第181話 出来ることなら

「・・・・・・・・・・・・」

 9月23日日曜日、午前10時過ぎ。影人は自分の部屋のイスに座りながら、考え事をしていた。

(・・・・・これからはシェルディアも協力者。・・・・・なんだか、変な気分だぜ。別に俺たちにはメリットしかないし、ソレイユの奴が決めた事だから文句は言わねえがよ)

 考え事の主題は昨日の事だ。スプリガンの正体を知ったシェルディアは、意外にも影人たちの協力者になる事を申し出た。もちろん表立ってではなく、裏からではあるが。そのおかげで、スプリガンの怪人性は現在も守られている。

「・・・・・・本当なら、感謝すべきなんだがな」

 ポツリと声に出して影人はそう呟く。そう、本来ならば影人はシェルディアに感謝しなければならない立場なのだ。殺意を以てシェルディアと戦ったのに、シェルディアは自分を殺さなかった。あまつさえ、協力者にもなってくれた。客観的に見ても、影人はシェルディアに感謝しなければならない。

(・・・・・・・・・だが、どうしても俺はシェルディアに純粋な感謝の気持ちを抱けない。理由は分かってる。シェルディアが、と同じような存在だからだ・・・・・・)

 それは自分がシェルディアに殺意を抱いた理由でもある。影人が自身で封じている記憶。その中にいる純粋な人外の存在。正確には、影人の記憶の中にいるのは残滓であり影だが、影人は過去にその本体と色々あった。それこそ、圧倒的な負の感情を抱くほどに色々と。

(・・・・・・・・・本当は分かってる。シェルディアはアレと同じ存在でも、アレとは違うって。2日前は色々と驚きすぎて感情が普通じゃなかった。冷静に考え直してみれば、ケンカを一方的にふっかけたのは俺だしな。それに・・・・・・・・)

 思い返してみれば、シェルディアが吸血鬼だからといって影人や影人の家族たちに危害を加えた事はなかった。シェルディアが悪意ある存在ならば、とっくの昔にシェルディアは自分たちに何かをしているはずだ。

 客観的に見つめ直してみれば、シェルディアが影人と出会ったアレとは違うという事は明白だ。要は人間と同じ。いい人間もいれば、悪い人間もいる。そして、化け物にもいい化け物や悪い化け物がいる。問題はそれとほとんど同義だ。

「・・・・・・・・・・だがそうは分かっていても、人間の心ってのは単純じゃないんだよな」

 影人は自分の部屋の天井を仰ぎながら、ため息を吐く。その事は分かってはいる。分かってはいるのだが、どうしても影人の頭に過るのは、シェルディアが化け物であるという事実だ。はっきりと言ってしまえば、影人はシェルディアに恐怖を抱いていた。不信感もやはり完全には拭えない。

(・・・・・・・・・まあ、もう今まで通りの関係とはいかない事だけは確かだな)

 例え無理に取り繕ったとしても、シェルディアは影人の本心にきっとすぐに気がつく。シェルディアはそういった所が鋭い。だから、影人はこれから自身の態度を隠さないつもりだ。

「なんか心が重くなってきたな・・・・・・・少し散歩でもして気分を変えるか」

 影人はガリガリと頭を掻くと、サイフを以て部屋を出た。










「そういや、明日から文化祭か。まあ着る衣装は水錫みすずさんに頼んで何とか用意してもらったから大丈夫なんだが・・・・」

 20分ほど家の近辺をぶらぶらと当てもなく歩き回っていた影人は、家の近くの公園のベンチに腰を下ろしていた。午前という事もあり、日差しはまだそれ程キツくない。今日は風もよく吹いているので、こうして外で座っている分にも中々気分が良かった。

「水錫さんは『マジでこれ着るの? 少年ヤバいね』とか言ってたが・・・・・・別にコスプレ喫茶なんだから大丈夫だと思うんだがな」

 公園にはまばらに子供たちの姿があるが、影人は特にその辺りの事は気にせずに癖である独り言を呟き続ける。そのせいで、子供たちは若干怖がっていたり、ヒソヒソと話しながら影人に不審げな目を向けているのだが、影人はその事には気づいていない。アホである。

「まあ、いい。今更衣装変えるのなんざ不可能なんだ。明日は予定通りアレ着よう」

 散歩の途中で買ったミネラルウォーターを飲み、喉を潤した影人はそう呟くとペットボトルの蓋を閉めベンチに置いた。

「・・・・・・・・こんなにいい天気だってのに、心は全く軽くならなかったな。まあ、原因が何も解決してないから当然だがよ」

 影人はぼけーと晴れ渡った空を見上げた。快晴、その一言に尽きる青空だ。美しい。純粋にそう思える。だが、今の影人に、この青空は心の底から晴れやかさを感じさせてはくれない。

「・・・・・帰るか」

 家に帰って明日着る服を1度着てみよう。それくらいしかやる事はないが、ここにいてやる事もない。影人がペットボトルを持ってベンチを立ち上がろうとすると、どこからかこんな声が聞こえてきた。

「――あら、偶然ね影人。こんな所で出会うなんて」

「っ・・・・・・・?」

 影人が自分の名を呼ぶ声のした方向に顔を向ける。声のした方向は公園の入り口。影人がそちらに顔を向ける。

 影人の名を呼んだのは、豪奢なゴシック服を纏った精巧な人形のように美しい少女だ。ブロンドの美しい髪を緩く結んだツインテールにしている。黒い日傘を差しながら、その少女は影人の方へと向かって来た。

「・・・・・・・シェルディア」

 影人は少女の名を呼んだ。いや、正確には少女の姿をした吸血鬼か。今の影人の心の重さとなっている原因であるモノだ。

「ふふっ、そう言えば2日前からあなたは私の事を名前で呼んでいたわね。あなたに名を呼ばれるというのは、結構というかかなり嬉しいのだけれど・・・・・・前の呼び名も気に入っていたから、少し複雑な気分でもあるわね」

 シェルディアは言葉通り嬉しさと悲しさが混じったような顔で笑い、ベンチに座っている影人の前で足を止めた。

「お隣、座っても?」

「・・・・・好きにしてくれ」

 影人はペットボトルを自分の近くに置き直し、そう答えた。その答えを聞いたシェルディアは「ありがとう」と言って、影人の隣に腰を下ろした。

「珍しいわね。あなたがこの時間にここにいるなんて」

「・・・・・・・・まあ、今日はたまたまだ。天気も良かったから、散歩したかった気分なんだよ」

 日傘を畳んで自身の影の中に傘を放り込みながら、シェルディアがそんな事を聞いてくる。影人はその光景を何とはなしに眺めながら、自分がここにいる理由を述べた。

「ふふっ、あなたとこうしてここに座っていると、あなたと会った時の事を思い出すわ。まさか、たまたま出会ったあなたがスプリガンだったなんて、あの時は思いもしなかったわ」

「・・・・それはこっちのセリフだぜ。あんたがレイゼロールサイドで、あれ程までに強い化け物なんて思いもしなかった」

 シェルディアと影人はお互いの事についてそう言葉を交わし合った。そう、お互いにあの時はそんな事は全く思っていなかった。そして、その事に全く気がつかない内に、シェルディアと影人は隣人として言葉を交わし合っていた。

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

 唐突に沈黙が流れる。普通に言葉を交わしてはいたが、シェルディアと影人は2日前に本気の殺し合いをした。気まずさというのは当然ながら存在する。特に、影人は自分の昏い感情をシェルディアに全て曝け出した。気まずさはかなりのものだ。

「・・・・・・・・・やっぱり以前のようにとはいかないわね、お互いに。・・・・・・・・・ごめんなさいね、影人。あなたに私がどのような存在か、私は隠していた。嫌よね、怖いわよね。自分のすぐ近くに、私のような化け物がいるのわ。特に、あなたは私のような存在に並々ならない感情を抱いているみたいだし・・・・・・・・・本当に、本当にごめんなさい」

 シェルディアは悲しげな表情を浮かべながら、突然影人に謝罪してきた。それはきっと、シェルディアが誰にも見せた事がない表情だ。そして、それは年頃の少女のような弱々しい表情でもあった。

「な、何でだ・・・・・・・? 何であんたが謝るんだよ? 謝るのはどう考えても俺の方だろ・・・・!?」

 シェルディアから謝罪を受けた影人は戸惑った。シェルディアが影人に謝る事は何1つない。シェルディアとの戦いで先に仕掛けたのは影人の方だ。一方的に過ぎる感情を自分はシェルディアに押し付けた。だというのに、なぜシェルディアが謝罪するのか。影人には全く意味が分からなかった。

「・・・・・いいえ、影人。あなたは何も悪くはないわ。私の正体を知った人間の反応として、あなたの反応は普通だった。誰だって自分のすぐ近くにいたのが化け物だと分かれば、恐怖するか排除しようと考える。あなたはたまたま私を排除できるかもしれない力を持っていたから、後者を実行しただけ。だから、あなたは悪くないわ」

 首を左右に軽く振りながら、シェルディアはそう言った。そして、シェルディアはどこか儚げに笑いながら影人にこう告げて来た。

「安心して影人。もう少ししたら、私はあの部屋から出て行くから。あなたたちの協力者になったから、時たまに会ったり連絡したりはしないといけないけれど、それ以外はあなたの前に現れないわ。・・・・・あなたにとって、私は気分が良い存在ではないでしょうから」

「ッ・・・・・!?」

 その言葉を聞いた影人は前髪の下の両目を見開いた。シェルディアは自分を思いやってくれたのだ。でなければ、そんな言葉は出てこない。影人はシェルディアの「思い」を感じた。

(・・・・・・・・・・・・・・・ああ、俺は本当にバカだな)

 影人は心の底からそう思った。何が心はそう単純にはいかないだ。もうとっくに心の底の底では分かっていたはずなのに。シェルディアは優しい吸血鬼だという事を。

(何が化け物だ。何がアレと同義の存在だ。ここにいるのは、ただ俺なんかを思いやってくれている優しい女性だ。俺が見て来たシェルディアは、偽物なんかじゃなかった・・・・・!)

 醜い化け物は影人の方だ。シェルディアを化け物だと言うだけで、自分はシェルディアを殺そうとした。それまで自分が見ていたシェルディアの事なんて頭から消して。ただ自分と同じ人間ではないと言う理由だけで。どう見ても、本当の化け物は影人の方だ。

「・・・・・・言いたかったのはそれだけよ。じゃあ、私はこれで失礼するわ」

 影人がそんな事を考えていると、シェルディアはベンチから立ち上がった。そして、シェルディアはベンチから離れようと公園の出口に向かって歩き出そうした。

 だが、

「少しだけ待ってくれ!」

 離れようとしたシェルディアの右手を、影人は自身の右手で掴んだ。

「え・・・・・・・・・?」

 影人に右手を掴まれたシェルディアは、驚いたように振り返りそう声を漏らした。

「・・・・・・ごめんなシェルディア。俺は君を傷つけた。君に、違う存在を重ねて。君は確かに人じゃない。だけど、君は邪悪な存在じゃない。本当はそんな事は分かってたんだ。たださっきまで、俺の感情はそれを受け入れようとはしなかった」

 影人はシェルディアの手を握りながら、自分の中から湧き出てくる言葉を述べる。シェルディアの手は少し冷たい。前にシェルディアの手を握った時は何とも思わなかったが、これはきっと吸血鬼としての体温が原因なのだろう。

 しかし、そんな事はどうでもいい。人ならざる者の手がどうした。いま自分は、この手を握らなければならないのだ。

「・・・・・でも、君がいま俺に言った言葉で目が覚めたよ。君はただの優しい吸血鬼だ。確かに君の強さは絶対的だ。でも、君は優しい人間と何も変わらない。・・・・・・・・ごめん、言葉が纏まってないな」

 影人はクシャクシャと左手で自分の髪を掻いた。考えて話していないから、結局自分が何を言いたいのかシェルディアには伝わっていないだろう。影人は1つ大きく深呼吸をして、再び言葉を紡ぎ出した。

「俺が君に言いたいのは謝罪と、情けなく思うだろうが許しを乞う言葉だ。まずもう1度しっかり言うよ。ごめんなさい。俺は身勝手な自分の感情を理由に君を殺そうとした。謝って済む事じゃないのはわかってる。でもこれだけは言わなければならなかったから」

 影人は改めてシェルディアに謝罪した。それは影人の心の底からの謝罪の言葉だった。

「そして、もう1つ。君に許しを乞う言葉を言うよ。もし、君が俺への負い目が原因でどこかへ行くと言うのなら・・・・・・・その決断は思いとどまってはくれないか? 出来ることなら、もし君が俺を許してくれるなら・・・・・・・・俺は今まで通り、君と何気ない日常を過ごしたい」

「っ・・・・・・・・・!?」

 許しを乞うその言葉を聞いたシェルディアは、その目を大きく見開いた。影人は驚いているシェルディアを見つめながら、最後にこう言った。

「都合のいいのは重々承知だ。嫌ならもちろん拒否してくれて構わない。・・・・・・・・・・どうかな、

 シェルディアの事をそう呼びながら、影人は小さな笑みを浮かべた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・いいの? 私はあなたの近くにいても、あなたとこれまで通りの日常を過ごしても、本当にいいの・・・・・・・?」

 シェルディアは呆けたような顔になりながら、影人にそう聞き返して来た。少し怯えたような、今にも泣き出しそうな、そんな声音で。

「ああ、もちろん。君がそう望むのならば」

 影人は優しく暖かな声でシェルディアにそう言葉を返した。

「っ、影人・・・・・・!」

 頷いた影人を見たシェルディアは、両目から一筋の涙を流しながら、影人に抱きついた。

「私は、あなたの近くにいたい! あなたと何気ない日々を過ごしたい! 初めて人の暖かさを知ったのよ! それをくれたあなたと、私は離れたくない!」

「なら、いればいいさ。俺も嬢ちゃんのいる日々は好きなんだ。母さんも穂乃影も、君がいなくなったらきっと悲しむ。嬢ちゃんがそう望むなら、そうしてほしい」

 シェルディアの慟哭を聞いた影人は、恐る恐るではあるが、シェルディアの背に優しく両手を回した。恥ずかしいという気持ちがないと言えば嘘になるが、今はそれよりも暖かな気持ちの方が強い。

「ありがとう、嬢ちゃん。そう思ってくれて。君に心からの感謝を」

「ありがとう、影人。こんな私を受け入れてくれて。心の底から嬉しいわ」

 影人とシェルディアをお互いにそう言葉を交わし合う。

「よし、じゃあ仲直り記念に今日はこれから遊ぼうぜ。それで、夜ご飯はウチで食っていけよ嬢ちゃん」

 シェルディアの背から両手を外し、影人は明るくそう提案した。影人の提案を聞いたシェルディアは、輝くような笑顔を浮かべこう返事をした。

「ええ!」

「よし、じゃあ適当にどっか行こうぜ!」

 影人は今度は左手でシェルディアの右手を引いて歩き始めた。シェルディアも影人の手をしっかりと握り、隣に並ぶ。影人は「あ、そう言えば」と言ってシェルディアにこう聞いた。

「呼び名はどうすればいい? 嬢ちゃんって呼び名に勢いで戻しちまったけど、俺みたいな奴にそう呼ばれるのは嫌じゃないか?」

 嬢ちゃんという呼び名は、影人がシェルディアを自分より下のただの少女だと思っていた時の呼び方だ。だが、今の影人はシェルディアが不老不死の吸血鬼だと知っている。シェルディアが何歳なのか知らないが、明らかに影人よりは年上だろう。なら、嬢ちゃんという呼び方は失礼に当たるのではないか。影人はそう思った。

「全然嫌じゃないわ。私の事をそう呼ぶのはあなただけだから。だから、呼び名はこれまで通りの方が私はいいの」

「そうかい。そういう事なら分かったよ、嬢ちゃん」

 シェルディアの答えを聞いた影人はフッと笑う。なら、自分は今まで通りシェルディアの事をそう呼ぶ事にしよう。

「さて、じゃあどこに行くか。嬢ちゃん、行きたい所はあるか?」

「あなたと一緒ならどこにでも。でも、そうね。なら最初は――」

 輝く太陽と気持ちのいい青空の下、影人とシェルディアがそんな相談をする。手を繋ぎそんな会話を交わす2人の姿は、

 ――本当に楽しそうだった。

 吸血鬼と怪人を演じる少年は、本当の意味で今日わかり合えたのだった。

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