第176話 影との対話

「シェルディアに勝てる方法をお前が俺に教えるだと・・・・・・・・?」

 影からそんな事を言われた影人は、訝しげにそんな声を漏らした。

『ああ。吾としてもお前が吾以外の者に殺されるというのは面白くない。この世でお前を殺していいのは吾だけだ。それは誰にも譲りはしない。だから、お前にこんな所で死んでもらうわけにはいかないんだよ』

 影はゆらりと首を縦に振る。そして言葉を続けた。

『そのためにはお前に勝ってもらなくてはならない。ゆえに今回だけはお前に何も求めずに教えるよ。それが、吾のためにもなるからな』

「・・・・・・はっ、お前の言葉なんて信用できるかよ」

 影の言葉を聞いた影人は率直にそう言葉を返した。全てにおいて、影の言葉を影人は信用出来なかった。影がどんな存在か、影人はよく知っている。だから、絶対と言ってもいいほどに影人は影を信用出来ない。

『信用できないのは知っているさ。吾とお前の関係を考えればね。本当を言うなら、吾だってお前にこんな事は教えたくない。だが、こういう状況になってしまっては仕方がない。これでも譲歩しているんだよ、吾は』

 影はそう言いながら、徐々に影人の方に向かって歩いて来る。影人は前髪の下から影を睨みつける。だが、その場から動こうとはしなかった。すぐ後ろに出口があるというのに。

『影人、お前がまだ勝利を諦めていない事は分かるよ。お前のそういう所は吾もよく知っている。だから吾は本体を封印され、お前の記憶の中にいる影なんかになってしまったのだから。だが、お前も本当は分かっているはずだ。このまま戻っても、あの吸血鬼には勝てないと。あの不死をどうこうする手を、お前は思いつけていない。それは、どうしようもない事実のはずだよ』

 影は影人のすぐ正面で立ち止まり、影人の顔をそのぽっかりと空いた白い穴で見つめた。その白い穴は虚無だった。白色の、真っ白な虚無だ。 

『生きる事を、勝つ事を諦めないお前なら、吾の話に耳を傾けるはずだ。今この時のみ、お互いのわだかまりは忘れようじゃないか』

 至近距離からどこか囁くようにそう言葉を放った影。そんな影に向かって、影人は少しの間言葉を返さなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・聞くだけ聞いてやる。ただし手短に話せ。それと嘘をついていると感じたら、すぐに俺はここから出て行くからな」

 影人が次に述べた言葉は、そんな言葉だった。

『いい答えだ』

 そして、その言葉を聞いた影はその口の白い穴を笑みの形に歪ませた。













『――そもそも「世界」とは何か。その事は知っているかい影人?』

「・・・・・・シェルディアの奴が言うには、『周囲の空間を自らの望むままに、あるいはその者の本質で周囲を覆う業』だったはずだ。他にも細かな説明は言ってたが、言葉が難解で意味は分からなかった」

 影の話を仕方なく聞く事にした影人は、影と拝殿に移動しその小さな段差のある場所に腰を下ろした。影と話をするためだ。

『そうか。あの吸血鬼が大体の説明をしたのか。その時はそこまでこの場所が緩んでいなかったから分からなかったよ。うん。そして吸血鬼の言葉は正しい。それが「世界」という業だ。どうやら詳しい「世界」の説明はいらないようだ』

 影は影人の答えを聞くと満足したようにその首を縦に振った。

『「世界」はいまお前が言ったように、周囲の空間を自らの望むままに、その者の本質で周囲を覆う業。そしてこの「世界」を実際に顕現できる者は、本当にごく少数しかいない。神界、この世界、そしてあちら側を含めてな。あの吸血鬼はそんなごく少数の1人という事になる。そして、この「世界」は扱える者が限られる事からも分かる通り、強力に過ぎる業だ。それこそ、使用されれば相手の負けがほとんど確定する程に』

「っ・・・・・・それ程かよ。あの星の攻撃を喰らってから考えたが・・・・つまり、俺はシェルディアの奴に手加減されてたって事か」

 影の話を聞いた影人はどこか面白くなさそうにそう言葉を漏らした。結局のところ、自分がどれだけ足掻こうがシェルディアの掌の上だったわけだ。その事実が、影人を不快にさせた。影人にもなけなしに等しいがそれくらいのプライドはある。

『必ずしもそうとは限らないよ。ただ手札を温存されていた事は事実だろうが。さて、お前の相手はそんな「世界」にお前を取り込んだ相手であり、不死ときている。普通ならこの状況で詰んでいる。普通ならな』

「・・・・・そろそろ勿体ぶらずに教えろ。俺がそんな詰んでる相手に勝つ方法っていうのは何だ? お前はそれを俺に教えるといったはずだ」

 影人は隣に座る影に焦れたようにそう言葉をかけた。影人が影の話に仕方なく応じたのは、その方法がどんなものか気になってしまったからだ。でなければ、誰がこいつと話などするものか。

『そう急くなよ。今からお前に逆転の方法をしっかりと教えてやるからさ。お前があの吸血鬼を殺して勝つ方法、それは――だ』

 影は何でもないように、いっそ気楽な程に影人にその方法を告げた。

「は・・・・・・・・? 俺も『世界』を顕現させるだと・・・・・・・・・・・?」

 そして、その方法を影から聞かされた影人は、驚愕と理解が追いつかない事から、ポカンとその口を開けた。

「い、意味が分からん。俺はそんな事は出来ないぞ!? そもそもやり方も分からないし・・・・それにお前も言ったじゃねえか! 『世界』を顕現できる者は本当にごく少数だって・・・・・・・! 俺はソレイユの奴から力は与えられたが、所詮はただの人間だ。そんな無茶苦茶な事、出来るわけないだろ・・・・・・・!」

 影人はつい立ち上がりながら影にそう言った。自分も『世界』を顕現させればいい。簡単な事のように影は言うが、そんなこと出来るはずがない。影のその方法は、あまりにも現実的ではなかった。

『まあ、そうだな。お前は色々と特異な所はあるが、分類で言うとただの人間。人間が「世界」を顕現させる事など本来は何がどうなっても不可能だ。だがね、影人。お前は違う。お前の中には、。そして、曲がりなりにも「世界」を顕現できる資格のある力も現在お前は持っている。この2つの条件さえあれば、お前も「世界」を顕現させる事は可能だ』

「お前がいるからだと・・・・・? どういう事だ、何でお前の存在が俺が『世界』を顕現できる条件になり得るんだよ?」

 影の答えに影人は疑問を抱いた。力に関してはまだ分かる。影が言っているのはスプリガンの力の事だろう。スプリガンの力はおよそ万能。その力が『世界』顕現に必要な力の資格となる。多分だがそういう事だ。しかし、影の存在が『世界』顕現に必要な条件というのは理解が出来なかった。

『ふふっ、まあ確かにお前からしてみれば疑問かもしれないな。お前は吾がどういった存在かは未だに正確には理解していないから。いいかい、影人。「世界」の顕現にとって1番難しいのは、自身の本質を外に広げるという感覚なんだ。多くの者は、例え「世界」を顕現できる資格があったとしても、ここで躓いてしまう。それ程までに、この感覚を得るのは難しい事なんだよ』

 影は影人の方にその顔を向けると、そんな説明を始めた。正直、まどろこしくも感じるが、必要な説明なのだろうと理解して、影人はその説明に耳を傾けた。

『本来なら、どんな者だろうとこの感覚を得るのに時間を使わなければならない。まあ、最低でも100年くらいはね。長い者だと1000年掛かる事もあるし、どれだけ時間を掛けてもその感覚を得られない者もいる。だから、「世界」を顕現させようと思えば、時間がいる。しかし、その唯一の例外がお前だ影人。お前はこの時間を使わずに、力を使うだけで「世界」を顕現させる事が出来るのさ。なぜなら、その感覚もその他の「世界」を顕現させる工程も、全て吾が直接お前にやり方を教えてやればいいだけだからな』

 影は影人に向かってニヤリとしたようにその白い穴を歪ませながら、そう語った。

「っ、お前まさか・・・・・・・・『世界』を使う事が出来たのか? じゃなきゃ、意味が通らない。お前は本当にいったい・・・・・」

『吾は吾だよ。それ以上でもそれ以下でもない。まあ、お前が予測したように吾はかつて「世界」を顕現できた。かつての吾からすれば、訳ないことだったからね。まあ、それはそれとして』

 影は驚く影人に淡々とそんな事を述べると、スッと影人に向かって右手を差し出した。

『さあ影人。吾のこの手に触れるんだ。吾の手に触れたその瞬間に、お前の中に直接「世界」顕現に必要な知識がいく。それで、お前は「世界」顕現のやり方を完全に体得できるよ』

 そして、影は影人にそんな事を告げたのだった。

「・・・・・・・・・・・・なるほどな。それがお前が『世界』顕現の条件になる理由か」

 影人は影の差し出された右手を見て納得した。影の本体はかつて『世界』を顕現できたという。そしてその存在の残滓たる影も、力がないだけで『世界』を顕現できる方法は知っている。ここは影人の記憶の中。影に触れれば影の教授した知識は、影人の中に実感として伝えられる。それが、影人が時間を使わずに、影人だけが『世界』を顕現できる理由なのだ。他の人間の中には、おそらくこんな化け物の影はいないはずだから。

『そういう事だよ。お前が吾の手に触れ、知識を実感として得れば、後は意識を取り戻して現実世界に帰ればいいだけ。そして力を注ぎ込んでお前の本質に依る「世界」を顕現させればいいだけさ。そうすればたぶん、吸血鬼の不死性もどうにか出来るはずだよ』

「・・・・・・俺がこの手に触れればか」

 嫌悪感を隠さずに、影人はそんな言葉を呟いた。それは絶対に必要な工程なのだろう。もちろん嘘の可能性もない事はないだろう。しかし、影人はどこかで影のこの言葉は嘘ではないとちゃんと理解していた。それがなぜなのかは説明できない。だが、それだけは分かった。

『嫌かい? 例え記憶の残滓とはいえ、吾の手を触れるのは。だが、握るしかないのだよ影人。憎しみを超越して、お前はこの手を握らなければならない。それ以外に、お前が生き残る方法はないのだから』

 影人の自分に対する感情を理解しながらも、影は影人に更にそう言葉をかけた。そして畳み掛けるように最後にこう言葉を述べる。

『さあ、触れろ影人。この手に触れ、お前の本質を以て「世界」を顕現させろ。そして、自分の敵を討て。そのために、吾の手に触れろ帰城影人!』

「・・・・・・・・触れろ触れろって何回もうるさいんだよ。俺はもうガキじゃないんだ。そんなに言われなくても、言葉は理解してる」

 影人は低い声音でそう言うと、一瞬だけ自身の葛藤を全て飲み込みながら、自分の右手を影の手に近づけていき――


 ――その手で影の手に触れた。













「鬼ごっこはもう終わりかしら? スプリガン」

 一方、現実世界。影人が己の禁域にいる間に、戦いの情勢はまた動いていた。

「ちっ・・・・・・!」

 シェルディアの語りかけに、影人の体を動かしているイヴは忌々しそうに、どこか焦ったように舌打ちをした。

 シェルディアが無造作に星を降らせ始め、それでもなおイヴは姿を消して逃走していた。だが、その余りの物量、星が降る速度はイヴが想像していたよよりも凄まじく、イヴは光となった星に右腿を撃ち抜かれてしまった。そのショックで、イヴは反射的に透明化を解除してしまった。そしてその攻撃を受けてしまった事がまずかった。

 ここはシェルディアの『世界』。星の攻撃に何らかの信号でもあったのかは分からないが、シェルディアはイヴが攻撃を受けた3秒後に地面から滲み出る影のように、イヴの前に移動してきた。そうして今のような状況になってしまったというわけだ。

(やっぱり最後はこうなるか。ヤバいぜ、時間は多少は稼げたが影人の奴がまだ意識を取り戻す気配はない。ここは一か八か、もう1回姿を消して逃げるしか――)

 右腿に受けたダメージはなけなしの力を振り絞って何とか回復させた。これで力の残量は1割と8分くらい。いよいよ残量も本当になくなってきた。だがまだだ。まだこの体の本来の持ち主は諦めていない。ならば自分がすべき事は決まっている。イヴはそんな事を考えてそれを実行しようとしたが、

「ああ、ダメよ。もう鬼ごっこは飽きちゃったから。逃がさないわよ」

 だが、シェルディアはそんなイヴの心の内をまるで読んでいるかのように先手を打った。シェルディアがパチリと右手を鳴らすと、シェルディアの影が円形に広がり、やがてそれはドームのように周囲を覆い始めた。天井だけは開いている。恐らくというかほぼ間違いなく星の攻撃のためだろう。

「これであなたはもうどこにも逃げられないわ。死してもあなたの魂は私に縛られる。だから、あの世にも逃げられはしないわ」

「はっ、そうかい。そいつはご苦労な事だな・・・・・!」

 逃げ場を封じられたイヴは、そう皮肉を返すのが精一杯だった。これでもうイヴは逃げ回って時間を稼ぐという事は出来なくなった。そしてこの状況は、いつでもシェルディアが星を降らせてスプリガンを殺せるという、実質的なの状況でもあった。

「さて、それじゃあこの戦いもそろそろ終わりにしましょうか。あなたの雰囲気がガラリと変わった事は気になるけど、仕方がない。あなたは何も言わないでしょうし。スプリガン、一応に聞いておくけど、最後に何か言い残す事はあるかしら? もしあるのならば聞いてあげるわ」

 シェルディアが超然とした笑みを浮かべながら、スプリガンに最後の問いかけを行った。この問いかけに答えずとも、例え答えとしても、そこでイヴは、スプリガンは殺されるだろう。本能として、イヴはその事が分かった。

(ちくしょうが・・・・どうやら、ここで終いみたいだぜ影人。ったく、これもお前が早く戻ってこないからだぜ・・・・・・・・)

 言葉を聞いたイヴが全てを諦めたように内心で思わずそう呟く。やれるだけはやった。そのつもりだ。これ以上はもう何も出来ない。イヴがそう思った次の瞬間、


 自分の意志とは違う意志が、精神の奥底から這い上ってくるのをイヴは感じた。


「ッ!? はっ、遅えんだよ・・・・・・・だが、ギリギリセーフだぜ・・・・!」

 イヴはつい笑みを浮かべながらそう言葉に出した。どうやら、やっと来たようだ。

「? あなた、何を言っているの?」

 イヴの言葉を聞いたシェルディアが首を傾げる。まあシェルディアからすれば、それは全く意味が分からない言葉だろう。この言葉の意味が分かるのは、イヴ以外には絶対にいない。

「別にお前には関係ねえ話だ。ああ、最後に何か言うかって事だったな。じゃあ、俺から1つだけ。――俺の役目はここまでだ。後はまたあいつと戦うんだな。化け物野郎」

「あいつ・・・・?」

 イヴは最後にそう言って、その意識を上ってきた意識に明け渡した。

「・・・・・・・・・・・・ありがとよ、イヴ。お前が繋いでくれたから、俺はまたこうして戻ってこれたぜ」

 そしてイヴと代わったその意識――この体の本来の主意識である影人は、イヴにそう感謝の言葉を述べたのだった。

「・・・・・・・よう、吸血鬼。待たせたな。待たせたついでに、お前に面白いもの見せてやるぜ」

「さっきからあなたが何を言っているのかは分からないけど・・・・・・雰囲気が元に戻ったわね。まあいいわ。もうあなたの死は決まっているのだから」

 ニヤリと笑った影人を見たシェルディアは、その笑みに何かを感じ少し不機嫌そうに言葉を返した。何を感じたのか、正確にはわからない。しかし、シェルディアはスプリガンの笑みから、本能的に何かを感じ取った。

「俺の死ね・・・・・・・そいつはどうだろうな。もしかしたら、死ぬのはお前かもしれないぜ」

 影人は悠然とした態度を崩す事なくそう言うと、最強の吸血鬼に向かって再び笑みを浮かべた。

「見せてやるよ。お前に、俺の『世界』ってやつをな」

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