第230話 穏やかな日々
「てぇーい! くらいなさーい!」
快活な声を響かせながらソレイユは右手でパンチを放った。影人はそのパンチをバッと左に避け回避した。
「はっ、誰が喰らうかよ。舐めるなよガキンチョ」
「だからガキンチョじゃないし! 私の名前はソレイユよ! 後、私絶対あなたより歳上だからね!?」
避けながらそう言った影人に、ソレイユは怒ったような顔になる。知ってるよ。内心でそう呟きながらも、影人は小さく笑った。
「知らねえよ。お前みたいな奴はガキンチョで充分だ。ほれ、もっと仕掛けてこいよ。せっかく格闘ごっこに付き合ってやってるんだ。悔しかったら、俺にいい一撃入れてみせろよ」
「こ、こんのー! よくも言ったわね! 絶対、絶対許さないんだからッ!」
影人の挑発を受けたソレイユは更にムキになると、両手でパンチを繰り出そうとした。しかし、その前に影人が右手でソレイユの頭を押さえたので、ソレイユのパンチは再び影人に届く事はなかった。
「なっ!?」
「ほれほれ、どうしたガキンチョ。お前がガキンチョだから、こうするだけでお前のパンチも蹴りも届かないぞ。ポンコツなガキンチョよ」
「誰がポンコツのガキンチョよ!? 酷くなってるじゃない! この前髪! 怒りが収まらないわ! 殴らせなさい!」
ニヤニヤとした顔で頭を押さえつけている前髪に、ソレイユは激怒しブンブンと両手を振り回す。いわゆるグルグルパンチだが、まあ当たりはしない。
「・・・・・・・あのバカ共はいったい何をしているんだ?」
「か、格闘ごっこしてるみたいだよ。いつもみたいに、ソレイユがあの人に突っかかってたら、ああなったみたい・・・・・・」
その光景を見ていたレイゼロールは呆れ切ったような顔を浮かべ、そんなレイゼロールにラルバはその光景に至るまでの経緯を説明した。
現在は昼過ぎ。ソレイユとラルバが初めてこの場所を訪れた日から1週間が経過した。影人とレイゼロールがこの森で暮らし始めて既に3週間。だいたい20日が過ぎた。後1週間すれば約1ヶ月だ。幸いな事に、兵士たちはまだこの森に1度も訪れてはいない。おそらく違う場所を必死に探しているのだろう。
「ふん、バカとバカの波長が合ったか。それよりも、これで3度目だぞ。お前たちがここに来たのは。2度と来るなと言ってもお前たちが聞かない事は大体分かっていたが、前にも増して頻度が上がっているのはどういうつもりだ?」
レイゼロールはチラリと視線を隣にいたラルバに向けると、そう言葉を放った。
「ど、どういうつもりだって聞かれても・・・・・ソレイユがどうしても君のところに行きたいって言うんだよ。・・・・たぶん、今の君は昔の君に少し戻っているように感じているからだと思う。ソレイユは、ううん。ソレイユと僕はそれが嬉しいんだ。だから、僕たちは何回もここに来たいと思ってる。それが偽らざる理由かな」
「っ・・・・・!?」
レイゼロールの問いかけに、ラルバは淡く微笑んでそう答えた。その答えを聞いたレイゼロールは、驚いたような顔を浮かべた。
「・・・・・・・・・・何の勘違いだそれは。我は別に何も変わりはしない。それに不愉快だ。お前たちが、我があの人間に影響を受けていると考えているのはな。言っておくぞ。そんな事はありえんとな」
「あはは・・・・・・僕は別に、彼の事は言ってないけどね」
ふんとそっぽを向くレイゼロールにラルバは苦笑した。
「おい、いつまで遊んでいるつもりだ。まだやる事は残っているのだぞ。仕事をしろお前たち」
レイゼロールは未だに格闘ごっこに興じている影人とソレイユに向かってそう呼びかけた。レイゼロールの声を聞いた影人は一瞬レイゼロールの方に顔を向けると、こう言葉を述べた。
「分かってるよ。でも、このガキンチョが中々落ち着かねえんだ。だから、こいつを落ち着かせない限りはやりたくても出来ないんだよ」
「誰が落ち着いてないっていうのよ! 私はいつでも落ち着いてるわ!」
「いや、それは嘘だろ・・・・・」
ギャーギャーと騒ぐソレイユに影人は呆れたような言葉を漏らす。どこをどう見れば、今のソレイユの状態が落ち着いていると言えるのだろうか。
「はあー、全く・・・・・・・・なぜ我の周りにはこうもバカが多いのだ・・・・」
「はははっ、僕はいい事だと思うけどね」
その様子を見ていたレイゼロールはため息を吐き、ラルバは楽しそうに笑った。
「――ねえ、そういえば何であなたはレールと一緒に暮らしてるの? 私、まだその理由聞いてないわ。後、あなた何者なの? 何で前髪そんなに長いの?」
「・・・・・・・・えらく急な質問だなおい。後、質問多いし・・・・」
数十分後。一緒に森の中で木の実を拾っていたソレイユがそんな質問を行ってきた。その質問を受けた影人は、ソレイユの方に顔を向けそう言葉を呟いた。ちなみに、影人とソレイユは木の実拾いの仕事でレイゼロールとラルバは狩りの仕事で分かれている。そのため、影人とソレイユは2人で行動を共にしているのだった。
「それはごめん。でも、気になっちゃって。答えられない事だった?」
影人の言葉を聞いたソレイユは珍しく申し訳なさそうな顔を浮かべていた。この時代のソレイユもこんな言葉を吐けるのかと、影人は少し意外に感じた。
「・・・・別に答えられないってわけじゃない。まあ、最後の質問に関しては答えたくないし答えないが、前2つの質問なら答えられるぜ」
「なら教えて。私はレールと一緒にいるあなたの事が知りたい。あの子を昔の、レゼルニウス様が死ぬ前のレールに戻らせてくれたあなたの事を」
真摯な表情でそう言うソレイユに、ああこいつはレイゼロールの事を本当に心配していたんだなと、影人は思わされた。
「・・・・・・買い被りすぎだ。あいつに何が起きたのかは知らないが、俺はあいつを戻してなんかいない。以前からあいつの知り合いだったお前らには、そう見えるのかもしれないがな」
「もちろん、完全には戻ってないよ。でも、前よりかはレールは絶対に元気になった。そして、それはきっとあなたの存在があるから。私には、それが分かる」
「はっ・・・・・・・・そうかい」
ソレイユの力強い言葉を聞いた影人は微笑し、ソレイユの質問に答えた。
「・・・・・・まず、俺が何者かって方から答えるか。俺は異邦人だ。ここから遠く離れた場所から来た。何でここに来たかについては、悪いが言えない。それで言葉も何もわからない俺は、何やかんやあって奴隷になった」
「何やかんやって・・・・・何があったのよ?」
「マジで何やかんやなんだよ。本当にそうとしか言えねえ。取り敢えず、ここはあんま重要じゃないから省くぞ」
ソレイユは「ええ・・・・」といった感じの顔を浮かべていたが、影人はその戸惑いを無視した。
「それで、ある日何か兵士たちの荷物持ちに付き合わされてな。こことは違う森に連れて行かれた。そこでお前の言うレールと、あいつと出会ったわけだ」
それから、影人は全てを語った。レイゼロールが兵士たちに追われ追い詰められた事。影人が自身の欲望からレイゼロールを助けた事。そして、レイゼロールを庇って受けた傷をレイゼロールに治してもらった事。もちろん、その後の森からの逃亡劇の事も。そして、影人の行動を共にしてほしいという願いを1度は断ったレイゼロールが、最終的にはその願いを受け入れてくれた事を。
「・・・・・・・・後は今の生活とあんま変わらねえよ。お前たちが来るまでの生活は今と変わらねえしな。そんな所だ。俺が今あいつと一緒に暮らしてる背景は」
「そう・・・・だったんだ」
影人の話を聞き終えたソレイユはただ一言そう呟いた。
「・・・・ありがとう。まずはそう言わせて。本当にありがとう。あなたが助けてくれなかったら、レールは今生きていなかったかもしれない。私の友達を命懸けで助けてくれて、ありがとう」
そしてソレイユは真面目な顔で、どこか涙ぐむような声で影人にそう言い頭を下げてきた。
「よせ。頭なんか下げるな。言っただろ。あいつを助けたのは俺の勝手なエゴ、欲望なんだよ。あいつのために助けたんじゃない。俺は俺の欲望ためにあいつを助けたんだ。だから、礼を言われる筋合いなんてない」
影人は本当に嫌そうな顔でソレイユにそう言った。影人は善人でも偽善者でもない。影人の行動は基本的には自身の心に従っているものだ。契約や借りなどがあればその行動方針が変わる事も時にはあるが、基本はそうだ。だから、ソレイユに頭を下げられるのは、捻くれ者の影人からしてみれば本当に嫌な事だった。
「・・・・・・あなたは本心からそう言ってるのね。ふふっ、不思議な人間ね。あなたは。真正の捻くれ者なのね」
「誰が真正の捻くれ者だ。俺は別に捻くれちゃいない。ただ、それが俺ってだけだ」
なぜか笑うソレイユに、影人はムッとした様子でそう言葉を述べた。ソレイユが影人の事をそう理解しているのが、捻くれ者の前髪には気に入らなかった。まあ、捻くれ者は捻くれ者と言われれば大体そのような反応をする事が多いだろうし、やっぱり前髪野郎は捻くれ野郎である。
「うん。取り敢えず、あなたの事は分かったわ。あなたになら、レールを任せてもきっと大丈夫。だから、これからもレールの事をよろしくね。捻くれ者の、優しい前髪さん」
そして、ソレイユは納得したように大きく頷くと、笑顔で影人にそう言って来た。
「けっ、好き勝手に言いやがって・・・・・・・・だが、俺はまだあいつとの約束を果たしてないからな。その約束を果たすまでは、あいつの側から離れるつもりはねえよ」
ソレイユからそう言われた影人は素直に了承はしなかったが、そう言葉を返した。
「ふふっ、本当に素直じゃないんだから。さ、そろそろ木の実集めに戻ろ! レールに怒られちゃうしね!」
「誰のせいだと思ってんだよ。ったく・・・・」
影人の話を聞いて満足したのか、ソレイユはそう言って森の中を駆け始めた。影人は仕方なくその後を追った。
「遅いぞお前たち。木の実拾いにいつまで掛かっている」
「あはは、ごめんごめん。ちょっと遊んじゃっててさ。でも、ちゃんと木の実は集めて来たよレール!」
数十分後。夕暮れに染まる世界の中、滝近くの場所に戻って来たソレイユと影人は、レイゼロールからそう言われた。レイゼロールのその言葉に、ソレイユは笑いながら謝ると背負っていた籠を地面に下ろした。
「当たり前だ。これで集めてこなければ何をしていたという事になる。まあ、所定の量は集めて来たようだからこれ以上文句は言わんがな」
籠の中身を確認しながらそう言ったレイゼロール。そんなレイゼロールに影人はこう言葉を掛けた。
「お前らの狩りの方も順調だったみたいだな。木に丸々太った鳥が括り付けられてるし」
影人は木に括り付けられている鮮やかな青色の鳥を見た。大きさは鶏より少し大きいくらいで、喉元に刺し傷がある。ラルバは火の準備をしているので、おそらく鳥を捌く係はレイゼロールだろう。
「ああ。いい獲物が獲れた。今宵は珍しくご馳走だ」
レイゼロールは頷くと右手にナイフを創造し、木に括り付けられている鳥を左手で掴んだ。そして、慣れているようにナイフで鳥の皮を剥ぎ下拵えを始めた。
「そいつは楽しみだな。腹減って来たぜ。俺は何かする事あるか?」
「ああ。ソレイユと一緒に木の実をいくつかすり潰しておいてくれ。肉だけでは淡白だからな。味付けに使う。すり潰す装置はお前も知っているように滝裏にある」
「あいよ。おいガキンチョ。滝裏行くぞ。それでその後に木の実すり潰す」
レイゼロールからそう言われた影人は、ラルバのほっぺたをぷにぷにしているソレイユにそう言った。
「もうだから私はガキンチョじゃないって! わざと言ってるでしょ!」
「わざともクソもあるか。別にいいだろ。そう呼ぶのが1番ピッタリなんだからよ」
「バカにして! 本当に性格悪いんだからッ!」
「はっ、褒め言葉だな」
影人とソレイユはそんな会話をしながらも、滝裏の洞穴へと向かっていった。その様子を見ていたラルバは苦笑した。
「あはは・・・・・・ソレイユと彼、随分仲良くなったね。なんか不思議なくらいに」
「ふん。どちらもバカだから気が合うのだろう。それよりも嫉妬はしていないのか? ソレイユがあいつと仲良く言葉を交わしている事に」
ラルバの呟きに鳥を捌いているレイゼロールが反応した。レイゼロールからそう言われたラルバは、少しだけ顔を赤く染めながら言葉を返した。
「べ、別に。2人の仲の良さはそういうのじゃないと思うから・・・・それに、男の嫉妬は見苦しいだろ」
「ふん。いい加減にソレイユに想いを伝えればいいものを。いつまでもグズグズとしていたら、他の者に取られるぞ。ソレイユは性格こそあれだが、見た目はそれなりのものだからな」
「わ、分かってるよ。いつか必ずソレイユには僕の想いを伝えるさ。それより、君はどうなのさ。あの人間がソレイユと仲良くしていて、君は何とも思わないの?」
「っ・・・・・何を勘違いしているのかは知らんが、我は別に奴に対してそのような感情は抱いていない。誰があいつにそんな感情を抱くものか」
「そうかな? 僕にはそんな風には見えないけど・・・・・・」
「知らぬ内に随分と気が大きくなったなラルバ。我の言葉が信用出来んというならば、我の言葉が信用出来ると教えてやろうか?」
「え、遠慮しておくよ・・・・・はあー、何で僕の幼馴染たちはこうも腕力に訴えようとするのが早いんだ・・・・・・」
ギロリと睨みつけてくるレイゼロールに、ラルバは首を何度も横に振った。そして、ポツリと嘆くようにそんな言葉を呟いた。
それから、滝裏の洞穴からすり潰し装置を持って来た影人とソレイユ。2人が戻って来た事によって、レイゼロールとラルバの会話は終了した。そして各々夕食の用意を行い、数十分後にはレイゼロールが創造した闇色の机の上に、皿に盛り付けられたこんがりと焼かれた鳥が乗せられていた。
「全く、力を使うのは疲れるのだがな」
「それは仕方ないよ。私とラルバ地上じゃ力使えないし。地上で力使えるのレールだけだもん。ありがとうレール」
「僕からもありがとう」
「サンキュー」
同じくレイゼロールが創造した闇色のイスに座りながら、ソレイユ、ラルバ、影人の3者はレイゼロールに感謝の言葉を述べた。3人から感謝の言葉を受けたレイゼロールは、「ふん。別に礼の言葉などは求めていない」と顔を背けた。素直じゃないなとレイゼロール以外の全員が思った。
「それよりも食事だ。今日は食うぞ」
「おいしそーだよね! 私も早く食べたい!」
「別に僕たちはご馳走されなくても大丈夫だけど、厚意は受け取らせてもらうよ」
「そうだぜ。食え食え少年。食わなきゃデカくなれねえぜ」
レイゼロール、ソレイユ、ラルバ、影人たちはそんな言葉を呟き合う。そして、代表してレイゼロールが鳥を各自の皿に切り分けた。各自の皿には鳥の他に影人とソレイユが潰した、ペースト状の木の実がソースのように置かれている。塩辛いような味の木の実なので、味付けにはピッタリだ。4人はそれぞれ食事に感謝の念を捧げると、それぞれ闇色の串で鶏肉を刺し、それをペースト状の木の実につけ頬張った。
「おいしー! これ好き! 本当にすごく美味しい!」
「うん、これは本当に美味しいね。これは頑張って狩りをした甲斐があったな」
「美味え・・・・・・! 鳥がこんなに美味いと感じたのは初めてだ。ああ、マジで最高に美味え・・・・」
「ふむ・・・・・・中々だな」
ソレイユ、ラルバ、影人、レイゼロールがそれぞれ食事の感想を漏らす。焚き火の灯りに照らされながら、4人は食卓を囲む。時に会話を交え、時に黙々と夕食を堪能しながら。
――それは穏やかな日々のふとした光景。この日々がいつまでも続けば。口には出さなかったが、ここにいる全員は、誰しもがぼんやりとそう思っていた。
だが、誰しもがそう思っていても、いつか終わりは訪れるもの。そして、この日々がいつか終わる事は既に確定している。しかもそう遠くない内に。
――破滅の足音は、もうすぐそこまで近づいていた。
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