第223話 運命の出会い

 突如として茂みから飛び出して来た少女。長い白髪とアイスブルーの瞳が特徴的な、10歳くらいの見た目をしたその少女は、黒いボロ切れのような服を着ており、何かを憎んでいるような顔を浮かべているいた。

(女の子・・・・・・? だが・・・・・・・・・・何だ、この感覚は。妙な既視感を感じる・・・・・今初めて出会ったはずなのに・・・・・)

 影人は茂みから飛び出して来たその少女を見つめながら、そんな事を思った。先ほど広場で男が掲げた黒い剣を見た時と似たような感覚だ。初めて見るはずなのに、影人はその少女の事を知っている気がした。

「っ!? 人間・・・・! ちっ、先回りされていたか・・・・・!」

 少女は影人に気がついたらしく、そのアイスブルーの瞳を影人に向けて来た。その瞳には明確な憎しみや怒りといった負の感情が込められていた。

「っ、言葉が分かる・・・・? どういう事だ、この時代に日本語はないはずだ・・・・・」

 少女の言葉の意味が理解できた事に影人は驚いた。少女の言葉は、影人には自分の母語である日本語に聞こえた。だが、そんなはずはない。影人には正確にこの時代が影人がいた現代と比べて何年前の時代かという事は分からない。しかし、いま影人が話している日本語は存在していないという事だけは、確かだろうと影人は考えていた。

「ニホンゴ? 貴様、何を言っている。どけ、奇怪な見た目をした人間。我の邪魔をするというのなら・・・・・・・」

 白髪の少女は影人を睨みつけたまま、右手を一瞬自分の後ろに持っていく。そして、次に右手を前に出して来た時には、

「無理にでも押し通るぞ・・・・!」

 少女は真っ黒なナイフを握っていた。

「なっ・・・・!? お、おいよせ! 何する気だお前!?」

 そのナイフを見た影人の顔が青ざめる。少女が次にどのような行動を取ろうとしているのか、影人は否が応でも予想がついた。

「死ねッ!」

 少女は影人の予想通りというべきか、影人に対してその凶刃を突き出して来た。

「嘘だろオイ・・・・!」

 影人は急にバクバクと鳴り始めた心臓の音を聞きながら、何とか少女のナイフによる突きを回避した。反射的な回避。それは完全にラッキーの産物であった。

「チッ、避けるな!」

 ナイフを避けた影人に、少女が苛立ったような声を上げる。少女は避けた影人に、今度は右薙にナイフを振るった。

「あっぶね・・・・・!? おいガキ! 1回落ち着け! 出会っていきなり刃物なんか振り回しやがって! 俺がお前に何かしたかよ!?」

 またもギリギリで何とか幸運にナイフを避ける事が出来た影人は、半ば叫びに近い声で少女にそう言葉を放った。影人の叫びを聞いた少女は「黙れッ!」と言い、こう言葉を続けた。

「お前たち人間がした事を忘れたかッ! お前たちのせいで兄さんは・・・・! 獣以下の存在め! 我はお前たち人間を絶対に許しはしないッ!」

 少女は激情のままにナイフを振るう。それは今まで抑圧していた感情が一気に噴き出したような、そんな様子だった。少女は影人というよりも、影人を通して人間というものを憎んでいるという事に気がついた。

(だがそんな事はどうでもいい! 今はマジで生命の危機に瀕してるからか体が反射的に動きやがるが、それもいつか限界が来る! 今の俺はスプリガンじゃない。ただの無力な帰城影人なんだからな・・・・!)

 影人は焦っていた。この状況をどうするべきか。どうやって切り抜けるべきか。どうにかしなければ、ただの非力な人間である影人はすぐにでも死んでしまう。

「ちょこまかと・・・・! いい加減に・・・・・・・・!」

「ッ!? ヤベっ・・・・」

 少女が渾身の突きを影人の腹部に放つ。タイミング的に避けられないと悟った影人は、サッと全身から血の気が引いたのを感じた。次の瞬間には激痛が奔る。影人がそんな事を思ったその瞬間、

「っ! いたぞ! ここだーッ!」

 少女の背後の茂みから兵士が1人現れ、大声を上げた。少女を捜し追っていた兵士だ。兵士の大声に、少女は影人の腹に突き刺そうとしていたナイフを直前で止めた。

「ッ・・・・・!? もう追いついてきたか・・・・・・!」

 少女は少し焦ったような声でそう呟くと、影人を無視して影人の横を駆けていった。刃物を持った少女を、何の武装もしていない影人が止められる道理はない。ゆえに、影人は少女を止めなかった。

「おい貴様! 奴隷の分際で何をしている!? さっさと奴を追うぞ!」

 影人が少女を何もせずに通過させた事に、兵士は憤った。そして、自分と一緒に少女を追えと兵士は影人に命令した。

「そんな怒らないでくれよ。不可抗力だろ! あと言葉分からねえから何言ってるのか分からないんだよ! お、おい何で俺の服を掴んで走る? わ、分かった。俺も追うから服から手を離せ!」

 命の危機に瀕していたという事もあり、影人は興奮していた。そのため兵士に向かって少し大きな声でそう言ってしまったが、兵士は当然影人の言葉が分からない。少女を追う都合上、人手はあるに越した事はないので、兵士は無理矢理にでも影人も少女の後を追わせるべく影人の服を掴み走り始めた。屈強な兵士とモヤシな前髪である。モヤシは強制的に走らされ悲鳴を上げた。

「くそっ! 何でこんな事しなきゃならないんだよ・・・・・!」

 自分の意志で走り始めた影人を見た兵士は影人を解放した。影人は兵士と一緒に自分たちの前を走る少女の後ろ姿を見ながら、そう言葉を吐き捨てる。

「くっ・・・・!」

 影人と兵士たちが追って来た事を振り返り確認した少女は、手に持っていた真っ黒なナイフを後方に向かって投擲した。

「っ!? ざけんなッ!」

 こちらに投擲されたナイフを見た影人はそう叫ぶと、体を大きく動かしてそれを避けた。そこまで投擲速度が速くなかったので、回避する事は今の影人にも難しい事ではなかった。それでも恐怖心はあるが。

「いたぞ、闇の女神だ!」

「殺せッ!」

 そうこうしている内に、他の兵士たちも合流してきた。兵士たちは殺気だったように、影人と影人を無理やり走らせた兵士と同じように少女を全力で追う。現在、少女を追っている者たちは影人を含めこれで4人となった。

「奴だ!」

「エンポルオス! こっちだ!」

「ああ! この好機、逃さん!」

 だが、そんな間にも兵士たちは次々と森の中から現れ、やがて森に入った全ての兵士や奴隷たちが、少女を捕らえるべく迫った。

「はあ、はあ、はあ・・・・・!」

 少女は必死に兵士や奴隷たちから逃げ続けた。ただの少女ならば、鎧や武器を持っているとはいえ、大人の男である兵士たちにとっくに追いつかれている。しかし、少女と兵士たちの距離はあまり、いや全くというほどに近づいていない。それは少女が駆けるスピードがそれだけ速いという事を示していた。

 このまま少女の体力が尽きなければ、あるいは少女は逃げ切れたかもしれない。だが、必死に逃げていた少女は木の根に躓いてしまった。

「あぐっ・・・・!」 

 全速力で駆けていた少女は、その勢いのまま激しく転んだ。地面に倒れた少女はすぐに立ち上がろうとしたが、転んだ際に足を挫いたのか、痛みですぐに立ち上がる事は出来なかった。

「ッ! 今だ! 周囲を囲め!」

 この探索隊のリーダーであるエンポルオスが、兵士や奴隷たちにそう指示した。その指示を受けた兵士や奴隷たちは、倒れた少女をグルリと囲むようにすぐに動いた。

「くっ・・・・・・・」

 少女を警戒するように、10メートルほど距離を取って囲む兵士や奴隷たち。兵士に関しては、少女に向かって槍や剣を突き出している。周囲を見渡した少女は痛む足で無理やり立ち上がった。

「・・・・ようやくだ。貴様を逃してから約30日ばかり。ようやく貴様を殺す事が出来るぞ、闇の女神」

 少女の正面に立ったエンポルオスが、左腰の黒い鞘に納めていた剣を抜いた。それは、アテナイの広場でエンポルオスが掲げた、刃までもが黒いあの剣だった。

「ッ、その剣は・・・・・! 貴様、よくものうのうと我の前でその剣を抜いたな! その忌むべき剣を!」

 その剣を見た少女は怨嗟と怒りに満ちた声でそう言葉を放った。尋常な様子ではない。少女を囲んでいた内の1人である影人は素直にそう思った。

「ああ、貴様からしてみればそうだろうな。なにせ、この剣はお前の兄を、終焉の神を殺した剣だ。奴を殺したのは私ではないが、お前はこの剣の事をよく知っている」

 エンポルオスは静かに少女の慟哭を聞きつつ、ジリジリと少女に距離を詰めていく。少女は相変わらずにエンポルオスと剣を睨むが、その剣に恐怖しているのか、少し震えながら1歩、2歩と後ろに後ずさった。

「知っているのならば、もう分かっているはずだ。貴様はここで終わりだと。死ぬとな。我々人間は貴様を殺し、死という終焉のくびきから解き放たれる。そして、我らがアテナイに・・・・・永遠の栄光をッ!」

 エンポルオスは一気に距離を詰めると、少女に向かって黒い剣を振り下ろした。

「ほざけッ! 愚かな妄信に縋る者たちが! 貴様らに永遠の栄光など訪れはしない!」

 少女は思いっきり左に飛び、エンポルオスの一撃を避けた。負傷していない左足で強く地面を蹴ったのだ。

「死ねッ!」

 少女は両手に闇色の、真っ黒なナイフを。少女はそのナイフを至近距離からエンポルオスに向かって投げた。

「甘いッ!」

 しかし、エンポルオスは屈強なるアテナイの兵士だ。エンポルオスは自分に向かって放たれた2つのナイフの内1つを避け、もう1つは剣で弾き落とした。

「ふんッ!」

「がっ・・・・!?」

 ナイフを無力化したエンポルオスは、逆に少女の腹に左足で思い切り強い蹴りを放った。エンポルオスの鍛え抜かれた蹴りの威力は凄まじく、少女は苦悶の声を上げ、5メートルほど吹っ飛んだ。

「ぐ・・・・ううう・・・・」

 ボロ雑巾のように蹴り飛ばされた少女は地に臥しながら、痛みに、悔しさに顔を歪める。何という惨めな気持ちだろうか。少女は強く唇を噛み締めた。

「っ・・・・・」

 ちょうど自分が立っている方向に転がって来た少女を見た影人は、何とも言えない気持ちを抱いた。正直、影人にはこの状況が未だに分からない。エンポルオスの言葉が分かれば、あるいは影人はこの状況を理解していたかもしれない。しかし、影人にはエンポルオスの言葉は分からないのだ。

(現代なら間違いなくアウトな光景だな・・・・・・・・こいつらは、この子供を何でかは分からないが捜してたんだ。殺すために。そして、この森でこの子供を見つけた。なら、これから起こる光景は嫌でも想像がつくぜ・・・・・・・・・・)

 だが、影人に出来る事などは何もない。影人は善人ではない。今日初めて出会い、いきなり殺されかけた少女を助ける義理などない。それに、もし助けに入れば影人も殺される。それは御免だ。それが、影人の本心だった。

「ゲルネオス。そいつに剣を突き立てろ。闇の女神は不老不死。この神殺しの剣でなければ殺す事は出来ないが、動きは鈍る」

 エンポルオスはゆっくりと倒れた少女の方に向かいながら、影人の隣にいた兵士の名を呼びそう言った。名前を呼ばれたゲルネオスという男は、エンポルオスの言葉に頷いた。

「分かった」

 ゲルネオスは倒れている少女に近づき、剣を構えた。エンポルオスの言葉通り、少女の体に剣を突き刺すような構えだ。

「っ!?」

 未だに蹴りの痛みからか身動きが取れない少女は、絶望したような顔を浮かべた。この剣が突き刺されば、少女はもう動けないだろう。そして、あの黒い剣によって殺される。

「くそっ、くそっ! こんな所で、これで終わりだというのか! 我は、我はまだ何も・・・・・!」

 絶望、怒り、悔しさ、怨嗟、それらの激しい負の感情が込もった声で少女は声を上げる。そのアイスブルーの瞳から無念の涙を流しながら。

「・・・・なに泣いてやがるんだよ。死にたくないなら、足掻けよ。無様にでも、動けなくとも足掻いてみせろよ・・・・・・・・泣いて絶望するのは、お前が完膚なきまでに負けたって証明だろ・・・・!」

 少女の言葉を聞き涙を見た影人は、ボソリとそう呟く。影人は苛立っていた。情けない、と影人はそう思った。少女の背景など影人は知らない。きっと少女は悲しい運命を背負っているのだろう。それくらいは容易に予想できる。

 だが、それが抗わない理由にはならないはずだ。それだけ悔しいのならば足掻くべきだ。影人はそう考える。だから、影人は少女に対し苛立った。

「ふん・・・・・!」

「あっ・・・・・」

 そして、影人が少女に苛立っている間に、ゲルネオスは少女に向かって、構えていた剣を振り下ろした。少女は呆けたような声を漏らし、自分を突き刺さんとしている剣を見つめた。

「ああクソッ・・・・・・・! この大バカ野郎がッ! ざけんなよ、俺ッ!」

 影人はそう叫ぶと、全速力で少女の元へと駆けた。全く意味が分からない。今の影人には何の力もないというのに。助けたとしても、どうせ殺されるだけだというのに。

(だがよ、この状況であいつが殺されるのは寝覚めが悪すぎるだろッ! 戦う覚悟をしてる奴なら俺は見捨てられる。だが、寄ってたかってガキ1人が殺される光景を見るのは・・・・・どうしようもなく癪に触る! 例えそれが俺を殺そうとしてきたガキであってもだ!)

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 雄叫びを上げながら、影人はゲルネオスに思いっきり体をぶつけた。まさか、後ろから体当たりをされるとは思っていなかったゲルネオスは、「なっ!?」と声を上げながら、倒れている少女の左斜め方向へと派手に転んだ。

「っ・・・・・・・?」

「え・・・・・・・・?」

 その光景を見たエンポルオスは不可解な顔を浮かべ立ち止まり、少女は何が起きたのか分からないといった感じの顔を浮かべた。それは、少女を囲む周りの兵士や奴隷たちも同じだった。

「・・・・・・・・たまに、どうしようもなくバカな自分が嫌になるぜ。本当に俺は救えねえ・・・・だが、やっちまったもんはしょうがねえよな・・・・!」

 影人は少女を守るようにエンポルオスの前に立ち塞がった。溢れるのはある意味での諦めの言葉。影人はどこかやけくそな笑みを浮かべた。

「やってやるよ。俺は俺の心に従う。偽善だとか、ヒーローぶりたいとかそんな理由じゃねえ! このガキを殺させたくないっていうのは、どこまでいっても俺の欲望、俺の意志だッ!」

 そして、影人は世界に向かってそう宣言したのだった。

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