第227話 少女と前髪の生活
「ふぁ〜あ・・・・・・・」
洞穴内の石の壁に寄りかかり眠っていた影人は、前髪の下の目を開け目を覚ますと、大きなあくびを1つした。洞穴の中に視線を向けるが少女の姿はない。どうやら、既に起きて外に出ているようだ。影人は立ち上がると滝の方へと向かい、滝を潜り外に出た。この隠れ家にほとんど文句はないが、出入りの時に濡れるのが唯一の不満点だ。
「快晴か。いい天気だな」
水に濡れた頭を揺らしながら、影人は空を見上げた。青空に白い雲。空に輝くは暖かな太陽。自然と気持ちよくなってくる天気だ。
「あいつは・・・・・いないか。狩りにでも行ってるのかね」
外に出ても周囲に少女の姿はなかった。という事は食料の調達にでも行っているのだろう。
「なら俺はまた小枝拾いと木の実拾いにでも行くか。魚は前よりかは獲れるようになったけど、成功率はまだ全然だしな」
影人は1度滝裏の洞穴内に戻ると、闇色の背負い籠を持ちそれを背負った。この籠は少女が力を使って創ったものだ。少女が創った物は、少女が消さない限りか壊れない限り、勝手に消える事はないという便利なものらしく、影人もここ数日はこれを使って色々と生活に必要な物を調達していた。
(しかし、あいつとここに来てからもう1週間か。時間が経つのは本当に早いよな・・・・・・・・)
すっかり勝手知ったる森の中を歩きながら、影人はそんな事を思った。少女と初めて出会い、影人が頼み込み少女と一緒に行動する事になって、既に7日の日が経過した。初めこそ現代とは違うサバイバル生活に悪戦苦闘したが、人間はやはり慣れるもので、今となっては今の生活をそれほど不便とは感じなくなった。まあ、それはあの少女と一緒に生活している事が最も大きな要因だろうが。取り敢えずは、影人も多少は余裕が出て来たのだ。だから、こうして自分に出来る仕事を影人はしている。
「うーむ、しかし本当に穏やかな生活だぜ・・・・この世界に来て、いやもしかしたら俺の人生史上1番ゆっくりした時間かもしれねえ・・・・・・・・」
落ちている小枝を拾いながら、癖である独り言を呟く影人。この世界に来てから、それはそれはゴタゴタとしていた。いきなり森の中に放り出されて、人に会ったかと思えば奴隷として売られて仕事をさせられ、挙句の果てには死にかけた。だが、よく考えてみれば自分の人生がひどくゴタつき始めたのは、スプリガンになってからである。スプリガンになって、影人はそれはそれは中々に濃い時間を過ごして来た。日常でもあまり気が抜けない生活をしていた。
しかし、今はどうだろうか。仕方がないとはいえ、学校もスプリガンの仕事もない。生きるという行動以外に影人を縛るものは何もない。その状況に、影人はいつしか安らぎと心地よさを感じてしまっていた。
「・・・・・・だけど、いつかは帰らないとな。帰り方なんて全く分からないし、もしかしたら一生帰れないのかもしれないけど・・・・・俺は絶対に帰らなきゃならない」
どこか真剣な声で、影人はそう呟いた。こんな自分でも、いなくなれば悲しんでくれる人がいる。少なくとも、母親は悲しむだろう。もしかしたら、義妹の穂乃影も悲しんでくれるかもしれない。家族以外は、まあ別に友人もほとんどいないので、悲しんでくれる人はいないと思うが。
「それに・・・・・俺には約束があるからな。あの約束だけは、俺が死ぬまで守らないといけない約束だ」
帰城影人には生涯守らなければならない約束がある。それは現代に戻らなければ果たせない約束だ。だから、影人は絶対に自分が元いた時代に帰らなければならないのだ。例えこの生活に心地よさを感じてきたとしても。
「よし、今日の分くらいは集まったな。1回戻るか」
それから約1時間後。籠の中に小枝と木の実がけっこう集まって来たのを見た影人は、満足げに頷いた。これだけあれば充分だろう。
「ひーかーるー、かー○の中ー、ほほ○んでるあなたがいーるー・・・・」
鼻歌を口ずさみながら、影人は自分たちの拠点である滝の場所へと戻って行く。気持ちの良い森の中で、いい風を感じている時ならばこの歌だろう。影人はそんな事を思いながら、気分良く滝の場所に戻った。
すると、
「あれ、戻ってたのか」
川の近くに少女の姿が見えた。少女は両手で水を掬い喉を潤していた。
「・・・・・・・・お前か。洞穴の中にお前と籠の姿がなかったから、出ているとは思っていたが」
「ああ。今日の分の小枝と木の実を拾って来た。お前も狩りに行ってたんだろ? 見た感じ、獲物はまだなさそうだがよ」
影人に気がついた少女が影人の方にそのアイスブルーの瞳を向けて来る。影人は少女の近くまで歩いて行くと、籠を下ろし少女にそう言葉を掛けた。
「ふん、命を狩るというのはそんな簡単な事ではない。狩りも出来んお前には分からないかもしれないがな」
「そうだな。俺には分からない。狩りはお前に任せっきりだからな。命の重みはこっち側に来て多少は理解が深くなったつもりだが、お前レベルにはきっと理解してないんだろうしな。だから、俺に出来るのはお前に感謝する事だけだ」
「っ・・・・・・・・ふん。気色の悪い事を言うな。吐き気がする」
「ひでぇなおい。別にそこまで言わなくてもいいじゃねえか・・・・」
突然少女から罵倒された影人は、少しショックを受けたような顔を浮かべた。感謝の意を表しただけで、吐き気を催されるのならば、いったい自分はどうすればいいのだろうか。
「役立たずにひどいもあるか。未だに魚も安定せずに獲れない奴が。我は再び狩りに戻る」
「そりゃ悪うござんした。気をつけてな」
「誰に心配の言葉をかけているつもりだ」
少女は不機嫌そうにそう言うと、森へと姿を消した。影人はそれを見送ると、籠の中に入れていた小枝と木の実を分け、木の実を川で洗った。この木の実は水で洗って主に生で食べる。焼いて食べてもいいが、そうするとひどく不味くなるのだ。最初は寄生虫とか大丈夫かと思っていた影人だったが、食わねば腹が減ってしまうので、今はもうその事は気にしていない。なるようになれという感じだ。
「相変わらず素直に美味いとは言えねえな・・・・・まあ食えるだけましだが」
水で洗った木の実を複数個腹に収めた影人はそう呟くと、川の水で喉を潤した。正直、これも最初は腹を壊さないか心配したが、今のところ影人の腹は壊れてはいない。存外に影人の胃腸は強いようだ。
まあ、そもそも過去の世界に来たという環境の大幅な変化からのストレスで、こちらの世界で体調が1度も崩れていないという事が不思議なのだが、これもよく考えれば、スプリガンになってから大体ストレスを感じまくっていたので、体が慣れているのか、既に壊れているのかは分からないが、大丈夫と判断したのだろう。正直、そんな自分の体に少し不安にはなるが。
「さて腹拵えもしたし、俺ももう一働きするか」
影人は立ち上がって軽く伸びをすると、滝裏の洞穴に入り、そこに立て掛けてあった先端が尖った木の槍のようなものを手に取った。ストックはまだ5本ほどある。全て少女が作ってくれたものだ。
「今日は上流の方に行ってみるか。あっちはあんまり行った事ないし、探索の意味も兼ねてな」
片手に木を持ち、籠を背負いながら、影人は滝の流れ出る岩肌を慣れたように登った。この岩肌は高さが3メートルほどしかなく、別に滑るという事もないので、コツさえ掴めば簡単に登る事が出来る。影人も数度この岩肌を登っているので、もはや慣れたものだ。
「今日こそは2匹獲ってやるぜ。これ以上あいつにバカにされるのはごめんだからな」
川の上流を目指しながら、影人は左手をグッと握り締めた。魚は1匹くらいなら、たまになら獲れるようになったが、2匹はまだ1人で獲った事はない。自分の分と少女の分を獲れば、少女も少しは自分を見直すはず。影人はそう考えていた。
ちなみに、生きるためとはいえ、毎日獣や魚を獲っていても大丈夫なのかと2日ほど前、影人は唐突に思ったのだが、その事を少女に言うと、「今は春だ。冬ならいざ知らず、命が芽吹く季節だぞ。たかだか我とお前の食料程度で命が尽きる事はない。自然の力も知らないのかお前は」と呆れられてしまった。まあつまり、毎日最低限の食料程度を獲るくらいなら大丈夫だという事だ。
「よーし、やるぜ。悪いが、今日もお前たちの命を頂く。生きるためにな」
上流に辿り着いた影人は籠を地面に置き、川の中に複数の魚の姿を確認するとそう言って川の中に入った。
「ふっ・・・・!」
そして、影人は魚を獲るべく木を水の中に向かって振り下ろした。
「はあ、はあ、はあ・・・・・・・・よ、よし。やったぜ・・・・」
影人が川の上流で魚を獲るべく格闘して、かれこれ数時間後。2匹目の魚を木で突き刺した影人は、陸に上がり疲れたようにそう言葉を漏らした。魚が暴れて逃げようとするので、その前に籠の中に入れる。既に獲っていた1匹目の魚は既にぐったりとしていて、いま籠の中に入れた2匹目の魚も最初は暴れていたが、やがて力尽きた。それを確認した影人は籠を背負い滝の場所へと戻り始めた。
「すっかり遅くなっちまった。もうほとんど夕方だし・・・・・・だがまあ、その分の成果はあったな」
太陽は既に傾き、夕日が世界を照らしている。これだけ時間がかかって獲れた魚が2匹というのは、少々情けなくなるが、それが今の自分の実力というやつなのだろう。影人からしてみれば、時間が掛かっても2匹の魚が獲れたという事実が嬉しかった。
「よっと」
岩肌を降り滝の場所に戻ると、少女が火を起こす準備をしていた。少女の姿を確認した影人は、少し気分良さげに少女にこう語りかけた。
「ふっ、驚けよ。ようやく今日、魚を2匹獲る事が出来たぜ。どうだ、多少は役立たずから脱却しただろ?」
「・・・・これだけ時間が掛かって、よくもまあそれだけ得意げになれる。そもそもその態度が気に食わん。未だに火起こしも出来ん奴が調子に乗るな」
影人を見た少女は、いつも通りの不機嫌そうな顔と声で影人にそう言った。少女からそう言われた前髪は「すんません・・・・」と素直に謝った。
「だが、今日ばかりは褒めてやる。よくやったと言ってやろう。我は、今日は獲物が獲れなかったからな。お前の獲ってきた物がなければ木の実だけになるところだった」
少女は少しだけ、ほんの少しだけ声を柔らかいものにして再び火を起こす準備に入った。
「・・・・・何かお前に褒められるのは褒められるので、ちょっと嫌だな。なんていうか恐い」
「・・・・貴様を一瞬でも褒めた我がバカだったな。捻くれ者め、死ね」
少し引いた顔の影人に、少女は氷点下273.15℃くらいの表情と声音でそう言うと、左手に闇色のナイフを創造し、それを影人へと渡した。
「魚の
「さらっとえげつないこと言うなよ・・・・・・・」
少女からナイフを受け取った影人は、まずは籠から魚を1匹取り出すと、ナイフを腹に入れた。魚の腸抜きは既に少女から教えられている。自炊の経験がまるでない影人でもこれは簡単に出来る。血や臓物を見て触れても嫌悪感はない。これは生きるために必要な行為だからだ。
ちなみに少女が影人にナイフを、武器を渡しているのは別に影人を信用しているからではない。単純に、ナイフ程度では少女を殺す事など不可能だからだ。その事を、少女は影人に言ってはいない。しかし、こうも簡単に影人に武器を渡すという事は絶対に何か理由があると、影人は思っていた。やはり無駄に勘がいい前髪である。
だがまあ、それは「自分が少女に信用などされているはずがない」という一種の諦観でもあるのだが。前髪らしいといえば、前髪らしい考え方である。
「よし、腸抜き出来たぜ」
「ならばこれに魚を刺せ。火はあと少しだ」
少女は一旦火を起こす作業を中断し、右手に闇色の串を2本創造し影人に渡した。影人はそれを受け取り魚の尻尾の方から串を突き刺さす。それから数分後、少女が火を起こす事に成功し、影人は串を地面に突き刺し火で炙り始めた。
「そういや、あいつらまだここには来てないな。単純にこの森の事知らないのか?」
魚を焼いている時間暇なので、影人は対面に座る少女にそう語りかけた。影人が言うように、あの兵士たちは影人たちが逃げてからこの森には来ていない。必死に捜しているはずなのにだ。影人はそれが気になった。
「知っている者はいるだろう。ただ、わざわざこの森に逃げているとは思っていないだろうがな。ここはあの滝裏の洞穴以外に隠れる場所がない。そして、おそらく滝裏の洞穴を人間たちは知らない。ゆえに、わざわざ隠れ場所がないこの森に我やお前がいるとは考えていない。そんなところだろう。もっと探すべき場所がここらには多くあるからな」
「なるほどな。だからここが探されるにしても、まだ時間があるって事か」
少女の答えを聞き納得した影人はしばらくパチパチと爆ぜる火を眺めた。文化祭のキャンプファイヤーの時は火を見るだけで何が楽しいんだ、と呟いたものだが、この世界に来てからは、火を見ていると中々どうして心が安らぐ。これはこれでいいな、影人は最近思い始めていた。
「焼けたな」
「そんなものは見れば分かる」
数分後、魚が焼けた事を確認した影人と少女は串を持ち魚を食べ始めた。流石に魚だけで腹は膨れないので、昼間影人がとった木の実も一緒に食べた。そして影人と少女が食事を終えると、辺りはすっかりと暗くなっていた。
「・・・・・ここは、本当に夜空が綺麗だな」
影人は空を見上げながらポツリとそう呟いた。この世界に来てから素直にいいと思った事は、この夜空の美しさだ。見上げる夜空には星が黒を埋め尽くさんばかりに輝きを放っている。どこまでも単純に綺麗で美しい。そんな感想が影人の中を満たす。この夜空を見るのは、ここ最近の影人の楽しみの1つだ。
「ふん、この程度の夜空、どこからでも見れるだろう。大げさな奴だな」
「見れねえよ。こんな綺麗な空。少なくとも、俺がいたところじゃな。どんな大金持ちだって、こんな光景は見れやしないぜ」
影人同様に食後手持ち無沙汰になったからか、影人の呟きに少女が反応する。少女の言葉に影人はフッと笑う。時代を超えても変わらない前髪スマイルだ。オーエー、率直に言って気持ちが悪すぎる。
「・・・・・・・・お前と行動を共にしてしばらく経ったが、お前は我に何も事情を聞いてはこないのだな」
しばらく影人が夜空を見続けていると、突然少女がそんな言葉を呟いた。本当に突然にだ。だが、影人は別に驚いたような反応もせずに、変わらず夜空を見上げ続けながら少女にこう言葉を返した。
「・・・・・・言いたくない事なんだろ。俺はお前の事情は知らない。興味がないかと聞かれれば嘘にもなる。だが、言いたくない事は言わなくていいんだよ。だから、俺から聞かねえよ」
「・・・・・・・・・・・・意外だな。お前にそのような心遣いがあったとは。驚嘆した」
「お前マジで俺の事どう思ってるんだよ。後、表情と言葉が一致してねえし・・・・」
影人は軽くため息を吐くと、顔を少女に向け改めたようにこう言葉を続けた。
「お前には本当に感謝してるぜ。こんな役立たずの俺と一緒に生活してくれてよ。事情は知らないが、お前も色々とキツいはずなのに、お前は俺を見捨てなかった。俺が今生きてるのはお前のおかげだ。・・・・信用しろなんて言わない。でも、頼る時は頼れよ。俺に出来る事なら、何でもするからよ」
影人にしては真摯な言葉で、影人は少女に対して自分の気持ちを伝えた。捻くれて厨二で前髪で不審者で妖精で顔見知りを躊躇なく撃てるクズで存在が害みたいなこの男にも、感謝する心くらいはある。どうやらこの前髪はまだギリギリ人間のようだった。
「っ・・・・・・・・よくもまあそんな言葉を恥ずかしげもなく言えるものだ。やはりお前はバカだな」
「絶対バカは関係ねえよ」
息を吐くように自分の事をバカ呼ばわりした少女に、影人は即座にツッコミを入れた。
「・・・・・・・・・・・・ならば、1つだけ約束しろエイト。お前はこれから我が助けを求めた時、必ず我を助けろ。お前は我に大きな借りがある。それくらいは約束してもらうぞ」
少女は影人の名前を呼びながら、アイスブルーの瞳を影人に向けた。その瞳の奥には様々な感情があった。不安、羞恥、戸惑い、恐怖、勇気、色々な感情がごちゃ混ぜになったような瞳だ。きっと、この言葉は少女にとって、何かとても大きな勇気を伴う決断だったのだろう。それを理解した影人は、
「ああ、約束する。任せろよ。お前が困っている時、お前が助けを求めた時、俺が絶対にお前を助ける。この約束は必ず履行する」
力強く頷き、少女と約束を交わした。心の底からの本気の言葉で。
「そうか。我がお前に助けを求める。まあ、そんな時が来るとは全く思わんが・・・・・・・・・・・・ならば、いい」
影人の答えを聞いた少女はそう言葉を漏らすと、
「ふっ・・・・・・」
――影人の前で初めて小さく笑ったのだった。
「はっ、なんだ・・・・・・笑えるんじゃねえか、お前」
それを見た影人は、自身も小さく笑みを浮かべた。
「っ・・・・ふん、お前の見間違いだろう」
「なら、そういう事にしておいてやるよ」
影人にそう指摘された少女は仏頂面になりそっぽを向いた。そんな少女の様子を見た影人は、そう言葉を返した。
夜が更けていく。少女と影人は徐々に、徐々にだが小さな絆を育み始めた。
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