第175話 閉ざされた記憶の中で

(終わりかしらね・・・・・)

 幾条かの星によって撃ち抜かれたスプリガンを見て、シェルディアは率直にそう思った。その証拠に、スプリガンは精神に多大なダメージを受け今にもその意識を暗闇に明け渡そうとしている。そして、肉体と精神に甚大なダメージを受けたスプリガンはそのまま倒れ――


 ――はしなかった。


「っ・・・・・・・・?」

 スプリガンは倒れそうになるのをすんでの所で堪えた。その光景を見たシェルディアは、どう言う事だといった感じの顔になった。

「・・・・・・ったく、あの野郎。。俺がギリギリで気づいてなきゃ、今ごろヤバかったぜ・・・・・・・・・!」

 倒れるのを堪えたスプリガンがそんな言葉を呟く。その言葉はシェルディアからしてみれば、全く以て意味が分からないものだった。そして、シェルディアはそのスプリガンの言葉を聞いて、ある違和感のようなものを覚えた。

(何かしら。スプリガンの雰囲気が急にガラリと変わった・・・・・・? そんな感じがするわ。いったい、何が起こったというの?)

 シェルディアは今の言葉から何かを感じ取った。その何かはシェルディアの中で疑問へと変わる。そして、シェルディアがその疑問に少し思考している間に、スプリガンは自分の体に空いている穴を闇の力で回復させた。

「悪いな化け物さんよ、ちょいと時間をもらうぜ!」

 スプリガンはそう言いながら自身の左手を振った。すると、そこから闇色の霧が突然発生し、周囲は一瞬にして闇の霧に包まれた。視界が闇に包まれたシェルディアは、スプリガンの姿を見失った。

「やはり、言葉遣いが変化している・・・・・全く、あなたはどこまでも謎の男ね」

 シェルディアは突如として視界を闇色の霧に奪われた事に毛ほども驚かずにそう呟いた。シェルディアは自身の右手の爪を伸ばして、軽くそれを振った。するとそれだけで霧は切り裂かれ、シェルディアが爪を振るった余波で周囲の霧も全て吹き飛ばされてしまった。

「・・・・・・・・いないわね」

 だが、シェルディアが霧を払うとスプリガンの姿はどこにもなかった。

「一旦距離を取ったか、それとも姿を消して近くで息を潜めているのか・・・・・・・どちらにせよ、ここは私の『世界』。私の許可がなければ、どこにも逃げる事は出来ないわ」

 シェルディアは周囲を軽く見渡しながらそう言葉を述べると、狩人の笑みを浮かべた。











(取り敢えず姿を消して逃げちまったが、これからどうするか。いや、考えるのは後だ。今は少しでもあの化け物から距離を取って、また・・・・・・!)

 シェルディアに霧を放ってその隙に全速力で逃亡したスプリガン――もとい、影人の体の主意識になったイヴは内心でそんな事を呟いた。

(本当に影人の野郎、意識を取り戻したら文句言ってやる・・・・! あんな言葉じゃ普通は意味が分からねえぞ・・・・・・・・!)

 イヴはつい今は眠っている(意識を失っているという意味で)影人にそう毒づく。影人が意識を失う前にイヴに告げた『俺は許可する』というあの言葉、最初は意味が分からなかったが、イヴは何とか一瞬の内に考えを巡らせ影人のその言葉の意図に気がついたのだった。

 その意図とは、影人が気を失っている間にイヴが影人の体を動かせという事だ。スプリガン形態は、影人の意識がなくなった時点で本来は変身が解除される。しかし、別の意識がそのスプリガン形態の体の主意識となれば、変身は解除されない。それは過去にイヴが影人の体を乗っ取った時にも分かっている事実だ。影人はそれを利用して、戦いの継続を考えたのだ。

 しかし、それには問題がある。その問題とは、イヴと影人との契約だ。イヴと影人が結んだ契約は2つ。1つは、影人が十全に力を振るえるように、スプリガンの力の化身たるイヴは力を貸す事。これに関しては今は問題はない。問題はもう1つの方、イヴが影人の体を絶対に乗っ取ってはいけないという契約の方だった。この契約がある限り、イヴは絶対に勝手に影人の体を乗っ取れない。もし、イヴが影人の体を乗っ取る、また主意識になろうとする場合は、契約主たる影人の許可がいる。

 そこで先ほどの影人の言葉が関係してくる。「俺は許可する」、この言葉は咄嗟の事だったので目的語が抜けているが、実はイヴにその事に関する許可を与えるものだった。影人の許可が出た事により、イヴは現在影人の体の主意識になる事が出来たのだった。

(つっても文句を言ってちゃ始まらねえか。俺の今の役目は影人のバカ野郎が意識を取り戻すまで時間を稼ぐ事。・・・・・・普段なら暴れられるって喜ぶところだが、今回は相手が化け物すぎる。癪だが、俺じゃ絶対に勝てねえ)

 イヴはあくまでスプリガンの力の化身。強敵程度なら自分でも勝てる自身はある。イヴは自分が、だと自覚している。ゆえに最上位闇人程度ならば、絶対と言っていいレベルで負けない。だがあの吸血鬼は、シェルディアは別だ。あれには自分は勝てない。少なくとも、イヴ自身はその考えから逃れる事が出来ない。もし、シェルディアに打ち勝つという大奇跡を起こせるとしたら、それはどこまでもどんな状況でも絶対に諦めない人物、帰城影人くらいしかいない。影人はまだ戦いを諦めていないからこそ、イヴに自分の体を託したのだ。

(マジでさっさと戻って来いよ影人・・・・・・! ここはあいつの『世界』だ。絶対にそう長くは逃げられない。俺が稼ぐ事の出来る時間は、きっとそれ程じゃ――)

 イヴがそんな事を考えている時だった。イヴは視線の先に一筋の光が、空から真っ直ぐに地面に落ちたのを見た。いや、一筋だけではない。その一筋の光を皮切りにしたかのように、光は幾条も無作為に地面へと落ちて来る。

(ッ!? ま、まさか・・・・・・・)

 イヴはその場で立ち止まり空を見上げた。夜空に輝くはどれくらいの数か分からない程の量の星。その星々が輝いては光になって地上へと落ちて来る。それは破滅の光の流星群だった。

(あの化け物ッ! 空の星を全て落として俺を殺す気かよ・・・・! クソみてえな範囲攻撃、全く無茶苦茶だ!)

 シェルディアの狙いを理解したイヴは、どっと冷や汗をかいた。シェルディアは姿を消し、どこにいるとも知れないスプリガンを、星を使って無理やり炙り出す気だ。この無限とも思える星を全て使って。それは、絶対無慈悲な星の雨。規格外の怪物のみが降らせる事の出来る雨だ。

「ちっ、俺はまだ死ねねえんだ。あいつが戻って来るまでは・・・・・・・・!」

 イヴは姿を消しながら決意の言葉を述べると、星空を見上げながら再び逃走を開始した。影人が再び意識を取り戻すその時まで、この肉体を死なせないために。

 『世界』が、スプリガンに牙を剥いた。













「・・・・・・・・」

 一方、シェルディアの星による攻撃によって意識を失った影人は、自身の精神の最奥にその意識を引かれていた。だが、影人はなぜかを感じ長い前髪の下の両目を開いた。

「っ・・・・・暑い・・・・? どういう事だ、俺は確か気を失ったはずじゃ・・・・・・・・・」

 影人は奇妙さを感じつつも、倒れていた自身の体を起こした。これもまた奇妙だった。気を失ったはずの自分に肉体の感覚があり、意識がある。更に言葉も呟ける。失神したという自覚がある影人からしてみれば、それらは奇妙な事でしかなかった。

「・・・・・・・・いや、こういう感覚は1回体験した事があるな。イヴと直接対話しに自分の精神の中に入った時だ。って事は、ここは俺の精神世界か。格好は・・・・スプリガン形態じゃなく普段の俺だな」

 影人は立ち上がると自分の体に視線を落とした。格好は風洛高校の夏服だった。前髪の長さは視界でわかる。いつもの顔の上半分を覆うほどの長さだ。

「・・・・・・・・・・・・この暑さと石畳が見えた時から覚悟はしてたが、やっぱりここか・・・・」

 影人はぐるりと周囲と空を見渡した。空に燦然と輝くのは夏の太陽。正面には拝殿があり、その奥に本殿が見える。周囲には森が広がっており、後ろを見ると朱色の鳥居が見えた。ただ普通の鳥居と違って、鳥居の中の空間は歪んでいる。影人が立っている場所には石畳が敷かれているので、ここは参道という事が分かる。つまり、この場所はどこかの神社であった。と言っても、ここは影人の精神世界。これらの風景は全て影人の記憶であり、偽物に過ぎないわけだが。

「・・・・・・・・・・・・おい、いるんだろ。出て来いよ」

 影人は自分から見て右側、そこにあった大きな石に向かって、心底嫌そうな声でそう言った。出来るならば、2。イヴを助けた時、それが最後だと影人は思っていた。しかし、いかなる運命か。影人は再びこの場所に訪れてしまった。の言葉通りにまた会ってしまったのだ。


『――ふふっ、あまり驚いてはいないようだ。その事だけが少し意外だったよ、影人。お前はもっと取り乱すかと思っていたのだが』


 すると、今まで何もいなかった石の上に突如として影が現れた。それは影としか形容できないものだった。体つきや髪の長さから分かるのは、その影が女性だという事のみ。顔に当たる場所には、3つの白い穴が空いていた。位置からするに目と口だろう。そしてその影は、口に空いた白い穴を三日月状に歪ませると、影人に対してそう言葉を返した。

「・・・・・・別にいま俺がここにいる状況を予想しただけだ。俺はここを閉ざしていた鎖が緩むのを自分でも感じてた。そして気を失った俺の意識は精神の最奥へと引き込まれる。ここはその精神の最奥にある場所だ。その封印していた記憶の鎖が緩めば・・・・・俺がここにいる理由は説明がつく」

 影人はどこまでも嫌そうな声で影に自分が冷静である理由を説明した。いや、正確に言えば自分は冷静ではない。冷静を装っているだけだ。今も影人の中では形容し難い感情の数々が混沌のように渦巻いている。一瞬でも気を抜けば、その感情によって自分がバラバラになってしまうだろう。影人にはその自覚があった。

『論理的な説明だ。確かにそう分かっていれば、表に出すほど取り乱しはしないか。まあ、その分お前の内面はぐちゃぐちゃだろうが』

「っ・・・・!」

 見透かすようにそう言って笑みを浮かべる影に、影人は抑えている激情が逆立つのを感じた。今すぐにでもこの激情をぶちまけたい。そんな気分が高まってくる。だが、ここでそうしてしまえば影の思う壺だ。ゆえに、影人は何とか激情を更に抑えつけた。

「・・・・・・・お前と話す事はない。俺はすぐにでも戻らなきゃならねえんだ。今回はイレギュラーだったが、本当にもう2度とお前とは会わないだろうぜ。じゃあな、最低最悪のクソッタレの残滓野郎」

 影人は影にそう吐き捨てると、この閉ざされた記憶の外に出るべく鳥居に向かって歩き始めようとした。あの鳥居の歪んだ空間の中が、この記憶の外へと出る事の出来る唯一の出口なのだ。

『ふふっ、そうさ。今ここにいるはお前の記憶の中の残滓。何の力もないただの影。お前のせいで、吾はこうなってしまった。全く、お前が憎いよ。吾という存在が封じられた代わりに、お前からのはたった21。本当に割が合わない』

「・・・・・・・・・・・・」

 影の言葉に耳を貸さずに、影人は鳥居に向かって歩き始める。あの影の言葉に構っている時間など自分にはない。例えその言葉が、どれだけ自分の精神を逆立たせ心を抉ろうとも。

(無視だ。無視しろ帰城影人。たぶん今は俺の言葉の意味に気がついてイヴが俺の体を動かしてくれてるはずだ。今がどんな状況になってるかは分からねえが、早くまた代わらないと・・・・・・)

 影人はイヴを信頼しながら、自分にそう言い聞かせた。正直、意識を取り戻した所でシェルディアに再びどう立ち向かうか、それはまだ考えられていない。だが、とにかく戻らなければ。影人はその事だけを考え、鳥居を潜ろうとした。

『ああ、影人。1つだけ言っておくが、例えお前が戻っても、あの吸血鬼には絶対に勝てないよ。今のお前じゃ、何をしてもね』

「なっ・・・・・・・・!?」

 だが、鳥居を潜る前に影が言ったその言葉に、影人はつい立ち止まり影の方を振り返ってしまった。

「どういう事だ・・・・! 何でお前が今の俺の状況を知ってやがる・・・・・・・・!?」

 意味が分からなかった。影はイヴのような存在ではない。つまり、影人を通して外の世界を見る事は出来ないはずだ。だというのに、影はシェルディアの事と影人の状況を知っていた。だから、影人は驚いているのだ。

『別に不思議はないだろう? さっきお前が言ったように、この閉ざされた記憶の世界とお前の精神の境目は現在緩んでいる。しかもかなりな。なら、吾もここからお前の情報を色々と見る事くらいは出来るよ。だから知っている。それだけの事さ』

 影はその白い目も三日月のように細めると、ニタニタとしたように笑いながら影人にそう告げた。そして影はこう言葉を続けた。

『もう1度言ってやろう影人。お前では奴には勝てない。まあ見ていたところ、お前もそれなりに特別な力は得ているようだ。だが、奴にはそれでは足りないよ。「世界」を顕現できる相手には、それじゃあ足りないんだよ。「世界」を顕現できる者と出来ない者。そこには決定的で絶対的な差が存在しているのさ』

 影は『世界』が何たるかを知っているような口調で、座っていた石の上から離れた。そして参道の上の石畳の所まで歩きそこで立ち止まると、鳥居の前にいる影人に向かって右手を伸ばした。

『少し話をしようじゃないか影人。吾ならお前にあの吸血鬼に。だから、出て行くのはもう少し待った方がいいぞ?』

 影人の禁域に住む影はそんな事を言うと、その目と口を細めて笑った。

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