第232話 友好なる隣人
「――こんにちはエイトさん。今日もいい天気ですね」
「ああ、フィズフェールさん。こんにちは。そうですね、いい天気です」
春の陽気が感じられる昼過ぎ。柔和な笑みを浮かべながら森の中から現れたフィズフェールに、影人は挨拶の言葉を返した。
フィズフェールが迷い人として影人やレイゼロールと出会って6日の時間が過ぎた。鉄の器を2つ、わざわざ道案内のお礼としてくれたフィズフェール。そんなフィズフェールと影人は、気付けば友好な関係を築いていた。
「何か御用ですか?」
「用というほどのものでもないんですが、ただ、美味しい野菜が採れたのでお裾分けをと思いまして。水で洗って生でも、茹でて食べても美味しいですよ」
フィズフェールは手に抱えていた緑色の、ほうれん草や小松菜に似た野菜を影人に手渡して来た。断っても最後には受け取る事になると知っている影人は、その野菜を素直に受け取った。
「ありがとうございます。助かります」
「いえいえ、私1人では食べきれませんから。本当に気にしないでください」
お礼の言葉を述べる影人に、フィズフェールは笑みを浮かべながら首を横に振った。フィズフェールはここのところ毎日影人たちの元を訪れて来ている。悪意はない。影人もレイゼロールもフィズフェールに対して今はそのような評価を下していた。きっとただのお人好しなのだろう。
「姿が見えないところを見ると、お嬢さんの方は狩りですか?」
「ええ、少し前に森に入ったところです。今頃獲物を探していると思いますよ」
滝の周りをキョロキョロと見渡すフィズフェールに影人は頷いた。フィズフェールは影人の名前は知っているが、レイゼロールの名前は知らない。そこは最低限の警戒心ゆえだ。レイゼロールはフィズフェールが自分を狙う者だとは今は考えていないが、人間に名前は教えない。影人ですら、未だに直接レイゼロールから名前を教えられてはいないのだ。きっとそこがレイゼロールにとっての線引きなのだろう。フィズフェールも影人たちの事情を考慮してか、レイゼロールの名前を尋ねるような事は言わない。
「そうですか。本当にお2人は大変ですね・・・・・私に出来る事があれば何でも言ってくださいね。微力ですがお力になります」
「あはは・・・・お心遣いありがとうございます」
真面目な顔で両手の拳を握るフィズフェールに影人は苦笑する。フィズフェールには2日ほど前に、影人とレイゼロールのある程度の事情を話してある。すなわち、影人とレイゼロールは迫害を受け今はこの森でひっそりと暮らしている。だから人間が怖いし警戒心が強いといったような内容の話だ。多少嘘は混じっているが、限りなく真実に近い話だ。
フィズフェールにならば、これくらいは話しても大丈夫であると影人とレイゼロールは考えた。実際、その話を聞いたフィズフェールは、影人やレイゼロールの事を絶対に他言しないと言った。2日経った今も人間たちがこの森を攻めてこない事を考えると、フィズフェールは影人たちの事を本当に誰にも言っていないのだろう。そういった事や、今のような発言も加味して、影人とレイゼロールはフィズフェールの事をただのお人好しと評価しているのだ。
「そうだ。今度羊の肉を持って来ますね。知人が美味しい羊を育てていて、それが美味しいんです。食べればきっといい気分になりますよ」
フィズフェールは何度か首を縦に振りそう言った。そんなフィズフェールを見た影人は、自然と笑みを浮かべていた。
「・・・・・・・・フィズフェールさん。やっぱりあなたはいい人だ。正直に言うと、最初俺はあなたを警戒していました。無礼な話ですが」
「いえ、お2人の事情を考えれば当然です。無礼でも何でもありませんよ。初めてあなた達に会った時にも言わせていただきましたが、あなた達はそれでも私を案内してくれました。私には感謝の気持ちしかありませんよ」
影人の唐突な告白に対して、フィズフェールは穏やかな顔を浮かべただけだった。だが、影人は首を横に振りこう言葉を続けた。
「いえ、俺があなたを警戒していた最も大きな理由は、あなたが知らない人間だったからではないんです。むしろその逆・・・・・・・・フィズフェールさん、俺はあなたが人間じゃないと分かったから、あなたを警戒していた」
「っ・・・・・・・・!?」
影人が放ったその言葉。それを聞いたフィズフェールは驚いたようにその灰色の両目を見開いた。
「・・・・・・・・・・・・そうですか。気づいておられたのですか。いや、正直に言えばまさかといった感じですね。私が人間ではないと気づかれたのは、あなたが初めてです」
影人の言葉を受けたフィズフェールは、少しの間口を閉ざしていたが、全てを認めどこかぼんやりとした笑みを浮かべた。
「1つだけお聞きしても? なぜ、私が人間ではないと分かられたのですか? ああ、すみません。純粋に興味と不思議からの質問です。今言ったように、私の正体に気づいたのはあなたが初めてですから」
「・・・・・・俺は異邦人なんです。しかも凄い辺境から来た。俺の言語はその辺境でしか使われていません。だから、俺の言語は基本的には伝わらない。俺もその言語しか言葉は知りませんから、基本的に言葉が分からない。ですが、あなたの言葉は・・・・」
影人はそこで一旦言葉を区切ると、フィズフェールが人間でないと分かった理由を述べた。
「なぜか全て分かるし、あなたも俺の言葉を理解している。俺は経験上、知っているんです。そういった特徴は、人ならざる者が持っているものだと。だから、俺はすぐにあなたが人間ではないと分かりました」
そう。今この時点でも会話が成立している。それ自体がおかしいのだ。この時代に、影人が話している日本語はおそらく存在しない。影人の言葉を理解し、影人が理解できる言葉を話す者は、この時代ではレイゼロールやソレイユ、ラルバといった神たち、つまり人ならざる者しかいないのだ。ゆえに、フィズフェールは人間ではないと影人は確信していた。
「そうですか・・・・・・なるほど、それは盲点でしたね。確かに私たち人ならざる者の話す言葉は、全ての人間が理解できる言葉です。そして当然、全ての人間の言葉を私たちは理解できる。・・・・確かに、希少な言語を話していらっしゃるのであろうエイトさんは疑問を抱きますね。そしてどうやら、あなたは私以外にも、私のような存在と会った事があるみたいですから」
フィズフェールは影人の言葉に納得したように頷いた。フィズフェールの言葉に影人は静かに頷く。シェルディアやレイゼロール、ソレイユにラルバ、シェルディアが召喚したゼルザディルムとロドルレイニ、それに影人が過去に出会った影人の禁域にいる影の本体。影人は人ならざる者たちとこれまで数多く出会って来た。そして、今その中にフィズフェールも加わった。
「でも俺はあなたが人ではないからといって、無闇に恐れたり迫害したりはしません。そこだけは誤解しないでください。あなたの正体を指摘したのは、あなたともっと友好な関係を築きたいと思ったからです。・・・・・・少し前までの俺ならあなたに敵意を抱いていたかもしれません。だけど、俺は知ったんです。人じゃない者でも優しい者はいる。人間に悪人や善人がいるのと同じだ」
影人の脳裏に浮かぶのは、もう1ヶ月近くも会っていないシェルディアの姿だ。もしかしたら、一生会えないかもしれない隣人たる吸血鬼。影人はシェルディアと本気で戦いシェルディアに敗れ、シェルディアの優しさを知った。その優しさは、影人のドス黒い暗い価値観を一部変えた。
「だから、俺はあなたとは友好なる隣人でいたい。フィズフェールさん、あなたさえよければこの手を握ってくれますか? もちろん、嫌ならばけっこうです」
影人はフィズフェールに向かって右手を差し出した。影人からそう言われたフィズフェールは、少しの間驚いたような表情を浮かべていたが、柔和な笑みを浮かべると影人の右手を、自身の右手で握ってくれた。
「もちろんです。もちろんですともエイトさん。ありがとうございます。人でない私を受け入れてくれて。これでもけっこう生きているのですが、本当に嬉しいです」
フィズフェールはどこか涙ぐんだような声でそう言った。フィズフェールの言葉を聞いた影人は、笑みを浮かべながらこう言葉を返した。
「俺も嬉しいですよ。信頼できる方が増えて。あいつは俺よりも、まだ誰かを信用できないので、そこだけはご迷惑をお掛けするかもしれませんが、すみません」
「――誰が迷惑を掛けるだと」
影人がその言葉を放ち終えたタイミング、するとそこで突如として、どこからかレイゼロールの声が響いて来た。
「ふん。我がいないところで好き放題言ってくれる」
「っ!? お、お前・・・・・いたのかよ・・・・」
「おやお嬢さん。いらっしゃったのですか? 今回は気がつきませんでしたよ」
森の木の裏から突然現れたレイゼロールに、影人とフィズフェールは驚いたような顔になる。レイゼロールはその手に小ぶりな鳥を手にしていた。鳥は当然だが既に息絶えている。どうやら、狩りは既に終わっていたようだ。
「い、いつからいたんだよ・・・・・」
「貴様がその者を人間ではないと知っていたという辺りからだ。我はその者と同じゆえに、言語からその者が人ではないと分からなかったが、少し怪しいとは感じていた。上手く隠しているが、気配が少し人とは違うからな、その者は」
影人の問いかけにレイゼロールはそう答えると、影人たちの方に歩いて来て、フィズフェールをそのアイスブルーの瞳で見つめた。
「お前も薄々は気づいていたのだろう? 我がお前と同じ人ではない存在だと」
「ははっ、まあそうですね。あなたの気配は少し強いですから。ご同族かなとは思っていました」
レイゼロールのその言葉にフィズフェールは素直に頷いた。影人には分からないが、どうやら2人は気配から互いが人間ではないと薄々気がついていたようだった。
「何だ、結局全員勘づいてたってわけか。あー、話聞いてたなら分かるとは思うが、そういう事だ。俺はフィズフェールさんとはもっと仲良くなりたいと思ってる。この人は人間じゃないから、お前もちょっとは信用できると思うが・・・・・・・・」
「ふん。この者が単純なお人好しの人外である事は分かっている。我もお前の言葉にとやかく言うつもりはない。この者は食料調達など色々と便利な事もしてくれるからな。・・・・だが、我はまだお前を信用したわけではないぞ。そこだけは肝に銘じておけ」
「ええ。肝に銘じておきます。同族のお嬢さん」
まだ少し冷たさがある目を向けてくるレイゼロールに、フィズフェールはただ柔らかく笑った。
「それでは私はお嬢さんに信用されるためにも、頑張らなければなりませんね。では、今日は親睦を深めるためにもささやかな宴をしませんか? ちょうど朝に知人から美味しい大きな魚を頂いたんです。飲み物も家にありますから、どうですか? 家から取って来ますよ」
「ああ、それはいいですね。本当に、何から何までフィズフェールさん頼りになってしまい申し訳ないです。俺は賛成ですが・・・・・お前はどうだ?」
影人はレイゼロールの様子を窺った。影人からそう聞かれたレイゼロールは「ふん」と言って顔を背け、
「・・・・好きにしろ」
とただ一言そう言った。
「よし、言質は取ったぜ。なら今夜はそうしましょうかフィズフェールさん」
「ああ、よかったです。では私は1度家に戻って魚と飲み物を取って来ますね」
フィズフェールはホッとしたような顔を浮かべたが、すぐに何かに気づいたように「あ、でも・・・・」と申し訳なさそうな顔になった。
「私1人では1度でここまで運びきれないかも・・・・・・エイトさん、申し訳ありませんが運ぶのを手伝っていただけませんか?」
「もちろんですよ。あ、でもフィズフェールさんの家の近くに誰か人とかいますか? その、あまり姿は見られたくないもので・・・・」
「それなら安心してください。私の家の周りに人はいませんから。では行きましょうか」
フィズフェールはそう言って歩き始めた。方向音痴のフィズフェールもここ最近はほとんどここに通っているためか、森の北の出口の場所は覚えているようだ。影人も安心してフィズフェールの後に続こうとした。
「少し待て、エイト」
だが、そこでレイゼロールが影人を呼び止めた。
「? 何だよ? あ、そうだ。悪いが一応火の用意だけやっといてくれねえか。何だかんだ、火を起こすのには時間が掛かる――」
「それは分かったから少し黙れ。我がいま言葉を紡ごうとしているのだ」
レイゼロールはムッとした顔でそう言うと、顔を俯かせながらボソボソと言葉を発し始めた。
「そ、そのだな・・・・今までお前には我の名前を教えては来なかった。お、お前もバカなりに気を遣ってかは知らんが、無理に聞いてくる事はなかった」
「ま、まあそれはな・・・・・・・・っていうか、いきなりどうしたんだ? 後、お前の名前ならソレイユやラルバからの呼び名で俺はもう知ってるぞ。お前には悪いかもだが」
影人はレイゼロールに対し困惑したようにそう言葉を返した。正確にはこの時代に2人はレイゼロールをレールと愛称で呼んでいるし、そもそも影人はレイゼロールという本名も知っている。だが、影人は1度もレイゼロールの名前を呼んだりはして来なかった。もちろん愛称でもだ。それは、レイゼロールが影人に名を呼ばれたくはないだろうという事に配慮しての事だった。
「奴らが呼んでいるのは我の正式な名前ではない。我の名は・・・・・・・・っ、とにかくお前とも気づけば30日を超える付き合いになった。戻って来た時に特別に、特別に我の名前をお前に教えてやる。せいぜい楽しみにし感謝しろっ・・・・!」
レイゼロールは恥ずかしさからか顔を赤く染めながら、絞り出すようにそう言った。そして、バッと影人から体を背けると、火を起こすためか滝裏の洞穴へと入っていった。
「な、なんだよ急に・・・・・・・・よくわからねえ・・・・だが、こいつは・・・・」
呆気に取られていた影人はそう言葉を呟くと、自然と笑みを浮かべていた。
「少しは信用されたって事かね・・・・」
影人がなぜか少し嬉しく感じていると、着いてこない影人を訝しんでかフィズフェールが振り向いて声をかけて来た。
「おーい、エイトさん! どうされたんですか?」
「ああ、すみません。何でもないです。すぐに行きます!」
フィズフェールに呼ばれた影人はハッとした顔になり、フィズフェールの方に向かって駆け出した。
「つきました。ここが私の家です」
十数分後。フィズフェールと影人は小さな木造りの家の前にいた。こぢんまりとした山小屋のような家だ。辺りはのどかな草原が広がっており、家を囲むように小さな白い柵が張り巡らされていた。
「へえ、ここが・・・・・いい家ですね。少し個人的な感想になりますが、俺は好きですよこういう家」
「ははっ、そう言っていただけると嬉しいですね。頑張って作った甲斐がありました」
初めてフィズフェールの家を見た感想を述べる影人。そんな影人の感想を聞いたフィズフェールは言葉通り嬉しそうに笑った。
「ささっ、小さな家ですがどうぞ」
フィズフェールが扉の前まで歩き扉を開ける。先に入るように促すフィズフェールに、影人は軽く頭を下げた。
「ではお邪魔させていただきます」
影人はフィズフェールの家の中に足を踏み入れた。もちろんと言っては少し変かもしれないが、土足でだ。
家の中は1人暮らしらしく、こぢんまりとしていた。広さは大体10畳ほどはあるが、真ん中に木の丸テーブルと2つの椅子。右奥にはベッドがある。簡素な枕と布団のようなものがあり、正直洞穴に寄りかかって寝ている影人からしてみれば、羨ましいものだった。その他左奥には何かをしまっているのか木の入れ籠が複数個あった。大きさは長方形や正方形だったりまちまちだ。
「あ、これは炉ですか?」
影人は入ってすぐ左手の一角のスペースにある鉄で作られた炉のような物を見つけた。火は入っていない。影人の質問を受けたフィズフェールは「ええ」と頷く。
「鍛治や鍛造が趣味でして。お2人にお渡しさせていただいた器も、恥ずかしながら私が作ったものなんです」
「そうだったんですか。フィズフェールさんはきっといい鍛治職人になれますよ」
「おや、若者に気を遣わせてしまいましたね。ですが、ありがとうございます」
「いや、心からの本心ですよ」
「ははっ、だとしたら今度は少し照れてしまいますね」
フィズフェールと影人はすっかり仲が良さそうにそんな会話をした。
「それでフィズフェールさん。失礼ですが魚はどこに置いておられますかね?」
「ああ、すみません。エイトさんとの会話が楽しくてつい。魚ならあの左奥の細長い入れ物の中に入れてあります。では私は飲み物を取りますね」
「分かりました。ありがとうございます」
フィズフェールが指差した方向に向かって影人は歩き始めた。フィズフェールは玄関右手前のスペースにあった棚に足を運ぶ。
「ええと、これか」
影人は床に置かれている細長い長方形の入れ物を開けようと
「あ、そうだエイトさん。1つだけ言い忘れていました」
「? 何ですか、フィズフェールさ――」
影人がそう言ってフィズフェールの方に振り向こうとすると、
「――すみませんが、あなた邪魔ですから死んでくれませんか?」
影人のすぐ後ろにいたフィズフェールが、ニコニコとした顔で、いつの間にか、その右手に持っていたナイフで影人の胸部を貫いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
胸部をフィズフェールに刺された影人は、意味がわからないといった感じでそう言葉を漏らした。
「がっ・・・・!?」
次の瞬間、影人の体に刺さったナイフから血が滴り、影人の胸部に灼熱のような痛みが生じた。
破滅の足音は今この瞬間、影人に追いついた。
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