第172話 再びの戦い

「ッ、くそ・・・・・・・・」

 ゼルザディルムとロドルレイニを斃し、シェルディアのいる位置まで戻ろうと歩き始めた影人は、突然ふらつくと、こめかみの辺りを右手で押さえた。まだ乾いていなかった血がべったりと手には付着していたので、影人の髪に血がつく。しかし、そんな事はどうでもよかった。

 影人が頭を押さえたのは、頭痛が酷くなっているからだ。眼を闇で強化した弊害だ。ここまで眼の強化を持続させたのは何せ初めてだった。 

『おい、影人。少し休めよ。今なら多少は休憩できる。眼の強化も一旦解除してよ。・・・・・じゃなきゃ、お前もう持たないぜ』

 影人が頭痛に顔を顰めていると、イヴがそんな事を言ってきた。

『今の竜どもとの戦いで、お前は体力と精神力がかなり削られた。まあ、それを言うなら俺の力のリソースも削られたがな。たが、それは今はいい。問題はお前の体力と精神力の方だ。あの大量の血の武器を全部捌き切って、竜と戦って、お前正直ほとんど限界だろ?』

 イヴはそう言葉を続けた。そのイヴの言葉に、影人は小さく笑ってこう言葉を返した。

「はっ、心配してくれてんのか?」

『違げえよバカ。お前に死なれちゃ俺が困るってだけだ。そうでなけりゃ、誰がお前に向かってこんな言葉いうかよ』

 1秒もしない内にイヴは否定の言葉を述べて来た。その案の定の反応に、影人はどこか微笑ましい気持ちになる。

「そうかい。・・・・・・・確かに、体力も精神力もお前が言うみたいにほとんど限界だ。そこは否定しねえよ。自分の状態くらいは、まだ冷静に分析できる」

 影人はイヴの指摘を肯定した。当たり前だ。この『世界』での戦いが始まってから、自分は常に極限だった。それは全てにおいてだ。体力も、集中力も、反応速度も、判断も、思考も、その全てが限界を越え続けていた。

「しかも、俺はまだ戦いが残ってる。相手は今まで多分、絶対的に最強だ。そんな奴に勝つためには、今ここで多少の休息を取っといた方がいいだろう。・・・・・だが、休息は取らねえよ」

 影人はしかし、指摘を認めた上でそう言葉を述べた。

「この『世界』は、この戦いは今までとは違って圧倒的に未知だ。一瞬でも油断して、はい死にましたなんて事もあるかもしれない。それで死んだら、とんだ間抜けとして俺はこの世を去らなくちゃならない。そいつはどうにも嫌でな。だから、休憩も眼の強化の解除もしない。それが俺の判断だ」

 影人は頭から右手を離すと、どこまでも決意と覚悟に満ちた目でそう言葉を紡いだ。ここは、シェルディアが作った『世界』。一瞬でも油断などしない方が賢明だ。

『・・・・・・・けっ、そうかい。まあ、お前の判断も分かる。なら、そうしろよ。結局、最終的な決定権はお前にあるしな。だが、その代わり絶対に死ぬなよ。死んだら殺すからな』

「死んでるのに更に殺されんのかよ・・・・・・・大丈夫、死ぬ気はねえよ」

 影人は苦笑しながらもそう答え、再び歩を進め始めた。シェルディアがいた場所とはかなり離れてしまったが、それも問題ない。シェルディアのいる位置を感知すればいいだけだ。あれ程の力を持つ怪物ならば、感知は容易だろう。

 影人は一瞬だけ目を閉じて自分以外の力の位置を把握すると、その場所に向かった。















「――あら、戻ってきたのね」

 真紅の満月を背景に背負い、優雅にアンティーク調の椅子に腰掛けていたシェルディアは、自分のいる場所まで戻って来た黒衣の怪人の姿に気づくと、そんな言葉を放った。

「・・・・・・ああ。お前の手下、ゼルザディルムとロドルレイニの奴らはちゃんと斃してやったぜ」

 シェルディアから20メートルほど離れた場所で立ち止まった影人は、シェルディアを睨みつけながらボソリとそう返事をした。

「ええ。それは分かっているわ。ゼルザディルムとロドルレイニが2度目の死を迎えた時点で、主たる私には感知できるから。あなたは、同時にあの2竜を斃したのね」

 シェルディアがフッと笑みを浮かべる。確かに、影人は同時にゼルザディルムとロドルレイニの心臓をこの手で穿った。あの時シェルディアはあの場にいなかったので、2竜が斃された事を感知できるというのはどうやら本当の事らしい。

「そして、あなたに称賛を。おめでとうスプリガン。私以外に古の黒竜の王と古の白竜の王を斃した者はいないわ。あなたは真に力があり、真に知恵があり、真に勇気があり、真に不屈であり、真の強者たる者。私はあなたに敬意を表するわ」

 シェルディアがパチパチと手を叩きながら、心からの言葉を口にした。ゼルザディルムとロドルレイニを同時に相手をし、2竜を斃した。もしかすれば、スプリガンには分からないかもしれないが、それは偉業なのだ。しかも、ただの偉業ではない。それは限りなく不可能を超えた先にある、真の偉業だ。

「・・・・・・・・うるせえよ。お前からの称賛も敬意も、俺はいらねえんだ。俺が望むのはただ1つ。お前の死だ。御託はいい、さっさと俺に殺されろ」

 シェルディアからの称賛の言葉を受けた影人は、不快そうにその顔を歪めた。人の形をした化け物からの称賛など虫唾が走る。

「ふふっ、あなた本当に私が嫌いなのね。あなたの目から嫌悪と怒りが感じられるわ。でも、やはり私はあなたに会った事がない。不思議なものね。・・・・・いや、もしかしたら着眼点が違うのかしら。あなたが出会ったのは、私とは違うけれど、私と同義の存在。・・・・・・・・・なるほど。スプリガン、あなたは過去に、出会ったのね。そして、あなたはその存在に尋常ではない負の感情を抱いている。あなたは、私を通してその存在を見ている。それが、あなたが私に向ける感情の正体ね」

「ッ・・・・・!」

 シェルディアはまるで全てを見透かしているかのように、そんな考察の言葉を述べた。その言葉を聞いた影人は反射的にその目を驚きから見開く。シェルディアの勘が鋭いという事は影人も知っていた。シェルディアと影人は隣人でよく会話をする仲でもあるからだ。しかし、ここまで核心をつくような事を言われるとは思ってもいなかった。

 そして、影人のその驚きは、シェルディアの考察が当たっているという事を実質的に示していた。

「黙れよ・・・・・・・! 分かった風に言ってるんじゃねえぞ・・・・!」

 苛立ちを隠さない声で、影人はそう言った。まるで自分の中が見えているかのようなその口ぶり。化け物だと知らない時はよかった。特に気にもならなかった。だが、シェルディアが純粋な人外の化け物だと分かった今、その口ぶりが無性に影人を苛つかせる。

『おい影人、らしくねえぞ。冷静になりやがれ。このクラスの化け物に、怒りに身を任せての攻撃なんか意味がない。あいつの言葉が、お前の触れちゃいけない部分に触れたのかもしれねえが抑えろよ。じゃなきゃ、負けは確定だ』

 苛立っている影人に、イヴが忠告の言葉を与えた。イヴの言葉は正しいものだ。どこまでも正しい。その事は影人にも分かっている。

「っ・・・・・」

 だから影人はギリッと奥歯を噛み締めながら、何とかこの苛立ちを抑えようとした。そう。この苛立ちは、シェルディアに勝つのに、殺すのに邪魔なものだ。怒りという感情は、爆発的な力を与える事も時にはあるが、その多くは動きを単調にさせたりミスを誘発する事がほとんどだ。

(・・・・・・・・サンキュー、イヴ。お前の忠告のおかげで多少は頭が冷えたぜ。お前の忠告がなかったら、たぶん俺はそのまま突っ込んで死んでた)

 影人は心の内でイヴに感謝した。シェルディアは強い。それは最初にシェルディアから蹴りを受けた時に、約3000の造血武器を影人に放った時から分かっていた事であり、あのゼルザディルムとロドルレイニを殺して下僕にしたという事からも分かる事だ。

「あら、怒りを噛み殺したのね。さすが、と言うべきかしら。感情をコントロールするのは、難しい事だから」

 影人が怒りを抑えた事を感じとったシェルディアがそう呟いた。そして、座っていた椅子から立ち上がると、その椅子を影に沈めこう言ってきた。

「では再び戦いを始めましょうか。ああ、安心してちょうだい。もう何かを呼び出しはしないわ。ゼルザディルムとロドルレイニが敗れた今、他のモノたちがあなたに勝てるとは私も思っていないし」

(ッ、来るか・・・・・・相変わらず、えげつないプレッシャー放ちやがる)

 影人は即座に身構えた。それはシェルディアが威圧感を急激に高めたからだ。爆発的なまでの重圧プレッシャー。しかし、ここで気圧されなどはしない。気圧されれば終わりだ。

(結局、力の残量は4割あるかないか。更に、こいつが本当に不老不死だとして、俺はこいつを殺せると考えている方法を1つしか思いつけていない。もしそれが通らなきゃ、それ以外の方法を思いつけなかったら、俺はそこで詰む。・・・・・・・・改めて考えてみると、絶望的にマズイ状況だな)

 影人は冷静に今の自分の状況を分析した。まず力の残量についてだが、これはシェルディア相手には心許ないとはいえ、まだ大丈夫と言える問題だ。残りの力の総量が4割でも、影人は普通に戦える。更にいざとなれば、負の感情を燃やして燃料にする事も出来る。

 問題はシェルディアを殺す方法を、影人がまだ1つしか思いつけていないという事だ。そして、影人が現在思いつけている唯一の方法は、ゼルザディルムとロドルレイニを葬ったのと同じ、『破壊』の力だ。弱点があるのかどうかはまだ分からないが、あるならばそこに『破壊』の力を流し込み、もし弱点がなければ、全身を一瞬で破壊できる程の『破壊』の力を叩きつける。それだけだ。

(不老不死・・・・・普通なら、そんな不滅の存在はあり得ない。だから、ブラフだと思うとこだ。実際、俺は最初そう思った。だけど、こいつに至っては違う。今になってわかる。生物として格が、戦慄している俺の魂が、それは真だと感じている)

 シェルディアは不老不死。それは嘘ではないと、今の影人には思える。ゆえに、やはりシェルディアは不老不死という前提は崩せない。

「さっきあなたは私に対して死を望むと言ったけど、ごめんなさいまだ死ねないの。長らく死にたいと思っていた時期もあるけれど、最近思うところがあってね。まだしばらく死ねないと思ったから。そういう事だから――」

 シェルディアは淡い微笑み浮かべながらそう言うと、一転して、

「――あなたが勝つという事は、ありえないわ」

 ゾッとするような凄絶な笑みを浮かべた。そして次の瞬間、シェルディアはまるで瞬間移動したかのように、影人の近接距離に入り拳を握っていた。

「ッ・・・・・・・!?」

 シェルディアが左拳を放つ。ゼルザディルムとロドルレイニとの戦いによって研ぎ澄まされた精神ゆえか、今度はぎりぎりシェルディアの攻撃が影人には見えた。影人は自分の顎に向かって放たれたシェルディアの左拳を何とか顔を逸らして回避した。

「あら?」

 影人がアッパーを避けた事に、シェルディアが驚いたような声を漏らす。影人はそんなシェルディアに反撃しようと、右足で蹴りを放った。

「意外だわ。まさか避けられるなんて。『世界』の効果で私の身体能力は向上しているはずなのだけれど」

 シェルディアは影人の蹴りを当然のように左腕で受け止めるながら、軽く首を傾げた。

(ッ、身体能力が向上している・・・・・・・? チッ、どうりでイカれた速度とパワーしてやがるはずだ・・・・!)

 その言葉を聞いた影人は、内心反射的にそう呟いた。影人はシェルディアの元々の身体能力がどれ程のものか正確には知らないが、吸血鬼という人外の化け物ならば身体能力は尋常ではないはずだ。それが更に強化されているというのは、影人からしてみれば「ふざけるな」と言う他ない。

「もしかして、ゼルザディルムとロドルレイニとの戦いで精神が研ぎ澄まされたのかしら? だとしたら、あなたにあの2竜をぶつけたのは悪手だったかもしれないわね」

 シェルディアはまたも見透かすようにそんな言葉を述べる。影人はシェルディアに防がれた右足を下げ、右手に『破壊』の力を付与しシェルディアの顔面に殴りかかる。

「淑女の顔を躊躇なく殴ろうとするなんて、礼儀がなってないわね」

 シェルディアは影人の右拳を軽い動作で避けると、左足で影人の右足を蹴ろうとした。狙いは影人の足を砕き蹴るか、体制を崩す事が狙いだろう。影人は何とかその攻撃にも反応し、瞬時にシェルディアの蹴りの範囲外にバックステップした。シェルディアの蹴りが虚空を空ぶる。

(ここだ・・・・・!)

 蹴りを空ぶったシェルディアに一瞬の隙が生じる。影人は右手に『破壊』の力を付与させたナイフを、出来るだけシェルディアに見えないように創造すると、シェルディアに近づきそのナイフを神速の動作で突き出した。狙いは胸部中央部だ。

「へえ」

 シェルディアは少し意外そうに声を漏らすと、何の躊躇もなくナイフを受け止めた。グサッと肉にナイフが突き刺さる音が響くと同時に、赤い血が飛び散る。

(よし、取り敢えず一撃・・・・・・・!)

 影人が胸部を狙った理由は大したものではない。そこに心臓があるかもしれないという期待はあったが、単純にそこが刺しやすかったからだ。影人はシェルディアの胸に深くナイフを突き立てると、攻撃の手を緩めないように、左手に『破壊』の力を付与し、シェルディアの脳髄めがけて貫手を放った。

 だが、

「胸部の次は頭部。ふふっ、あなたちゃんとしてるわね」

 シェルディアは右手で影人の左手の手首を掴むと、そのまま影人の左手首を握り潰した。

「ッ!?」

 激痛が奔り、影人の顔が痛みに歪む。シェルディアは握り潰した影人の左手をパッと離すと、右手を大きく引いた。

(痛え・・・・・!? だが、気を緩めるな! シェルディアは右手を引いた。大振りの一撃が来る。回復よりも、防御を優先しろ!)

 影人は痛みに歪む思考の中、何とかそう考えると、自分とシェルディアの間に闇の障壁を展開した。これで次の攻撃は喰らわないはずだ。

「無駄よ。こんな障壁なんてね」

 しかし、シェルディアは展開された障壁を見てそう呟くと、引いていた右手を拳の形にして思い切り振った。

 シェルディアの大振りの右の一撃。それは空気を裂いて障壁に激突した。ズガンッと凄まじい衝突音が響く。だが、障壁は砕けない。しかし、影人が内心ホッと息を吐いたその時だった。

 シェルディアが拳を押し込み続けていると、障壁にヒビが広がっていき、やがて闇の障壁は音を立てて完全に砕け散った。

(嘘だろ・・・・・・・・・!?)

 ただの大振りな拳打で障壁が砕かれた。その余りの意味不明な事実に影人は驚愕した。

「ね? 言ったでしょ」

 シェルディアは余裕たっぷりに影人に向かってそう言うと、自分の胸からナイフを引き抜き、

「これ、いらないからあなたに返すわ」


 影人の胸部に闇色のナイフを突き刺した。

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