第222話 過去の世界
「――おい、奴隷。これを向こうの広場まで運べ」
黒い癖毛の彫りの深い顔をした男が、地面に置かれた何か大きな袋のような物を指差しながらそう言った。
「・・・・・・・・・・分かりました」
男にそう言われ頷いたのは前髪が異様に長い少年だった。少年は男の言葉の意味を正確に理解していなかったが、ジェスチャーと今までの経験から何を言っているのか推測できた。少年は大きな袋を何とか肩に抱え、ヨロヨロと歩き始めた。
(ったく、何でこんな事になったんだかな・・・・・・)
重いとモヤシなような肉体が悲鳴を上げる。そんな肉体の悲鳴を敢えて無視しながらその少年、帰城影人は内心でそんな事を思った。
影人がこの場所に連れて来られてから、大体1週間が経った。大体というのはこの場所――正確にはこの世界だが――には、カレンダーも時計もないからだ。ゆえに、影人は自分が眠り朝が何回来たかを数え、自分が何日ここにいるかを数えていた。
(ちくしょうめ、あの金髪と黒髪の奴ら。あいつら俺を助けるために連れて来たんじゃなく、奴隷として売るために俺をここに連れて来やがって・・・・・本当に恨むぜ・・・・!)
荷物を運びながら、影人はここに来た時の事を思い出す。男たちにこの町――ここも正確には都市だが――に連れて来られた影人は、すぐさま奴隷として売り払われた。何が何だか分からない内にだ。男たちは奴隷屋と思われる男に影人を売り渡し金を受け取ると、満足気な顔でどこかへと消えて行った。
そして影人は手に縄を巻かれ、服も剥がれ白い簡素な服とサンダルのような服を着させられた。ついでとばかりに前髪も掴まれ顔も確認された。前髪が珍しいからかは知らないが、髪を切られる事はなかったが、商品として店に並べられた。
それからは早いものだった。物珍しさからか影人はすぐに売れた。影人を買ったのは豊かな黒髪と髭を生やした男だった。それから影人はこの町の郊外にある男の家に連れて行かれ、仕事を覚えさせられた。影人は言葉が分からなかったので、仕事を覚えるのは苦労したが、そこは男が所有していたもう1人の奴隷が、ジェスチャーで影人に仕事を示してくれたので、影人は何とか仕事を覚える事に成功した。
(だがまあ、飯は食わせてもらえるし簡素だが寝床もある。そのぶん労働はありえんキツいが・・・・・あのままあいつらに拾われなかったら、今ごろ死んでたかもしれないから、良しとするべきか・・・・?)
広場に到着し肩から荷物を下ろした影人は、大きく息を吐きながら、しかしそんな事を考えた。何とも複雑な気持ちだ。
(まあこいつはまだ推測の段階でしかないが、多分ここは過去の世界ってやつなんだろう。ソレイユはあの黒い
広場に運ぶ荷物はまだあるため、影人は再び元の場所に戻る。影人に分かっている事は、ここが過去の世界、それもヨーロッパのギリシャ辺りという事だけだ。それ以外は元の時代に戻れる方法も、ほかの事も何も分からない。
「よし、次は畑を耕せ」
全ての荷物を運び終えた影人は現在の自分の主人に仕事が終わった事をジェスチャーで伝えた。影人の主人である豊かな黒髪と髭を生やした男は、妻である女性とゆっくりと話をしながら影人を指差し、次に畑に指を向けた。何を言われたのかここ1週間の経験で分かった影人は、畑の方へと向かった。
「ん? よう、向こうの仕事は終わったみたいだな」
畑に向かうと、先に畑の手入れをしていた茶髪の少年が影人に言葉を投げかけてきた。歳の頃は影人と同じくらいで、人懐っこいような顔を浮かべた少年だ。少年は影人と同じ男に仕える奴隷の先輩だった。
「ああ、終わったよ。クソ重たくて死にそうだったがな」
少年の言葉も影人には当然分からないので、影人も少年が分からないであろう日本語でそう言葉を返した。
「ははっ、相変わらず何言ってんのか分からねー。まあいいや、お前そっち頼むよ」
少年は笑いながらそう言うと、自分から5メートルほど離れた地面を指差した。どうやら、あの場所をやれという事らしい。影人はそこまで移動すると屈んで、手で土の手入れを始めた。畑の仕事は4日前からやらされ始めたが、手は汚れるは爪の間に土は入るわ、腰は痛くなるわで最悪だった。
「そう言えば、奴はまだ見つからないのか? もうかれこれ30日は経っているだろう」
「ああ、どうやらまだらしい。いったいどこに隠れているのか分からんと、エンポルオスが言っていた。あと探していないのは、西の森くらいだと言っていたが・・・・・さっさと見つかって、殺される事を願うばかりだな」
「本当にな。全く、兄の方を殺せた時は一安心したものだが、まさか妹の方が逃げ、これほど手こずる事になるとは・・・・・」
畑の周りでは3人の男たちが何か話していた。労働をしていないという事は、奴隷ではないだろう。いいご身分だなと、影人は内心で舌打ちをしながら畑の手入れを続けた。
それから日が沈む前、夕方になったところで、影人たちの今日の作業は終わった。
「よし、今日のぶん終わり! 行こうぜ。あー、腹減った」
「やっとか・・・・・」
茶髪の少年が立ち上がり、右手で自身の左肩を揉みながら、自分たちの主人の家の方に向かって歩き始めた。影人も少年に倣うようにその後に着いていく。
それから、影人と茶髪の少年は硬いパンとナッツのようなものと水という質素な晩御飯を食べ、藁が敷かれている離れの小屋へと向かった。そこは、奴隷の寝床だった。
「今日もクソ疲れた1日だったぜ・・・・・・・・」
藁に転がりながら影人はため息を吐いた。今日1日の疲れがドッと押し寄せてくる。今にも瞼が閉じそうだ。影人と同じ奴隷である茶髪の少年は既に寝息を立てている。
(この時代からしたら贅沢なんだろうが、腹もまだまだ減ってるし・・・・風呂もまともなトイレもない・・・・ストレスは溜まっていくよな・・・・・)
グゥと鳴る腹の音を聞きながら、影人はそんな事を考える。自分の勝手な行動でこの時代に飛ばされてしまったのだから、現在の状況は仕方がないと言えば仕方がない。奴隷になってしまったが、飢え死ぬ心配も今のところはない。まだ幸運な方ではあると、影人は自覚している。しかし、分かってはいても不満があるというのが人間という生き物だ。
(俺はこのまま、この時代で死んでいくのかね・・・・・ああ・・・・ダメだ・・・・・眠気が・・・・)
思考が暗闇に引き摺り込まれる。意識が微睡む。影人は気がつけばその両目を閉じていた。
「眠い・・・・・・・・・」
次の日、早朝。時計がないので正確に何時なのかは分からないが、影人は朝から働いていた。朝食は乾燥した何かのフルーツと水だけだったので、相変わらず腹は空いている。
「おーい、サボんなよ。テキパキやらないと終わらないぞー」
「・・・・・・分かってるよ」
影人の様子を見た茶髪の先輩奴隷である少年が少し呆れたような顔で何か言ってきたが、表情から察するにもっとしっかり働けとかそんな感じだろう。そう考えた影人は適当に相槌を打った。
「しっかし物騒だな・・・・何か戦争でも始まるのか?」
影人たちが現在行なっている仕事は、鎧や武具を広場に運ぶといったものだ。鉄の鎧に、剣や盾、それに槍といったものを武器庫から広場に持って来るという仕事で、影人たち以外の奴隷と思われる者たちも複数働いていた。
「すまないな諸君。君たちの奴隷の力を借りさせてもらって」
「気にしないでくれ、エンポルオス。奴の存在は、我々の
「その通りだ。何なら奴を捜すのに私の奴隷を連れて行ってもいい。少しは役に立つだろう」
広場ではいかにも武人然とした男と、複数の男たちが話をしていた。中には影人の主人である男性の姿も見える。男たちはいずれも真剣な顔を浮かべていた。
「そう言ってもらえるとありがたいな。何せ、西の森は広いからな。我々探索隊だけでは人数が足りない。では、奴隷を貸してもらえるだろうか。もちろん、出来ればでいい。奴隷は必ず返すと約束しよう」
「なら連れて行ってくれ。私の奴隷は片方は言葉を理解しない欠陥品だが、それでも使えるはずだ。全てはアテナイのために」
「私もだ。全てはアテナイのために」
エンポルオスと呼ばれた男は頷くと、男たちにそう言った。するとほとんど全員が奴隷を貸すと快く頷いてくれた。
「ありがたい。やはり我らアテナイの市民は世界最良の精神を抱く者たちだ。では、準備が整い次第出発するから、その旨を奴隷たちに伝えてもらいたい」
それから、エンポルオスにそう言われたアテナイの市民たちは自分たちの奴隷に、エンポルオスに同行するようにと伝えた。それは当然、エンポルオスに奴隷を貸し出すといった影人と茶髪の少年の主人である男も例外ではなく――
「え? 兵士たちに同行ですか? まあ、命令ならそうしますけど・・・・」
「ああ、これは命令だ。この事はあいつにも教えてやってくれ。身振り手振りで何とかなるだろう」
影人たち主人である男は茶髪の少年にそう伝えると、どこかへと消えて行った。主人にそう言われた茶髪の少年は困ったような顔を浮かべた。
「ええ・・・・・・・伝わるかな・・・・・・でも伝えるしかねえか。おーい、前髪。こっち来い!」
「? 何だ、俺を呼んでるのか・・・・・?」
茶髪の少年が影人の方に手を振りながら声を掛ける。それを見た影人は自分を呼んでいると考え、運んでいた鎧を置き、少年の方に向かった。
「・・・・・・・・つまり、あの兵士たちに俺たちも着いていくって事か?」
少年の身振り手振りの必死なジェスチャーを見た影人は、少年の意図を何とか理解した。影人は自分が理解した事を示すために、少年に自分自身を指差し、次に兵士たちを指差した。
「おう、大体そんなとこだ。準備が出来しだい出発って言ってたから、そん時は教えてやるよ」
笑顔で頷いた茶髪の少年はそう言うと武器庫の方へと歩いて行った。相変わらず何と言っているかは分からなかったが。
「何でまた兵士たちに同行なんか・・・・・・何か嫌な予感がするな・・・・・」
まだ残りの仕事がある影人は、妙な胸騒ぎを感じながら自身も武器庫へと歩き始めた。
「これより西の森に向けて進軍する! 皆の者、今日こそ、死の力を振り撒く闇の女神を見つけ討伐する時だ。臆するな。我らにはこの剣がある。あの女神の兄を殺した神殺しの剣が! 我に続けアテナイの勇猛なる民たちよ! 全てはアテナイのためにッ!」
「「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」」」」
馬に乗りながら、エンポルオスが剣を高々と掲げそう宣言した。すると、武装したアテナイの市民たちは熱のこもった声で、その宣言に応えた。影人たち奴隷は、ただその光景を後方から見ているだけだ。影人は何を言っているか分からないから反応出来ないだけだが、他の奴隷たちは言葉が分かっているからこそ反応しなかった。奴隷は市民ではないからだ。
(あの男が掲げてる剣・・・・・・・・初めて見るはずなのに、どこか見覚えがあるような気がするのは何でだ・・・・? あの剣が纏う雰囲気を、俺は知っているというか・・・・・・・・)
影人は男が掲げた剣、
「では――出発!」
エンポルオスが剣を鞘に納め、馬を軽く走らせた。それに続くようにアテナイの市民たちもエンポルオスの後に続く。影人たち奴隷も色々な荷物を持たされ、その市民の後に続いた。
「お、重い・・・・・」
食糧の入った袋を1つ担がされた影人は、歩きながらそう言葉を漏らした。入っているのは主に乾燥した果物類だけだが、市民である兵士たちの人数は30人ほどおり、その分の量が入ってるいるので、重さは結構なものだった。
それから、体感時間にして2時間ほど。影人たちの先頭にいたエンポルオスは、ある森の前で馬を止めさせた。
「止まれ、皆の者! 西の森に到着した!」
エンポルオスが全員にそう声を飛ばす。すると、兵士や奴隷たちは全員足を止めた。
(っ、この森・・・・・確か、俺がこの世界に来た時にいた森だ。ここでいったい何をするんだ?)
影人はこの森の事を知っていた。影人はこの森から出て、道すがらに金髪と黒髪の男に拾われたのだ。
「これより、西の森で闇の女神の捜索を行う! 知っている者も多いとは思うが、今日は奴隷もいるので、闇の女神の特徴を改めて述べる。闇の女神は長い白髪に氷のような目の色をした、幼い子供の姿をしている。各自、見つけ次第大声を上げ位置を知らせよ。以上だ!」
エンポルオスの命令を受けた兵士たちは「「「「おう!」」」」と声を上げ、森へと入っていった。馬に乗っていた者たちは、馬から降り森の中に足を進める。
「お前たちの内、2人ほどはここに残って馬の見張りと食糧の見張りをしろ。残りは森の捜索を命じる。そうだな・・・・そこの茶髪の奴と前髪が長い異邦人はここに残れ。後は捜索だ」
エンポルオスが奴隷たちの元まで歩いてきて指示を与える。捜索を命じられた奴隷たちは、指示通り荷物をその場で下ろし、森へと入っていった。エンポルオスも最後に森の中へと足を踏み入れていった。
「やったな。俺たちはここで見張りしとくだけだってよ。お前が言葉分からないおかげだな」
「? 俺たちはここにいればいいのか?」
茶髪の少年のジェスチャーを見た影人は、取り敢えず荷物を下ろしてジッとその場で立っていた。茶髪の少年ものんびりとした様子で馬たちを見ながら、あくびをしていた。
そんな少しのどかな時間を2人が感じていると、「いたぞー! こっちだ! やはりここにいたぞー!」
突然大きな声が森の中から聞こえてきた。その声が響いたと同時に、森が騒めいたのを影人は感じた。
「っ、何だ? いったい何が・・・・・」
「あ、見つかったんだ。こりゃ激しい狩りになるな」
影人は疑問からそう呟き、事情を知っている茶髪の少年は意外そうな顔を浮かべそんな言葉を漏らした。いずれにせよ、ここで見張りを命じられている自分たちには関係がない。茶髪の少年はそんな事を考えていたのだが――
「ヒヒンッ!」
今の森からの大声に驚いたのか、一頭の馬が興奮したように森の中へと走って行った。
「げっ、嘘だろ!? 最悪だ! 悪い前髪! あの馬追って来てくれ! 俺はここで見張りしなきゃならないし頼む! 馬逃したってなったら大目玉だぜ!」
茶髪の少年は焦ったような顔で影人に逃げた馬を追うようにジェスチャーで伝えた。少年が馬を追っては、もしここに兵士たちが戻って来てしまった時に事情を説明できない。ゆえに、少年は影人に追うように言ったのだ。
「う、馬を追えばいいのか・・・・? クソッ、走るのは得意じゃないんだがな・・・・・・・・!」
少年の焦った顔と必死なジェスチャーを見た影人は、すぐに馬を追い始めた。馬は既に森の中へと消えているが、影人は必死に全速力で自身も森の中へと飛び込んだ。
(速いなおい! やっぱ馬に追いつくのは人類には無理だろ! ましてや俺がなんかよ!)
内心で愚痴を溢しながら、影人はただ駆ける。馬の姿はギリギリまだ視界に入っているが、もう後少しで見失ってしまう。そして、影人が内心で愚痴を漏らしたように、影人と馬の距離は更にどんどん離れていき――
「はあ、はあ、はあ・・・・・く、くそっ・・・・・み、見失った・・・・・・・・・」
やがて影人は激しく息を吐きながら、森の中で立ち止まった。
「ヤ、ヤバいな・・・・馬も見失ったし、必死に追ってたから、どこから来たか覚えてねえ・・・・・ちくしょう、またもピンチか・・・・」
息がようやく少しは整って来た影人は、顔を上げそう言葉を漏らす。影人が不安に駆られていると、影人の視界の右の茂みがガサガサと動いた。
「っ!? な、何だ・・・・・・・・・・?」
影人は驚き数歩後ずさった。馬ではない。それだけは確かだ。ならば、この森にいる他の動物か。影人がそんな事を思っていると、茂みからそれは飛び出した。
「っ・・・・・・!?」
しかし、飛び出して来たのは全く意外なものだった。それを見た影人は前髪の下の両目を見開いた。
「ちっ、醜悪な人間どもめ・・・・・!」
飛び出して来たのは少女だった。10歳くらいの見た目をした――
――長い白髪とアイスブルーの瞳をした少女だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます