ全てよしだ」
「ええ・・・・・・・・・・」
淡々と話す影人に、男はドン引きし呆れ切っていた。神々の最上位たる存在を脅迫するなんて、男には信じられなかった。
「僕、多分後で死ぬほど怒られるな・・・・・」
男は深いため息を吐くと、真界に続く門を閉じ影人に再び視線を向けた。
「それで、君は彼女に何を願ったんだい? まさか・・・・・」
男は影人が真界に行く前に自分に聞いて来た事を思い出し、その顔をどこか恐ろしげなものに変えた。
「・・・・・・・・・まあ、気にするなよ。せっかく生き返るんだったら、こうした方が色々と都合がいいってだけだ。それよりも、全部の準備は整った。悪いが、さっさと生き返らせてくれよ」
暗に男の予想が正しい事を認めながら、影人は笑う。その笑みを見た男は、「っ・・・・・」と一瞬泣きそうな顔を浮かべた。
「・・・・・・・・・分かった。それが君の覚悟なら、君の決めた事なら僕は何も言わない。ただ・・・・・僕は絶対に君の事は忘れない」
「おいおい、忘れてもらわなきゃ困るんだがな」
真剣な顔でそう言ってきた男に影人はつい苦笑した。
「じゃ、頼むぜ」
「うん」
影人の催促に男が頷く。男は右手を正面に向け、こう言葉を唱えた。
「冥府の神の名の下に命ずる。開け、生者の門よ」
男が言葉を唱えると、少し先の空間に光り輝く門が現れた。あれが、現実世界へと続く、影人が生き返るための門。
「眩しいな・・・・・・あれが、生の輝きってやつか。よし・・・・・・」
影人はその門を見てそう呟くと、その門に向かって歩き始めた。そして、その門の前にたどり着くと、右手で門に触れようとした。
「・・・・・・もう1つだけ聞いてもいいかい? 君はなぜ、影となり戦う道を選んだんだい?」
「ああ? お前、ずっと俺の事見てたんじゃないのかよ?」
門を開けようとしていた影人に、男が最後の質問を投げかける。影人は振り返り、逆に男にそう聞き返した。
「僕が君の事を見始めていたのは、君が初めてあの子と戦い始めた辺りだったから。だから、今の君が戦う理由は知っていても、君が戦う原初の理由は知らないんだよ」
影人の疑問に男はそう答えた。なるほど、ならば影人がスプリガンになった理由を知らないはずだ。
「・・・・・・それお前に言う必要あるのか?」
「ないと言えばないね。でも、どうしても聞きたいんだ。どうか、教えてくれないか?」
少し呆れたような顔を浮かべる影人に、男はそう食い下がってきた。影人はため息を吐いた。
「・・・・・・分かったよ。そこまで言うなら教えてやる」
影人はそう呟くと、あの日の事を思い出し始めた。自分が非日常に巻き込まれる原因になった、あの日の事を。
「・・・・・・2年になったところで、面倒くささが増えただけだな・・・・・・はあー、だりぃ・・・・・・」
4月の某日。授業が終わり、校門から出た影人は癖である独り言を呟いた。まだ4月の前半という事もあって、桜はギリギリ散っていない。暖かな空気に、その長過ぎる前髪を揺らしながら影人は帰路に着いた。
「まあ、暁理の奴と別クラスなのは助かったな。四六時中あいつといると、絶対疲れるし・・・・・・」
学校で自分の唯一の悪友である暁理の事を思い浮かべながら、影人はまた独り言を呟いた。風洛高校に入学して、しばらくした時に顔見知りであった暁理とばったり出会った時は驚いた。2年のクラス替えで、もしかしたら暁理と同じクラスになるかもしれないと思っていた影人は、暁理には悪いかもだが少し安堵していた。基本的に、影人は面倒くさがりなのだ。
「・・・・・・平和だな」
晴れ渡った空を見上げながら、影人はポツリとそんな言葉を漏らした。昼の3時過ぎの青空は素直に美しく、春特有の暖かな空気も相まって、影人にそう言葉を呟かせた。
(・・・・・・出来るなら、ずっとこの退屈なくらいの日常が続けばいいな・・・・・・)
停滞したように感じる事もある程に変わり映えのない毎日。人はそれを日常と呼ぶ。退屈に感じる事もあるその日常から、たまには抜け出したい。そう思うのはきっと、刺激や好奇心を求める現代の人間の性だ。
だが、影人は過去の経験から、平和や日常と呼ばれるものがどれだけ尊いのか知っている。だから、影人は心の底から、この退屈なまでの日常が続いてほしいと思った。
「――ねえねえ! せっかくだからどこか寄って行かない明夜? 私、お腹空いてきちゃった!」
「昼ごはんあれだけしっかり食べたのに? 全く、陽華の胃はブラックホールね。いいわ、今日は部活休みだし、女子高生らしく遊びましょう」
影人がそんな事を思いながら歩いていると、前方から明るい女子の声が聞こえてきた。影人は反射的にその声の主たちに前髪の下の目を向けた。
「・・・・・・ああ、名物コンビか」
2人の後ろ姿を見た影人はそう呟いた。朝宮陽華と月下明夜だ。影人は直接あの2人と話した事はないが、彼女たちの事を知っていた。影人が通う風洛高校で、生徒会長とあの2人の事を知らない者はいない。いつも2人でいて、その元気さと人柄の良さなどが相まって、2人は入学して間もない頃から有名だった。
(誰からも好かれる善人。人からよく頼まれごとをされても、笑顔で引き受ける。時には悪意すらもその善意で包んで・・・・・はっ、ある意味じゃ凄い奴らだな。漫画やアニメなんかの主人公みてえな奴ら。俺とは真逆の人間だ)
別に2人に対して自分にコンプレックスのようなものを抱いてはいない。ただ、影人は普通にそんな事を思った。
「・・・・俺も暇だから帰りにどこか寄るか」
陽華と明夜の言葉に影響を受けたように影人がそう呟く。そんな時だった。
「あ・・・・ぐっ・・・・ああああああああああああああああああああああああああああッ!」
日常を引き裂くような、男の叫び声が聞こえてきたのは。
「ッ!?」
「え・・・・!?」
「な、何・・・・!?」
その叫び声に、影人、陽華、明夜は驚いたような顔になり、その声の聞こえて来た方に顔を向けた。
「・・・・ふん」
3人が視線を向けた先、住宅街の道路の真ん中に1人の女と男がいた。女は長い白髪にアイスブルーの瞳の凄まじい美人で、西洋風の喪服のような格好をしていた。その表情に感情はない。
「ああ・・・・・・・・」
一方の男は40代ほどのスーツを着た男だ。男は胸の中心に右腕を半ばまで突っ込まれていた。だが、どういうわけか出血はしていない。明らかに異常な光景。それを見た影人は反射的にその体を、近くにあった電柱の陰に滑り込ませた。影人が体を隠した瞬間、女はその右腕を男から引き抜いた。男は、膝から地面に崩れ落ちた。
「・・・・・」
女は懐から8割ほどが黒く染まった球体を取り出し、それを男に近づけた。すると、黒い粒子のようなものが男から出て、その粒子が球体に吸収された。女は球体を懐へと仕舞う。
「・・・・・・・・人間か」
女はそこで呆然としている陽華と明夜たちに気がついた。だが、その視線は電柱の方には向いていない。自分の事は気づかれていない。影人は早鐘を打つ心臓の音を聞きながらそう思った。
「な、何を・・・・して・・・・」
「いったい・・・・何なの・・・・」
陽華と明夜は固まったようにそう言葉を漏らす。固まっている場合か。今すぐに体を動かして逃げろ。影人は心の内で2人にそう叫んだ。
「・・・・・・・・己の不運を呪うのだな」
女は陽華と明夜にそう言うと、自身の影に沈み消えた。その普通ではあり得ない光景に、陽華と明夜はまた驚いたように目を見開く。電柱の陰からその光景を見ていた影人も、前髪の下の両目を見開いた。
(何だってんだよ今の女は・・・・・・・・明らかにヤバい奴だった。絶対に普通の人間じゃねえ。もしかしたら、あいつみたいな・・・・)
人外の存在。過去のとある経験から、影人は今の女がそのような存在なのではないかと考えた。それは、影人が絶対に2度と関わりたくないと思っていた存在だ。
(とにかく、ここに居続けるのはマズい。早くここから逃げ――)
影人が電柱の陰から出ようとした時だった。膝から崩れ落ちていた男が、急にもがき始めた。
「ぐあああああッ!?」
苦しみの声を叫ぶ男。同時に男の体から黒い靄のようなものが噴き出した。そして、男の体は徐々に膨張し、数秒後には巨大な獣のような怪物へと姿を変えた。
「グガァァァァァァァァァァッ!」
4足歩行の黒い皮膚のワニのような怪物に変化した男がその大きな顎門を開き、雄叫びを上げる。
「「ひっ!?」」
(っ!? な、何だ男が化け物に・・・・・)
その雄叫びを聞いた陽華と明夜は悲鳴のような声を漏らし、影人は声にこそ出さなかったものの、驚愕し呆然とした。
「グガァ!」
元々、人通りが少ない道なので、周囲に陽華や明夜、影人たち以外の人間の姿はなかった。それが原因か、怪物は正面にいた陽華と明夜にそのギョロリとした赤い目を向けると、2人に向かって突撃してきた。
「「あ・・・・・」」
本当ならば、泣き叫んででも逃げなければならないのに、2人の体は衝撃と恐怖から動かなかった。
「っ、何やってんだよ・・・・・!」
2人が未だに逃げない事に、影人は苛立ちと焦りが混じったような声で思わずそう呟いた。おそらく、衝撃と恐怖で体が動かないのだろうが、無理やりにでも動かなければ、2人に待っているのは死だ。
(だが、俺が出て行った所で何になる? 死人が増えるだけだ。俺には他人を助ける力なんて・・・・・)
電柱の陰から陽華と明夜が怪物に襲われようとしている光景を見ながら、影人はそんな事を思った。自分はただの一般人。出来る事など何もない。
「グァ!」
そうこうしている内に、怪物は陽華と明夜をその大きな顎門で捉えられる範囲に来た。怪物が2人を噛み殺さんと顎門を開ける。
「っ、チクショウが・・・・!」
死が2人に迫る。影人はなぜか、なぜか反射的に2人の方に向かって電柱の陰から飛び出ようとした。しかし、その瞬間、
暖かな光がこの周囲一帯を覆った。
「っ・・・・!?」
「え!?」
「光・・・・!?」
影人はその足を止め、陽華と明夜も新たな現象に驚いたような顔になる。次の瞬間、3人は光に包まれ地上からその姿を消した。
「グァ?」
怪物は急に獲物が消えた事に、訳が分からないといった感じの声を漏らした。
(っ、何だ今度はいったい何が起きた・・・・?)
背中に電柱と同じような円柱型の硬い感触を感じながら、影人は混乱していた。
(ここは・・・・・・・・)
影人は周囲を見渡した。そこは不思議な空間だった。暖かな光が満ちており、空にあたる部分にもただ暖かな光がぼんやりと輝いている。影人が未だに状況を飲み込めずにいると、
「――危ないところでしたね。間に合ってよかったです」
どこからか、女の声が聞こえて来た。聞いた事のない女の声。後ろからだ。影人は後方にあった白い柱の陰から、声のしてきた方に体を向けた。
この不思議な空間の中央部分、そこにその女はいた。桜色の長髪に、光のベールのような服を纏っているのが特徴的だ。見た目は若い。20代かそこらではないだろうか。
(・・・・・・えげつないレベルの美人だな。正直、表現するなら女神って言葉が1番しっくり来る・・・・・・)
その女を見た影人は素直にそう思った。神々しいほどの美を放つ女。影人は柄にもなく、その「美」に見惚れていた。この時の影人は、まさかその女と取っ組み合いのケンカをする事になるなんて、夢にも思っていなかった。
ちなみに、どうでもいい事だが、どうやらここは円形の広場のような場所で、影人がいる場所はその外縁部のようだ。外縁部には影人が隠れている、白い柱のようなものが何本か見てとれた。
「え、えっと・・・・・・」
「あの、あなたは・・・・・・」
その女の前にいた陽華と明夜も、影人のように女の「美」に見惚れながらも、そんな言葉を漏らした。女は2人に向かってこう言葉を述べた。
「状況が分かりませんよね。そのお気持ちはよく分かります。まずは自己紹介を。私は女神ソレイユ。あなた方人間が言うところの、神という存在です。正確には『光』を司る神の1柱ですが」
「め、女神さま・・・・・・?」
「光を司る神・・・・・・?」
その女、ソレイユの自己紹介を聞いた陽華と明夜は、意味が分からないといった感じの顔を浮かべていた。それは柱の陰からソレイユの声を聞いていた影人も同じだった。
「ええ、一応そうです。あなた方がレイゼロールが生み出した化け物――闇奴に襲われんとしていたので、私がこの神界にあなた達を転移させたのです」
ソレイユは理解出来ないといった顔の2人に理解を示しつつも、そう言葉を続けた。
「っ、そうだ! あ、あのソレイユさん! あの化け物は、あの化け物はいったい何なんですか!?」
「あの化け物はいったいどうなったんですか!?」
陽華と明夜が化け物という言葉に反応し、ソレイユにそう質問した。
「まずは落ち着いてください、2人とも。大丈夫ですから。あの化け物の事についても、ご説明します。ここは神界。あなた達がいた地上世界とは、時間の流れが違います。だから、説明する時間くらいはありますから」
本来ならば、この間に別の光導姫を派遣するのがセオリーだが、幸いあの闇奴の周りに人の姿は現在ない。ソレイユは2人に説明と、勧誘の話をする事を優先した。
「まず、あの化け物。あれは
「「闇奴・・・・・・・・」」
巨大なワニのような怪物の事を思い出しながら、2人はその名称を呟いた。確かに、元々あの怪物は人間だった。
「その怪物を生み出したのが、レイゼロール。白髪の髪に喪服のような黒い服を纏った女です」
「「っ!」」
(あの女か・・・・)
陽華と明夜が先ほど見た女の事を思い出す。どうやら、あの女はレイゼロールというらしい。ソレイユの説明を聞いていた影人はそう考えた。
「闇奴はレイゼロールによって生み出される存在です。人の心の闇につけ込み、その闇を無理やり暴走させる悪しき存在。彼女を放置し続ければ、闇奴は生み出され続け、何の罪もない人々が危機に晒される・・・・・・・・そして、やがて世界には悲しみが広がり、世界すらも危機に晒すでしょう」
「そ、そんな!?」
「何か、何かその悲しみと危機の連鎖を止める方法はないんですか!?」
ソレイユの説明を聞いていた陽華と明夜が、悲鳴に近い声を上げる。普通ならばこんな話をすぐに信じる事は出来ない。だが、2人や陰から説明を聞いていた影人は、ついさっき起きた光景やこの場所に瞬間移動してきた事など、普通ではない事を見て体験してきた。ゆえに、3人はその説明を信じた。
「・・・・・方法はあります。ただ1つだけ。それは、その原因たるレイゼロールを、光の力で浄化する事。そうすれば、全ての問題は解決します」
ソレイユはそう言うと、スッと自身の右手を陽華と明夜の前に突き出した。そして、掌を上に向ける。すると、そこに球体の形をした光が出現した。陽華と明夜は驚いたようにその光を見つめた。
「彼女を光の力で浄化するためには、人間が
「っ、じゃ、じゃあさっき闇奴になってしまった人は助かるんですか!?」
「その光導姫っていう存在なら!?」
陽華と明夜がそう言葉を挟む。2人の言葉を聞いたソレイユは、コクリとその首を縦に振った。
「ええ、可能です。ただ、光導姫になれる存在には1つだけ条件があります。それは、10代の女性のみというものです。・・・・・ちょうど、あなた達のような」
「「っ!?」」
(おい、まさか・・・・・・・・)
陽華と明夜が何かを予感したようにその目を見開く。影人も、前髪の下の目を見開いた。
「・・・・あなた達にお願いがあります。レイゼロールを浄化し、世界や人々を救うために・・・・・・光導姫になっていただけませんか?」
そして、ソレイユは2人に願いの言葉を口にした。
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