第184話 文化祭と乙女たち

 ――話は数分前に遡る。

「はあー・・・・・・」

 自分の教室である2年6組から出た暁理は、大きなため息を吐いた。

(休憩時間はもらったけど、どうしようかな・・・・・・友達に一緒に回らないか、とは言われたけど・・・・)

 暁理は廊下をブラブラと歩きながらそんな事を考えた。せっかくの文化祭だ。色々と回って楽しまなければ損というものである。だから、どこぞの最低前髪と違って友達が普通の数くらいいる自分は、友達と文化祭を楽しむ事が可能だ。

(・・・・・・・・・・でも、僕は本当は影人と一緒に文化祭を回りたいんだよなー)

 だが、暁理が望むのはその最低前髪と一緒に文化祭を回る事だ。確かに影人とは違う友達と文化祭を回るのも楽しいだろう。しかし、影人と回ればそれはきっともっと楽しい。

「はあー、本当あのバカ前髪・・・・ん?」

 暁理が再びため息を吐きながらそう呟いた時だった。暁理は、廊下の先に見知った背中を見かけた。

「あれって、影人だよね・・・・・・・・?」

 黒一色の少し長めの襟足。標準の身長と体格。一見すると何の特徴もない後ろ姿だが、その特徴のなさが逆に影人だと付き合いの長い暁理には分かった。

(影人も休憩時間なのかな・・・・? だとしたら・・・・・・・・こ、これってもしかして、チャンスなんじゃないか・・・・・!?)

 暁理はハッとした。違うクラスで休憩時間が被るなんて、これはもう一種の運命なのではないか。つまり、暁理と影人が一緒に文化祭を回るという事の。

(で、でも何て声かけよう・・・・・? 影人が絶対に悪いとはいえ、僕は影人を拒絶しちゃったし・・・・ッ、というかこのままじゃ見失っちゃう。後を追わないと!)

 暁理がそんな事を考えている間にも、影人は廊下を曲がって姿を消した。暁理は悩むのは後だと割り切り、小走りに駆け出した。









 そして時は現在に至る。

「な、仲良く手なんか繋いじゃってさ・・・・・! 僕だって影人とまた手を繋ぎたいって言うのに・・・・・・・・!」

 草葉の陰から何とやらではないが、暁理は羨ましそうに影人とシェルディアを見つめていた。羨望と嫉妬の気持ちが自分の胸に渦巻くのを暁理は感じた。

(あの子は前に影人にお弁当を届けに来た子だよね。あの時影人はただの知り合いみたいな感じでボカしてたけど、どこがただの知り合いだ! あのロリコン前髪!)

 影人に対して軽い殺意を覚える暁理。自分はこんな気持ちだと言うのに、あの最低ロリコン前髪は仲良くデートと来ている。暁理からしてみれば、到底許せるものではない。

「ん・・・・・・・・・?」

「どうしたの影人?」

「いや、何か寒気がしてな。まあ、気にするほどの事でもねえさ」

 暁理の殺意を感じたのか、影人はブルッと一瞬体が震えた。しかし、影人はその事をあまり気にしはしなかった。

「さて、最初はどこから行く? 嬢ちゃんパンフレットいま校門近くでもらってたけど、気になる所はあるか?」

「気になる所というか、私はあなたと一緒ならどこでも楽しいわ。だから、気ままに回りましょう」

「分かった。でも俺、今日嬢ちゃんと一緒に回れる時間あと2時間しかないからな。そこだけ気をつけてくれ」

 シェルディアらしい返答だなと思いつつも、影人はシェルディアにそう言葉を返した。影人は2時間すればまた着替えてクラスに戻らなければならない。

「了解よ。じゃあ、その間に目一杯楽しまなければね」

 シェルディアは影人のその言葉に首を縦に振った。

「そうかい。あ、嬢ちゃんちょっと待ってくれ。俺まだ昼飯食ってなくてさ。出てる屋台で何個か飯だけ買わせてくれ」

「うん、分かったわ。なら、私も何か食べようかしら」

 影人とシェルディアは外に出ている食べ物系の屋台を2、3軒ほど回った。影人はフランクフルトと焼きそばを。シェルディアはたこ焼きを買った(というか影人が奢った)

「嬉しいけど、別に買ってくれなくてもよかったのに。私、東京に住み始めてから、ちゃんと日本円は持つようにしているし」

「ははっ、いいんだよ。その、色々とした礼の一環だ。まあ安っぽすぎるけど。俺もただの高校生だ。悪いが、そこは容赦してほしい」

 シェルディアと影人は中庭の空いているベンチに食べ物を持って腰掛けた。影人が奢った事に対し、シェルディアはそんな事を言ってきたが、スプリガンの正体を誰にも口外せずに協力してくれている事などに関する感謝の意も込めて、影人はシェルディアに対し無理矢理気味に奢ったのだった。

「ふふっ、そういう事なら素直に頂いておきましょう。ありがとう影人」

 影人の言葉の意味を悟ったシェルディアは、笑みを浮かべた。影人も軽く口角を上げながら頷くと、フランクフルトに齧り付いた。

「うーん、やっぱ祭りはフランクフルトだ。そういや、嬢ちゃんの主食って何なんだ? いや、嬢ちゃんってだろ。やっぱりトマトジュースという名の血なのか?」

 影人はフランクフルトと焼きそばを食べながら、シェルディアにそんな質問をした。一応、学校なのでシェルディアの正体に関する言葉はボカしながら。質問の意図は単なる好奇心だ。

「ええ。私は生物の血液・・・・・とりわけ人間の血を一定の量摂取さえしていれば、栄養源はそれだけで足りるわ。だからあなたの言葉通り、主食は人間の血ね。でもだからといって、こういった食べ物を食べないという事はないわ。私、食事も好きだから。あと、言葉ボカさなくていいわよ影人。今この辺りに『世界』の応用で私たちの声が聞こえないようにしたから」

「おう、マジかよ・・・・・流石は嬢ちゃんだぜ・・・・・」

 全く分からなかった。サラリととんでもない事を言ったシェルディアに、影人は少し引いた。その凄さから。

「私も質問なのだけれど、スプリガンの時のあなたはその前髪が長さを変えて顔が露出しているわよね。あれってあなたの素顔なの?」

「ああ一応な。目の色は金じゃなくて、普段は黒だけど」

 自分たちの声が誰にも聞こえないという状況を利用して、シェルディアも影人に質問を投げかける。影人もその状況に安心しながらしっかりと答えを述べた。

「そう、やっぱりあれがあなたの素顔なのね。不思議ね。普段のあなたは顔をその前髪で隠していて、それがあなたという存在を足らしめている。でも、スプリガンの時のあなたは素顔を晒す事で、あなただけど、あなたではないという事を顕在させている。もちろん、強力な認識阻害の効果ありきだけれど」

「そう言われると何か哲学的に聞こえるぜ。まあ、嬢ちゃんが言いたい事は何となく分かるけどな」

「ふふっ、賢い子ね。なら、そんな賢い子にはご褒美を上げましょう。ほら、影人。口を開けて」

 シェルディアは楽しそうに笑うと、悪戯っぽい表情を浮かべ影人にそんな事を言ってきた。そして、残り1個のたこ焼きに爪楊枝を刺してそれを影人の方へと差し出してきた。

「く、くれるのは確かに嬉しいけど、自分で食べられるから大丈夫だ。ほ、ほら爪楊枝貸してくれ嬢ちゃん」

 嫌な予感がした影人はギクシャクとした表情になりながら、シェルディアにそう言った。だが、シェルディアは悪戯っぽい表情を崩さずにこう言ってきた。

「ダメよ。それじゃあご褒美にならないでしょ? ほら私からの下賜よ。しっかり受け取りなさい。じゃなきゃ、分かってるわよね?」

(ク、クソ、逃げられねえ・・・・・!)

 影人は悟った。自分がこの状況から絶対に逃げられないと。自分が取らなければならない行動を。しかし、それをするには影人の心が激しく抵抗する。

(学校だぞ!? 人の目もある! というか、パッと見そんなイチャイチャしてるような事したくねえ! 俺は孤高で孤独の帰城影人だ・・・・・・・・!)

 そう。自分には譲れないものがある。それは孤高。それは孤独。それこそが帰城影人である。例えシェルディアといえど、そのような事だけは受け入れるわけにはいかないのだ。決して。

「影人? 早くして。私、怒るわよ?」

「あ、はい。分かりました・・・・・」

 しかし、そんな影人の決意はシェルディアの短い言葉によって一瞬で砕かれた。この間わずか2秒である。情けねえ野郎だ。

「はい、あーん」

「あ、あーん・・・・・・・」

 覚悟を決めたというか決めさせられた影人は、羞恥に顔を歪めながら口を開いた。恥ずかしくて顔から火を吹きそうだ。まさか自分がこれをやる事になるなんて。

 少し冷めたたこ焼きが、影人の口に入るかと思われたその時、どこからか大きな声が響いた。

「ダ、ダメーーーーー!」

 その声の主は、校舎の陰から急に現れ影人たちの方へと爆速で近づいてきた。その予想外の展開に、影人はそのまま固まった。

「え・・・・? さ、暁理・・・・・・・・?」

 現れたのは暁理だった。影人が友人の登場に驚き戸惑っていると、シェルディアがこんな言葉を述べた。

「ああ、あなただったの。さっきから私たちをつけていたのは。確か、前にここで会った子よね」

 さしたる驚きもないようにそう言ったシェルディア。どうやら、シェルディアは暁理が尾行していた事に気づいていたらしい。暁理は勘の鋭い子だなと思った。

「それよりもダメとはどういう事かしら? あなたがダメだという理由が私には分からないのだけれど・・・・・・あなた、影人と恋仲ではないのよね?」

「こ、恋仲!? ち、ちちち違う違う! ぼ、僕と影人が恋仲なんて・・・・・・!」

 不思議そうに首を傾げるシェルディアに、暁理は赤面しテンパった。そんな暁理とは対照的に、影人は冷静にシェルディアの推察を否定した。

「暁理の奴とはそんなんじゃないよ。こいつはまあ、珍しい俺の悪友だ。こいつがダメって言った理由は、俺が世間一般で言われてるリア充みたいな事しそうだったのがムカついたんだろうぜ。大体そんなとこだろ?」

「ッ・・・・・! そ、そうだよ! 君がこんな可愛くて綺麗な子と一緒にいるのが腹立ったから、ちょっとね!」

 影人の指摘に乗っかった暁理は半ば反射的にそう言って誤魔化した。まさか本当の理由を影人に言うわけにもいかない。

「ふーん、そう。私からしてみれば少し面白くなかったけど、影人の友人という事なら大目に見ましょう」

 結局、影人に差し出した宙ぶらりんだったままのたこ焼きを仕方なく自分の口に入れながら、シェルディアは暁理にそう言った。

「さて昼食も済んだ事だし、建物内を回りましょうか影人。時間は有限。ほら、行きましょう」

 たこ焼きを全て食べ終えたシェルディアが、ベンチから立ち上がり影人に手を差し出してきた。シェルディアと同じでフランクフルトや焼きそばを食べ終えていた影人は、ゴミを右手で持ちながら立ち上がった。

「そうだな。じゃ、適当に回るか」

 暁理の前という事もあって、シェルディアの手をワザと握らなかった影人。流石にこの場面で手をまた握るのは恥ずかしすぎる。シェルディアは影人が手を握らなかった事に若干不満そうに顔を歪ませたが、影人は全力でそれを無視した。

「じゃあな暁理。俺はこの嬢ちゃんを案内しなきゃならないからよ。またな」

「あ・・・・・・・・・・」

 影人は暁理に軽く手を振りながらそう告げた。暁理はどこか悲しそうにそんな声を漏らしたが、色々と欠落している前髪野郎は平然とその声を無視して、歩き始めた。人間のクズである。

「ふーん・・・・・・・・・・」

 影人とは違い、その辺りも色々と察しのいいシェルディアは、暁理をジッと見つめていた。

「ん? どしたんだよ嬢ちゃん。行くんじゃなかったのか?」

 ついて来る気配のないシェルディアに、影人は振り返ってそう言葉を飛ばしたが、それでもシェルディアはその場から動く気配を見せなかった。

「・・・・・ねえ、よかったらあなたも一緒に回らない?」

「「え?」」

 そして、シェルディアは唐突にそんな提案を暁理に投げかけた。その意外な提案に、影人も暁理も驚いたような顔になった。

「本当は私も影人と2人きりで回りたいけど、あなたは影人の数少ない友人なのでしょう? それに、あなたは影人の事を想ってくれているようだし・・・・・・・・・どうする? 決断するのはあなたよ」

「っ・・・・・・・・・!」

 その言葉を受けた暁理は、今日を含めたった2回しか会った事のないシェルディアが、自分の影人に対する気持ちを知っているのかと推察した。自分の心臓の鼓動が早まったのを暁理は感じた。

(で、でもこれはチャンスだ・・・・! 僕1人だけだったら、影人と一緒に文化祭は回れない。なら、僕の答えは決まってる・・・・・・)

 色々と欠落している前髪のせいで、暁理は影人に素直に一緒に文化祭を回ろうなどとはどうしても言えなかった。だが、このタイミングならば暁理も影人と同行する事は可能だ。

「な、ならお願いするよ。僕からしてみれば、そこの前髪が君みたいな可愛くて綺麗な子にいつ何するか不安でしかないし。僕の名前は早川暁理。よろしくね」

「そう。よろしく暁理。私の名前はシェルディアよ」

 暁理はシェルディアの提案に頷き自己紹介をした。シェルディアは軽い笑みを浮かべながら、暁理に自分の名前を告げた。

「げっ、お前マジでついて来るのかよ。お前俺に対して怒ってだろ。その怒りはいいのか?」

 その答えを聞いていた影人は面倒くさそうな表情になると、暁理にそう聞いた。暁理は影人が夏休みにどこかに一緒に行くという約束をすっぽかしてから、影人に対して怒っていた。影人はまあいつか機嫌を直すだろうと、暁理に全く干渉していなかったが、自分に対してまだ怒っていたはずだ。

「怒ってるに決まってるだろ! 影人が謝罪と埋め合わせしない限り、絶対に許してやらないんだからな! でも、僕は大人だし今回は怒りを一旦抑えてるってだけさ。そこのところは勘違いするなよ!」

 そして案の定というべきか、暁理はまだ怒りを噴火させたままだった。

「お前も大概に面倒くさい奴だよな・・・・・・・」

 一瞬で怒りを露わにした暁理を見た影人は、ポツリとそんな言葉を漏らした。

「ふふっ、あなたたち仲が良いのね。じゃ、行きましょうか暁理、影人」

「う、うん」

「仕方ねえな・・・・・・」

 こうしてシェルディア、暁理、影人の3人は一緒に文化祭を回る事になった。

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