第231話 迷い人

「うーむ、昨日は雨だったが・・・・・・今日はいい天気だな。こっちの世界は傘がないから雨降ったら基本行動出来ないし、やっぱ晴れの方がいいな俺は」

 まあ雨も嫌いではないが。そう心の中で呟くと、影人は右手に闇色のナイフを持ちながら、森の中を探索し始めた。

 影人がレイゼロールと共にこの森で暮らし始めて既に4週間。約1ヶ月の時間が経過した。流石に数えるのは難しくなって来たので、今は岩肌にナイフで印をつけて日にちを数えている。なんにせよ、すっかり自分もこの世界に、暮らしに馴染んだものだなと影人は染み染みと思った。こう思うのも、もう何度目だろうか。

「さてと、まずは獲物を見つけなきゃだな。初めての狩りだ。多少は頑張らねえと・・・・・・・・」

 右手に握るナイフに視線を落としながら影人はそう呟く。数日前から影人はレイゼロールに狩りのやり方を教えられていた。今日はその初めての実践だ。1人での。レイゼロールは今ごろ水浴びでもしているだろう。影人がいない時にしか水浴びは出来ないから。

 ちなみに服の洗濯の問題は、数日に1回水で服を洗いそれを乾かして着ている。乾かしている間は素っ裸になってしまうがそれはまあ仕方がないというやつだ。天気がいい日は2時間ほどでほとんど乾くので、その間に水浴びをしている。レイゼロールも服や布はまだ創造出来ないようだし、影人とレイゼロールの服は1つしかないので、そういう形を取っているのだ。もちろん、その間もう1人は森の中で仕事をするという形で。物語ならば、こういう場合ハプニングが起こるものだが、そこは前髪野郎である。正直言って、影人はレイゼロールの裸などに欠けらの興味もなかった。

「しかし何を狙うか。1週間くらい前にレイゼロールが獲った鳥みたいな奴はたぶん無理だろうし・・・・・・やっぱ飛ばない奴、兎とかそこら辺を狙うか」

 レイゼロールから託された狩りの道具である闇色のナイフをクルクルと手で回しながら、影人は獲物の事を考えた。鳥は飛ぶのでナイフで仕留めるのは無理だ。少なくとも狩りの初心者の影人には。ゆえに、影人は兎か兎と同じ地面を駆ける小動物を狙おうと決めた。

「おっ・・・・いたな。おあつらえ向きの奴が」

 数分後。森の端辺りで影人は茶色の毛並みをした兎を1頭見つけた。ゆっくり、はむはむと草を食べている。ちょうどいい。獲物はあいつにしよう。

(今あの兎は完全に油断してる。まずは位置の調整だ。背後からゆっくりと確実に近づく。そしてそれが自然な事であるように、ナイフを突き立てる)

 影人は出来るだけ音を立てないように、木を利用しながら兎の背後へと向かった。そして影人は静かに兎へと近づいていった。兎はまだ影人には気づいていない。

(よし、いける・・・・・・!)

 ナイフが突き立てられる範囲にまで接近出来た。後はこのナイフを殺意なく突き立てるだけだ。兎よ、お前に罪はないが命を頂く。影人は心の中でそう呟くと、ナイフを振り下ろそうとした。


「あのー、すみません」


 だが、影人がナイフを振り下ろそうとする直前、突如として影人の後ろからそんな声が聞こえてきた。

「っ!?」

「!」

 その声に影人は当然驚いたが、驚いたのは影人だけではなかった。兎も驚いたようにビクリと跳ねると、それこそ脱兎の如く逃げ出してしまった。

「あ・・・・くそ、あとちょっとだったってのに・・・・」

 逃げ出した兎を見た影人はため息を吐くと、兎が逃げ出した原因である声のした方向、つまり自分の後ろを振り向いた。すると、そこには1人の男がいた。

 年は若い。見た感じ20代くらいだろうか。身長は少し高め。大体175センチくらいだろうか。影人よりも身長は高い。髪は黒色で長さは男にしては少し長めだ。肩に届くくらいまである。

 顔は綺麗という印象で瞳の色は薄い灰色。服装は旅装束のような黒いマントのようなものを纏っている。足元は影人と同じようなサンダルだ。

 どこか柔和な雰囲気を漂わせるその男は、申し訳なさそうな顔を浮かべながら、こう言って来た。

「あ、すみません。どうやらお邪魔をしてしまったみたいで・・・・・」

「いえ、別に・・・・それよりも、何か御用ですか?」

 影人は右手のナイフをギュッと握り締めながら、その男に向かってそう言葉を返した。

(何だ、こいつ。いったい何者だ。パッと見た限り、兵士どもやあの都市の人間じゃないっぽいが・・・・)

 影人がナイフを握る手に力を込めたのは、警戒心ゆえだった。レイゼロールや影人を追う者たちではないと、あくまで服装や雰囲気などから単純に影人は考えたが、詳しいところまでは分からない。もしかしたら、男は影人を知っていて知らないふりをしているだけかもしれない。しかし、その事を抜きにしても、明らかに目の前の男には不審な点が1つあった。

「ええ。実はお恥ずかしい話、道に迷ってしまったようで。私、フィズフェールという名の者なのですが、最近この辺りに住み始めたもので、よく地理が分かっていないんですよ。ですから、出来ればこの森を北に抜ける道を教えては頂けないかと思いまして・・・・・」

 フィズフェールと名乗った男は、影人にそう用件を告げた。

「・・・・そうですか。それはお気の毒様ですね。分かりました。北へ抜ける道は知っていますので、俺でよければ案内しますよ。ですが、少々お待ちいただけますか? 少しだけ用事がありますので。もちろんすぐに戻って来ますから」

「そうですか。それはありがたい話です。では私はしばらくここで待っていますね。あ、急がなくてももちろん大丈夫なので」

 フィズフェールはニコリと笑って頷いた。その言葉を聞いた影人はすぐに滝近くの拠点へと駆け始めた。

「おい、いるか。緊急で少し話が――」

 滝近くに戻った影人はフィズフェールの事をレイゼロールに伝えようとした。だが、影人はを失念してしまっていた。


「な、なっ・・・・・・・・!?」


 ――すなわち、レイゼロールがいま水浴びをしているという事を。レイゼロールは一糸纏わぬ姿で、その裸体を世界に晒していた。

「あ・・・・・・・・・」

 その光景を前髪の下の両目でしっかりと見てしまった影人は、ついそんな声を漏らしてしまった。

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

 数秒時が止まったように、影人とレイゼロールはそのまま硬直した。それほどまでに、互いに衝撃的だったのだ。

「き、貴様エイト・・・・! いつまでマジマジと見ているつもりだ! 我の裸体を! ええい死ね!」

 衝撃から立ち直ったレイゼロールはその顔を一気に赤く染めると、左手で胸部を隠しながら、右手にナイフを創造した。そして、それを影人の方へと投擲してきた。

「うおっ!? あ、危ねえ・・・・・・! マジでごめん! 故意はなかったんだよ! 本当に本当だから! だからナイフを何本も投げてくるな! 普通に死ぬわ!」

「だから死ねと言っている!」

「こんなんで死にたくはねえよ!」

 そんなこんなで、影人が怒り狂ったレイゼロールからナイフを投擲され続け、影人が必死でそれを避ける。そんな光景が2分ほど続いた。

「ぜぇ、ぜぇ・・・・・・そ、それで緊急の用件とは何だ?」

「はあ、はあ・・・・・ああ、実はよ・・・・」

 2分後。お互いに疲労したレイゼロールと影人はようやく落ち着いたのかそう言葉を交わしていた。レイゼロールは一旦滝裏の洞穴に身を隠し、影人は滝の近くにいた。

「・・・・・なるほど、迷い人か。正直に言えば胡散臭いな」

「だよな。まあ、明らかに普通の人間じゃないと個人的にだが俺は思う。一応、森の端で待たせてるがどうする? 1度お前の意見を聞くべきだと思って、俺は戻ってきた。だから、さっきの事に本当に故意はない」

「それはもう分かった。今回ばかりはお前の事情も考慮した上で許してやる。だが、次はないぞ」

 真面目な口調で再度弁解の言葉を口にした影人に、レイゼロールは滝裏からそう言葉を返した。影人は「ああ。ありがとう。許してくれて」と感謝の言葉を口にした。

「その人間、フィズフェールと言ったか。確かに怪しくはあるが、奴が言っている事が嘘だという確証もない。しばし待て、エイト。我も一緒に行く」

「え? 服大丈夫なのかよ? 洗ってたんじゃないのか?」

「今日は水浴びだけだ。服は数日前に洗ったからな」

 レイゼロールはそう言うといつもの黒いボロ切れのような服を纏って滝裏から出てきた。髪はまだ水気があるが、それ以外は大方いつも通りだ。しかし、少しだけ服が濡れている。おそらく、濡れていた体は軽く震えて水を落としただけなのだろう。

「大丈夫か? 風邪引くだろ」

「引かん。我は脆弱な人間とは違うからな。それよりも案内しろ」

「分かったよ」

 影人はレイゼロールを伴ってフィズフェールのいる場所まで戻った。あと少しでフィズフェールのいる場所まで着く。影人がレイゼロールにそう言うと、レイゼロールは1度立ち止まりこんな事を言って来た。

「エイト。お前はそのフィズフェールという奴を森の北の出口まで案内してやれ。我はお前とそのフィズフェールを後からつける。奴が不審な行動を起こせば、我が背後から仕掛ける。奴が本当にただの迷い人なら何も仕掛けてはこないはずだ」

「それは分かったが、奴があの兵士どもの内通者だったらどうするつもりだ? 少なくとも、俺の居場所はバレてるぞ」

「それに関してはあまり問題はない。もし万が一奴が間者だったとしても、滝裏の洞穴の事を知っているはずがないからな。あそこは、あそこに洞穴がないと知らなければ間違いなく探す場所ではない。そもそも、奴らが間者を使って来るとは思えんがな。我の捜索に間者を1人使う利得が無さすぎる」

「なるほど・・・・それもそうか」

 レイゼロールの答えを聞いた影人は一応、納得するとレイゼロールにこう言った。

「分かった。ならそうするか。じゃあ、俺はフィズフェールと今から接触するぞ」

「ああ、頼んだ」

 影人とレイゼロールは互いに頷き合う。そしてレイゼロールは木の裏に身を隠し、影人はフィズフェールの元へと向かった。

「すみません。お待たせしてしまって。どうぞ、俺の後に着いてきてください。森の北の出口まで案内します」

「いえ、全然大丈夫ですよ。それよりも、本当にありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみません」

「気にしないでください。困った時はお互い様ってやつですよ」

 影人は出来るだけ警戒感を表に出さないように、フィズフェールにそう言った。そして、フィズフェールを伴って、すっかり自分の庭と化したこの森の北を目指した。

(さて、レイゼロールは・・・・・ちゃんと着いてきてるな)

 影人は自分の後ろをついて来るフィズフェールに顔を向けながら、レイゼロールがついてきている事を確認した。影人は前髪を伸ばしているため、相手から視線を予測されるという事がない。ゆえに、安全にレイゼロールの姿を確認する事が出来た。

「それと先ほどは本当にすみませんでした。狩りの邪魔をしてしまったんですよね? 改めて謝罪いたします」

「重ね重ねありがとうございます。ですが、本当にお気になさらないでください。また頑張ればいいだけですから。きっとあの兎はあの時に狩られる存在じゃなかったって事ですよ」

 再び謝罪の言葉を口にしてきたフィズフェールに、影人は小さく笑みを浮かべた。もちろん作り笑いだ。影人は依然フィズフェールというこの男を警戒していた。

「不躾な質問かもしれませんが、あなたはこの森で暮らしておられるのですか? それともここには狩りに来られただけですか? ああ、単なる興味からの質問ですから、答えたくないのならばもちろん答えて頂かなくて結構ですよ」

 そのままフィズフェールを森の北まで案内していると、当のフィズフェールが影人にそんな質問を投げかけてきた。特に意味はない、おそらく話題作りのための質問だろう。そう思った影人は一応フィズフェールにこう答えを返した。

「そうですね。一応、半々みたいなところでしょうか。この森付近に住んでて、よくこの森に来てそのまま泊まる事も多いですから」

 嘘の答え。当然だ。疑わしい人物に本当の事を教えるわけにはいかない。影人の嘘の答えを聞いたフィズフェールは、影人の答えを素直に信じた。

「へえ、そうなんですか。私はこの辺りに最近住み始めましたから、存じ上げませんでしたよ」

「まあ近いといっても、ここからけっこう距離がありますから知らない方が当然ですよ」

 それから少しの間、森の北の出口に着くまでフィズフェールと影人は適当な話を交わした。そして、そうこうしている間に2人は森の北の出口に辿り着いた。

「ここが出口です。では俺はここで失礼しますね」

「本当にありがとうございました。助かりました。私、方向音痴なものですから」

 フィズフェールが笑顔で影人に感謝の言葉を述べる。そして、フィズフェールは急にこんな事を言って来た。

「ああ、後ずっと私たちの後を着いてきてくださった方もありがとうございます。ええと、今はそこの木の後ろにおられますかね?」

「「っ!?」」

 フィズフェールがある木を指差しそう言うと、影人とその木の後ろにいたレイゼロールは驚愕したような顔を浮かべた。

(マジか、こいつ気がついてたのかよ・・・・・・・・!)

 見た目には削ぐわぬ敏感さの持ち主だ。影人が驚いていると、木の後ろからレイゼロールがその姿を現した。

「・・・・気がついていたのか。我の存在に」

「これでも気配にはさとい方でしてね。ですが、まさかこんなに可愛らしい方とは思いませんでしたよ」

 レイゼロールの姿を見たフィズフェールは特段驚いた様子もなく柔和な笑みを浮かべた。その反応を見た影人は、フィズフェールはレイゼロールが言っていたように、やはりレイゼロールを狙う人間ではないようだと考えた。レイゼロールを狙っている人間ならば、レイゼロールを見て絶対に何らかの反応を示すはずだ。

「・・・・・・・・ふん。どうやら嘘はついていないようだな」

「? もちろん嘘なんてつきませんよ。初対面の方に嘘をつく理由はないですし」

 軽く首を傾げるフィズフェールに、影人はこう語りかけた。

「・・・・すみませんフィズフェールさん。俺とあいつはちょっと疑い深い性格でして。あなたには何も言わず尾行させていました。本当にすみません」

「いえ、お気になさらないでください。むしろ当然ですよ。いきなりこんな奴に道を聞かれたら、誰だって疑い深くなります。ですが、あなたは断らず案内してくださった。感謝こそすれ、謝罪を受ける義理はありません」 

 影人たちの行いをフィズフェールは笑って許してくれた。ここに来て、影人は少しだけフィズフェールに対する見方を改めた。

(・・・・もしかしたら、普通にいい奴なのかもしれないなこの人。ちょっと疑り深くなり過ぎてたかもしれねえな・・・・)

 だが、やはりまだフィズフェールに対する警戒心は残しておくべきだ。影人は自分が気づいているからそう考えた。

「それでは私はここで失礼いたします。ああ、そうだ。まだもう少し森におられますかね? 私の家ここから近いので何かお礼の品を持ってきますね」

「え? そんな大丈夫で――」

「じゃあ少しだけ待っていてください。すぐ戻りますから」

 影人が断りの言葉を口にする前に、フィズフェールは走って家のあるであろう方向に向かい始めた。

「ちょ、ちょっと!? あー、あれ聞いてねえな・・・・・・どうする。ここで待つか、そうか滝裏に隠れるか?」

「ふむ・・・・」

 影人はレイゼロールにどうするか判断を仰いだ。レイゼロールは少し考えた様子で、影人にこう言葉を返した。

「・・・・・・・・待ってみてもいいだろう。あの様子だとただの何も知らない、お人好しの人間のようだからな」

「・・・・何か意外だな。お前はもっと人間を信用しないもんだと思ってたが」

 レイゼロールの言葉を聞いた影人は前髪の下の両目を少しだけ見開いた。本当に意外だったのだ。人間を信用していないレイゼロールがそう言ったのが。

(いや、もしかしたらレイゼロールも? だから・・・・)

 影人は自分が言葉を発した後にそう思ったが、しかしレイゼロールの答えは影人のその予想とは違っていた。

「・・・・・・・・ふん。むろん信用してなどいない。ただ、どこぞのバカな人間としばらくいるせいで、その辺りの感覚が鈍っているだけだ」

「・・・・はっ、そうかい。だが1つ言っておくが、俺はバカじゃないからな」

 レイゼロールのそんな言葉を聞いた影人は、なぜだか少し嬉しくて小さく笑った。

「いや、どう見てもお前はバカだろう。我が見てきた中で1番バカな人間は間違いなくお前だ」

「・・・・馬鹿野郎が。せっかくちょっと思うところがあったのに台無しじゃねえか・・・・・・真顔でそんな事言うなよ! 傷つくだろ!」

「嘘をつくな」

「嘘じゃねえよ!」

 影人とレイゼロールがそんな言葉を交わし合う。その2人の様子は、2人の仲の進捗具合を示していた。

 そして、十数分後。2人は戻って来たフィズフェールから鉄の器を2つ受け取ったのだった。

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