第221話 知らない場所

 ファレルナとゼノを助けるために、黒いひずみへと吸い込まれた影人。今や歪みは完全に閉じ、影人は真っ黒な暗闇の中にいた。ただ、この歪みの中は凄まじい風、いや流れのようなものが吹き荒れ、影人は上下左右も分からずにただその流れに身を弄ばれていた。

(っ・・・・・! 嵐のど真ん中にいるみてえだ。全身が揉みくちゃにされて脳がシェイクされてやがる!)

 力を使う意志など抱けないレベルの流れに、影人はただ流されるしかなかった。

(く、そ・・・・・ダメだ・・・・・・・意識が・・・・)

 流れの激しさに意識が混濁してくる。意識を手放してはいけないと分かっていながらも、影人は自分の意識が精神の奥深くへと吸い込まれていくのを感じた。


 そして、影人の意識は完全に閉ざされた。影人は暗闇の中、流れに身を任せ暗闇の底へと消えた。














「・・・・・・・・・・っ?」

 眩しい。最初に感じたのはそんな感覚だった。どこか心地よい暖かさを感じながら、影人は両目を開けた。視界には長い前髪が掛かっている。意識を失っていたので、変身は強制的に解除されたのだろう。

「俺は・・・・・・・・・って、どこだここは・・・・・・?」

 仰向けに倒れていた影人はヨロヨロと立ち上がり、長い前髪の下から周囲を見渡した。周囲には木々や林しか見えない。どうやら、影人はどこかの森の中にいるようだ。

「というか、俺はあの黒い歪みに吸い込まれたんだよな・・・・・? 確か吸い込まれれば2度と元の世界には戻れないって事だったが、どう見てもここは地球に見える。何だ、いったい何が起きたんだ?」

 状況が飲み込めない影人はブツブツと独り言を言いながら現在の状況を整理しようとした。幸いというべきか、周囲に影人以外に人の姿はないので、いくら独り言を呟いても、奇異の目で影人を見る者は誰もいない。まあ、この頭がパッパラパーな前髪は、周囲に人がいようがいまいが気にしないだろうが。

「つーか、今どうみても昼だよな? 俺が戦ってた時は夜だったし、それも謎だな・・・・・・・ああ、そうか。ソレイユとイヴに聞けば何か分かるか」

 空を見上げ新たな疑問を抱きながらも、影人はその事に思い至った。影人は早速、まずはソレイユに向けて念話を試みた。

「おい、ソレイユ。取り敢えず返事してくれ」

 影人が肉声に出しながらソレイユにそう語りかける。しかし、いつもならすぐに反応するソレイユが、なぜか今回は何も言葉を返してこなかった。

「ソレイユ? おい、おい・・・・・クソ女神!」

 いくら待っても返事がなかったので、影人はソレイユがキレる言葉を吐いてみた。普段ならこの言葉を聞いた瞬間、ソレイユは秒でキレる。ソレイユがこの言葉に反応しない事はあり得ない。

 しかし、ソレイユからの反応はやはりなかった。

「どうなってやがるんだ? なら、イヴは・・・・・イヴ。返事をしてくれ」

 影人は混乱しながらも、次にイヴに念話を試みた。

「・・・・・・・・・・・・・・・イヴ?」

 だがソレイユ同様、イヴも影人の声に応えはしなかった。

「マジで何がどうなってんだ・・・・!? っ、そうだ。ペンデュラムは・・・・・!」

 左手で髪を掻きむしりながら、影人はイヴの本体でありスプリガンへの変身媒体でもあるペンデュラムを探した。今の影人は変身する前の格好、黒色の長袖に青色のスゥエットのズボンといったものだ。影人はペンデュラムが入っている可能性があるズボンのポケットの中をまさぐった。

「っ、ない。ペンデュラムがねえ・・・・・・」

 しかし、案の定というべきかペンデュラムはポケットの中には存在しなかった。

「もしかして、あの歪みの中の流れに振り回されてる時に落としたか? だとしたらヤバすぎるぜ・・・・いや、ペンデュラムがない時点でヤバいがよ・・・・・・・」

 影人は大きなため息を吐いた。ただでさえ今の状況が分からないというのに、スプリガンの力さえも失ってしまった。それは、帰城影人という人間が、ただの無力な少年になった、いや戻ったという事実を示していた。

「ここがどこかも分からない。ソレイユとイヴとも念話が出来ない。更にスプリガンの力までも失ったときた・・・・・・・・・・・本当にどうしようもなくヤバい状況だな・・・・・」

 今の自分の状況をある程度理解した影人は軽く絶望した。だが、ここでずっと絶望していても始まらない。影人は暗くなる心に無理やり鞭打って顔を上げた。

「だが、こういう時こそ行動しないとだよな。正直動きたくねえがやるしかねえ。はあー、何で人生ってやつはやるしかねえって事が多いんだ・・・・・」

 無駄に精神が強い前髪野郎はそう呟くと、まずは森から出るべく歩き始めた。












「取り敢えず何とか森からは出られたが・・・・・この辺りはよほどの田舎と見たぜ」

 約20分後。と言っても、影人は時間を確認できる物を持っていないので(スマホも家に置いて来ていた)あくまで影人の体感だが、影人は森を抜ける事に成功した。森から抜けた影人の前に広がっていた光景は、広大なる空と草原だった。

「森の中にも何かシカとかよく分からん生き物もいたしな・・・・・・だが、どこかに町があるはずだ。取り敢えずはそれを見つけよう。情報収集しなきゃ何も分からないからな」

 雄大な自然を見つめながら、影人は地面が露出している道であろう場所を歩いた。取り敢えずは道なりに。

「しっかし、マジでどこなんだろうなここ。日本的な光景って感じじゃないから、多分どこかの外国だとは思うが・・・・・・・・」

 周囲の風景から何とか情報が得られないかと影人は辺りを観察するが、あるのは草原だけだ。かなり遠くの方には山も見えるが、何という山かは分からない。

「・・・・・・ダメだ。歩けど歩けど何もねえ・・・・・」

 それからしばらく、地面が露出した道のような所を歩き続けた影人は、すぐ横の草原に座り込みそう言葉を吐いた。

「疲れたし喉も渇いた・・・・・・・・ついでに金もスマホもねえし・・・・・はあー、文明人は文明の利器なしだと何にも出来ねえな・・・・・」

 草原にドサリと倒れ込みながら、影人は大きなため息を吐く。まだ無人島に流されなかっただけましと思いたいが、このままでは危険だ。主に生命維持活動的に。もう少し休んで体力が回復したらまた町を探すべく歩こう。影人はそう決めると、少しの間心地よい風を感じながら草原に寝そべり続けた。

 ――どれくらい経っただろうか。あまりの心地よさに、更に歩いた疲労も手伝って、影人はいつの間にか前髪の下の両目を閉じていた。この場所は冬ではないのか、春のような気分の良さがある。そのため、影人は瞳を閉じてしまったのだった。

「――おい、見てみろよ。前髪が長い不気味な奴がいるぞ。何だこいつは?」

「変な見た目をしているから奴隷じゃないのか? 見せ物的な方の。だが、奴隷にしては色々と妙だな。見た事もない服を着ているぞ」

 そして、突如として影人の耳に人の話し声が聞こえて来た。

「っ!」

 その話し声を聞いた影人はハッと両目を開き体をを起こした。急に影人が体を起こしたため、話をしていた人物たちは、少し驚いたように影人から一歩距離を取った。

「あ、す、すいません。俺は別に怪しい者じゃないです! ただ、少し休憩してただけで」

 影人は立ち上がりパタパタと両手を振りながら、影人から距離を取った2人の人物に取り敢えずそう弁明した。その2人の人物はどちらも男性で、片方は金髪の、もう片方は黒髪の髪で、2人とも彫りの深い顔立ちだった。どちらも年の頃は20〜30歳ほどか。どう見ても外国人、とりわけ西洋人であろうが、テンパった影人は日本語でそう言った。きっと伝わらないだろうなと、影人は言葉を発した後に思った。

「? 何だ、何と言っている?」

「分からん。どうやら異邦人のようだな。しかし、言葉を介さないとなると奴隷ではないのか? もしくは他の都市ポリスの奴隷か・・・・・」

 男たちはやはり日本語が分からなかったようで、影人には理解できない言語で何かを話し合っていた。英語ではない、という事くらいは影人にも分かったが、男たちが正確に何語を話しているのかは、ただの高校生である影人には全く分からない。

(というかこの人たち・・・・・・・・何か変だ。格好が余りにも簡素過ぎやしないか?)

 男たちの言葉がわからない影人は、男たちを観察してみた。男たちの服装は、上半身は半袖より少し長めのゆったりとした白い布の服で、下半身は長めのスカートのような格好で足元はサンダルのようなものを履いている。どこか現代的ではない。まるで何かのコスプレのようだ。影人が抱いた違和感は、そのようなものだった。

「どうする、このまま放っておくか? それとも俺たちのポリスに連れて行くか?」

「そうだな・・・・・・・・せっかくだ。連れて行こう。何せ珍しい異邦人だ。、高く付くだろう」

「確かに。なら、売上は折半しよう」

「ああ」

「っ・・・・?」

 男たちは笑みを浮かべながらそんな言葉を交わしあった。影人には変わらず言葉の意味は分からないので首を傾げる事しか出来ない。

「よし、来い異邦人。お前を俺たちの都市に連れて行く」

「どうせここにいても、飢え渇き死するだけだ。ならば、お前に労働をくれてやろう」

 男たちはニコニコとした顔で指をどこかに向けながら、影人の肩を掴んだ。

「あ、町に案内してくれる感じですかね? ありがとうございます。いや、本当に助かりました」

 男たちのジェスチャーと雰囲気からそう予想した影人は笑みを浮かべ頭を下げた。男たちは変わらずにニコニコとした顔で影人の肩に手を乗せ続けると、道を歩き始めた。

「俺たちのポリスまで後1時間ほどだ。行くぞ。そうだ喉が渇いていないか? 水をやろう」

 金髪の男が腰に紐で括り付けていた皮袋を影人に手渡した。影人は少し驚きながらも、その皮袋を受け取った。

「あ、ありがとうございます。これは・・・・・っ、水ですか。助かります、ちょうど喉が渇いていて」

 受け取った皮袋の中身を見た影人は嬉しげな声でそう言った。そして影人は皮袋の中の水を飲んだ。水は温かったが、水分を欲していた体は喜んでいる。影人はその事がよくわかった。

「ぷはっ・・・・ありがとうございました。生き返りましたよ」

「ふっ、満足したか」

 影人は皮袋を金髪の男に返した。男は影人から返された皮袋を再び腰に括り付けた。

 それから2人の男に連れられた影人は、約1時間ほど道を歩き続けた。正直、モヤシの影人からすればかなり疲れたが、案内をしてもらっている手前文句は言えなかった。

「着いたぞ。ここが俺たちの都市だ」

 黒髪の男が影人にそう言った。影人は変わらず男が何と言ったかは分からなかったが、男がどのような事を伝えたいのかは分かったような気がした。

「ここが・・・・・・・」

 影人は自分の前に映る光景を見てそう言葉を漏らした。

 影人の前に映るのは、まず門だった。門の周りには高さ3メートルほどの石の城壁のようなものがあり、門の前には胸部と腰部に鉄の鎧の一部を纏い槍を携えた男が2人立っていた。

「おお帰って来たか。で、そいつは何だ? 奇妙な見た目と奇怪な格好をしているが」

「化け物の類か?」

 門番であろう2人の男は影人に訝しげな目を向けてくる。門番たちに影人をここまで連れて来た男たちはこう説明した。

「道端に倒れていてな。どこかの都市の脱走奴隷かと思ったが、それにしては言語が通じない。だから、異邦人だろう」

「珍しかったから連れて来たというわけだ。奴隷として売れると思ったからな。仕事の内容は、まあ買い主が仕込むだろう。言葉もまあ、何とかなるだろう」

 黒髪と金髪の男が門番の男たちにそう言うと、門番たちは納得したような顔を浮かべた。

「そういう事か。じゃ、高く売れたら一杯奢れよ」

「楽しみにしてるぞ」

 門番の男たちはそう言うと体を退けた。

「ふっ、仕方ないな」

「ならせいぜい高く売れるように願ってくれよ。ほら行くぞ、異邦人」

 黒髪と金髪の男は苦笑しながら影人を連れて門を潜った。

「っ・・・・・!?」

 門を潜り、影人の前にこの町の全貌が飛び込んでくる。その光景に、影人は驚いたような表情を浮かべた。

(何だよ、この町は・・・・・・・・・)

 影人が最初に抱いた感想はそんなものだった。周囲には影人を連れて来た男たちと同じような服装をした人々が多くいる。ある者は人と話し、またある者は何か荷物を運んでいる。そこにいる人々は、皆西洋人のような顔立ちであった。

 影人がいる場所は広場のような場所なのか、取り囲むように店のようなものが並んでいた。石の建物のような店もあれば、布を広げ何やら装飾品のような物を売っているバザー形式のような店もある。いずれにしても、この広場は賑やかだった。

 視界の奥には小高い丘が見え、その丘の上には白い石で出来た神殿のようなものが鎮座していた。

「こんな場所、今の世界にあるのか・・・・・? どう見てもヨーロッパだろここは・・・・」

 そんな言葉が影人の口から漏れる。もちろん、西欧諸国の全てが近代的な都市というわけではないだろう。だが、いくら何でもここは違いすぎる。文明のレベルとでも言えばいいか。明らかにそれが、自分がいた世界とは合っていないように、影人には感じられた。

(あの神殿。似てる気がする。ギリシャの、確か名前は・・・・・殿だったか・・・・?)

 影人は現物を直接見た事はない。しかし、テレビや画像などで見た事はある。影人が見たその神殿は確か所々崩壊していたが、影人の目に映るそれは、崩壊している所もなく白い荘厳な美しさを放っていた。

 その神殿に目を奪われている影人に、黒髪の男は自慢げな顔でこう言った。ただし、やはり影人にはその言葉は分からなかったが。

「ここが俺たちの都市ポリス。最大にして最高の都市――だ」


 ――それは古代に栄えたとある都市国家の名前。後世にまでその名が伝わる、その時代の最大の都市の名前。古代ギリシャ時代の1つの象徴。

 紀元前8世紀から4世紀。影人がいるこの世界は、後に古代ギリシャ時代と呼ばれる世界だった。


 帰城影人は、その世界にいた。

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