第179話 人と女神と吸血鬼と

「俺たちによる話し合いだと・・・・・・・?」

 ソレイユの言葉を聞いた影人は、鸚鵡返しにそう呟いた。ソレイユのその言葉も、影人の理解を超えていたものだった。

「ええ。昨日あなたが気を失った後に色々ありましてね。とにかく、イスに掛けてください。話はそれからです」

 ソレイユが用意していたテーブルと3つのイスを指差しながらそう促して来た。影人はまだ驚きから少し呆然としていたが、シェルディアは「ならお先に失礼するわ」と言ってスタスタとテーブルに向かいイスに座った。ソレイユも「では私も」と呟き、イスに腰掛けた。残る席は1つ、影人の席のみだ。

「ああ、クソッ・・・・・・急展開だな、おい!」

 未だに理解が追いついていない影人は、右手でくしゃくしゃと頭を掻きながらそう言葉を吐き出すと、空いているイスに向かい座った。

 こうして同じテーブルを囲み、影人、ソレイユ、シェルディアが顔を合わせる事になった。

「影人、まずはこれをあなたに返しておきますね」

 影人が席に着いたのを確認したソレイユは、自分の光のベールのような服のポケットから、黒い宝石のついたペンデュラムを取り出し、それを影人に差し出して来た。イヴの宿るスプリガンになるための変身道具だ。

「へえ、それがスプリガンに変身するための道具なのね」

「っ・・・・・・・・・」

 ペンデュラムを見たシェルディアが先ほどこの場所を見渡していた時と同じ、興味深そうな目をペンデュラムに向けた。シェルディアのその反応を見た影人は、素直にペンデュラムを受け取っていいか分からなかった。

「影人。残念ながら、シェルディアにはあなたがスプリガンだという事はもうバレてしまっています。だから、もう・・・・・・・・」

「・・・・・・・・目の前で受け取っても大丈夫って事か。ま、やっぱりそうだよな・・・・」

 ソレイユが言葉にしたその事実に、影人は軽くため息を吐いた。分かってはいたが、改めて言葉に出されると少し心にくるものがある。少しの虚無感とでも言えばいいだろうか。何だかんだ、影人はスプリガンであるという秘密を徹底的に隠して来た。それがバレてしまったのだから、そんな気持ちを抱くのは当然と言えば当然だ。

「・・・・・分かった。じゃあ、返してもらうぜ」

 影人はそう呟くと、ソレイユからペンデュラムを受け取った。それは、影人がスプリガンであるという事を、自分で認めた一種の証明だった。

『くくっ、よう影人。昨日ぶりだな。なんかメチャクチャに面白そうな事になったなおい』

(随分と機嫌が良さそうだなイヴ・・・・・・・・まあ、お前からしてみりゃ、俺が困ったりしてんのは楽しいんだろうがよ)

 ソレイユからペンデュラムを受け取った瞬間、影人の頭の中にイヴの声が響いた。ウキウキとした声のイヴに、影人は少し呆れたように内心でそう返事をした。

「・・・・・で、そろそろ教えてくれ。俺がここにいる吸血鬼と戦って負けた後、何があってこんな状況になったんだ?」

 影人はペンデュラムをズボンのポケットに仕舞うと、ソレイユに向かってそう問うた。敵であると判明したシェルディアと話し合いをするに至った背景、それが影人には分からないのだ。

「・・・・・・・・・あなたがシェルディアと戦い気を失った後、私はあなたのいる場所に降りました。あなたを、シェルディアに殺されないようにするために」

「っ、マジか・・・・・・・」

 ソレイユが地上に降臨した。その事を聞いた影人は軽く息を呑んだ。確かに、神は地上に降りる事が出来るとソレイユから聞いた事がある。事実、守護者の神であるラルバなどは、定期的に地上に降りてはソレイユにお土産を買ってくるらしい。影人もそのラルバが買ってきたお土産であるという、東京バ○ナをここで食べた事がある。どうでもいいが、あれは美味かった。

 いや、そんな事は本当にどうでもいい。確か、神は地上に降りると――

「おい、ソレイユ。てめえ正気か・・・・・? 神は地上に降りると、ほとんど普通の人間と変わらないんだろ? そんな状態で、こいつの前に出たって言うのかよ・・・・・? ・・・・・・お前はバカか!?」

 そう。神は地上に降りれば制約に縛られ、普通の人間とほとんど同義の存在となる。影人はいつかソレイユからその事を聞かされた。だから、影人は信じられないといった口調でソレイユにそう言ったのだ。

 影人はシェルディアの強さを知っている。実際、影人は裏技的に『世界』を顕現させてもシェルディアには勝てなかった。そんな相手に、一般人とほとんど変わらないソレイユが何も出来るはずがない。シェルディアは敵。下手をすれば、殺されていたかもしれない。生きて今ここにいる事態が奇跡のようなものだ。

「・・・・・・・・あなたの言う事は分かります。ですが、私は万が一にでもあそこであなたを失う訳にはいかなかった。・・・・それに、シェルディアとは一応顔見知りでもありました。だから、大丈夫だと踏みました」

 ソレイユは影人の言葉の意味をしっかりと理解しながらそう答えを返した。いつもの煽るような言葉でも悪口でもない。影人は本気でソレイユの事を心配してくれたのだ。

「っ? ま、待てよ。・・・・・・シェルディアとお前が顔見知りだと・・・・・・?」

 その箇所をどうしてもスルーする事が出来なかった影人は驚愕したようにそう言葉を漏らす。その情報は初耳だった。

「ええ、そうなの。私とソレイユは昔から何度か顔を合わせた事がある顔見知り。お互い、無駄に長生きしてるから自然とね。・・・・・・・まあ、今の私はレイゼロール側だから、ソレイユとは一応敵同士という事なのだけど」

 ソレイユの代わりに答えたのはシェルディアだった。何でもないような口調だ。

「顔見知りという事なら、あなたとシェルディアが顔見知りだったという事に私は大いに驚きましたよ。しかも、シェルディアは現在はあなたの隣人だと言うではないですか。昨日少しシェルディアと話した時に聞きました」

「そりゃお前からしてみたらそうだろうが・・・・・・・・俺も昨日は驚いたんだ。まさか隣人が・・・・・敵で吸血鬼なんてな・・・・」

「それは私もよ。影人がまさかスプリガンだったなんて思いもしなかったわ。私ですら欺くほどの認識阻害力があったのが、その原因だけど」

 影人に対してソレイユが、シェルディアに対して影人が、影人に対してシェルディアがそれぞれそんな言葉を漏らす。ここにいる3者は、全員ちゃんと今のこの状況を受け入れられていない。その事が、3者の言葉の端からは感じられる。

「・・・・・・・・・・だが、お互いの関係について詳細に話すと時間があっという間になくなる。だから、今は関係性は置いといて、先に話すべき事を話そうぜ」

 影人はこの場の空気からその事を感じ取ると、主にソレイユにそう促した。今はなぜ、自分とソレイユが敵であるはずのシェルディアと話し合いをする事になったのか、その事を話していたはずだ。

「・・・・そうですね、あなたの言う通りです。話を戻しましょう。私は地上に降り、シェルディアと相対しました。そこで、私はシェルディアに提案しました。少し話さないかと」

 影人の言葉を受けたソレイユが、話の内容を元に戻す。すると、ソレイユの言葉を引き継ぐように、シェルディアが再び口を開いた。

「私はソレイユのその提案に頷いたわ。なにしろ、私も混乱していた。そこに何かを知っているようなソレイユが現れたものだから」

「・・・・・・私がシェルディアに話した内容は、私とあなたが繋がっているという事です。シェルディアはその事実に驚きながらも、私にあなたとの関係を簡潔に話してくれました。そして後日、詳しい事を話すから、どうかあなたを殺さないでほしいと私は嘆願しました。都合の良すぎる話です。だから、私はもちろん拒絶されると思いました。ですが、シェルディアは・・・・・」

 チラリとソレイユがシェルディアの方に視線を向けた。視線に気づいたシェルディアは、まるで許可するかのようにコクリと首を縦に振る。その仕草を見たソレイユはこう言葉を続けた。

「・・・・スプリガンがあなただと分かった時点で、絶対に殺しはしないし傷つけないと、そう言いました。ですが、話はしたいと言ったので、このような状況になったという事です」

「な・・・・・・・・・・・」

 その事を聞いた影人は唖然とした顔でシェルディアの顔を見た。シェルディアは澄ましたような顔を浮かべている。

「何でだよ・・・・・・俺はあんたを本気で殺そうとしたんだぞ・・・・? しかも、完全な俺の身勝手な感情だけが理由で・・・・・・・あんたからしてみれば、俺は知り合いってだけのただの人間のはずだろ。だって言うのに、何であんたは・・・・・・・」

 それは謝罪や感謝の言葉ではなく、問いかけの言葉だった。影人には十分にシェルディアに殺されるだけの理由がある。何であれ誰かを、何かを殺そうとした者は、自身が殺されても文句は言えない。それが、殺そうとするという事だからだ。そうでなくとも、影人はスプリガン。レイゼロールが邪魔に思っている存在だというのに。

「それは・・・・・・・・私にとって、あなたは『ただの人間』では決してないからよ、影人。それはあなたがスプリガンだと分かっても、例え私の事をよく思っていなくても変わらない。あなたの前でも宣言するわ。私は、あなたを傷つけないしあなたを殺さない」

 シェルディアは真剣な表情で影人にそう返答した。その顔に嘘や他の感情は見られない。シェルディアは本気でそう思っている。影人にはそのように感じられた。

「ッ・・・・・・・・・」

「と、このような感じです。シェルディアは気を失っているあなたを、あなたの家まで送っていくと私に言ってきました。もちろん、何もしないと誓って。その余りの真剣さに、私はシェルディアにあなたを託しました。シェルディアは自分の誇りと信条を持っています。私はその事を知っていた。だから、彼女が自分の言葉に嘘をつかないと考えました」

 シェルディアの本気の言葉を聞いてどのような反応をしていいか分からない影人。その間に、ソレイユが補足の説明を入れる。ついでに、「まあそれでも一応、あなたのマンションの前までは同行しましたが」とソレイユは付け加えた。移動した方法は、シェルディアの転移だとも、ソレイユは述べた。

「私はシェルディアに伝言を残して、あなたと共にここに来るように言いました。ここなら絶対に大丈夫ですから。・・・・・・さて、これであなたも現在に至る状況を理解できたと思います。質問はないですか影人?」

「・・・・・ああ、質問はない。大体の事は分かった」

 確認を取って来るソレイユに影人は頷いた。今に至る状況を影人が理解した。影人の言葉を聞いたシェルディアは、いよいよといった感じでこんな言葉を放った。

「ならばそろそろ聞かせてくれるかしら。ソレイユ、影人、あなたたちの関係について。そして、スプリガンに関する全ての事を」

 シェルディアがソレイユと影人に視線を向けた。その瞳は一見すると穏やかなものに見えるが、瞳の奥には有無を言わせぬ力があった。

「・・・・・・・・・・分かっています。あなたには全てを話すと、昨日私が言いましたから。あなたもいいですね、影人」

「・・・・・・・・・俺はお前の決定に従うだけだ。お前がそうするというなら、そうしろよ」

 影人は少しぶっきらぼうにそう返事をした。元はと言えば、スプリガンの正体がバレる事になったのは自分のせいだ。そのせいで、今全てがパーになろうとしている。影人はその事を自覚している。

(情けねえし不甲斐ねえ。俺がイキったばかりにこのザマだ・・・・・)

 影人がぶっきらぼうにそう言ったのは、要は自分の情けなさが恥ずかしかったからだ。影人とて男。それくらいの感情はある。

「・・・・・・・・・レイゼロールサイドに属するあなたに今からこの話をせざるを得ないというのは、本来ならば絶対に避けたかった事態ですが仕方がありません。あなたにお話しましょう。スプリガンについての全てを」

 そして、覚悟を決めたソレイユはシェルディアにこれまでの事、そしてスプリガンに関する全てを話した。












「・・・・・・・・・・・・・なるほど。理解したわ」

 ソレイユから全ての事を聞かされたシェルディアは、話を聞き終えると静かにそう言葉を漏らした。

「スプリガンとはいわば影の守護者。ソレイユから能力を与えられた、ただ1人のイレギュラー。それがあなたという事ね、影人」

「・・・・・そうだ。正体不明・目的不明を演じていたスプリガンが所属していた陣営は、実はこっち側ってわけだ。俺が正体不明・目的不明を貫いていた理由も、あんたにはもうわかってるだろ。ソレイユが話したからな」

 シェルディアからそう言われた影人は、仕方がなくそう言葉を口にした。スプリガンが正体不明・目的不明を貫いていた謎。当然ながら、シェルディアはそれも知りたがった。なので、ソレイユはその事も話したのだ。それは、に関わる重大な秘密だったのだが、シェルディアに知られてしまったので、その計画は水泡に帰してしまった。

「ええ。影人の本質から生まれた闇の力を操る怪人スプリガン。ソレイユはそのイレギュラーを最大限に利用しようとした。もしもの場合、レイゼロールがこの時代にカケラをその身に還す可能性も考慮して。・・・・・・ソレイユ、やはりあなたは賢いわね。そして、未だにレイゼロールの事を本気で諦めていない。その事がよく分かったわ」

「・・・・当たり前です。私とラルバにとって、レイゼロールは未だに友なのですから。絶対に、レールを救う事を私たちは諦めません」

 シェルディアからそんな事を言われたソレイユは、複雑そうな顔を浮かべながらも言葉を述べた。その言葉を聞いたシェルディアは「ふふっ」と笑みをこぼした。

「素晴らしい友情だこと。あなたたちのその思いが、いつかレイゼロールに届くといいわね」

「っ・・・・・・言われなくとも、いつか必ず届かせてみせますよ」

 シェルディアが呟いた言葉に、ソレイユは少しムッとしたような顔になる。おそらく皮肉を言われたと思ったのだろう。だが、シェルディアは皮肉ではなく本心からそう言ったのだった。

「・・・・・・・さて、こいつで今までの事が全てご破算になったわけだが・・・・・・これからスプリガンはどうするよソレイユ。もう光導姫や守護者にバラして普通に味方でもするか?」

 少しヤケ気味に影人はソレイユにそう聞いた。レイゼロールサイドに属するシェルディアにスプリガンの事がバレてしまったので、もうスプリガンは正体不明・目的不明の怪人を貫けない。ならば、実質的にスプリガンに残された道はもうそれくらいしかないだろう。

「・・・・・・そうですね。こうなってしまっては、そうする以外に――」

 ソレイユが影人の言葉に頷きながら言葉を述べようとすると、

「あら、そんな事をする必要はないと思うけど。だって私、この事を

 シェルディアがそんな言葉を割り込ませてきた。どこか悪戯っぽい表情を浮かべながら。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」」

 その予想外に過ぎる言葉を聞いた影人とソレイユは、ポカンとした顔でそう声を漏らした。

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