第164話 極限のスプリガン

「さあ、戦いを始めましょう」 

 シェルディアが両手を広げる。闘志に満ちた笑みを浮かべる。その宣言を聞くに、どうやら今までの攻防は戦いとすらシェルディアは認識していなかったのだと、影人は思い知らされた。全く以てふざけた存在である。

「少し下品だけど・・・・・・・・仕方ないわよね」

 シェルディアの影から何かが飛び出す。それは短剣と赤い液体のパック状の物だった。

(あれは・・・・・・血液のパックか?)

 よく医療系のドラマで見るような輸血パック。シェルディアの影から飛び出した物はそれだった。

 シェルディアが左手に短剣を持ちながら、右手で持っていた血液パックを宙に放った。そしてシェルディアは、伸びた右手の爪で血液パックを突き刺した。

 すると、まるで爪から血液が全て吸収されたように、血液は一瞬にしてなくなった。

(爪から血を取り込んだのか? その意図は何だ? 単純に考えるなら、エネルギーの補給だが・・・・・)

 シェルディアの行動を1つも見逃すまいと観察していた影人がその意味を考察する。そして、影人の考察の答えはすぐに示される事となった。

「ごちそうさま。一気飲みは本当に久しぶりだわ。まあ、私はあまり好きではないけれど」

 シェルディアはそんな事を呟きながら、左手に持っていた短剣を逆手に持ち、右のてのひらに狙いを定めた。そして、その短剣を深々と掌に突き刺す。

(自傷行為。って事は、また血の操作か。正直に言うと、他の手札を見たかったが・・・・・・・はっ、来いよ。もうそれの対処法は見つけたんだ。血の槍が何本来ようが、全部破壊してやるよ)

 影人は左手にも再び『破壊』の力を宿らせると(右手はもう既に力を宿らせている)、『破壊』の力を宿した両手を構えた。

「ふふっ、噴き出しなさい」

 シェルディアは右手の掌に突き刺した短剣を勢いよく引き抜くと、右手を上にかざした。すると、血がまるで滝のように噴き出した。普通、突き刺した短剣を勢いよく引き抜いたからといって、あれほどまでに血は噴き出さないだろう。明らかに異常なその光景。そして更に異常な事に、噴き出したは上空で流動し、槍のように形を変え固形化する。先ほど影人を襲った血の槍だ。それが1本、2本、3本と増えていく。ここまでならば、別に驚くような光景ではない。

(ッ・・・・・・おい、確かに何本来ようが全部対処してやるって意気込んだが、どこまで増える気だよ・・・・もう明らかに1000本は超えてるぞ・・・・・・!?)

 しかし、今回はその増殖速度とでも言うべきものが異常だった。血の槍は1秒におよそ100本ほど造られていき、現在もその数を倍々に増やしていく。既に血の槍は、星舞う夜空を赤く染め始める程に増殖していた。

「さて、こんなところでいいかしら。数は数えていなかったけど、大体3000くらいという感じね。ふふっ、ちょっと頑張りすぎたかも」

 それから30秒ほど。影人が呆気に取られたようにその光景を見ていると、シェルディアが右手を下ろしながら小さく笑った。シェルディアは右手の傷を治癒し短剣を影の中に放り捨てると、影人の方に向かって右手を伸ばした。

「さあ、あなたはこの全てを捌ききれるかしら?」

 試すようにそう言ったシェルディアの言葉の後に、およそ3000の血の槍が影人に向かって飛来してきた。

「クソがッ・・・・・!」

 影人はギリッと奥歯を噛みながらも覚悟を決め、逆に自分から槍の大群へと突っ込んでいった。

「へえ、自分から向かって来るの」

 シェルディアが面白いといった感じの表情を浮かべる。スプリガンのこの行動は、シェルディアにも予想外だったからだ。

(イヴ! 全身に『破壊』の力を宿す事は出来るか!?)

 眼を闇で強化し、スローモーションに移る世界の中、影人は擬似的に引き伸ばされた意識を使ってイヴにそう問いかける。影人の問いかけに、イヴは早い口調でこう言葉を返してきた。

『そいつは正直ムズイ! 「破壊」の力は俺をしても扱いに繊細さがいるんだよ。それを全身に纏わせるのは時間が掛かりすぎるし力も喰いすぎる。その代わりあと2パーツくらいなら速攻で出来る! 後、全身の「硬化」は解除しろ影人! この戦いにおいて「硬化」は殆ど無力と考えた方がいいぜ! 力も無駄に消費するだけだ!』

(分かった。『硬化』は解除する。『破壊』の力の2パーツに関しては両足にしてくれ。それなら何とかなる可能性が1、2パーはある・・・・!)

『そいつは了承したが、まさかお前・・・・・・・!?』

 影人の言葉を受けたイヴが何かに気がついたように驚く。どうやら、イヴは影人がこの血の槍の大群をどう迎撃しようとしているか気がついたようだ。

(ああ、そのまさかだぜ。この状況なら、俺に残された道は――)

 およそ3000の血の槍の大群が影人の目の前に迫る。影人は『硬化』の力が解除され、両足に『破壊』の力が宿ったのを感じると、1つ目の槍に右手で殴りかかった。

 『破壊』の力を付与した右手で殴られた血の槍は、すぐに黒いヒビが入り砕け散った。

(両手両足で、この全部の血の槍を破壊するしかねえ!)

『はっ、本当にてめえは真性のアホだぜ影人! だがそれしかねえ! この血の槍ども全部を捌き切るのは殆ど100パー無理だが・・・・・やるしかねえ! やってみせろよ影人!』

(おうよ、やってやるぜ!)

 イヴの激励を受けながら、影人は次々に自分を襲って来る血の槍を殴っては蹴る。影人に殴られ、或いは蹴られた血の槍は次々に砕け散っていく。この段階で、影人はもう既に血の槍を20本は砕き壊していた。

(身体能力を闇で常態的に強化、『加速』で更に身体の速度を上げて、眼を闇で強化してなかったら一瞬でも穴あきチーズみたいなってるな。それでもほんの少しでも気を抜いたら1発でアウトだが・・・・・・)

 スローモーションに映る世界。そして神速のスピードを有する身体能力と反応速度。今の影人はそれらがあるから、血の槍を砕き壊し続けられている。

 右手で血の槍を殴る。同時に左手でも別の血の槍を殴り、左足で血の槍を蹴る。これで更に3本。今の影人の体感時間は擬似的に引き伸ばされているので、正確な時間は分からないが、現実時間では0.02秒ほどだろう。

(感覚を研ぎ澄ませ。回避は最小限。攻撃は最大限に。機械のように、自分の動きを最適化しろ)

 影人は襲い来る血の槍の僅かな隙間にアクロバティックに体を移動させながら、両手で血の槍を掴み砕け散らせた。スローモーションに映る世界とはいえ、槍は影人を襲って来る。ゆえに回避も行わなければならない。

 だが、回避に時間を費やしすぎると他の槍の攻撃を確定で受ける。回避は最小限に最適解にしなければならない。更に言うなれば、回避している間も攻撃しなければ、その次の瞬間に回避すべきルートがなくなる。攻撃は常に最大限に。そうしなければ、影人は1秒しない内に詰むだろう。失敗やミスはその時点で影人の死を意味する。

(左、右、右下、左上、正面。回避、右、左上、正面下、正面上、左、右)

 忙しなく常に眼を動かしながら、影人は両手両足で血の槍を破壊し続ける。この時点で大体200本ほど、影人は血の槍を破壊している。

(ッ・・・・・・・・分かっちゃいたが、バカに疲れるなこりゃ。精神がイッちまいそうだ。精神力と集中力の消費がとんでもねえ)

 一歩間違えれば死ぬ崖に立っているかのような気分を味わいながら、影人は血の槍を破壊しては回避を繰り返す。今はまるで機械のように最適に、精密に動いているが影人は人間だ。疲労は溜まる。それが極限の集中ともなれば尚更だ。影人はもうかなり疲労していた。

(チッ、肉体も疲労し始めて来やがった。今で大体500本。残りはあと大方この5倍か。気が遠くなるが、何とかもってくれよ・・・・・・!)

 影人の体感時間にしては20秒ほど。影人は汗を流しながら血の槍を未だに破壊し続けていた。体感時間でたった20秒ほどだと言うのに、影人は肉体も精神もかなり消耗している。

 それから更に影人の体感時間にして20秒後。破壊した血の槍の数は遂に1000本を超えた。息が上がって来る。だが、ここで諦めるわけにはいかない。影人は何とか集中力を維持しながら、体を動かし続けた。

 体感時間40秒後。血の槍の大群を殴り蹴る事およそ80秒。破壊した血の槍の数は2000を超えた。

(ヤ、ヤバいぜ。マジにそろそろ限界だ・・・・・だが血の槍はまだ1000本ある。あと体感時間40秒。ここで折れるわけには・・・・・・・・)

 息はすっかり荒く、汗も全身から噴き出し、体は熱く痛い。肉体面は極限状態のまま限界を超えていた。そして、それは精神面も同じだった。正直に言って、今にも気が狂うかプツリと神経がブラックアウトしそうだ。

 それから体感時間20秒後。血の槍を破壊し続け体感時間計100秒が経ち、血の槍を2500本壊したところで、影人の集中力が先に限界を迎えた。

 右上から来る槍を右手で殴り壊した後に、回避しなければならないタイミングを、影人はつい逃してしまったのだ。

 その結果、影人は前方から自分に向かって来る槍全てをならなくなった。

(ッ!? クソッ、やっちまった・・・・・・!)

 ここに来てのミス。残りの血の槍はまだ500本ほどあるというのに、致命的なミスをしてしまった。もう回避は出来ない。

(こんちくしょうがッ・・・・・! 詰んだ・・・・だが、まだだ。まだ俺は諦めねえ!)

 影人は正面の血の槍を右手で殴り、左手でその左隣の血の槍を殴った。右足は右斜め前方から来た血の槍を蹴り飛ばす。しかし、捌ききれなかった血の槍が影人の右頬を派手に擦り、肉を抉った。

(痛えなおい・・・・・! だが回復は後だ。そんな暇すらも今はねえ!)

 頬から派手に血を流しながらも、影人は両手両足を動かし血の槍を破壊し続ける。1度ミスをした弊害によって、血の槍は何本か影人の体を抉ってくる。何とか体を直前に動かす事によって、串刺しは免れているが、それでも血の槍は確実に影人の肉体にダメージを与え続けている。

「う・・・・・・うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 痛みを紛らわすために、最後の力を振り絞るように、影人は叫んだ。スプリガン状態の自分がこんな雄叫びをあげるのは初めてだ。影人の中ではスプリガンはクールな謎の怪人。雄叫びをあげるようなキャラではないと、影人は勝手にキャラ付けをしていた。だが、そんな事を言っていられる状況ではない。影人はシャウト効果も少し期待しながら叫んだ。

 破壊した槍の数が2600を超える。残りは400本。そのぶん影人の体を擦り抉る傷も増えていく。外套の一部分が引き裂かれ、そこから血が流れ出る。だが構いはしない。影人は血の槍を殴り蹴る。

 破壊した槍の数が2700を超える。残りは300本。影人の体を擦り抉る傷は更に増える。それでも影人は拳を握り、足を動かし続ける。

 破壊した槍の数が2800を超える。残りは200本。既に全身が傷だらけになり、影人が体を動かすたびに血が宙に舞うが、まだ影人は止まらない。

 破壊した槍の数が2900を超える。残りは100本。もはや傷がない箇所がないくらいに、影人の体も外套もボロボロだ。黒い外套には影人の血がかなり染みていて、少し重く感じる。体も精神も、とっくのとっくに限界を超えているが、それを意志の力だけでねじ伏せながら、影人はただ血の槍を破壊する。

 そして、遂に

「こいつで・・・・終いだッ!」

 影人がそう叫びながら、最後の1本を右手で殴った。『破壊』の力が宿った拳に殴られた血の槍は、砕け壊れ散った。もう血の槍はない。影人はおよそ3000本全ての槍を破壊し尽くした。

「はあ、はあ、はあ・・・・・・・クソッタレが・・・・」

 満身創痍になりながら、影人は荒く呼吸を繰り返す。そして、影人は全身の傷を闇の力で治癒させると、金の瞳をシェルディアへと向けた。

「はっ、これがてめえの本気の攻撃かよ。だとしたら残念だったな・・・・!」 

 3000の血の槍を破壊するのに掛かった時間は、体感時間にしておよそ100秒と少し。現実時間にして約20秒。影人は強気な笑みを浮かべながら、シェルディアにそう言った。正直に言えば、今にも倒れそうなほどに体力を消費しているが、まだ戦いが終わったわけではない。影人はただ、シェルディアの攻撃を凌いだに過ぎないのだから。

「ふふっ、あははははははッ! あなた凄いわね! まさかあの数の血の槍を全部殴り蹴って破壊するなんて。無茶苦茶だわ。今まで私と戦った誰も、そんな方法であの攻撃をどうにかした者はいないわ」

 血の槍の大群の攻撃を凌いだ影人を見たシェルディアは、本当に可笑しそうに笑った。それほどまでに、影人のやり方は無茶苦茶だったからだ。

「流石は謎の怪人ね。出し惜しみをしたわけでは決してなかったけど、あなたにはそれでも足りなかった。なら、こういうのはどうかしら? スプリガン、あなたに私の『世界』の能力の一端を見せましょう」

 シェルディアはそう言葉を述べると、右手を地面に向けた。今度はいったい何が来る。影人が油断なくシェルディアを見つめていると、シェルディアは厳かにこう言葉を紡いだ。

「夜の主の名の下に命ずる。我のしもべとなり蘇れ、いにしえの黒竜の王、古の白竜の王。其がモノたちの名は、ゼルザディルム、ロドルレイニ」

 シェルディアが言葉を唱えると、ある変化が起きた。シェルディアの左斜め前方と右斜め前方の地面から、墓石のようなものが現れたのだ。墓石には、影人には読めない文字が刻んであった。

 そしてその数秒後、2つの墓石の前の地面が隆起し、その下からが地面の下から地上へと這い上がって来た。

(ッ!? お、おい、嘘だろ・・・・・・!? マジで言ってんのかよ・・・・・・・・・!)

 這い上がって来たモノの姿を見た、いや見上げた影人は驚愕した。いや、影人も目の前のと同じようなモノは創造した事がある。この間のイギリスのレイゼロール戦の時だ。

 だが、目の前に現れた2体のソレは、影人の作り物とは明らかに違った。その迫力が、そのリアリティが。極め付けは、ソレが発する圧倒的なプレッシャーであった。その事が、影人に目の前のソレが本物であるという事を否応なく教えて来る。影人が創った偽物とは、全てが違う。全てが目の前の本物には遠く及ばない。

「「ギャオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」」

 2体のソレが身をすくませるような鳴き声をあげる。実際、影人の体は無意識に震えていた。一般の人や気の弱い人がこの鳴き声を聞けば、腰を抜かすか失神するだろう。原始的な恐怖、とでも言うべきようなものが、その鳴き声にはあった。

 ソレは一見すると巨大なトカゲのようなものだった。全長は20メートルくらい。全身は鱗に覆われている。片方は黒い鱗に。もう片方は白い鱗だ。

 四つ足で立つその足の先には、この世の全てを切り裂くような鋭い爪が。1つの足の指の数は人間と同じ5本。つまり1つの足に爪は5本。これも人間と同じだ。

 胴体の付け根には丸太のように太く長い尻尾がある。あれで払われれば、人間は全身を砕かれ即死するだろう。

 同じく胴体には立派な両翼がある。普通のトカゲにはないものだ。翼があるという事は、目の前のソレが飛ぶ事が出来るという事を容易に教えてくれる。

 最後にソレの顔。影人を遥か高い位置から見下ろすその顔には2つの立派な角が生えている。瞳の色はどちらのソレも赤。口はワニのように大きく、その口の中には剣山のような歯が並んでいる。

(・・・・・まさか、生きて本物を見る事になるなんてな。流石にこんな事が起きるとは、予想もしてなかったぜ・・・・・・・・)

 シェルディアが召喚し、影人の前に現れた2体の黒と白の生物。それは伝説上の、空想上の生き物のはずだった。


 その生物の名は――といった。

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